第9話 僕と沙菜
家に帰った僕は制服から私服に着替えて、メモ帳と筆記用具を用意し、すぐにまた家を飛び出した。
徒歩で家から一番近い駅に向かい、15分程度で目的地に到着した。
僕は改札前まで歩いていき、改札横の駅員さんがいるスペースまでいって呼びかける。
「すみませーん」
「どうしたんだい」
駅員のおじさんが僕を覗き込むようにして顔を向けてくる。
「海に行きたいんですけど。行き方がわからないので、どの駅まで行ったらいいのか教えてください」
僕がそう告げると駅員のおじさんは少し不思議そうな表情を浮かべた。僕は何かおかしなことを言っただろうか。
「海? 君ひとりで行くのかい? これから?」
帰ってきた答えは疑問符の三連発だ。どうやら子供がひとりなのを警戒しているみたいだ。
僕はとっさに頭を働かせて間髪入れずに告げる。
「今日は行きません。後日家族で行きます。ママに行き方を駅員さんに聞いてきてと言われました」
咄嗟に嘘をついてこの場を乗り切ろうとする。こうでも言わないと駅員のおじさんは教えてくれそうになかったからだ。
僕ひとりで行くなどと口にしようものなら確実に止められるだろう。
僕は嘘がばれないかドキドキしながら駅員のおじさんの反応を待つ。
「なんだ、そうだったのか。てっきりひとりで行くのかと思ってびっくりしたよ」
どうやら嘘がばれなかったようで僕は安心し、そっと胸をなでおろす。
「ちょっと待ってな。今調べてやるから」
「お願いします。ちなみに水平線が綺麗に見えるところでお願いします。それとこのメモ帳に行き方を書いてほしいです。口で言われても漢字が分からないです。後ふりがなも」
「わかった。まかせな」
僕は駅員のおじさんにメモ帳と鉛筆を手渡して、後はお願いする。
しばらく待つと駅員のおじさんがメモ帳と鉛筆を返してくれた。
僕はメモ帳の中身に目を通し、必要な路線名と乗り降りする駅名が書かれていることを確認する。きちんとふりがなも書いてくれていた。
しかし運賃が書かれていなかったので「運賃も書いてほしいです」と告げて、もう一度メモ帳と鉛筆を駅員のおじさんに渡した。
駅員のおじさんも快く応じてくれて、メモ帳に運賃の記載を足してくれた。
「これでどうだ」
駅員のおじさんから返却されたメモ帳に再び目を通し、不足がないことを確かめた。
「ばっちりだよ。ありがとう、おじさん」
「どういたしまして」
僕は改札を離れ、そのまま歩いて家に帰るのだった。
☆
僕は家に帰ると自室に入り、手にしたメモ帳と鉛筆を机の上に置いた。
それから部屋を出て何気なくリビングに行くと母と妹の沙菜がいた。
何をしているのかとふたりに近づくと、沙菜が招き猫型貯金箱の中身をテーブルに広げて前に僕がしたように、硬貨ごとに整理して集計しているようだった。
そういえばあの時沙菜に対し貯金箱の中を整理して両替してもらったらと勧めたことを思い出す。
たしか沙菜は「考えとく」と答えたはずで、今になって中身を整理する気になったのだろう。
沙菜の貯金箱は僕の物よりも軽くて、中身も僕のより少ないんだろうなと考えたことを思い出す。
だが僕がテーブルの上の硬貨に目を向けると、ある事実が目に飛び込んで驚く。
百円硬貨が多いだと。ぱっと見た感じだと百円硬貨が一番多く、次に五十円硬貨がそれに続く。
僕の場合だと十円硬貨が一番多くて、次に多かったのが一円硬貨だ。五十円硬貨以上のものはほとんど入っていなかったのに。
手に持った時の重さで分かっていたけれど、硬貨の総枚数的には僕よりもだいぶ少ない。
少ないが硬貨一枚が持つパワーが全然違う。総額的には僕とは比べられないくらい大きくなるだろう。
よくもまあこれほど百円硬貨を貯めたものだ。お金を貯めようと意識して貯金しないとわざわざ百円硬貨を貯金箱に投入しようとは思わないだろう。
僕にとって貯金箱は財布に残っている一円や十円を適当に入れるためのものだったが、沙菜にとっては真面目にこつこつお金を貯めるものだったのだろう。
人の性格が違えば貯め方も違うということだ。
それにしても一体いくら貯まっているのだろうか。僕も気になってその場が離れられない。
見てるだけなのも退屈なので「沙菜、手伝おうか」と提案したのだが「いらない」と返されてしまう。
信用がないのかもしれない。仕方がないので大人しく集計が終わるまで椅子に座って待つことにする。
しばらく待って、母の口から集計結果が告げられた。
「合計一万千三百二十七円ね」
一万円を超えただと。そんな金額、今まで僕はほとんど貯めたことがないので驚く。
そんなにお金を貯めこんでいたのかと沙菜の方を見ると、非常に嬉しそうにニコニコしていた。
僕は先週五千円を手にしてかなりリッチな気分に浸ったものだが、まさかあの貯金箱に倍以上ものお金が入っていたとは。
何だか、負けた気分になってしまう。
しかしその時、天啓ともいえる考えが閃き、僕の頭を埋め尽くした。
そうだ、一人で海に行くのが心細いなら沙菜を連れていけばいいんじゃないか。
今の沙菜はお金なら余裕があるし、連れていくには最適なんじゃないか。
多少ぽんこつで何の役にも立たないが、別に地球の形について沙菜の考えを期待しているわけじゃない。
誰かと一緒にいるだけで、一人旅よりはずっと、心強いと思う。
ただ沙菜を連れていくのはいいが、母には話さないほうがいい。
まず間違いなく沙菜とふたりで海に行くことがバレたら止められることだろう。
沙菜には後でこっそり海に行かないか聞く必要があるし、母に漏れないよう口止めも必要かもしれない。
沙菜に海に誘って断られたらどうするか。いやそこは言葉巧みに誘導して首を縦に振らせるしかない。
沙菜は普段ぼーっとしているので、適当なことをいって興味を持たせれば、何となくついてくるかもしれない。
などと僕が考えている間に沙菜は両替を済ませ、母から一万円札と千円札をもらっていた。
沙菜は嬉しそうに、また自慢げに僕に対して「見て見てー」と見せびらかしてくる。
僕は今から沙菜のご機嫌を取るために「凄いじゃないか沙菜」と褒めておく。
母が硬貨を詰めたビニール袋を持って立ち上がり、タンスの一番上の引き出しに収めた。
「それじゃあママはお買い物に行ってくるわね」
そうって母は財布の入ったカバンを手に持ってリビングを出ていった。
これは沙菜を海に誘うチャンスかもしれない。
母が確実に家を出ただろうタイミングを見計らい、お金を手にして喜んでいる沙菜に僕は声をかけた。
「沙菜、今度僕とお出かけしないか?」
「お出かけ?」
「うん。電車に乗っていくんだ。沙菜は電車好きか?」
「わかんない」
「そっか。海に行こうと思ってるんだけど、沙菜も行かないか?」
「海?」
「そう。沙菜は海に行ったことないだろう?」
「お兄ちゃんはあるの?」
「僕もないよ。だから近々行ってみようと思ってるんだ。一緒に行こうよ」
「うーん」
沙菜が考え始めた。あまり乗り気でないのかもしれないし、海に行くといわれてもぴんと来ていないのかもしれない。
このままでは断られてしまうかもだが、これで終わりにするつもりはない。
海のPRはまだまだこれからが本番だ。
「きっと海に行ったらとっても綺麗な景色が見られるぞ」
とりあえず綺麗な景色を鼻先にちらつかせてみる。
「景色?」
「うん。綺麗な砂浜を歩きながら海を眺めてみたくないか?」
ちなみに僕の持つ海のイメージであり、今度行く予定の海がそうである保証はない。
「うーん。よくわかんない」
「そうか」
どうやら綺麗な景色には食いつかなかったようだ。すかさず次の餌を投入する。
「海に行ったらイルカさんに会えるかもしれないぞ」
「イルカさん!」
お、さっきよりも反応がいいぞ。食らいついたか。
沙菜の表情に笑顔が浮かんでいる。これをきっかけにPRを続ければ沙菜は海に興味を持って来てくれると、手ごたえを感じる。
だが海に行ってもイルカに会えないことは僕にはわかっている。
沙菜の興味を引くためについた嘘だが、会えると断言はしていないのでギリギリセーフか。
これも沙菜の心を動かすためである。許せ妹よ。
「イルカさん会いたい」
沙菜が無邪気に僕の言葉を信じていう。
「そうだろう、そうだろう。僕も会いたい」
会えるものならな。
僕は喉まで出かかった、じゃあ一緒に行くか、という言葉を飲み込んで、さらなるPRを続けるため次の餌を考える。
今の状態でも来てくれるかもだが、海に行ってイルカに会えなかった場合、そこで機嫌を損ねる恐れがある。
イルカに会えなくても別のもので満足させてやる必要がある。
僕はさらなる餌を投入する。
「もし沙菜が海に一緒に来てくれるなら、美味しいもの何でもご馳走してやるぞ。僕のお小遣いの許す範囲内だけど」
僕の言葉は沙菜に効果ばつぐんで、食い気味に「行くー!」と声を上げた。
よしよし、作戦は成功だ。後は母に漏れないように沙菜の口止めをする必要がある。
「来てくれるか。それは嬉しいよ。でもママには海に行くことを言っちゃダメだぞ」
「どうして?」
「海はちょっと遠いからな。心配して止められちゃうかもしれない。海に行けないのは僕も困るし、ご馳走の話もなしだからな」
「うん。わかった」
「何もいわないことが後ろめたいなら、ママにはピクニックに二人で行くとだけ言っておけばいいよ。行き先を聞かれたら、僕に聞いてって答えておけばいい」
「わかった。そうする」
「ちなみに沙菜は土日で予定が空いてない日とかはあるか?」
「ないよ。いつでも大丈夫」
「そうか。なら今度の日曜日に行くけど大丈夫だな」
「うん」
「電車代が往復で結構かかるから、今日両替してもらったお金はまだ使ったりしてはダメだぞ」
「わかった。使わない」
それから他に何か言うべきことがあるだろうかと僕は考えて、最後に言い添える。
「遠出をすることになるから当日までの体調管理はしっかりして体力は温存しておいてくれ。海に行ってから体調崩したりしてもすぐには家に帰れないからな」
「はーい」
元気のよい沙菜の返事に、僕は頷き満足するのだった。
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