第2話【問題用務員と地上の様子】

 冥府には、管制塔と呼ばれる冥府全体を監視する塔がある。


 管制塔の役割は冥府の各刑場が正常に稼働しているか、獄卒がきちんと労働しているかを監督する。他にも地上の様子を観察し、大勢の死者が冥府へやってくる際に冥府全体へ知らせる役目もある。

 今回は地上に関係する役目を果たしたようだ。それも今まで冥府側が探している冥砲めいほうルナ・フェルノの起動が確認されれば、もうてんやわんやの状態である。



「こちらです、補佐官殿」



 管制塔に案内されたキクガと、彼の背中を無言で追いかけるユフィーリアたち問題用務員は管制塔の内部を獄卒たちに案内されていた。


 薄暗い管制塔の内部は等間隔に配置された燭台の蝋燭がぼんやりと照らすだけで、足元には書籍や巻物などが無造作に転がっている。神父服や修道服を身につけた獄卒が巻物や書籍などを抱えて、管制塔の内部を駆け回っていた。

 管制塔の奥へ進むにつれて、獄卒たちの焦燥に満ちた声がぶつかり合っていた。「誰が適合した!?」「分かりません、帳簿にも記載なし!!」という声に、ユフィーリアは頭を抱えた。



「第一補佐官殿がご到着されました!!」



 獄卒たちの注目が一気に集まる。


 ユフィーリアは居た堪れなくなった。

 まさか冥砲ルナ・フェルノを起動させてしまったのが自分たちであり、今まさに問題を起こしている中心人物が用務員の可愛い新人だと言えない雰囲気である。頼むからこっちを見ないでほしい。


 全員揃って苦い顔を浮かべる問題用務員とは対照的に、第一補佐官であるキクガは真剣に事件の解決方法を考えている様子だった。



「ルナ・フェルノの現在の様子は?」


現世うつしよノ鏡に投影します!!」



 獄卒の1人がキビキビと動いて、キクガの前に彼の身長ほどはあろう姿見を持ってくる。

 ただし趣味の悪い姿見だった。鏡を支えるのは2体の骸骨で、頭から爪先まで本物と見紛うほど精巧に作られている。鏡の上には鴉の彫像が翼を広げた状態で飾られ、鏡の前に立つキクガを睥睨していた。


 姿見を引っ張ってきた獄卒が鏡面に手を翳し、



「〈現世を映せ〉」



 短い呪文を唱えれば、鏡面から眩い光が放たれる。


 薄暗い管制塔の内部を照らし出したと思えば、まず映し出されたのは紅蓮の炎だった。鏡の隅から隅まで燃え盛る炎が包み込み、やがて視点が移動する。

 空は黒く塗り潰され、広々とした大地を逃げ惑う若い少年少女たち。城のように大きな建物が真っ赤な炎に包まれて、逃げ惑う人間たちは呆然と燃える建物を見つめていた。


 どこからどう見てもヴァラール魔法学院である。見事に火事になってやがった。



「ルナ・フェルノが映ります!!」



 鏡面に映し出された世界がさらに切り替わり、燃えるヴァラール魔法学院の上空となる。


 漆黒に染まった空に浮かぶ、歪な形をした白い三日月。ごうごうと燃えるヴァラール魔法学院の校舎を嘲笑うかのように浮かぶそれの側に、見覚えのある人影があった。

 熱気の孕んだ風に雪の結晶が刺繍されたメイド服のスカートを揺らし、艶やかな黒髪がなびく。色鮮やかな赤い双眸で紅蓮の炎に包まれる校舎を眺める彼は、次の瞬間、ジロリとこちらを睨みつけた。


 アズマ・ショウ――用務員の可愛い新人。冥砲ルナ・フェルノに身体を乗っ取られ、意図せず事件に巻き込まれてしまった少年。



「性別はー、えっと、女性? 男性ですか?」


「メイド服を着てるぞ!? どこかの貴族の侍女か!?」


「でもこの顔、補佐官殿によく似ていらっしゃる……?」



 現世うつしよノ鏡に映し出された冥砲めいほうルナ・フェルノの適合者を目の当たりにしたキクガは、随所に雪の結晶が刺繍された可愛らしいメイド服に身を包む少年を見つめながら呟く。



「まさか、ショウか……? そんな、何故……」



 それからキクガは、無言の状態を保つユフィーリアたち問題児へ振り向いた。



「ユフィーリア君、1つ聞きたいのだが」


「…………ウッス」


「何故ショウはメイド服を着ているのかね? 彼の趣味なのか?」


「大変申し訳ござ、あ? え? メイド服?」



 途中まで謝罪の言葉を口にしかけたユフィーリアだったが、意図しないキクガの質問に拍子抜けした。質問をすべき内容ではないと思う。


 ところが、キクガにとっては自分の息子が冥砲めいほうルナ・フェルノに身体を乗っ取られて地上を火の海にしていることよりも、自分の息子のお召し物の方が重要な様子だった。

 やけに真剣な目つきでユフィーリアを見据え、華奢な肩をぐわし!! と物凄い勢いで掴んだ神父服姿のお父様は「どうなんだ?」と問い詰めてくる。



「ショウは何故あんな格好を? 異世界に召喚した時からあのようにメイド服を身につけていたのかね?」


「え、いやあの、前にアタシが『可愛い』って言ったのが嬉しかったようで……それで自らメイド服を着るようになった的な……」


「つまり、彼の趣味という判断でいいのかね?」


「まあ……そうなんじゃないっすかね」



 やたら深刻な表情で「そうか……」と呟いたキクガは、



「勤務時はこれが制服のようなものだし、やはり私服は女性用の衣装を身につけるべきなのだろうか? 息子であれほど似合っているのであれば、顔が似ている私にも合わないはずがない訳だが」


「いや何言ってんだこの親父さん」


「質問を重ねるようで悪いのだが、あのメイド服はどこで手に入る? 特注品かね?」


「何で自らメイド服を着ようとしてんだ親父さん?」



 地上が火の海に包まれて荒れ模様だと言うのに、この第一補佐官殿は真剣に女装の件について考えている最中だった。「メイド服がダメなら看護服……いや修道服がいいだろうか。でも白無垢も捨てがたい」などとぶつぶつ呟いている。


 ユフィーリアは頭を抱えた。

 これが何でもない日常の風景なら面白がってあれこれ提案したところだが、今まさに地上が大変な目に遭っているのだ。この窮地に何で女装の話題が出るのか。



「親父さん、ルナ・フェルノについてなんだけど」


「ああ、それは別に問題ない。君たちを責めるつもりも毛頭ない」


「は?」



 キクガの言葉に、ユフィーリアは眉根を寄せた。



「責めるつもりはない? こっちは地上を火の海に変えた原因を作ったってのに」


「そうとも。君たちは不幸にも巻き込まれて冥府に落ち、息子も巻き込まれて冥砲めいほうルナ・フェルノに身体を乗っ取られた。全ては冥砲ルナ・フェルノが盗まれなければ起きなかった訳だが」



 確かにそうだ。


 冥砲めいほうルナ・フェルノが冥府から持ち出されずに宝物殿か武器庫で安置されていれば、ユフィーリアたちが冥府に落ちることも、ショウが身体を乗っ取られることも、地上が火の海になることもなかった。

 全ては冥砲ルナ・フェルノが盗み出されなければ起きなかった事件であり、冥砲ルナ・フェルノを安易に盗み出してしまった泥棒の責任と言えようか。持ち出された冥府側も監督不行届でいくらかの処罰はあるだろう。


 キクガは「気に病むことではない」と言い、



「君たちは何も知らなかった。我々冥府が現世の君たちに少しでも事情を話して協力を仰いでいれば、こんな事態にはならなかっただろう。ルナ・フェルノに関する責任は君たちに負わせず、我々冥府とルナ・フェルノを盗み出した泥棒に取らせよう」


「……まあ、親父さんが言うならそれでいいけど」



 ぶっちゃけた話、地上を火の海に変えた責任まで取らされることになったらどうしようとヒヤヒヤしていたユフィーリアである。何とか罰則を回避できた様子で安心した。

 これで「君たちと一緒にいれば息子の教育に悪い」などと言われて、ショウを引き取られてしまったら泣くしかない。あの可愛いメイドさんが今後一生見れなくなるのは精神的に堪える。


 柔らかく微笑んだキクガは、



「ところで、私に似合いそうな女性用の衣装は何だろうか? 君たちの忌憚のない意見を聞かせてほしいのだが」


「何でその話題に戻ってくるんだ親父さん。アタシは着物がいい」


「最近、女装好きな人って多いねぇ。俺ちゃんは白衣を着て女医さんの格好をしてほしい」


「女医さんいいね!! 眼鏡を装備でね!!」


「ショウちゃんとお顔が似てても、やっぱり別系統の女装がいいわよネ♪ おねーさんはユーリの和装を推すワ♪」



 天然ボケボケ第一補佐官と愉快な問題児たちによる女装談義はしばらく続き、その間に獄卒たちは黙々と自分たちの仕事をこなしていたのだった。



 ☆



「なるほど、私に似合うのは訪問着のような着物になるか。確かに私のような年齢でメイド服などの洋装は無理があるだろうな。貴重な意見をありがとう」



 何枚かの羊皮紙を眺めながら、キクガが礼を言う。


 あれから女装談義が本格的に動き始め、ユフィーリアたち問題児も徐々に面白くなってしまった為にあれこれ提案してしまったのだ。地上はそれどころではないのに、何故かショウの父親であるキクガの女装を本気で考える始末である。どうしてこうなった。

 結局、キクガの年齢的なものも加味して和装が1番という解答を導き出した。羊皮紙に描いたのはキクガが似合いそうな女性用の衣装で、赤い筆で丸が描かれた着物の格好が見事に採用された次第である。


 ユフィーリアも満足げに雪の結晶が刻まれた煙管キセルを吹かすと、



「こういうノリのいい奴は嫌いじゃねえよ。むしろ大歓迎だ」


「本当かね。ならば地上への視察の際には用務員室に立ち寄らせてもらおうではないか」


「おう、手土産はちゃんと持ってこいよ」


「当然だとも」



 しっかりと頷いたキクガに、ユフィーリアは「じゃあ楽しみにしてる」と言う。



「ショウ坊も喜ぶぜ、まさか実の父親が異世界にやってきてるなんてな」


「感動の再会って訳だねぇ」


「凄えね!! お祝いだね!!」


「遊びに来た時にはおもてなししてあげなきゃネ♪」



 あはははははは、と笑い合う問題児だったが、何か肝心なことを忘れていた。


 そう、そのショウである。

 彼は現在、冥砲めいほうルナ・フェルノに身体を乗っ取られているのだった。今もなおその勢いは衰えておらず、業火がヴァラール魔法学院内を襲っている。


 ユフィーリアは自分の銀髪を掻き毟ると、



「アタシは一体何してんだ!? さっさと現世に帰らなきゃいけねえのによォ!!」


「ああそうだった、すっかり忘れていた」


「お前は忘れちゃいけねえだろうが親父さん!!」



 ユフィーリアたちを現世に送り届けるということをすっかり忘れて女装談義なんかしちゃっていたキクガは、丁寧に女性の着物を纏った自分の絵を折り畳んで懐にしまい込む。気に入ったのだろうか。



「では冥宮殿めいきゅうでんへ急ごう、冥王様にこの件を報告して」


「大変です補佐官殿!!」


「今度は何かね?」



 管制塔に飛び込んできた1人の獄卒が、息を切らせながら第一補佐官であるキクガに更なる事件を報告してくる。



「冥府の空に穴が開き、刑場の罪人たちが反旗を翻しました!! 現場の獄卒たちで抑え込んでいましたが、もう限界です!!」



 ユフィーリアは深々とため息を吐いた。女装談義なんてするもんじゃなかった。

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