第4章:天使の喫茶店〜問題用務員、無銭飲食事件〜

第1話【問題用務員と昼食の時間】

 さて、待ちに待った昼休みである。



「ショウ坊に説明しておくと、ヴァラール魔法学院の昼食時は食堂を解放しねえんだ」


「それなら、生徒は昼食だけ自炊ということになるのか?」


「節約の為に自炊をする奴はいるけどな、大半は学院内に併設されたレストランに行く」



 昼休みを心待ちにしていた生徒たちで溢れ返る正面玄関にやってきたユフィーリアは、正面玄関に設置された掲示板を愛用の煙管で示す。


 生徒たちが熱心に掲示板へ注目している理由は、学院内に併設された4つのレストランが出す期間限定のメニューだった。『新入生応援』と銘打たれたそれらは今の時期が旬の食材をふんだんに使った、自炊するよりも豪華な昼食の内容となっている。

 それぞれのレストランは店の系統が異なるのか、昼食の内容も差がある。女性が好みそうな健康志向の食事だったり、逆に男性が好みそうな重量のある肉料理だったりと目で見ても楽しい内容だ。


 ショウは掲示板を見上げて「おお」と赤い瞳を輝かせると、



「本当に色々とある……」


「店を経営している連中も違うから、店の雰囲気も結構違いがあるぞ」



 それ故に、いつも昼食で迷う生徒が多発するのだ。どうせ6年も学校に在籍するのだから、全ての店を順番に巡ればいいのに。

 今も生徒たちは「迷うーッ!!」「どれがいいかなあ」などと掲示板の前を右往左往している。期間限定のメニューは1ヶ月近く続くので全部を楽しめるはずなのに、やはり最初はどこの店に行こうか悩むのだろう。


 ユフィーリアたち問題児も悩める子羊ならぬ悩める生徒たちに混ざって、掲示板に張り出された内容を確認する。



【カフェ・ド・アンジュ】

 ……花苺はないちごのパンクック、白雲クリームを添えて。


【ダイニング・ビーステッド】

 ……春食材のビュッフェ。


【ビストロ・マリーナ】

 ……ニジイロオオメダイのパスタ、マリーナソース仕立て。


【ノーマンズダイナー】

 ……高原風船牛ふうせんうしのハンバーグ。



 期間限定と謳われたメニューを眺めて、ユフィーリアたちは結論を出す。



「春食材って大雑把なのが面白いよな、めちゃくちゃ気になる」


「やっぱりお肉だよねぇ」


「ニジイロオオメダイは今だけしか食べられないよ!!」


「花苺の旬も今だけだワ♪」



 戦争のお時間が到来である。



「おいおい、ここは色んな種類の料理が楽しめる『ダイニング・ビーステッド』だろ? 1種類だけに特化した店なんてつまんねえだろうが」


「お肉は正義なんだよぉ、特に高原風船牛のお肉なんて滅多に食べられないんだからねぇ? それをこんなお安く提供してくれる今が好機なんだよぉ」


「ニジイロオオメダイって面白い名前だよ!! そっちの方がいいよ!!」


「ユーリは甘いものが得意じゃないかもしれないけどネ♪ 女の子は甘いものが大好きなのヨ♪ 花苺のパンクックなんて売り切れ間違いなしだワ♪」



 ヴァラール魔法学院が始まって以来の問題児どもが、揃って仲間割れである。

 意外に思われるだろうが、実は彼らの喧嘩など珍しくないことである。意見の衝突は起きるし、誰それが大切にしていたお菓子や酒に手を出したということで校舎内を死ぬほど追いかけ回されることなどザラである。


 特にこの昼食の時間で意見が衝突するのは、もはや日常茶飯事と呼べることだ。4人もいれば意見が割れるのは当然である。

 以前「全員でバラバラの店で食べればいいじゃん」と学院長に心のない説得をされたが、1人飯など寂しいことこの上ないのだ。いや、出来なくはないのだが。


 そんな訳で、食事は4人揃ってが基本常識となった問題児は、互いに睨み合って戦争の着地点を探る。



「……よし分かった、ショウ坊に決めてもらおう」


「そうだねぇ」


「いいよ!!」


「それはいい案ネ♪」


「ただし、ショウ坊が何を選んでも文句はなしな」


「いいよぉ」


「分かった!!」


「いいわヨ♪」



 4人だから見事に意見が割れたが、最後の5人目がいるのだ。

 昨日、異世界から召喚したばかりの異世界人である少年――この世の何もかもが人生初体験という何を選んでも面白い結果しか見えないような彼が。


 ユフィーリアはやけに静かなショウへ振り返り、



「ショウ坊、昼飯の店はどこがいいか――」



 ユフィーリアの言葉は途中で消えた。


 彼は熱心に掲示板を見上げていた。掲示板を見上げたまま微動だにしなかった。

 何をそんなに熱視線を注いでいるのかと思えば、女性陣が好みそうな甘い花苺のパンクックをじっと見つめていたのだ。黄金色の生地の表面に綿雲のような白いふんわりとしたクリームが大量に載せられ、その上から赤い花の形をした苺が散らされている。見ているだけで甘さを感じる。


 花苺のパンクックを凝視するショウは、



「…………じゅるり」



 何と、涎を垂らしていた。

 猫耳メイド服を着ているので、さながら獲物を狙う肉食獣のようだ。


 ユフィーリアはそっとショウの背後に立つと、



「パンクックにご興味がおありですかな、お兄さん」


「うにゃぅッ!?」



 野良猫よろしく飛び上がったショウは、驚きのあまり腰から伸びた黒猫の尻尾をぼわぼわに膨らませて振り返る。本物の猫のようだ。



「お、おど、驚かせないでくれないか……」


「いやー、悪い悪い。あんなに穴が開くほど見つめてたからな」



 ユフィーリアは雪の結晶が刻まれた煙管キセルでパンクックの絵を示し、



「で、お前はこれがいいのか?」


「え、あの……」



 ショウは恥ずかしそうに赤い瞳を彷徨わせると、



「……美味しそうだったから。あの、元の世界でも似たようなお菓子はあったのだが、食べたことがなくて」


「お前ら、今日はカフェ・ド・アンジュだ。異論は認めねえ」


「文句ないよぉ」


「いいよ!!」


「やったワ♪」


「え、えー……?」



 自分の意見があっさりと通ると思わなかったらしいショウは、困惑したように言う。



「あの、別に俺の意見だけじゃなくても……」


「どのみちカフェ・ド・アンジュの意見は2票で勝ってたんだよ。問答無用の採用です、おめでとうございます」


「あ、ありがとうございます……?」



 熱心に見つめていた甘いパンクックがお昼ご飯に決定され、ショウは「パンクック、どんな味だろうか……」と期待している様子だった。超可愛い。


 そんな訳で、問題児たちのお昼ご飯はカフェ・ド・アンジュで甘いパンクックという内容に決定である。

 異論も文句もなければ、殴り合いの喧嘩もない。「ショウを幸せにする」というのが全員の共通意識である。



 ☆



 カフェ・ド・アンジュは別名『空に1番近い喫茶店』と囁かれるほど高い位置にあり、その見晴らしはエリシアにある喫茶店の中でも1、2位を争うとされている。

 女性に人気のある喫茶店で、客層もどちからと言えば女性の方が多い。特に食事の内容を気にする思春期女子や女教師が、バランスの良い食事を求めて訪れる。


 余談だが、このカフェ・ド・アンジュはヴァラール魔法学院で最も高い場所にあるので、高所恐怖症の人間は絶対に来れない喫茶店だ。



「――で、あのカフェ・ド・アンジュのある場所にまで行く方法があれだな」



 ユフィーリアが示したのは、神々しい輝きを放つ白い台座である。


 5段ほどある段差の先には幾何学模様が刻み込まれた台座が設置され、それを巨大な翼を広げた天使の石膏像が優しい微笑みを湛えながら見下ろしている。簡単に触れてはいけないものだと錯覚してしまうが、天使の石膏像如きに怖気付くような問題児ではない。

 台座の前には小さな黒板が設置され、それには『本日のお勧め』と銘打たれたメニューが記載されている。写実的な絵も添えられていた。料理の内容が判断しやすいので、絵があるのは大変ありがたい。


 台座の前で長蛇の列をなす生徒たちに倣って律儀に並ぶユフィーリアは、



「あれは転移魔法の台座でな、踏むと店の前まで転移するんだよ」


「それほど遠い場所なのか?」


「素直に行こうとすれば、空を飛ぶ魔法は必須になってくるな」



 雪の結晶が刻まれた煙管を咥え、ユフィーリアはショウの質問に答える。



「カフェ・ド・アンジュは『空に1番近い喫茶店』って言われてるからな。それほど高い位置にある喫茶店だし、高いところが苦手な奴は絶対に来れねえ。行っただけで悲鳴を上げるぞ」


「……誰か連れて行ったのか?」


「さーてなァ」



 怪しげな視線をくれてくるショウから、ユフィーリアはそっと視線を外した。


 実際にユフィーリアは何も手を出していないのだ、相手の自爆行為とも呼べる。

 もうヴァラール魔法学院に用務員として務めて1000年も経過しているのだ、色々な面白い生徒も何度か見かける機会があった。その中で毎度のように存在するのが、明らかに情報収集を怠っただろう馬鹿な生徒だ。


 雪の結晶が刻まれた煙管を吹かすユフィーリアは、



「毎年何人かはいるんだよなァ、高所恐怖症なのにカフェ・ド・アンジュの居場所を調べないで行く生徒が」


「え」


「ほら、見ろよ」



 ユフィーリアが天使の石膏像を顎で示せば、転移魔法が発動されて凄い勢いで1人の女子生徒が駆け出していく。足を縺れさせながらも何とか廊下を駆け抜けていき、涙をポロポロと零しながら「やだあああ!!」と悲鳴を上げていた。

 彼女は高所恐怖症だったのだろう、残念ながら在学中はカフェ・ド・アンジュを利用できないと見た方がいい。


 ユフィーリアは逃げていく女子生徒を見送り、



「ほらな?」


「……あの怯えようは相当だな」


「まあそこは行ってみてからのお楽しみってことで」



 そんな会話をしていると、早々に順番が回ってきた。目の前に置かれた白い台座に乗り込み、ユフィーリアは部下たちに手招きする。



「お前らも乗れよ」


「ユーリ、それって定員が3人までじゃないのぉ? 前に行った時も結構大変だったよぉ」



 エドワードが難しい表情で言う。


 天使の石膏像が見守る白い台座は、明らかに小さい。複数人で使うには使えるのだが、3人ぐらいが限界だろう。

 ついでに、天使の石膏像も『魔法陣の定員は3名までです』と書かれた札を首から下げていた。これは完璧に『3人以上で利用するな、ボケ』と遠回しに言われていた。


 しかし、残念だ。ここにいるのはヴァラール魔法学院の問題児、その筆頭である。



「転移魔法の改造ぐらい簡単だぜ」



 おもむろにしゃがみ込んだユフィーリアは、足元に広がっている魔法陣に細工をし始める。


 すでに前提から3人用の設定にされているので、魔法陣に式を付け加えて『3人以上』の設定に改造する。線を2本ほど追加すれば、3人以上の利用を目的とした転移魔法の陣が完成した。

 店側が用意した魔法陣の改造現場を目撃した順番待ち中の生徒たちは、ヒソヒソと「え、あれっていいの?」「よくないでしょ……」などと話し合っていた。面と向かって注意は出来ないようなので、見ないフリをしていたが。



「よーし、お前ら乗れ乗れ。これで全員揃って行けるぞ」


「さすがだねぇ、ユーリ」


「物知り!!」


「魔法陣も改造しちゃうなんて凄いワ♪」


「魔法の知識が豊富だと便利だな」



 全員揃って改造された魔法陣に乗り込むと、ユフィーリアは台座を2度ほど踏みつけて転移魔法を発動させる。


 台座に刻み込まれた魔法陣が、眩いばかりの白い光を放ち始める。幾何学模様が蠢き、改造された転移魔法が起動する。

 目の前に広がっていた景色が切り替わり、生徒の列が消えたと同時に晴れ渡った空が出現した。一面は硝子ガラスに囲まれていて、床も目を凝らさなければ認識できないほど透明度の高い硝子が敷かれていた。まるで空の中に放り出されたような感覚になる。


 転移魔法陣の目と鼻の先に、洒落た喫茶店があった。


 看板には流れるような文字で『カフェ・ド・アンジュ』とあり、どういう料理を提供しているのかという見本が店先に展示されていた。

 入り口付近には観葉植物まで設置され、お洒落さがこれでもかと伝わってくる。



「ここがカフェ・ド・アンジュか?」


「そうだぞ。凄え洒落てるだろ」



 ユフィーリアは軽い調子で笑いながら、



「さてと、さっさと飯を食って――あれ?」



 ユフィーリアは、何故か動けないことに気づいた。


 視線を自分の身体に落とせば、全員して魔法陣に下半身が埋め込まれた状態だった。

 なんか、もう、笑えるぐらい綺麗に詰まってしまったようだ。ジタバタともがいても苦しいだけで、魔法陣から抜け出すことが出来ない。


 そこで、ユフィーリアは衝撃的な事実に気づく。

 入り口になる魔法陣は3人以上に改造をしたが、出口になるこの魔法陣は改造前のままだ。つまり、3人用の転移魔法陣である。それは詰まっても仕方がない。



「詰まったァ!! やべえお前ら詰まった!!」


「ほらぁ!! まぁたこういうオチじゃんねぇ!! さすがの言葉を返してよぉ!!」


「出して!! 出して!!」


「ちょっとハルちゃん、暴れないでヨ♪ 痛いでショ♪」


「むぎゅう……」


「おい、エド。ショウ坊潰してるぞ」


「ショウちゃん生きてぇ!!」


「出して!!!!」


「ハルちゃん、暴れないでって言ってるでショ♪」


「ぎゅう……」



 それから問題児4名と新人1名は、異常事態を察知した店員から救出されるまでもがきにもがき苦しんだ。

 考えなしに魔法陣を改造するのは止めよう。

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