第31話
長時間同じ体制でいたせいで、肩はすっかり凝ってしまっている。
疲れた瞼を癒すために蒸しタオルで目元を温めた後、夜遅かったためベッドに潜っていた。
寝る前にあの子の歌声を聴こうと動画サイトを開けば、表示されたページに言葉を失ってしまう。
『リア』というアカウントが投稿していた動画が全て消えていたのだ。
「え…?」
バグかと思ってもう一度立ち上げ直すが、やはり投稿ページには一つも動画が残っていない。
訳が分からずに狼狽えてしまうが、何か良くないことが起こっているのは確かなのだ。
期末テストの3日前ともなれば、連日の勉強漬けですっかり疲れが溜まってしまう。
しかしそれだけではなくて、消えてしまった動画のことが気になって悶々としたせいで、中々寝付くことが出来なかったのだ。
欠伸を噛み殺しながら学校への道を歩いていれば、通学路にて見知ったピンク髪の彼女を見つける。
慌てて駆け寄ってから声をかければ、振り返ったリアの表情はいつにも増して暗いように見えた。
「おはよう……ねえ雅、なんで動画消したの」
「消してないよ。非公開にしただけ」
「どうして……」
「この前見せた動画あったじゃん」
空き教室にて見せてくれた、男性ボーカルのアップテンポ調の曲をカバーした動画。
とても上手で、すっかり気に入って何度も聞いていたのだ。
「……それが結構伸びて、再生回数とか今までの何倍もあって」
「凄いじゃん……」
「……だから怖くなった」
「なんで…?」
「色々言われるの嫌だから」
「そんなの気にしなきゃいいじゃん」
反射的に飛び出した言葉に、なつめの方が戸惑っていた。
咄嗟に浮かんだそれは本心で、世間的に見ても間違ってはいない。
だけど、それをなつめが言う資格はあるのだろうか。
人から色々言われて、怖くなって。
ひたすら逃げ続けてハリボテの王子を演じているくせに、どの口が言うのだろう。
「ごめん……けど、なつめちゃんの前ではこれからも歌うから。寧ろ特別感増して良くない?」
「……そうだね」
本当は思い切り励ましてやりたいのに、喉元で詰まって言葉が出ていかない。
それがあまりにも歯痒くて、情けなくて仕方なかった。
誹謗中傷をされても気にしなくていいと、酷い言葉が気にならなくなるくらい励ましてやりたいのに。
自分が好きだと思う音楽を貫けばいいと鼓舞してやりたいのにそれが出来ないのは、いまのなつめにその資格がないと分かっているからだ。
はじめて女の子が好きだと自覚したのは、小学6年生の頃だった。
皆んなが男の子を好きになる中で、こっそりと親友の
幼いながらに誰にも言ってはいけない恋だと理解して、ただ側にいられれば良いと、自分の本音に蓋をした。
中学生に上がってからはクラスは離れてしまったけれど、少しでも一緒にいたくて瀬良が所属するテニス部のマネージャーを務めるようになったのだ。
瀬良が好きな男の子が出来て、その彼と付き合うようになった時も、無理やり笑顔を張り付けて祝福しているフリをして。
今思い返してみれば、自分の本音に蓋をする癖は昔からなのかもしれない。
確かあの頃はまだ、皆んなと上手くやれていた。
ロングヘアに整った顔立ちをしていたため、周囲から冗談で「姫」と呼ばれていたけれど、それなりに平穏な日々を過ごしていたのだ。
それが全て崩れ去ったのは、中学3年生最後の公式試合初日。
試合後忘れ物を取りに教室に足を運んだ時だった。
当時、瀬良が付き合っていた男子生徒が、なつめのことを好きになったからと彼女に別れを切り出してきたのだ。
その事を何も知らなかったなつめは、彼女に声を掛けられただけで浮かれていた。
『瀬良も忘れ物?』
『……いい加減にしてよ』
およそ3年以上片思いした相手の、憎悪に満ちた表情。
好きな人から向けられる侮蔑に満ちた瞳は、思い出すだけで胸がギュッと鷲掴みにされたかのような痛みを上げる。
『男ウケ狙ってさ、本当うざいんだけど』
『そんなつもりじゃ…』
『は?私があいつのこと好きなの知ってたでしょ?学校に化粧してきてさ、皆んなアンタのこと男ウケ狙い過ぎだって言ってるから』
誰にも言うつもりはない、宝箱に仕舞い込んだつもりだった恋心は、無理やり引っ張り出されてズタズタになるまで引き裂かれたのだ。
『私のことバカにしてたんでしょ?ちょっと可愛いからってさ…引き立て役とか言われて、私がどんな気持ちだったか分かる?』
『……ッごめん』
『悪いと思ってるなら、整形すれば』
そのまま去っていく瀬良を引き止める術もないまま、ただボロボロと涙を流し続けた。
しかし、本当の地獄はそれから始まったのだ。
男子生徒から一目置かれていたなつめのことを、良く思っていない女子生徒は思いの外多かったらしい。
瀬良を筆頭に次々と悪口を吹聴されて、気づけばクラスで孤立していた。
男子生徒も巻き込まれまいと見て見ぬ振りで、たすけてくれる人もいない。
学校に行っても、誰とも喋らずに家に帰る日々。
仲間外れにされるのは当たり前で、わざと聞こえるように悪口を言われた。
「ぶりっこ」
「男ウケ狙いすぎ」
「男好き」
「見ていてイライラする」
酷い言葉を散々投げ掛けられて、お気に入りだったキーホルダーを全てゴミ箱に捨てられていたこともある。
そんな時、妹がモデルとしてスカウトされて、東京の学校に進学することが決まった。
本来は母親と妹2人だけで東京へ行って、なつめと父親は地元に残る予定だったのだ。
しかし、この地獄から抜け出すには最後のチャンスだと思った。
地元の高校に進学すれば、必ず1人や2人同じ中学出身の子がいるだろう。
いじめられた過去を誰も知らない場所で、もう一度最初から始めようと思った。
誰もなつめを知らない場所で、一からやり直したかった。
今度は誰にも嫌われないように。
もう2度と虐められないように。
本当の自分に蓋をして、正反対の自分になった。
男ウケなんて全く意識していないような、ボーイッシュな見た目でいることでしか、傷つけられない方法が思い浮かばなかったのだ。
それからずっと、偽りの自分を演じ続けた。
最善だと受け入れてきたけれど、今になって、苦しくなってきている。
王子様を演じることは、結局は全てを捨てて、本当の自分から逃げ続けていることだと分かっているからだ。
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