第38話 重荷


蓮司れんじさん、あと一つ聞きたいことがあるんですけど、いいでしょうか」


「改まって言われると、ちょっと構えてしまうね。それにれんちゃん、ちょっとだけ顔が怖いよ」


「執筆をやめた理由、もう一度聞かせてください」


 れんの言葉に、花恋かれんも真顔になって蓮司れんじを見る。


蓮司れんじ、それは私も聞きたかった。あの時あなたは言った。私との未来の為に夢を諦めるって」


「そうだね、そう言った」


 穏やかに笑みを浮かべ、れんに視線を向ける。


「でも……この話はれんくん、言っても構わないのかな」


 その言葉に、れんの肩がピクリと動いた。


蓮司れんじさん、それってどういう」


「僕たちも昨日ね、色々語り合ったんだ。そして当然、この話題にもなった。

 今れんちゃんが尋ねたこと。それはね、れんくんの今後の活動にも影響するかもしれないんだ」


「そうなの? 私が言ってること、またれんくんを巻き込んだ暴走なの?」


れんくんが拒むなら、僕の口から言うことは出来ない。これはね、れんちゃん。彼の大切な夢なんだ。彼が望まないなら、その日まで待った方がいいと思う」


れんくん……」


「いいですよ、蓮司れんじさん」


「本当にいいのかい?」


「はい……確かに作家になるのが僕の夢です。断念する未来が来ると分かっていても、今の僕にはまだ諦められません。

 ただ、未来の自分に会うなんて奇跡が起こって……きっとこれは僕にとっても、意味のあることなんだと思います。だから今ここで、れんにも知ってもらおうと思います。そうすることで、僕も新しい一歩を踏み出せるような、そんな気がするんです」


「分かった。じゃあ答えるね」


 蓮司れんじが静かにうなずいた。


花恋かれんとの未来の為、夢を諦める。そう言ったのは本心だよ」


「どうしてそんなことを」


「言葉のままだよ。さっきも言った通り、僕には花恋かれんを幸せにする自信がなかった。あの時とてもじゃないけど、いい所に就職出来る未来が見えなかった。

 そんな状態の僕が、中途半端な気持ちで執筆を続けたとしても、いい物が書けるとは思えない。何より僕は不器用だ。現実と夢、その両方を追いかけながらやっていけるとは思えなかった」


「あなたは夢を捨てる言い訳に、私を使ったのよ。分かってる?」


「言い訳なんかじゃない、本当の気持ちだった。僕は夢より、君と一緒に生きることを選んだんだ。あの時も感じてたけど、どうしてそんなに責められないといけないんだ」


「責めもするわよ。だってあなたにとって、作家になることは本当に大切な夢だったじゃない。簡単に捨てられるようなものじゃなかった筈よ」


「だから僕も悩んだ。このまま夢を追い続けたい、でも自分には才能がない。もし成功する未来に辿り着けるとしても、それは何年後、何十年後のことなんだろうって。

 それまで花恋かれんを待たせるのか? 仕事はどうする? そう考えることの何が間違ってるんだ」


「間違ってるとは言ってない。でもね、だったらどうして、決断する前に相談してくれなかったの? あの時のあなた、私が何か言う余地を一切残してなかった。もう決定事項だった。そんなの酷すぎない? 小説家になる夢は、あなた一人の夢じゃないのよ? 私たち、二人の夢だったのよ?」


「……そういうのが、重くもあったんです」


「え」


れんくん……?」


「今の花恋かれんさんの言葉、嬉しいです。僕の夢をそこまで応援してくれて……だから僕も、頑張ることが出来てます。れんの応援があるから。

 でも時折、それを重荷に感じることもあったんです。れんが応援してくれる。大丈夫、次がある。いつかきっと認められる、その日まで書き続けよう。そう励ましてくれる。それが少しずつ、僕の中で焦りになっていったんです。早く結果を出さないと、いつかれんに愛想をつかされてしまうって。何より僕には才能がない。一次にすら名前が載らないんです」


「私の言葉は……蓮司れんじの重荷になってたって言うの?」


「励みになってたのは本当だよ。ただ、僕の小説が好きだと言ってくれる君を見てるとね、嬉しい反面、焦りが出たのも事実なんだ」


「そんな……」


「発表の時、僕はいつも思ってた。駄目だったという気持ちよりも、また花恋かれんを失望させてしまった、そんな風にね」


 れん蓮司れんじの言葉に、花恋かれんは力が抜けたように肩を落とした。


「でもね、それでも僕は、花恋かれんに喜んでもらいたかった。だから頑張った」


「……」


花恋かれんとの未来の為に夢を諦める。確かに改めて聞いたら、花恋かれんに責任をなすりつけているようにも聞こえるね。ごめん。

 でもそんなつもりで言ったんじゃない。書き続けることで、花恋かれんががっかりする未来がずっと続く、それが辛くもあったんだ」


「……れんくんもそうだったの」


「こんな僕の気持ち、知ってほしくなかったけど……でもごめん、そう思ってたのは本当だよ。

 僕は書き始めたばかりだし、落選の回数だってしれている。でも蓮司れんじさんは違う。何度も何度も辛い思いをして、そして何より花恋かれんさんを悲しませてるんだ。それは僕にとって、夢を捨てるのに十分な理由なんだ」


「だから僕は夢を諦めた。未練がないと言えば嘘になる。でも、それでも僕は、あの時の決断に後悔していない」


「……ごめん、蓮司れんじ


「謝るところじゃないと思うよ」


「そんなことない……私はあの時、自分という存在を都合よく使われた、そんな風にしか感じてなかった。今言われて気付いたわ。確かに私は、あなたにとんでもないプレッシャーをかけていたと思う」


「いや……まあ、多少はあったよ。でもね、そのおかげで書けたってのも本当なんだ。ただ、花恋かれんの今みたいな顔が見たくなかったから……こんな話、本当はしたくなかったんだ」


「私は怒ってた。あなたの決断に……本当、馬鹿だ。さっきのれんちゃんじゃないけど、どうしてあの時、もっとちゃんと話し合えなかったんだろう。そうしたらきっと、分かり合えた筈なのに……」


 そうつぶやき、花恋かれんは唇を噛んだ。



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