第2話【問題用務員と朝食の時間】
「急げお前らッ!!」
「これでも急いでるよぉ!!」
「合点!!」
「運ばれてるから楽ちんだワ♪」
「りょ、了解」
用務員室から飛び出した問題児どもは、無人の廊下を全力で駆け抜けていた。
そもそも朝食の時間に遅刻すると言っておきながら、ショウの髪型を決めるのに時間を食ってしまったのだ。少し遊びすぎたとも言う。調子に乗るのはいつものことだ。
結局、本日のショウの髪型は清楚な三つ編みとなった。太めの三つ編みを飾る鈴のついた赤い髪紐がよく映え、彼が動くたびにチリチリと小さな音を奏でた。まるで飼い猫のようだ。
注意する人物がいないのをいいことに、ユフィーリアは持ち得る身体能力を最大限に使って
「時間がねえってのに遊びすぎた!!」
「どの髪型でも似合っちゃうのが困るんだよねぇ」
アイゼルネを抱えて走るエドワードの言葉に、ユフィーリアは全力で「本当にな!!」と応じた。
「それほど急ぐ内容なのか? まさか時間が決まっているとか……」
「時間は7時から始業までの9時って決まってる!!」
追随してくるショウの質問にユフィーリアは簡潔に言う。
本当であれば『これがこうだから急いでる』と詳しく説明してやりたいところだが、この状況であれば現場を見た方が理解が早い。
障害物のない廊下を全力疾走し、目的地である食堂に辿り着いた。そこに広がっていた光景は、ユフィーリアたちが急いでいた理由に納得できるものだった。
「遅かったか……ッ」
「うわあ……」
食堂の扉は遥か彼方に開け放たれたままで、そこからずらりと長蛇の列が伸びている。
並んでいるのはヴァラール魔法学院の生徒たちであり、彼らの中に教員が混ざるようにして並んでいる。「今日の朝ご飯は何が出るかな」とか「今日は食欲ないなぁ」とか会話を弾ませているが、最後尾に並んでしまった問題児たちは揃って頭を抱えていた。
これほど長い列の最後尾で真面目に待っていれば、朝食を食いっぱぐれる可能性が非常に高い。他の手段を考えなければ。
「なるほど、長い列が出来るから急いでいたのか」
「生徒数が多いからな、ウチの学校。6年制だし、1学年に2000人ぐらいは生徒いる」
「単純計算で1万2000人……!?」
「最近だと新入生が減ってるみたいだけどな」
その新入生の減少にユフィーリアたち用務員は一役買っているのだが、あえて真実は伝えなかった。
さて、朝食には全校生徒1万2000人に加えて教職員も押し寄せてくるので、食堂は大混雑する。
最後尾に並んでしまえば、果たして順番が回ってくるのはいつになることやら。これではゆっくり朝食を楽しむことが出来ない。
雪の結晶が刻まれた
「仕方がねえ、あれを使うか」
「あれとは一体?」
首を傾げるショウに、ユフィーリアは不敵な笑みと共にカサカサと蠢く黒い物体を取り出した。
ユフィーリアが研究に研究を重ねて完成した、最低最悪の虫の玩具である。動きも完璧に本物と同じようにしたので、気持ち悪さはお墨付きだ。
ちなみに、形はエリシアで1番嫌われているクロハガネゴ【自主規制】を採用している。なお、虫が嫌いな読者様に配慮して一部を伏せ字にしてお送りしております。
元の世界でも見覚えのある害虫を目の前に突き出され、ショウは「ひぎッ」と悲鳴を上げそうになる。慌てて口を手で押さえて悲鳴は押し殺せたが、虫の玩具に対する恐怖心と嫌悪感は消えていない。
「そ、それは本物か?」
「まさか。本物だったら素手で触れねえよ。コイツら肉食だし」
「ああ、ならば偽物なのか。よかった……」
ホッと胸を撫で下ろすショウは、
「それを一体どうするつもりだ?」
「こうする」
ユフィーリアは、カサカサと蠢くクロハガネゴ【自主規制】の玩具を床に解き放つ。
自由を得たクロハガネゴ【自主規制】の玩具は、カサカサと並ぶ生徒たちの足元をすり抜けていく。長蛇の列を形成する生徒たちに気づかれることなく、クロハガネゴ【自主規制】の玩具は食堂に突撃していった。
それから数秒後、食堂から甲高い悲鳴と共に多くの生徒が飛び出してくる。騒ぐ生徒たちの会話内容を聞いて、並んでいた生徒や教職員たちも逃げ出し始めた。
あっという間にユフィーリアたちの前に並んでいる人間はいなくなり、事件を引き起こした張本人は何食わぬ顔で食堂に悠々と足を踏み入れる。
狡い? 彼らにとっては褒め言葉である。
「いやー、前に並んでた奴らが全員どこかに行っちまったなァ。何があったんだろうなァ?」
「本当にねぇ。何か騒いでる様子だったけどねぇ」
「何かあった!?」
「おかしいわネ♪」
「あ、あはは……」
僕たち何もしていませんと言わんばかりの堂々とした振る舞いに、真相を知るショウは苦笑いをするしかなかった。
長蛇の列を形成する生徒と教職員がいなくなったことで、食堂へと足を踏み入れれば食欲を誘ういい匂いが鼻孔をくすぐる。
広大な食堂には長机が10ほど並んでいて、全校生徒を収容しても余りあるほどの広さがある。食堂の隅には純白の布が敷かれた机があり、出来立ての料理が盛られた大皿が並ぶ。
様々な種類の
「朝食はビュッフェ形式なのか?」
「9時までは食べ放題だぜ。何をどれだけ食っても自由」
白い陶器製のお椀を手に取ったユフィーリアは、
「今日の朝食は
「この世界にも米があるのか?」
「あるぞ。東地方じゃ米が主食だし、南に行けばパラッパラな米が出てくるしな」
米があることに驚くショウに軽い説明をしながら、ユフィーリアは近くにあった寸胴の蓋を開ける。
長めのお玉で寸胴の中身を掬うと、ドロッと溶けた米がたっぷりと盛られる。
白いお椀に並々と龍国粥をよそい、さらに青紫色の玉葱と胡麻を振りかける。青紫色の玉葱はシソタマネギと呼ばれるもので、爽やかな酸味が特徴の玉葱である。
エドワード、ハルア、アイゼルネも各々の朝食を皿に盛り付けているところだった。ショウも彼らに倣って、白い皿に自分の食べたい料理を取っていく。
「元の世界と同じような料理がたくさんある」
「本当!? 食べられないものあったら言ってね!!」
「あ、いや、食べられないものはないが……何故か安心する。変な料理に挑戦するのは出来るだけ避けたい」
無難な料理を選んでいくショウは、白い皿に盛る加減が分からないからか、どの料理もちょびっとである。
虐待で碌に食事を取れなかった弊害だろうか。ここに来て少しでもマシな食事が出来ればいいが。
彼の皿を見たハルアが「少ないね!?」と目を丸くし、ショウも「ええ……?」と困惑気味に応じる。
「朝ご飯はもっと食べた方がいいんだよ!!」
「で、でも、たくさん取ったら他の人も……」
「遠慮は無用だぜ、ショウ坊。見てみろ」
ユフィーリアが顎で示した先には、燻製肉を大量に皿へ盛るエドワードの姿があった。すでに彼の抱える白い皿には
大皿にあった燻製肉は全て彼の取り分となり、強面の巨漢は非常に満足そうな笑みを浮かべる。朝からとんでもなく重たい。あれを見ているだけでお腹いっぱいになりそうだ。
唖然とした様子で立ち尽くすショウの肩を叩き、ユフィーリアは「な?」と言う。
「あれを見ると遠慮なんかしなくていいんだなって思うだろ?」
「あれは取りすぎだとは思うのだが」
「お前も遠慮なんかしてたら大きくなれねえぞ。どうせなくなった食べ物は補充されるんだし」
「それならいいのだが……」
ショウは寸胴からユフィーリアと同じく
それぞれ朝食を皿に盛り付けてから、空いている座席を陣取る。
ユフィーリアお手製の虫の玩具による被害者たちも続々と食堂に戻り、どこか怯えた気配を見せながら朝食を皿に盛り付け始めた。おそらくまだ虫の玩具が潜んでいると勘違いしているのだろう。
まあ、ユフィーリアの手元には戻ってきていないので、どこかに潜んでいることは間違いないが。
「あー、この塩気が堪んねえ。優しい味だわ……」
「ショウちゃんそれだけぇ? もっと食べないと大きくなれないよぉ。ほらぁ、俺ちゃんのお肉分けてあげるからぁ」
「あ、ありがとうござ……うわそんなに多くはいらな……ッ!!」
「
「お野菜も新鮮で美味しいワ♪ 今日のドレッシングも最高ネ♪」
ユフィーリアは優しい味わいの
ハルアはチーズの入ったオムレツを口いっぱいに頬張り、アイゼルネも
――この時までは。
「やあ、ユフィーリア。おはよう」
にこやかに朝の挨拶をしてきた黒髪紫眼の魔法使いに、ユフィーリアもまた爽やかな笑みで応じる。
「おう、おはようグローリア。今日もいい天気だな」
「あはは、そうだねユフィーリア。――ところで」
学院長――グローリア・イーストエンドがスッと音もなく差し出してきたのは、惨たらしく破壊されたクロハガネゴ【自主規制】の玩具だった。
ぷすぷすと黒煙を噴き出す玩具に視線をやり、ユフィーリアは爽やかな笑みの裏側で「げ」と呻く。
よりによって学院長に見つかってしまうとは、運のない玩具である。奮闘を見せてくれた玩具に、胸中で最敬礼を送った。
「これ、君のだよね?」
「証拠でもあるのかよ」
「こんな趣味の悪い玩具を作るのは君しかいないんだよね」
「だから、証拠も何もなしに罪を着せてくるなよ。失礼だろ、アタシに」
「…………はあ」
グローリアはため息を吐くと、
「なかなかいい出来栄えだったから、魔法昆虫研究学の標本として新しく作ってもらおうと思ったんだけどなぁ」
「え、本当? 調理場に出た奴を捕まえて、3日3晩に渡って研究した甲斐があるな」
「へえ、3日3晩もかかったんだぁ。だからこんなに完成度が高いんだねぇ」
「そうなんだよ。意外と粘り強い研究が必要でなァ」
「あはは」
「ははは」
しばしの沈黙。
それから、怒号が平和な朝をぶち壊すように轟く。
「やっぱり君じゃないかユフィーリア!!」
「クソが、嵌めやがったなグローリア!!」
学院長と問題児による衝突も、もはや日常茶飯事と化していた。
生徒や他の教職員は「またやってるよ」「いい加減にしろよな、用務員たちも」と呆れた様子で学院長と問題児筆頭のやり取りを眺めている。
傍観者に徹しているのは、巻き込まれたくないという心情の表れだろう。誰だってあの2人の口論に首を突っ込みたくない、命が惜しい。
こうして、賑やかな朝食の時間は無駄に過ぎ去っていくのだった。
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