第13話 その眩しい笑顔に






「ハイ……、アイムジン・ムラカミ。……ナイストゥミーチュー」


 自分でも拙い英語だということがよく分かる。英語に関して言えば日本の義務教育・高等教育は惨敗だ。俺は声をかけた段階で、本当に止めておけば良かったと後悔していた。


 しかし俺はまだ知らなかった。この時のちっぽけな勇気が、ちょっとした出来事が、俺の運命さえも変えていたことを。


 恥ずかしそうに声をかけて自分に対し、彼女は微笑み、そしてゆっくりと話してくれた。











「どういうことだ、親父」


 あれは高校の終わりの頃だっただろうか。日本の大学に入学が決まっていた俺に、父親は突然アメリカのとある大学の入学書類をもってきた。


 試験も受けていないのに、どうやって取ってきたのかは知らない。そもそもそんなやり方があるのかも。だがそうは言っても与党の大臣でありその数年後に総理にもなった人だ。コネにせよ金にせよ、正直いくらでも方法はあったのだろう。


「どうもこうもない。お前はこの大学で学んでこい」

「学んでこいって、ふざけるなよ。大学だってもう受かって」

「それは辞退しろ」

「はあっ!?」


 勿論この時は散々揉めた。自分は受験勉強もしてきて、自分の意志で大学も選んでいる。それを突然全てひっくり返されれば頭にくる。この時は本当に頭にきていた。


 だがそれでも無理が通ってしまう理由もあった。第一に俺自身、この父親の恩恵にあずかっている自覚があったことだ。恵まれた生活も、勉強や運動なども、あくまで環境のおかげによる部分があることをよく理解していた。


 それに将来のこともある。俺自身、将来は自分の父親の後を継いで政治家になることを良しとしていた。頭も良かったし、人付き合いも上手かった。自分でも向いていると感じていた。


 だからこそ最後の最後で折れなければならなかった。俺は仕方なく、単身アメリカに飛ぶことになった。












 アメリカの生活は地獄だった。


 別に不自由があるわけじゃない。お金は送ってもらえたし、部屋にも不自由しない。大学の手続きも事前にもらったマニュアルを読めばすぐにわかった。辞書さえあれば英語を読むことはできるのだ。


 だがそれ以外、普通のことがまるでできなかった。


 スーパーでの買い物一つでどう買うのか迷った。ファストフードのハンバーガー一つ買うのでも苦労した。皆が自分の事を笑っているのではないかといつも怯えてもいた。


 日本では何でもできると思っていたが、ここでは何一つできなかった。言語の壁というものは、自分がいかに矮小であるのかを痛感させられた。


 それはあまりにも辛かった。


 そして大学が始まるともっと辛かった。言語はできないし、自分を知るものはいない。一部の教授とかは俺が日本の大臣の息子であるということを知っていて、来た経緯なんかも知っていたみたいだった。それだけに授業の課題とかを口頭説明だけじゃなく紙でもらうことぐらいはできた。これは本当に助かった。


 しかし問題は片付いてはいない。大学の授業ではディスカッションは多かった。英語が喋れず、足を引っ張る自分が情けなかった。周りの人間はいい人が多かったので、実際にそこまで気にしてはいなかったのかもしれないが、自分のプライドが俺を蝕んでいた。


 正直なんとかして逃げたかった。だがそれはできなかった。何故ならそうすれば親父は俺を許しはしないからだ。今まで進んできたレールが、積み上げてきたものが、全て崩れていくだろう。それは避けなければならなかった。


 それに自分のプライドも許さなかった。アメリカに留学する日本人なんてざらにいる。俺より恵まれていない環境の者も。そんな彼等が普通にこなすことを、自分ができないと認める。その事実に耐えられなかった。


 だがそれでも日々の生活はきついことに変わりはない。なんとか授業だけこなして、すぐ部屋に戻る。最低限の買い物の時だけ外出し、それ以外は一歩も外に出なかった。そしてそんな自分に心底失望しながら、同じような日々が続いた。


 そんなある日のことだった。


 本当にたまたま、人が少なかったこともあり、俺は学内のカフェテリアで食事をとっていた。俺は黙々と食事をとりながら、うつろな目で課題のプリントを広げていた。


『国際政治学』、それは俺がとっていた授業の中でもトップクラスに難しい授業だった。内容もさることながら、ディスカッションやレポートも多い。それは自分にとってあまりにもキツかった。


(しまった、課題のメモが半端だ)


 普通であれば、課題についてなど友達に聞けばいい。だが俺にはそれができなかった。だから少しでも聞き漏らしたり、書き漏らしたりすると一大事になってしまう。前回のレポートの点数が芳しくなく、その時の俺はかなり焦っていた。


 そんなとき一人の女性が俺の目に映った。やや少し癖のある茶色交じりの金髪で、顔にすこしそばかすのある女性。飛び抜けた美人というわけでもなく、学内でも目立つタイプではない。しかし重要なのはそこではなかった。


(あの顔、見たことある。それに国際政治学のテキストを開いている)


 当然俺はそこで一つの結論を導き出す。彼女に聞けば良い。それだけのことなのだ。


 俺は立ち上がり、少し歩み寄る。しかしそこで足が止まってしまった。


(クソ、何やってんだ)


 しかし足は動かない。


 情けない話だが理屈と感情は違うのだ。自分のちっぽけなプライドが、臆病さが、しょうもないことで足を引っ張る。そんな自分が心底嫌いだった。


 しかしその時、彼女が不意に顔を上げる。そして運悪く、自分と目が合ってしまった。


 こうなってしまっては声をかけざるを得ない。俺は意を決してさらに近づき、声をかけた。







 正直その後のことはあまり覚えていない。


 だが彼女と連絡先を交換したこと、そしてその眩しい笑顔が強く印象に残っていた。














「ジン!何をしている!」


 村上はルカに声をかけられて、振り返る。 


「すまん、少しボーッとしていた」

「そんな場合じゃないぞ。姫様達は避難した。お前も来い」


 ルカはそう言って俺に手招きをする。すると遠くから敵の兵が向かってきた。


『いたぞ!獣人だ!殺せ……』


 村上は敵が銃を構えるよりも早く、その拾った銃を敵に向け、発砲する。詳しい仕組みはよく分からないが、数発の弾丸が放たれ、あっという間に敵を無力化した。


「それ……銃なのか?それにお前その使い方を知っているのか?」

「見よう見まねだ。早く行こう」


 村上は銃で適当に牽制しながら、ルカと共に走り出す。


 銃声と悲鳴が響き渡り、燃えさかる町の中で人が逃げ惑う。村上は戦争というものを肌で感じていた。



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