一章 ニューヨークを歩く最後の日

一話 一緒に歩いてきましたね…


 引っ越しの荷物が全て運び出され、残ったゴミも全て処理を終えた部屋の中に二人で立ってみる。


「終わりましたねぇ」


 そう呟いた私の肩を、その人は優しくたたいてくれた。


「そうだなぁ。三年半だけだったのに、こんなに荷物整理が大変だと思わなかった」


「この私がニューヨークに来て、一緒に暮らせたんですよね。まだ夢みたいです。大変なこともあったけど、いい経験でした」


「ありがとうな、結花ゆか……。いろいろ苦労もさせちまって」


「ううん。私こそ、先生のお仕事の大切なときに、ご迷惑をかけてしまうことになりました」


 隣に立っている「先生」は、そんな私の頭をぽんぽんと叩いた。これはもうずっと変わらない。


「いいんだ。仕事は俺がいなくてもどうにかなるし、代わりもいる。結花は一人しかいないんだ。そっちの方が俺には大事だ」


 もう、こういう台詞をさらりと言ってしまう旦那様だから、職場でも愛妻家で有名だったって。


陽人はるとさん、鍵はどうするんですか?」


「もうすぐ小池が取りに来てくれる。車も一緒にこのあと返しちゃうから、今夜は空港前のホテルだ。しかし、今からだと確かにそれも暇だな……」


「最後までお世話になっちゃいますね。あの……、ホテルにチェックインしたら、地下鉄でダウンタウンに戻りませんか?」


「お、その顔は何か思いついた顔だな?」


 陽人さんは笑っている。


「いいよ。その代わり無理しちゃダメだぞ?」


「はい、今日もいつものぺたんこ靴です。それに、まだ大丈夫ですよ」


 もう一度、お家の中を見て回った。本当に何も残っていない。


 二人で毎晩寄り添って休んだベッドも今朝運び出されてしまっていた。


「結花……?」


「いっぱい、いろんな事がありましたね」


「そうだな。結花が来てくれて、あっという間だった気がする。結花が初めてここから入って来たシーンは忘れられない」


 初めてこの部屋に来たのは、三年前のクリスマス直前。一緒に飾りつけをして、そして私に生涯のお願いを誓ってくれた。


「あのツリー、日本で飾れますかね?」


「そのためにわざとこっちにしては小さいのを買ったんだ。今年も頼むぞ?」


「はい。また頑張ります」


 陽人さんが私の髪をくしゃくしゃにかき回したときにドアベルの音がした。


「小島先生! お迎えにきました!」


「すぐ行く。結花……、いいかい?」


「はい」


 私は部屋の扉を閉めて、陽人さんの後に続いた。私たちのお迎えに陽人さんの職場の後輩になる小池さんが来てくれていた。


 二人のキャリーケースを持って玄関を閉める。


「じゃぁ、これで部屋と車は返すぞ」


「受け取りました。では空港までお送りします」


「空港前にいつも使ってるホテルがあるだろ、そこで降ろしてくれないか? どうせフライトは明日だ。ホテルから空港までの移動は自分たちで頼んでおくよ」


「分かりました」


 小池さんの運転で、私たちは二人で後部座席に並ぶ。


「小島先生は結局三年半ですか?」


「そうだね。本当は去年の秋で任期切れてたんだけどなぁ」


「先生のクラスは人気ありましたし。みんな残念がってます」


「こればかりは仕方ない。仕事も大事だが、妻のことを考えると日本に帰してやりたかったんだ。その代わり横浜校で専門クラスを受け持つ条件になったけどな」


 陽人さんが私の手を握ってくれた。


「職場のみんな、先生の奥様が羨ましいと言ってます。こんな若くて可愛い奥様にどうやって知り合えたのかとか、どうやったら先生にそこまで大事にしてもらえるかとかです」


 小池さんの質問に陽人さんは笑った。


「それは言えないなぁ。でも、俺は結花へのプロポーズは必死だったぞ?」


「そうだったんですか? 小島先生ならさらっと出来てしまいそうなイメージですが」


 信号待ちで振り返って私を見る小池さん。


「はい。その瞬間は嬉しくて泣いちゃいました」


「いいなぁ。俺もそういう出会いがしたいです。奥様みたいな美少女をどうやって射止めたのか知りたいですよ」


「あのなぁ……」


「いつか、小池さんにもチャンスがありますよ」


 そう返しながら内心思ってしまう。


 私たちのはきっと特別だよ。だって、本当なら禁じられた恋心から始まったのだからね。


 それを知っているのは、本当に数少ない、そして信頼している人たちだけだもの。

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