第47話


 ベッドから目覚めれば、あの子の顔が直ぐそばにある。季節は冬のため冷え込むが、節約として暖房は使用していない。

 だからこそ一つのベッドの上で互いの体を抱きしめて、守るように温め合っているのだ。


 枕元に置いていたアラームに睡眠を妨げられて、こっそりと先に起き上がる。


 しかし狭いベッドでは些細な振動も伝わってしまうため、スヤスヤと心地良さそうに眠っていた彼女を起こしてしまったようだ。


 「なつめちゃん、今日大学だっけ…?」

 「そう。起こしてごめんね」

 「ん……」


 眠たげに瞼を擦りながら、軽く上体を起こした彼女にキスをされる。

 唇に触れるだけの口付けは、少しずつ慣れ始めて今となっては挨拶のような感覚だ。


 寝起きということもあって、僅かに彼女の唇は乾燥している。

 すぐにベッドサイドに置かれていたリップバームを指ですくって、リアの唇に滑らせた。


 「ありがとう……大学がんばってね」

 「リアもね」


 リップ音をさせながら彼女の額に口付けた後、ベッドを出る。

 モコモコな靴下を履いているとはいえ、床はすっかり冷え込んでいた。


 20分ほどでを身支度を整えてから、昨日用意しておいた朝ごはんを平らげる。

 フランスパンはなつめのアルバイト先で貰ったもので、これが何とも美味しいのだ。


 「……いってきます」


 彼女が目を覚さないように、ゆっくりと扉を開いて大学へ向かう。


 高校を卒業してから早3年。リアとの同棲生活は1年目を迎えようとしているのだ。





 マフラーに顔を埋めて、必死に寒さに耐えながら冬の道を歩く。

 あと数ヶ月もすれば再び桜の舞う季節がやってくるのだろうが、それまで寒さにやられてしまわないかと不安になってしまう。


 春は彼女と出会った季節で、同時にリアを象徴する時期だ。 

 ピンク色の髪はまるで桜のようで、道端で花びらを見るたびにあの子を思い出してしまう。

 

 リアは音楽に集中するため、卒業後は叔母のケーキ屋でアルバイトをしながら音学活動を続けていた。


 最近はライブハウスでも活動をして、着々とファンを増やしている。


 「寒……っ」


 両手を擦り合わせながら、手袋を持ってくれば良かったと後悔する。昨年の誕生日にリアから貰った手袋は、なつめにとって宝物なのだ。


 芸術肌で音楽に心酔している彼女を支えるため、なつめは芸術学と文学を両方学べる大学に通いながら、作詞の勉強に励んでいた。


 小説や音楽は今まで手を出してこなかったジャンルにも幅を広げて、英語も基礎から学び直して作詞に使えそうな物は何でも飛びつく。


 まだ経験も浅いなつめは何でも吸収して、それを作詞に活かし続けるしかないのだ。


 気に入った単語やフレーズも全て一冊のノートにまとめて、既に4冊目に到達している。


 大学とリアと共に暮らす家を往復するだけの、音楽活動に没頭した生活を送っているのだ。





 静かな図書館では、足音の音さえ大きく感じてしまう。

 周囲の邪魔にならないように息を潜めながら、館内の自習スペースへとやって来ていた。


 講義中に浮かんだフレーズを忘れぬうちに、紙に書き写して置こうと思ったのだ。


 あれから3年経つが、未だにデビューには漕ぎ着けていない。

 動画サイトやSNSの登録者数はかなり伸びてはいるが、プロの道は中々に険しいのだ。


 最近は路上ライブ以外にもライブハウスで他のバンドと合同で演奏もしているため、前に進んでいる実感はある。


 以前に比べたら、なつめの描く詩も上達したつもりで、ファンレターやSNSのコメントで歌詞を褒めてもらう事も多くなっているのだ。


 付け焼き刃ではなくて、基礎からしっかり学び直したおかげで、それなりに自分の描く歌詞を誇れるようになってきていた。






 近所のスーパーで売っている野菜の質が、最近あまり良くないのだ。

 値段の割には小さくて、中身がまったく詰まっていないときもある。


 仕方なく、大学近くの八百屋へと足を運んでいた。

 老夫婦が経営している八百屋は値段が特別安いわけではないが、どれも質が良くて次々カゴに放り込んでしまう。


 「……美味しそう」


 真っ赤に熟したイチゴは美味しそうで、つい手を伸ばしたくなってしまう。


 しかし余裕のある暮らしをしている訳ではないため、何とか堪えて野菜だけが入ったカゴを店主へ渡していた。

 

 「若いのに偉いねえ」

 「え…?」

 「旦那に美味いもん食べさせるんだよ。べっぴんさんで羨ましいねえ」


 おまけとして、無料で大根を貰ってしまう。

 重たいエコバッグを肩に掛けながら、どうして既婚者と勘違いされたのか戸惑っていた。


 「……あ、これか」


 左手の薬指には、彼女とお揃いの指輪が嵌められているのだ。

 手袋をしていなかったため、ちらりと見えた指輪のせいで店主のお爺さんは勘違いしてしまったのだろう。


 「どちらかといえば、リアは奥さんだし」


 一人でぽつりと呟いてから、ジワジワと羞恥心が込み上げる。

 そもそも付き合ってもいないというのに、何を訂正しているのだろう。


 リアとは同じ夢を目指すパートナーであって、決して恋仲ではないのだ。

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