短編集「白色の鍵」
赤坂岳
1.夕刻の狐
時計は夕刻を差していた。歩道から見える湖が橙色に染まり、親鳥が帰りを待っている小鳥は我が家へと戻る頃、
今日は色々あった。同じクラスの秋口が机に立って熱唱したり、中倉が間違えて女子更衣室に入ったり、君月がいじられ過ぎて泣き出したり……小学生かお前らは。受験生だろ。もっと弁えろよ。
などとうそぶきつつ、今日は本当に色々あった。早く寝たい。しかしながらこういう日は、こういう日に限って、出来事とは訪れるものなのである。
――例えばそう、狐の面を被った女児とか。
「……狐?」
今日の時代設定は令和である、決して平安時代ではない。しかし目の前にいる143センチほどの背丈の、どう見ても女児にしか見えないその少女は間違いなく狐の面を被っていた。浮世離れ、なんてものではない。時代設定を間違えている。どういうことなのか、是非とも問いただしてみたいものだ。
しかしいけない。この手は話しかけただけでよくないことが起こるのが定石だ。故に絡まない。無視して帰る。それが一番だ。
すると当然大きな音がする。それは女児のランドセルにぶら下がっている、防犯ブザーであった。怪しい人がいるのか。そう思ってキョロキョロする。しかし人影は仁助と女児いない誰もいない。
「……もしかして、不審者ってオレ?」
「だって、じっと見つめてくるから」
誰が不審者だ。受験を控えているこの時期に女児を襲う高校生がいるのなら逆に紹介して欲しいくらいだ。
その間にもウィンウィンと防犯ブザーは鳴っている。やばい、なんとかしないと。
「ま、待て。オレは怪しい奴じゃない。ほら、制服着てるだろ? 学生だから。学生の不審者情報とか聞いたことないだろ?」
それを聞くと、女児はやっとブザーを止めた。
「じゃあ、誰?」
そう聞かれましても。この場合どう答えるのが正解なのだろうか。名乗り出るのもなんだか違う気がする。
その間にも女児はじっとこちらを見つめてくる。仕方ない、ここは自己紹介といこう。
「オレは高山仁助。あそこにマンションがあるだろ? あそこの三〇二号室の住人だ」
すると、女児は仮面の上からでもわかるほど驚く。
「じゃあ……お隣さん?」
そういえば母から変わった家族が隣に越してきたという話を聞いたことがある。狐の面を被った女児。確かに変わった家族だろう。容易に想像できる。……家族も仮面を被っているのだろうか。やはり想像したくない。
「しかし、お前小学生だろ? こんな時間に何してるんだ?」
仁助が問い掛けると、女児は顔を逸らした。あまり話したくないのだろうか。
「まあ無理には聞かないよ。そんな立場でもないしね」
これ以上は刺激するだけだ。このまま帰ろう。帰って食パンにバターでも塗って間食にしよう。
すると制服の袖が何かに引っ張られる。振り向くと女児が仁助の袖を引っ張っていた。
「遊んで?」
「は?」
「遊んで」
幻聴だろうか。聞き間違えでなければ女児は自分に遊んでくれと頼まれた。残念ながら自分はロリコンではない。
「断る。何故不審者扱いされた小学生を相手に遊ばねばならんのだ。一体何の罰ゲームだ?」
「じゃあ、またブザー鳴らす」
「さーて! 遊びたくなってきたぞぉ!」
この女児絶対いい死に方しないぞ。
***
それから仁助と女児はくたびれるまで遊んだ。鬼ごっこ、かくれんぼ缶蹴り等……小学生の頃の苦い思い出が脳に染み出てくる程に遊んだ。時計を見ると、七時を過ぎていった。
「はぁ……はぁ……もういいか? 満足したか?」
「うん。楽しかった」
仁助は膝をついて息切れしているのに対して、女児はそんな仁助を見下ろすほどの余裕があった。子供とは末恐ろしい。まるで体力の永久機関だ。底を知らない。
「大丈夫?」
そう言いながら女児は仁助の頭を撫でた。小学生に頭を撫でられる高校生……みっともない絵面である。
「いやそういうのいいから……」
仁助は立ち上がると砂で汚れた制服を手で払った。調子に乗って走り回ってこけたり、場所を考えずに隠れたりしたせいでかなりボロボロだ。これは明日学校で笑われるかもしれない。
「私、楽しかったよ」
気のせいか、女児から放たれるオーラが少し柔らかくなっているのを感じた。それを感じると、なんだか悪い気はしなくなった。
「お母さんとお父さんがね、二人とも働いてるの」
俗に言う「鍵っ子」というやつだろう。だからね、と女児は続ける。
「家に帰っても退屈なんだ。誰もいないし、何もないし」
仁助の家もそうだった。父親も母親も働いており、運がよかったのは兄がいたことだ。兄に遊んで貰っていたので退屈はしなかったが、それでも寂しかった。女児の気持ちは痛いほどわかるつもりだ。
「また、遊んでやるよ。どーせ帰る時間はだいたいいつもこの時間帯だしな」
「本当?」
女児は仮面からでもわかるほど目を輝かせて言った。
「いいよ。帰っても勉強くらいしかすることないしな」
事実、こうやって遊ぶことは悪い気はしなかった。楽しかったし、童心に帰ったような気分で心地がよかった。たまにはこうやって走り回るのも悪くはないだろう。
「おーい、
どこからか女性の声が聞こえてきた。
「あ、お母さん」
二度目になるが、今日は本当に色々あった。早く寝たい。しかしながらこういう日は、こういう日に限って、出来事とは訪れるものなのである。
――例えばそう、般若の面を被った女性とか。
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