ep7.すりおろし林檎のヨーグルト③

 結局僕は今日、学校ではひと言も喋らないまま終えた。ほとんど一人でひっそりと過ごしていたのでエネルギーもあまり消費していないはずなのだが、なぜだかいつもよりもどっと疲れていた。

 家に着いたら少し仮眠でもしようか。瞼が重い。

 駅の改札を出て家に向かって歩きながら、スマホを取りだす。ネットのニュースの見出しを眺めたが、興味を惹かれる記事はあまりなかった。ニュース記事を閉じてメッセージアプリを起動する。新着はない。画面を操作して、高森とのやりとり画面を出す。今朝、僕が送ったメッセージで終わっている。既読はついているので、読んだことは読んだのだろう。それから画面をスワイプして過去のやりとりを読み返した。僕の簡素な返信に対して、高森は長めのメッセージだったり、スタンプを送ってきたりと、ていねいだ。

 ……具合はどうか、訊ねてみようか。

 僕はそう思い立って、家に向かって歩きながら高森に体調を訊ねる文章を打ち込んでいたのだが、途中で思い直してすべて消去した。いっそ、直接様子を見に行けばいいのではないだろうか。僕が見舞いに行っても、不自然ではないだろう。

 僕は立ち止まると、自宅へ向かっていた帰路を引き返して足早に駅に戻った。それから高森のマンションがある反対側へと抜け、左に曲がる。

 手ぶらで行くのは気が引けるので、見舞いの品を見繕うために途中コンビニに寄った。本当はもう少しちゃんとした店で購うべきなのかもしれないが、相手は高森だしそこまで気を遣わなくてもいいだろうと言い聞かせる。駅前のモールであればもう少し気の利いた品があったかもしれないが、なにぶん気づくのが遅かった。もうずいぶん前に通りすぎていた。わざわざまた戻るのも手間だ。

 ピロンピロンという馴染みの音楽とともに入店する。この前、高森がシャーペンの芯を買ったのと同じ種類のコンビニだ。このへんでいちばん多く見るコンビニだった。僕の家側にも多いが、こちら側にも多いようだ。

 入り口を入ってすぐ脇のところに設置されたコピー機を見て、ふと今日のぶんのノートをコピーして高森に渡したほうがいいのではないかと思い至った。それで僕は鞄からノートを取りだすと、一教科ずつコピーをしていった。吐きだされた紙を手に取り、端の文字が切れずにきちんとコピーされていることを確かめてから、いつも持ち歩いているクリアファイルに入れた。クリアファイルは、学校から配布された案内の書類や宿題のプリントを入れておくのによく使っている。

 それがすむと、本来の目的であったスイーツの並んだコーナーへと移動する。このあいだ高森と一緒に食べた抹茶のフェアはもう終わっていた。今は次のフェアの準備期間中なのか、特に何のポップも掲げられていない。並んでいる商品を眺めながら、何を買うべきかを迷う。

 ドーナツやクッキーなどは口内の水分も取られるし、特にクッキーはぼろぼろとした破片が喉に痞えて飲みこみにくいだろうから論外だ。具合が悪いのだから、消化のよいものを選ばなければならない。やはりゼリーかプリンが一般的だろうか。ヨーグルトでもいいかもしれない。

 そこで、すりおろし林檎のヨーグルトという品が目に留まった。緩めのヨーグルトのなかにすりおろした林檎と、アクセントに小さくカットされた固形の林檎が入っているようだ。この組み合わせはスイーツとしても病床の食べ物としても鉄板だろうと思い、僕はそれを手に取ってレジに向かった。


 高森はしょっちゅう僕の家に来ているが、僕が高森の家に行くのは今日が初めてだった。放課後に過ごすのはもう僕の家であることが当たり前になっていたし、僕もわざわざ高森の家に行きたいとは思わなかった。他人の家はテリトリー外だ。勝手知ったる自分の家がいい。

 駅からしばらくはいろいろな店が連なって賑々しかった。飲食店から服飾店からクリニックまで、種類も豊富に揃っている。生活するうえで不自由はしなさそうだ。駅のこちら側にはあまり用事もなく来ることがないので、よく知らなかった。

 それからさらに五分ほど歩いていると少しずつマンションが増えてきて、だんだんと住宅街の様相を呈してきた。高森の住むマンションは駅から十五分くらいの場所だと前に言っていたから、たぶんもう少しだろう。この辺りに林立したどれかがそれのはずだった。煉瓦色の外壁をしたマンションを探す。

 やがてそれらしいマンションを発見して、僕は正面エントランスに立つ。マンション名を確認して記憶と照合する。外観も以前高森に見せてもらった写真と合致している。このマンションで間違いないだろう。

 マンションはオートロックで、自動ドア脇に設置されたインターフォンに部屋番号を入力して呼び出す必要があった。高森の部屋は六階だ。僕は高森から聞いていた部屋番号を思いだしながら、頭のなかで反芻して呼び出しボタンを押した。

 すぐに呼び出した部屋に繋がって、「はい」という女性の声が応答した。おそらく高森の母親だろう。僕が部屋番号を押し間違えてさえいなければ。

「織部と言います。た……、総一郎くんの、クラスメイトの」

 僕がそう名乗ってからしばらくの間があった。その沈黙がとたんに不安になる。あんなに確かめたのに部屋番号が間違っていたのだろうか。それとも、僕のことを知らずに怪しんでいるのかもしれない。

「おりべ……、ああ、真咲くん!」

 やがてインターフォンの向こうから嬉しそうな声が響いてきた。どうやら部屋番号は間違っていなかったらしい。加えて僕の下の名前まで把握しているとは驚きだ。高森が僕のことをどうやって伝えているのかがにわかに気になりはじめる。

 どうぞ、という声とともにオートロックが解除される。僕はいそいそとエレベータに乗り込むと、六階のボタンを押した。

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