「なぜかというと、愛のためにね」……「にくきゅう?」……「一定時間、お金が嫌いになります」

「地下迷Q?」


 七日前、騎士団の会議机で、俺は首をひねった。


「って何だ?」

「あー、街で普通に暮らしてりゃ縁がねえか。Qはわかんだろ」

「貧乏人だからってバカにすんな。Q知らねえ奴はいねえよ。流石に」


 Qというのは平たく言えば魔法の玉だ。ガラス玉のような透明の球の中に呪文や図形、記号が書き込まれている。大きさは小石くらいの小さなものから巨大なものまで、用途や必要な魔法規模に応じてさまざまだ。例えば、暖Qを使えば、部屋を温めたり屋外で暖を取ったりするのに使える。かなり高価だし、珍しいものだからあまり貧民街で暮らしてると縁がないけれど、便利な代物だ。


「地下迷Qは、Qの一種で、発動させるとそこに迷宮を作り出すんだ。中から怪物とかが湧き出すのもある。敵国に埋めてやると、治安が下がっていい嫌がらせになる。ま、侵略兵器の一種だな」

「で、それがポートンの北にできてるってこと?」

「そう。どうもまたバディアル連合の置き土産らしい」

「あのジジイ?」

「かどうかはわからん。結構あちらの密偵がティルト王国領に入り込んでるみたいだからな」


 ケーシーが心底めんどくさそうに言うと騎士様エヴァンが話をついだ。


「我々派遣軍としては、その地下迷Qの概略がつかめないうちは、出発が躊躇われる、というわけなんだ。それで僕がパッと偵察に行くことになったんで、ケーシーたちに護衛としてついてきて欲しい」

「騎士団長自ら偵察? 普通下っぱに行かせない?」

「それはなぜかというと、愛のためにね」


 騎士様エヴァンは前髪をかき上げてポーズをとった。


「姫君がさあ、僕の姫君がさあ、僕の活躍見たいって見たいって見たいって言うから僕としては期待に応えなくちゃいけないしそれに」

「あー、わかった、もう、それ以上、言わなくてもわかった。全部わかった。何もかもわかった」

「もちろん謝礼はする。ケーシーの都合は大丈夫かな。女神アージェナのご意志とか、何か予定があったりしない?」

「あーちゃんは俺がどこに行っても気にもしねえよ」


 女神への不敬に、俺は一応ツッコミを入れる。


「女神様をあーちゃんなんて呼ぶと罰が当たるよ」

「本人があーちゃんて呼ばないと怒るんだよ」

「本人?」

「本柱か」

「ほんばしら?」

「いやそれにしても、いちいち調査なんかしなくても地下迷Qくらい迂回すりゃいいんじゃねえの? 迷宮が走って追いかけてくるわけじゃねえだろ?」


 ケーシーがめんどくさそうに言う。たぶん、地味な調査とかやりたくないだけだ。目立ちたがりだから。騎士様エヴァンは肩をすくめる。


「そうもいかないよ。派遣軍を送り出す分、ポートンこのまちの防衛はどうしても手薄になるから、万が一のことがあってポートンに被害が出るのは困る。派遣軍の背後を突かれるのも困るし。一応は敵の情勢を確認しないと。あと僕の活躍を姫君も待ってるし。愛ゆえに」

「しょうがねえなあ……で、そちらさんが噂の?」


 ケーシーは、前回いなかった新顔に目を向ける。ちょっと癖毛の、眼鏡をかけたおにーさんだ。年の頃はケーシーと同じくらい。騎士様エヴァンが紹介する。


「カザンさんはポートンでは評判のQ師なんだ。今回、地下迷Qの調査にはQに詳しい人材が必要と思って、声をかけて来てもらった」

「カザンっス。よろしくお願いしまス」

「カザン、例のものは持って来てくれたか?」


 ケーシーが尋ねると、Q術師カザンは床に置いた背負い袋からごそごそと小袋を取り出した。


「持ってきましたよ。こちらスね」

「おう。ありがとう」


 ケーシーは小袋を受け取ると、中身も見ないで俺の前に置いた。


「ジャック、これ持っとけ」

「何だよ?」

「お前の護身用にと思ってな」


 小袋の中身を見て俺はぐぇっ、と声を絞り出した。袋の中はいっぱいのQだ。店で買ったことないから値段よくは知らないけど、小さなQだって銀貨じゃ買えない。それがこの袋の中には大小さまざまなQが入っている。いくらになるか、想像つかない。


「てめーまた無駄づかいしたのかよ!」


 ケーシーはむっとした様子で口答えする。


「なんだよ無駄づかいって。足手まといのお前の身を案じて、俺がカザンから買ったQだぞ。いざって時のために持ってろ」

「こんなのいらねーよ! いくらすると思ってんだ」

「いくらだっけ?」

金貨三百八十枚三百八十キーニカですな」


 ぐはっ。Q術師カザンの答えに俺は血を吐きそうなくらい衝撃を受けた。サンビャクハチジュウ……。気絶しかけた俺に気づかないまま、Q術師カザンは無邪気に解説を始めた。


「火Qとか雷Qみたいな、一般護身用のものの詰め合わせスね。いくつか珍しいのも入れてますけど。僕が新開発したやつで」

「ほう。どんなんだ?」


 ケーシーも騎士様エヴァンも興味を持って前のめりになる(クロはいつも澄まし顔だ)。


「たとえば……」


 Q術師カザンは俺の前に置いてある袋をあけてごそごそやって一つ取り出した。


「ほらこれ。肉Qっていうんですけど」

「にくきゅう?」

「これは使い切りじゃなくて何度でも使えるやつなんスよ。ちょっとそこのメイドさん……」

「クロとお呼びください」

「クロさん、手を出してみて」


 クロが手を出すと、Q術師カザンはQを自分の手のひらにのせて、鳴いた。


「にゃん」


 Qの中から煙のように猫の手が湧き上がり、クロに「お手」をする。ぷにっと音がしたような気がする。お手を終えるとしゅるしゅると猫の手はQに戻っていく。クロは嬉しそうに言った。


「これはいい肉球ですね。気持ちいい」

「でしょ?」

「俺もやる俺も!」


 ケーシーが手を出すと、Q術師カザンはまたQを手のひらに載せて言った。


「ニャン!」


 その途端、また煙のように猫の手が噴出して、そのままケーシーの顔面をぶったたいた。


「ぐはっ」


 予想外の一撃を食らってケーシーがのけぞる。


「あ、しまった、強すぎた」


 カザンが頭をかく。


「強すぎた?」

「声の大きさで弱中強を使い分けるんですよ」

「うわ使いづら」


 思わず本音で喋ってしまった。ケーシーは肉球の一撃でのけぞったまま、肉球の感触を反芻して緩みきったニヤ顔を晒している。キモ。


「こっちはね、耳Q」

「耳Q?」


 猫耳じゃないだろうな。


「これはね、耳をでっかくするQなんです。ほうら、こんなに大きくなっちゃったー!」


 Q術師カザンは手のひらくらいの大きさになった耳を見せる。ちょっとグロい。


「宴会芸でけっこうウケますよ」

「あの。これは自慢に聞こえるかもしれませんが……」


 不意にクロが口をはさんだ。


「私は耳をピクピク動かせます」

「……それ自慢か?」

「大きな耳でやればさらにウケると思いますよ」


 Q術師カザンは大真面目に請け合った。おい。


「護身用じゃなかったのかよ」

「うーん、耳を大きくして相手を威嚇できるかも?」

「んなわけあるかい! どんな敵だよ」

「これはもろQ。使い切りなんスけど、いざという時にきゅうりと味噌が出せます。非常食になります」

「護身用かは疑問だけどまあ非常用ではある」

「これはたのQ。相手にぶつける使い切りタイプ。命中した相手は、一定時間、お金が嫌いになります」

「お金が嫌い?」

「あらゆる金銭がすっごい悪臭を放つ幻覚に襲われるんですよ。お金を見ただけで吐き気がするし、触るとか無理ってなるんス」

「これいいじゃん! ケーシーに使ってみたら無駄づかい減りそう」

「ざけんなコラ」

「ダメっスよ。Qの無駄づかいはやめてください。それ一個作るのに僕がどんだけ苦労するか」

「そうだ無駄づかいはダメだぞ」

「ケーシーに『無駄づかいダメ』とか言われたくないんだよ!」


 俺は言い返しながら袋の中身を眺めた。


「護身用っていうか宴会用のおもちゃじゃないかこれ」

「まあ今紹介したのはオマケみたいなものなんで。火Qや雷Qはちゃんと護身用に使えますよ」

「ジャック様、お気持ちはものすごくよくわかりますが、念のためお持ちください」


 クロが取りなすので、俺も渋々とQ袋を腰に下げた。


「それで話を戻すけど、その地下迷Qはどこにあるんだ?」

「ポートンから、北の街道を通って王都リンブラまで行く途中の森の中らしい」

「地下迷Qは大量の魔素を消費するンで、周辺地域の魔素圧が下がるんですよ。それで見つけられると思います」

「よし、じゃあ準備が出来次第、出発しよう。ジャック、そういやお前、旅の持ち物揃ってんのか?」

「持ち物?」

「まあ食料とかは俺とクロが用意するからいいけど、武器とか鎧とか、毛布とか」

「あ…親父がくれた短剣ならあるけど」


 あの緑柱どもと戦った時は急いでたから騎士様の短剣を借りたけど、親父の短剣は荷物の中に入れてあった。


「鎧なんて要らねえよ」

「んー、まあお前の体格じゃあ合う鎧探すのも大変だしな」

「騎士団の標準服を支給するから丈を合わせたらいい」


騎士様が言った。


「鎧ではないけど、厚手の生地で補強してあって、普通の服よりは怪我しにくいから」

「クロ、こいつのために丈を合わせるの、やってくれるだろ?」

「もちろんですケーシーさま。ご安心を」

「よし、じゃあ支度がととのったら、出発しよう」

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