第100話:1限目、魔術基礎学
「なるほど、そんなことが……」
帰ってきたソフィアたちに、セシリアが代表して何が起こったのかを伝えた。
「どうりで教室内がざわついとるわけや……ミーシャ、よう我慢したな!」
「セシリアもだよ。あたしがいたら、普通に殴ってたかも!」
「大貴族相手にもはっきり意見して……ルシア様、さすがです!」
三人は私たち以上に憤りつつ、買ってきた軽食や飲み物を配ってくれる。
「にしても、成金とは捻りのない悪口やな!」
「あたしだって、貧民とかただの事実過ぎて悪口にもなってないよ!」
「辺境の脳筋だなんて、むしろ褒め言葉なのではないかと疑ってしまいます!」
ソフィアは若干感性がおかしいけれど、三人とも気にしていないようで幸いだ。
考えてみれば、たたき上げ商人のカーラや、スリ出身のアルサは、もっとひどいことを言われてきたのだろう。
レベッカ程度の箱入り娘にけなされて傷つくようなメンタルじゃ、はじめからないのだ。
「ボクも久しぶりに獣人差別受けたなぁ~」
ミーシャはネコミミをピクピクさせつつ、机の下で私の足に尻尾を絡める。
それにどんな意味があるのかは分からないけれど、ふわふわで気持ちいいので放置する。
「わたくしは、みなさんを派閥だなんて思っていませんからね? みなさんは……お、お友達、なのですから……」
セシリアがそう言うと、みんな「それは分かってる」って温かい目でセシリアを見つめる。
「ちょっ、なんですの?」
「別に~?」
「そうそう、お友達って言う時に妙に嬉しそうやなぁ~なんて思ってへんで?」
「ミーシャさん、カーラさん!」
頬を赤くして抗議するセシリアは、普段の冷静で大人びた感じとは違って年相応の少女に見える。
「……ふふっ」
やっぱりこの光景が安心する。
わちゃわちゃする友人たちを見て、自然と笑みがこぼれる。
「ルシア、嬉しそうじゃん! これからも、あたしら弁当仲間だからね?」
アルサが横から小突いてくるから、私は頷いて小突き返す。
するとアルサも嬉しそうにやり返してきて、私たちはくすぐり合いのようなことになる。
「私も混ぜてください!」
「ボクもボクも~!」
「こうなったら全員で対戦や! 一番笑かしたもんが勝ち!」
「わ、わたくしもやるんですの?」
――リーン……ゴーン……リーン……ゴーン
と、そんなやり取りをしているところで、巨大な鐘の音が鳴り響いてきた。
「……っと授業の時間ですわね。みなさん、勝負はまた今度にいたしましょう」
ホッとした顔でセシリアが言い、私たちは各自の席に腰を下ろす。
鞄から教科書と筆記具を取り出し、ノートを開いて手前に置く。
みんなの使っている筆記具は七割がつけペン、三割が最近流行りの万年筆だ。
(楽だけど、高いんだよね)
万年筆は二十年ほど前にエルグランド王国で発明された品で、インクを事前に注入しておける携帯性の高さと、見た目の高級感がウリだった。
その特徴故に、貴族や商人が取引の現場に持っていき、サインしつつ己の地位をさりげなく示すといった使い方がされている。
仲間内では、私とセシリア、カーラの三人が万年筆を使っていた。
「みなさん、ごきげんよう! ちゃんと席についていて偉いわね!」
チャイムが鳴り終わるくらいのところで、野太い声が教室の後ろから聞こえてきた。
声の主はどかどかと足音を響かせながら、教壇に向かって歩いてくる。
(……すごい迫力……それに、声にちょっと、魔力が融けてる)
通路に目をやれば、どっしりと豊かな体型をした褐色肌の女性が、アフロヘアを揺らしながら行進していた。
その口元には快活そうな笑みが浮かんでおり、チャコールブラックのサングラスが派手な見た目にとても良く似合っている。
「はい、みなさんお元気ですか? 初日から遅刻する子はいないわね?」
彼女は教壇に立つと、荷物の鞄をドサッと置いて、教室全体を軽く見渡す。
しかし、奇妙なことに、彼女は私の顔面を見ても気絶したり、絶句したりはしない。
(目、見えてないのか……)
今まで無数の視線にさらされてきた故に、私は直感する。
動きは完全に健常者と変わりないが、彼女からは一切の視線を感じない。
サングラスの下は、間違いなく盲目だ。
「私が一年生の魔術基礎学を担当するダイアナ・ワース・ペルンハーバーです。専門分野は魔力制御全般。合唱部の顧問、歌劇部の副顧問もしています。みなさんと会えて大変嬉しいです!」
ダイアナ先生は良く響く声で、歌うように自己紹介をする。
「"
セシリアが小声でつぶやきつつ、ノートに先生の名前を記す。
「魔術基礎学はすべての魔術の基本となる学問です。故に、ここを疎かにしては魔術の発展はあり得ません。みなさん、気を引き締めて学ぶように!」
ダイアナ先生はチョークをカッカッと力強く扱って、黒板に魔術基礎学以外の六つの基本分野を記していく。
そして、それらを大きな円で囲って「魔術基礎学」と書く。
盲目とは思えないほど、その字は達筆で、チョークの動きには迷いがない。
「魔術基礎学、魔術史学、呪文学、魔術生物学、魔術工学、占星学、理論魔術学……七大学問と言われるこれらですが、その分類は複雑です。たとえば、これ……"火球"」
ダイアナ先生のチョークの先に、拳大の火の球が現れる。
(チョークが焦げてない……さすが、達人級の魔力制御だ……)
「この魔術の歴史については魔術史学。詠唱方法や効果については呪文学。さらに大きな視野での法則的な理論は理論魔術学で学べます。しかし、魔術基礎学はもっと根本的な問いでこの魔術を究めます」
ダイアナ先生は"火球"を宙に浮かべたまま、チョークで「魔力」と書く。
「魔力とは何か。この問いが魔術基礎学の出発点です。故に、すべての魔術を扱う分野は魔術基礎学ということができるというわけです」
ダイアナ先生は、生徒たちの反応を確かめてから続ける。
「五百年ほど前までは、今ほど魔術基礎学も発展しておらず、別の名前で呼ばれていました……錬金魔術学。耳にしたことくらいはあるでしょう」
ダイアナ先生は黒板に錬金魔術学と記し、「この中に、錬金魔術学について説明できる人はいますか?」と問う。
スッと手を挙げたのは、セシリアとレベッカ、それから数人の育ちが良さそうな子だ。
「では……そこのあなた。お名前は?」
ダイアナ先生はチョークを持った手で、正確にセシリアを指す。
セシリアはスッと立ち上がり、一礼してから名を名乗る。
「セシリア・ヌボワ・サラ=ボラールです」
「ミズ・ボラール。ゆっくりでいいから、説明してちょうだい」
「はい。錬金魔術学とは、狭義には魔力を介してあらゆる物質を黄金へと錬成することを目指した試みのことです」
セシリアは良く通る声で、堂々と答える。
「黄金とは完全であることの比喩であり、広義には物質だけでなく魂や肉体を完全な存在へと昇華することが、錬金魔術学の目的でした。完全な存在、すなわち無限に魔力を発する媒体のことを、錬金魔術学では"賢者の石"と称します」
「続けて」
「錬金魔術使いたちは様々な物質に魔力を注ぎ、賢者の石を創り出そうとしました。また、物質同士をかけ合わせることで、新たな物質を創造する試みも多数行われました。結局、賢者の石は見つかりませんでしたが、科学的な実験が繰り返されたことで魔力や物質への知見が深まったのです」
「そこまで。みなさん、ミズ・ボラールに拍手を」
レベッカとその取り巻きを除いた教室中から、称賛の拍手がセシリアへと送られる。
説明の分かりやすさもさることながら、その知識レベルは明らかに一年生のものではない。
「ミズ・ボラールの言葉にもあったように、正確には錬金魔術学は学問ではなく試みでした。世界中に散らばっていた魔力や物質についての知が集約され、一定の理論として体系化された学問となったのは、何を隠そうここラ・ピュセルにおいてです」
ダイアナ先生は黒板に「百年戦争」と記し、簡単な地図を書く。
「この時代は戦争と疫病によって、大陸中が混乱の渦中にありました。同時代人としては、聖女ジャンヌ・ウル・フリューゲルなどが有名でしょうか。一人で疫病と戦い、最後は裏切りによって命を落とした悲劇の聖女。みなさんの中にも、歌劇『聖女ジャンヌの悲劇』のファンがいることでしょう」
ダイアナ先生はスッと息を吸い、見事なソプラノボイスで歌劇『聖女ジャンヌの悲劇』の一節を歌い上げる。
「"雷を聞け! 我が荒野を引き裂く雷を聞け! 神の怒りに見放され 憎悪を宿した心臓よ! 雷を聞け! 汝の復讐を告げる雷を聞け!"」
圧倒的な声量と表現力に魔女見習いたちは呑み込まれ、椅子に縛り付けられたようになる。
何人かの生徒たちは涙さえ流して、ダイアナ先生の歌声に感じ入る。
(……まさか授業で、メランコリアの、生前の名前が出るとはね)
私もまた見事な歌唱を堪能しつつも、腰の杖にそっと触れる。
(ルシア様? 何かご用ですか?)
杖を介して大腿骨に魔力を流せば、バラバラになった下半身の骨を興奮しながら組み直しているメランコリアの姿が脳内に出力されてきた。
(別に……)
(あっ、分かりました! わらわの骨盤が気になったんでしょう? どうぞ、存分にご覧あれ! 特にこの上前腸骨棘が———)
私は強制的にチャンネルを切断し、ため息をつく。
五百年も歌い継がれている聖女が、こんな変態骨フェチ女であるって事実は、私が責任をもって墓の下まで持っていくべきだろう。
「……っとまあ、こんな感じですね。興味が出たら、ぜひ歌劇部まで」
ダイアナ先生が歌唱を終えると、教室内から割れんばかりの拍手が送られた。
「さて、そんな混乱の時代ですから、錬金魔術使いたちの持つ知識も各国から狙われ、彼らは命の危機にさらされます。そこで彼らは中立地帯だったラ・ピュセルに逃げ込み、無数にある王城廃墟のうち最も堅牢なものを根城としたのです。これがリンド・ゴルデバルグ魔術専門学園の前身"リンド・ゴルデバルグ研究所"となったわけです」
(へぇ……)
私はダイアナ先生の説明をノートに記していく。
私は魔術の発展についての歴史には詳しいけれど、こういう戦争とかの歴史にはあまり詳しくない。
ラ・ピュセルが今みたいに魔術の総本山となった裏には、まだまだ私の知らない歴史が隠れているのだろう。
「リンド・ゴルデバルグで錬金魔術学の知識は体系化され、やがて理論部分と思想部分が分離しました。実験などを通して、主に物質に対する魔力の働きを探る魔力基礎学と、完全な存在への思考的考察を通して、魂の昇華を目指す錬金哲学です」
枝分かれした図を黒板に記し、ダイアナ先生は言ったん手を止める。
そして、生徒がここまできちんとついて来ていることを確認してから、説明を続ける。
「魔力基礎学は、やがて物質に対する魔力の働きだけでなく、魔力自体を探る学問、すなわち魔術基礎学となっていきました。一方、錬金哲学は思考的考察の対象を完全な存在から現実の人間へと移すことで、一般哲学に吸収されていったのです」
ダイアナ先生はそこで指を振って"火球"を手元に呼び寄せると、「はっ!」と叫んで火を吹き消した。
ビリビリと空気が振動し、私たちは思わずのけ反る。
「みなさんも、せっかく起こした焚火の火が風によって消されてしまったという経験はおありでしょう。しかし、"火球"の火は焚火と違い、込められた魔力が消えない限り絶えることがありません。よって、私は今、息ではなく、息に魔力を込めることによって"火球"を消したのです……これを、"魔力干渉"と呼びます」
(ダイアナ先生なら、息だけでも消せそうだけどね……)
教室をチラリと見渡せば、私だけでなく、ほとんどの生徒がそう思っているって顔に書いてあった。
「"火球"から木に火を燃え移らせれば、その火は魔力の風でも、普通の風でも消すことができます。なぜなら、魔力を含んだ火ではないからです。いいですか、みなさん。魔力には魔力。今日はこれだけ覚えて帰ってください」
そこからは、実際に"火球"を使った実験となった。
私たちは隣の人と二人一組となって、三徳の上にフライパンを置く。
「ルシア様、いつでもどうぞ!」
「"火球"」
私はソフィアのフライパンの上に、小指の爪くらいの"火球"を出して安定させる。
「くぅ~、手から離すのむっず~!」
横の席ではミーシャと組んだカーラが、頭を捻りながら"火球"をコントロールしていた。
やっぱりカーラは、実技は苦手としているようだ。
「では、これを吹き消すのですね! いきますよ! ふ~~~~~~~!」
ソフィアが頬を膨らませ、思い切り息を吹きかける。
しかし、私の"火球"はまったくブレずに燃え続ける。
「消えませんね……ルシア様、今も魔力は注いでいるのですか?」
「注いでない。最初にある程度燃え続けるように注いだの。だから一分もすれば消えるよ」
「なるほど、そういう魔力制御もあるのですね……では、次は"風球"で!」
ソフィアは"火球"に指を向け、ちょうどいいくらいの量の魔力を注ぎつつ"風球"を発動する。
「おぉ……ちゃんと消えました! 何というか、"魔力干渉"は基礎中の基礎ですが、ここまで意識したことはなかったから新鮮です!」
ソフィアの言葉は、この教室のほとんどの生徒たちの気持ちを代弁したものだろう。
リリスに入るレベルの生徒であれば、魔力干渉の理論については例外なく事前に学んでいる。
けれども、それはあくまで座学で「魔力には魔力」と学んだに過ぎない。
こうして超基礎的なことでも実践してみると、より深い学びに繋がっていくものだ。
「じゃあ、次は私が消す番」
「分かりました! "火球"!」
今度はソフィアが、フライパンの上に拳サイズの"火球"を灯す。
「動かさず、手からも離しておくのは……意外と、難しいですね……ルシア様は、すごいです!」
ソフィアは"火球"をじっと見つめながら、ゆっくりと手を離していく。
しかし、ある程度離れてしまうと"火球"が揺らぎ、中々安定して燃えてくれない。
(いい授業だな……理論の実践だけじゃなくて、魔力制御も学ばせてる……)
苦戦するソフィアの姿に、私は三歳の頃を思い出す。
自在に光の球を遊ばせる師匠に憧れて、私は"光球"を自由に飛ばす訓練を始めた。
はじめのうちは手の平から離すのさえ難しかったけれど、徐々に魔力の制御を覚え、一週間で"光球"一つを縦横無尽に飛ばせるようになった。
(「ルシアちゃんってば天才すぎよ~!」なんて抱きつかれたっけ……誇らしいけど疲れ果てて、師匠の胸の谷間でそのまま寝ちゃったんだ……)
今では考えられないけれど、当時の私はまだ幼かったから、師匠の胸に抱かれて眠るのは何より幸せなことだった。
「魔力を、火でコーティングするイメージで、やってみるといいよ」
あの頃を思い出して、私はソフィアにアドバイスをする。
師匠にも、最初は「魔力を属性で包んであげるの……こうやってね!」と、ギュッとされつつ教わったものだ。
「コーティング……揚げ物の衣みたいな感じでしょうか?」
「そう、なのかな……」
「やってみますね!」
たとえが独特すぎて謎だけど、ソフィアは分かったような顔をしているから止めることはない。
「"火球"……コーティング……」
フライパンの上に火が灯り、魔力を吸って赤く輝く。
「あとちょっと……ここから……くぅ……」
さっきより揺らぎはなくなっているけれど、完全に手を離すとたちまち"火球"は消えてしまう。
「留めるのは、意外と、難しいんだよね」
入学試験でみんながやっていたような放出系だったら、勢いを持たせるだけだから『設定』も簡単だ。
しかし、こうやって一か所に留めるのには別の技術が必要になる。
これをさらに突き詰めていけば、私が試験でやったように、一つの魔術に複雑な軌道を持たせることもできるようになる。
「はい……でも、やりがいがあります!」
ソフィアは苦戦しつつも、楽しそうに挑戦を続ける。
「うっわ、セシリアうま! なんでそんなに安定してんの!」
「イメージをはっきりさせることが重要ですわ。火の球ではなく、魔力という薪に火をつける感覚で……」
ソフィアががんばっている隣では、セシリアがアルサにお手本を見せていた。
アルサもやはり実技はそこまででなく、セシリアに手取り足取り教わっている。
「ぐわぁ~、また消えたぁ!」
「カーラは魔力を込めすぎなんだよぉ~。見てて~、"火球"」
「くぅ、確かに魔力量少ないのに安定しとるわぁ! せやけど、うちはこれ以上絞れんって!」
「練習あるのみですな~」
ミーシャとカーラのところも、優秀なミーシャと勢い任せのカーラという感じで賑やかだ。
(これが、学園の空気、なのかな……)
さらに教室を見渡せば、仲良しペアや即席ペアが、お互いに教え合いながら魔術を練習している光景が目に入ってくる。
あのサリアでさえも、偶然隣になったであろうツバキ・ウエスギに、ぎこちない表情でアドバイスを送っている。
(なんかいいな、こういうの……)
師匠から魔術を習っている時も、冒険者時代に独学していた時も、私は基本的に一人で魔術を練習していた。
だから、こうやって同世代と切磋琢磨するっていうのは初めての体験で、無性に心が弾んでくる。
「みなさん! 魔力の制御を確実に! "火球"を灯せなければ、火を消すどころではありませんよ!」
生徒間を歩いて助言しながら、ダイアナ先生が声を張り上げる。
生徒たちは「はい!」と元気に答え、目の前の"火球"に集中する。
学び舎に相応しい空気を吸い込んで、私はソフィアの応援に戻るのだった。
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