第31話 赤澤花恋という女


「俺は恋愛というものをよく分かってなかった。と言うか、人が他人に対して何を思うのか、それが理解出来なかった」


「どういうことかな」


「自分にとって一番大切なのは自分、それ以外のことに興味がなかったんだ」


「でも君は、いつも周囲に気を配ってたじゃないか」


「それも自分の為なんだ。自分が心地よくいられる環境を作る、その為の行動にすぎないんだ。

 だから俺はいじめを許さなかった。かわいそうだとか、正義感だとか、そんな理由じゃない。人が人を貶める、そういう場所にいたくなかったんだ」


「動機が何であれ、それは結果として残ってる。君に救われた人たちは皆、君に感謝してると思うよ」


「それでも俺は、自分の行いを正しいと思ってなかった。根本にあるのが自分の為、利己だからだ。

 でも俺は出会ってしまった。自分のことより気になってしまう、そんな人に」


「……」


「赤澤と出会って、俺の人生は一変した。利己を追求してた筈の俺が、気が付けばいつも赤澤のことを考えていた。自分にとって嫌なことでも、赤澤が笑顔になるならそれでいい、そんな風に思うようになっていった」


「君にとっての初恋、だったんだね」


「そして俺は気付いた。他人のことに興味を持っている自分に。こいつは何を考えているんだろう、今楽しいのだろうか。どうすればこいつは笑ってくれるのだろう、そんな風にな。

 それは俺にとって、初めての経験だった。気が付けば、俺の世界は変わっていた。広がっていた」


「そういう風に感じれる君は、やっぱりすごい人だと思う」


「赤澤に感謝したよ。彼女は俺に、世界がこんなにも温かくて優しいんだと気付かせてくれた。そして俺は……赤澤に恋をした」


「……」


「気付いた時にはもう遅かった。何をしていても赤澤のことを考えていた。自分の人生になくてはならない存在、そんな風にさえ思った」


「君みたいな人にそこまで想われて、花恋かれんは幸せだと思う」


「でも、赤澤の心に俺が入り込む余地なんてなかった。彼女の心には、もう既に大切な人がいたから。そしてそれが、俺が絶対勝てないお前だと分かった時、俺は自分の初恋が届かないことを知った。

 あれから10年、告白も結構されてきた。でも全て断った。

 俺にとっては、赤澤こそが理想の女だったんだ。彼女以上に心を奪われる女に出会いたい、でないと前に進めない。こいつじゃない、こいつでもない……振る度にいつもそう思ってた」


花恋かれん、今の話を聞くと喜ぶと思うよ」


「言ったさ」


「え?」


「同窓会で会った時にな。赤澤、顔を真っ赤にして照れてたけど、それでもありがとうって言ってくれた」


「……そうなんだ」


「そして聞いた。お前と別れたって」


「……」


「黒木。俺はさっきまで、赤澤と会ってた」


「そうみたいだね」


「知ってたのか? 誰にも言ってなかったんだけど、まさか赤澤から」


 大橋に詰め寄られ、蓮司れんじはしまったと思った。


「いやいや、花恋かれんの友達とたまたま会ってね、その時に聞いたんだ。花恋かれんが君とこれから会うって」


「そうだったのか。まあ別にいいんだけどな」


「告白したんだね」


「ああ。再会して改めて気付いた。彼女を忘れようとした10年は無意味だったって」


「君はあの時からずっと」


「あの場所から前に進めてなかったよ。でもな、それでも俺はいいと思ってた。お前と付き合ってるんだったらって」


「……君が僕たちのこと、応援してくれて嬉しかった。でもそれは過去のことだ。今の君がどうしようと、もう僕には関係のないことだ。だから」


「ふざけるなっ!」


 蓮司れんじの胸倉をつかみ、大橋が声を荒げる。


「……なぜそこで怒るのか、よく分からないんだけど」


「なぜだって? 分からないのかお前」


「ごめん……」


「漱石の心は感じれる癖に、旧友の気持ちは分からないってのか」


 胸倉をつかむ手が震える。

 しかし困惑する蓮司れんじに我に返り、大橋はゆっくりと手を離した。


「……同窓会の後、何度か連絡して会ったんだ。赤澤のやつ、高校時代と何も変わってなかった。魅力的だし、他人に対しての気遣いも相変わらずだ」


「だね」


「でもな、俺は感じてた。赤澤の笑顔が、どこか嘘くさいって」


「……」


「周囲を楽しく、穏やかにしてくれるあの笑顔。でも、どこか違ってた。嘘くさい、偽りの笑顔だった。そしてそれには間違いなく、お前が関係してると思った。

 赤澤にこんな顔をして欲しくない。黒木に出来なかったのなら、俺にもう一度チャンスを欲しい、そう思った。心から笑って欲しい、幸せになって欲しい。その為になら俺はなんだってする、そう思った。

 だから告白した。もう一度俺のこと、考えてくれないかって」


「うん……」


「そして今日、赤澤から返事をもらった。お前を呼んだのは、そのことを伝えたいと思ったからだ」


「何だか悪いね、気を使わせたみたいで」


 そう言って蓮司れんじは寂しそうに笑い、大橋と目を合わせた。


花恋かれんの事、よろしくお願いします」


 静かに頭を下げる。

 その頭を軽く小突き、ため息をついた大橋が笑った。


「馬鹿、振られたよ」



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