018_questlog.追跡

 イシュが持つ斥候スカウト能力はかなり高い。

 ギルドに登録している職業クラスとしては狩人らしいが、そもそも斥候能力の低い狩人など成立しない。

 持ち前の鼻と耳を生かして集めた情報を、経験で補正した追跡能力は確かなものだった。

 地面に視線を近づけ、じっと森を見つめるイシュはキリっとしており、なかなかのイケメンだ。


「森に入った盗賊は散開したようだな。馬一頭分の蹄の跡しかない」


 イシュの解析に俺は頷く。


「それぞれが別ルートでアジトに向かったということか。徹底しているな」


 俺のドローンが集めた情報と、イシュの鼻を頼りに蹄の跡を追う。

 足跡の残りにくい石の上をわざわざ通るあたり、盗賊のほうもプロだ。

 そうして、しばらく歩くと厄介な場所に出た。

 水深が5センチもない小川だった。川の上を移動されると足跡が残らない。

 だが、ここでイシュの鼻が役に立った。わずかに残るルルエの臭いをたどれたのだ。

 水深の浅い川をしばらく遡上したところでイシュが足を止める。

 どうやらここから対岸へと渡ったようだ。

 小川を渡った先には蹄鉄の跡があり、獣道らしきものが続いていた。

 

 蹄の跡を追いながら、俺は疑問を口にした。


「しかし、なんで人をさらうんだ? もっと小さくて価値のあるものなんざいくらでもあるだろうに」


 イシュはちょっとだけ考えて、


「……奴ら、かなり焦っていたな。追い詰められてるのかもしれん。とにかく時間をかけたくなかったんだろう」


「それが理由になるのか?」


「一瞬で奪えて、見ただけで価値の高低が分かる」


「なるほど……ルルエなんか最高の獲物だな」


 ぼんやりしている上に、遠目でも分かるエルフで美人さん。

 しかも、着てる服が僧服だ。回復魔法持ちというボーナスチャンスまである。

 相当な値段がつくだろうな。

 

 メネーネ村のあるこの国――フランド王国では、奴隷は合法だ。

 ただしそれは、犯罪奴隷か債務奴隷に限られる。

 犯罪奴隷は分かりやすい。悪いことをした罰として刑期があけるまで強制労働だ。

 債務奴隷というのは、借金返済のために労働力を提供するというものだ。一応、不当な搾取を防ぐために、最低賃金なるものが設定されてはいる。奴隷といっても、生存権や財産権、信仰の自由は認められているので、犯罪奴隷ほど無体な扱いは受けない。ただ逆に言えば、さらに借金もできてしまう。債権者はあの手この手で債務奴隷に借金をさせ、いつまでたっても借金地獄から抜け出せないようにしてしまう。21世紀の地球でも問題になっているやつだ。

 国が認めた合法奴隷とは別に、誘拐した人間を闇で売買する非合法奴隷も当たり前のように存在する。

 表向き存在しないことになっているが、取り締まる側であるはずの貴族が非合法奴隷を抱えているのだから、本気で取り締まるわけがない。

 当然、非合法奴隷のニーズは後ろ暗いものだ。

 男女を問わず年若い者。とくに見目麗しい女性に高値がつく。

 

 反吐が出る。

 もし、ルルエがそんなことになったら、俺が魔王になってこの国を滅ぼしてやる。


 しばらく緩い斜面を上がっていくと、唐突に獣道が切れた。

 切り立った崖だ。深い谷底には水量の多い川がごうごうと流れていた。

 ルルエの臭いは、この崖の縁で途切れている。

 

「どうやら、吊り橋があったようだな。落とされているが」


 イシュの言葉で崖下を見る。

 こちら側の崖下に朽ちた吊り橋の残骸がぶら下がっており、向こう岸にはロープを張っていたのであろう大きな木杭に手斧が食いこんでいた。

 渡った後に橋を吊っていた縄を切ったのだ。

 対岸までは大した距離ではない。約10メートルといったところか。

 俺一人なら問題なく渡れる。しかし、イシュには無理だろう。なにより、帰りのことも考えなくてはならない。ルルエを連れて、ここを渡る必要があるのだ。

 対岸には針葉樹の森が広がっている。

 いい具合に、杉の木が見えた。


「簡単な橋を作るか……」


 ざっと頭の中で計算をする。

 向こう岸に生えている杉の木は、直系20センチほど。高さは25メートル。

 生木なので含水率が高いとしても、200キロちょいだろう。

 俺より軽いから十分引っ張れる。


 俺は対岸の杉の木に向けて右腕のワイヤーガンを構える。

 対岸に生えている杉の横の空間を狙い、発射。

 ワイヤー先頭についている分銅にしか見えないフックデバイスが杉の幹を通り過ぎたあたりで横に向きを変える。フックデバイスには簡易重力制御機構が組み込まれており、ワイヤーが切れない限り、自在に操ることができるのだ。

 そのまま横方向に力をかけ続け、ワイヤーを杉の幹へとからみつかせる。ワイヤーが幹に二周ほど巻き付いたところで、一気に引くとスパッと杉の木が切れた。

 すかさずワイヤーを回収、倒れそうな杉の頂上あたりを狙って再び発射。

 今度は幹に分銅をぶっ刺す。

 体重をかけて引くと、対岸の杉は俺に向かって倒れ始めた。


「倒れるぞー!」


 ポカンとしていたイシュが慌てて逃げた。

 俺のすぐ横に杉の木が倒れこむ。転がっていかないよう、枝を踏んで押さえる。

 さしあたって、簡易の丸太橋はできた。


「魔法、なのか……? 何をやったんだ?」


「風の刃を飛ばす魔法って知ってる?」


「聞いたこともないが……」


 ないのか。だとすると、どう例えるのがいいだろうか。

 いちいち誤魔化すのも面倒だし、イシュには俺が出来ることを把握してもらったほうがよさそうだと思った。

 正直に話すことにする。

 

 俺はワイヤーガンから、カーボンナノワイヤーを引き出し、イシュに見せる。


「この黒い糸が見えるか?」


 イシュが目を細める。


「ん、んんー? ああ、この細い糸か」


 黒い色で、髪の毛より細いもんな。そりゃ見えづらいだろう。

 ナノワイヤーといっても、直系がナノサイズではない。ナノワイヤーを束ねた、マイクロサイズのワイヤーだ。

 

「これを飛ばして、木を切った」


「信じられん……が、実際にやっているのだから、事実なのだろうな」


「この糸一本で俺の体を吊れるし、木だって切れる」


「すさまじいな」


「俺はそういう能力を持ってる。覚えておいてくれ」


「了解した」


 それから俺は3本の杉の木を切り倒して、ちょっとした橋を作り上げた。

 丸太がばらけないよう、イシュが手持ちのロープで端をまとめてくれたので、帰りになくなってることはないだろう。てか、本職の冒険者って、色々準備がいいなと感心した。


〈アンタが手ぶらすぎんのよ〉


 ごもっともです。

 昔から手ぶらスキーなので、少しは改めようと思います。


 そこから先の追跡は楽なものだった。

 比較的分かりやすく獣道が残っており、ルルエの臭いもきちんと追えたからだ。

 なにより、地面の状態が変わってきた。

 蹄鉄の跡や足跡がはっきりと見える。しかも多数。明らかに、複数の人間がこの辺りに居る。


「最低でも6人。陽動で攻撃してきたのが4人だったな。外に出ていない奴もいるだろうから、15人は覚悟したほうがいいか」


 イシュは臭いと足跡から、盗賊たちの人数を予想した。


〈私の予想でもそれぐらい〉


「了解だ。静音モードでいく。ガイドを頼む」


〈了解〉


「わかった」


 俺の言葉に、イシュが頷いてしまった。

 すっと俺の前に出て、足音を立てずにスイスイと歩いていく。

 あえて止める必要もないので、そのままイシュの後ろに続くことにした。

 イシュの歩法はたいしたものだった。柔らかく接地して音はなく、藪から張り出した小枝も体を捻って巧みにかわしている。

 しかも、錆子が示した最適ルートとほとんど一緒だ。

 

 しばらく進むと、緩い斜面の開けた場所が見えてきた。

 その斜面には、木枠で補強された洞窟がポッカリと口を開けている。


「ん、ここは……魔銀ミスリルの廃坑か?」


 イシュがそんなことを言う。


「外から分かるのか?」


「昔、かいだことがある。魔銀と鉄の臭いははっきりと違うからな。それに、あの様子だと稼働している鉱山じゃない」


 たしかに、洞窟のまわりに放置されている器具はすべてが錆びていた。


「そこそこ経っている感じだな」


「ここの領主が魔銀は金になると吹き込まれてあちこち掘りまくったが、どこも大した量が出ずに早々に打ち捨てたという話を聞いたことがある」


 ここの領主はたしか、ディゾラ伯なんとかという人らしい。

 欲に目が眩んだお間抜けさんってとこか。丸儲けしたのは、この工事を受注した業者だけだろう。

 

「アホな領主だな……」


〈洞窟内部に動体反応。接近中。数は2〉


 俺は前に進もうとしていたイシュの肩を掴む。


「待て、賊が二人出てくる」


 俺とイシュは木の陰に隠れて様子をうかがう。

 洞窟の中から、薄汚れた革鎧を着たいかにもな男が二人、何かを引きずって出てきた。


「おらよっと!」


 盗賊二人が引きずってきた何かを洞窟から放り出した。

 それは緩い斜面をぺたぺたと転がって、すぐに動きを止めた。

 丸裸にされた、中年男性の死体だった。

 その死体に一瞥を呉れて、盗賊が唾を吐いた。


「たくよ、旨味の少ねえもん持ってきやがって」


「あぁ? 時計持ってたろうが。金貨入った財布もあったろ。十分だ」


「っけ、エルフの女のほうが百倍マシだぜ」


「ありゃあ、いい値がつくだろうなあ」


「売られる前に、ちょっと味見しとくか?」


「俺はお頭に首もがれるのは御免だぜ」


 盗賊たちの下衆な会話に、目の前に転がる人は何も言い返せない。

 この人が何をしたというのか。ただ日々を暮らすために、商いをしていただけで、無残に殺されるほどの罪を犯したとでもいうのか。

 俺の心中にくらい炎が燃え上がる。

 世界など関係なく、時代など関係なく、どこにでも人の皮を被った獣は沸くのだ。

 

 ――お兄ちゃんは、ちゃんと生きてね。

 

 痛みを伴った言葉が、俺の脳裏に木霊した。


 俺は木の陰から身を晒し、ゆっくりと盗賊たちに向かっていった。


「テツオ、どうする気だ……?」


 イシュが心配そうに声をかけてきた。


「害獣の駆除だ。俺はな、イシュ……理不尽な暴力を平気でふるう奴が、心底嫌いなんだ」


 ゆっくりと近づく俺に気づいた盗賊二人が、怪訝な顔を向ける。


「なんだ? 騎士、か……?」


「丸腰で、騎士さまがお高い鎧を持ってきてくれたってか」


 下卑げびた薄笑いを浮かべる盗賊二人が腰に吊った剣を抜こうとして――倒れた。


 一人は石ころに頭を撃ち抜かれ、一人は心臓をワイヤーガンの分銅に貫かれ、声を上げる暇もなくこの世とおさらばした。

 

「正面から乗り込む。敵対する奴は皆殺しだ。分かりやすくていいだろう?」


 俺は振り向くことなく、イシュにそう言った。


「そうだな。そのほうが面倒は少ない」


 人を殺した忌避感など、一ミクロンも沸かなかった。

 相手が害獣だというのもあるが、機甲兵の感情リミッターの効果もあるのだろう。

 今はそれが少しありがたいと思った。


 俺は暗い廃坑へと足を踏み入れる。

 坑道には等間隔で火の入ったランタンが吊られていた。

 これなら、相手の顔が良く見える。相手も俺の姿をよく見られるだろう。その上でなお刃を向けてくるのなら、地獄へご招待だ。


    ○


 廃坑に入ってから、ほとんど歩みを止めてはいなかった。

 出合った人間は、全員が既に息をしていない。

 だが、全員が盗賊だったわけではない。俺が出合ったときには、既に息をしていない人がいたからだ。この世界は命の値段が安い。嫌な実感を得てしまった。

 ここには、まともな「死」が一つもない。

 

 また一人、まともな死を迎えられない獣がやってきた。

 

「死ねや、コラ!」


 禿げ頭の大男が巨大なハンマーを振りかぶって坑道の陰から踊り出てきた。

 

 待ち伏せのつもりなのだろうが、30秒前から既に位置は把握していた。

 足裏の振動センサーは、硬い地面の坑道だと思いのほか精度が高かった。音響センサーも岩壁で反射した音を的確に拾ってくれる。

 

 体を少し捻るだけで、ハンマーは眼前を通り過ぎていった。

 ハンマーにつられて前のめりになった禿げ頭を掴む。

 720度ほど回してやった。

 人間と違い、機甲兵の手首に回転限界はない。

 糸が切れた人形のように、大男が地面に這いつくばる。

 何が起こったのか理解できていないのだろう。声をあげることもできず、ひたすら目を瞬いていた。

 

「ネズミの生き餌にでもなっとけ」

 

 俺は大男を踏み越えてさらに奥へと進む。

 イシュは俺の後方を音もなくついてきている。常に後方を警戒してくれているので、後ろは気にしなくていいだろう。

 ただ、随分と奥に進んだはずだが、ルルエの姿はない。声も聞こえない。

 坑道は音の手がかりは得やすいが、見通し距離が取れないので光学系のセンサーはあまり役に立たない。

 ここまでで盗賊を13人ほど始末したので、そんなに残りはいないと思うのだが。


〈いっそのこと、呼んでみたら?〉

 

 錆子の提案を採用する。


「ルルエー! どこだー、ルルエー!!」


 俺の叫びが坑道に反射して広がっていった。

 しばらくして、ルルエの声が聞こえてきた。


「テツオさーん! ここです、ここー! たすけてー!」


「あ、てめえ、勝手にしゃべるんじゃねえ!」


 方向も距離も分かった。

 ついでに、盗賊もいることが分かった。アホな奴だ。

 俺は声がした方向へと駆ける。

 待ち伏せしていた盗賊が二人いたが、すれ違いざまにスカウト七つ道具の一つ、極細ナイフで頸動脈を3センチほど開いてやった。

 

 ルルエは坑道の行き止まりに作られた簡易的な牢に入れられていた。

 上半身を両腕もろともロープでぐるぐる巻きにされており、両手には鎖で編まれた手袋をはめられている。魔法対策なのだろう。

 目立った外傷はない。服すら破れていなかった。

 皮肉なことに、彼女の価値の高さが自身の身を守ったのだ。

 

 牢を軽く蹴破って、ルルエを縛っていたロープを切る。


 ルルエは心底ほっとしたような表情を浮かべて、俺に飛びついてきた。

 そしてやはり、ゴッという音をたてて俺の腹に顔をうずめる。


「うう、痛い。でもテツオさんの冷たさが伝わってきます……私、生きてるんですね」


 助けられて最初に言うセリフにしては、温度が低すぎませんかね。


「ああ、ちゃんと息してるぞ。さっさとこんな所は出よう」


 俺の中の最悪は回避できた。

 反省点は多々あれども、これだけで十分だ。

 ここは歪んだ死が多すぎる。こんな場所にルルエを長く留めたくなかった。


 ルルエが俺の腹から顔を上げた。


「えっと、ヒゲもじゃの大男っていました?」


「いや、見てないな」


「そいつが、親分です。きっちりオトシマエつけましょう」


 ルルエは鼻息も荒くそんなことを言った。

 

 落とし前て……意味分かって言ってんのかな。

 あ、佐々木さん語録か。納得だ。

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