ひとりぼっちのドラゴンとふしぎな少女
ドラゴンの心には、生まれたときから穴が開いている。
ドラゴンは、自分がいつ頃生まれたのかは知らない。
ただずっと寒くて暗いところを、バラバラの体で漂っていた。
やがてバラバラだった体がうんと長い時間をかけてつなぎ合わされ、気づけばドラゴンの心臓は熱くたぎっていた。
ようやく暗くて寒い気持ちから解き放たれると思っていたドラゴンだったが、同じ頃に生まれた他の兄弟達は誰もドラゴンに語りかけず、ただ暗闇をたゆたうのみであった。
生みの親たる赤い巨龍は絶え間なく温もりをくれたし、側ではちいさなこどもドラゴンがずっと見守っていてくれたが、それでもドラゴンの穴の空いた心は埋まることがなかった。
ドラゴンは果てのない孤独を抱えながら生きて、ただ生きて、やがて耐えきれなくなり大粒の涙を流し続けた。
涙で鱗という鱗が濡れそぼり、乾いた鱗が数えるほどしかなくなった頃、ドラゴンはようやく気が済んで、心を立ち直らせようと試みるようになった。
ドラゴンの気持ちが明るくなるにつれ、ドラゴンはなんだか鱗がむずむずするようになった。
まるで、自分以外の命が、自分のすぐ側でうごめいているかのような……。
けれど、長いながい時間をひとりぼっちで過ごしてきたドラゴンは知っていた。
この果てしない暗黒の中で、誰かとの心の繋がりを求めているのは自分しかいないのだと。
だから、その少女が「こんにちは!」と語りかけてきたことに大層驚いたのだ。
いつの間にか乾いた鱗の一枚に現れた少女に、ドラゴンはどこからやってきたのか尋ねた。すると少女は、
「わたしはあなたの側から離れたことないよ」
と、不思議なことを言った。
少女の言うことはよくわからなかったが、それでもドラゴンは、今度は嬉しさで涙が出た。
たくさん泣いたら少女がずぶ濡れになってしばらく口を聞いてくれなくなったので、ドラゴンは乾いた鱗に少女を案内して、それから少女が濡れてしまわないように、泣くのを我慢した。
ドラゴンが泣くのを我慢したおかげでそれから乾いた鱗が増えて、少女は喜んで新しい鱗から鱗へと飛び跳ねていくようになった。
新しい鱗にたどり着くとそれは嬉しそうにして、しばらく鱗の様子を確かめる。
鱗を叩いてみたり、鱗をひっかいてみたり、時には鱗に穴をあけたりもした。
ドラゴンは思うがままに振る舞う少女に抗議したが、
「だって、あなたがとても素敵なんだもの。もっとあなたのことが知りたいの」
と笑うので、ちょっとくらいなら許してあげようと思ってしまった。
少女はしきりに新しい、乾いた鱗を探した。乾いた鱗より濡れた鱗の方がずっと多かったのでとても難儀していたが、長い時間をかけて新しい乾いた鱗を探し出し、やがて必ずたどり着くのだった。
なんだか少女が楽しそうに笑うたびにドラゴンは心が熱く燃えて、鱗も熱くなった。
すべての鱗を渡り歩いた頃、少女は少しだけ大きくなっていた。
大きくなった分、少女は賢くなった。賢くなった分ドラゴンにたくさん話しかけてくれるようになった。
「あなたはいつからここにいるの?」
「どうしてあなたは青いドラゴンなの?」
「あなたの周りを飛んでいるドラゴンはあなたの兄弟?」
ドラゴンは少女が投げかける数々の問いに、一周懸命答えてあげた。
――僕は君たちの記す歴史が始まるうんと前に生まれたんだ。
――生まれたばかりの頃は赤いドラゴンだったんだけど、青い涙をいっぱい流していたら、気づいたら青いドラゴンになっていた。
――兄弟が僕の周りを飛んでいるのではなくて、僕や兄弟みんなでお母さんドラゴンの周りを飛んでいるんだよ。
そう教えてあげると、少女は大層驚いて、そして喜ぶのだった。
そして教えたあげたことを、すぐに自分を大きくするために活かした。
よく見れば、少女は前よりさらに大きくなっている。
少女は、ドラゴンが瞬きする間にもどんどん大きくなっていくのだった。気づけば、少女はドラゴンの鱗をすべてを渡り歩いていた。
少女は翼を手に入れた。少女はより盛んに鱗から鱗へ渡るようになった。
少女は尾鰭を手に入れた。濡れた鱗の底の底に潜るようになった。
少女は炎を手に入れた。少女は何故か、乾いた鱗をたくさん焼いて、時に自分も火傷を負っていた。
この頃になると少女はもう少女と呼べないくらい大きくなっていたが、身体中に醜い傷跡を残す少女のことがとても心配だったドラゴンはそれどころではなかった。
少女は怒りっぽくなっていた。
武器を振り上げて、ドラゴンの鱗を駆けずり回るようになった。
少女はずっと、苦しそうだった。苦しそうだったのに、戦いをやめなかった。
ドラゴンは少女に語りかけた。
――私の愛しい子。そんなことを続けていると、いまに私の上に住めなくなってしまうよ。あなたがいなくなったら私は本当に孤独で、とてもとてもさびしいというのに。
ドラゴンの願いが通じたのか、少女はいつのまにか武器を置くようになった。
そして、ドラゴンに手紙をくれた。
「もう決して争わないわ。平和に生きて、ずっとあなたを大事にして暮らすの」
ドラゴンと少女は、それからよく語り合うようになった。
少女はとても賢くなっていて、ドラゴンのことにとても詳しくなっていた。だからドラゴンのことを気遣ってくれるようになって、ドラゴンのちょっとした変化にもすぐに気がつくようになった。
「あなた、なんだかとても熱いわ。熱があるのでないの?」
ドラゴンは、少女と出会うずっと前から、よく熱を出していた。
ずっと昔に熱ぼったかった時には、ドラゴンのこどものような不思議な生き物が鱗の上を旅していたが、ある日暗闇からやってきたちいさなドラゴンがぶつかってきてからどこかに行ってしまった。
よくあることだから心配しないで、と伝えるが、少女はドラゴンのことを気にかけ続けた。
すると不思議なことに、ドラゴンの熱は少しずつ治ってきたのであった。
何をしたの? とドラゴンは尋ねる。
「私はあなたのことが大好きだから、なんでもわかるのよ」
少女の言うことはよくわからなかったが、ドラゴンも少女が大好きなので、とても嬉しかった。
それから少女はさらに大きくなって、賢くなって、よりドラゴンに尽くしてくれるようにった。
昔は乾いた鱗の上を土足で歩いては汚し、濡れた鱗で水浴びしては汚し、ドラゴンの側にゴミを捨てては汚したが、すべてに謝って、すべて綺麗にしてくれた。
おかげで少し前は落ち込んでいたドラゴンの気分も戻って、ドラゴンは上機嫌だった。
――あぁ、この子こそが心に開いた穴を埋める命だったんだ。
――このままずっと、ずぅっと、この子と共にありたいな。
ドラゴンの願いは、それだけだった。
けれど、最近のドラゴンはひとつだけ気がかりだった。
少女は、よく暗闇を見上げるようになったのだ。
時々、ドラゴンの側を飛ぶこどもドラゴンとコソコソ話すことがあって、なんだかドラゴンはとても嫌な気持ちになった。
しかも、こどもドラゴンとの話が終わると、きまって少女はしょんぼりと肩を落として帰ってくる。
理由を尋ねても、
「まだわからないの」
としか言わなかった。
ドラゴンは、自分以外のドラゴンと少女が会うのはすごく悲しかったし、少女のうかない顔を見るのはもっと辛かった。
しばらくドラゴンは少女と口を聞かないことにした。
少女は、なんとかドラゴンの機嫌を取ろうと必死だったが、ドラゴンは知らんぷりを決め込んだ。
なんだかとてもよくない関係が続いたある日のこと、少女はいつもと違った様子でドラゴンに語りかけた。
「あのね、私はもうあなたとさよならをしなくてはいけないの」
ドラゴンはたまげた。
そろそろ少女と仲直りしたいと思っていた矢先の出来事だった。
どうして、どうして、とドラゴンはひさしぶりの涙を流して尋ねる。
「あなたの周りを飛んでいるこどもドラゴンはね、もっと、うんと、すっごくちいさいドラゴンが暗闇から飛んできてたとき、あなたにぶつからないように守ってくれてたの。でも」
ドラゴンは頭を殴られたかのような心地になった。
いつもドラゴンの方をマジマジと見つめてくるばかりの不思議で不気味なこどもドラゴンが、そんなに大事な仕事をしてくれていたことを、初めて知ったのだ。
「もうこどもドラゴンではどうしようもないくらい、恐ろしくて強大な怪物ドラゴンが、遠い暗黒の世界からやってくる。そうなったとき、私は、もう」
少女はしくしくと泣いた。
少女はどうして、暗闇から怪物ドラゴンがやってくることを知っているのだろう。
そんなことがどうでもよく思えてしまうくらい、ドラゴンは少女が悲しそう泣く姿が辛かった。
だから、ドラゴンは少女を許した。
――私の背中を離れて、あなたが作ったその翼で暗闇の中を飛んでいきなさい。
――うんと旅を続けたら、きっといつの日か私くらい背中の温かいドラゴンが見つかることだろう。
――そのドラゴンの背中に乗せてもらって、今度からそうやって暮らしなさい。大丈夫、あなたが私に優しくしてくれたみたいにすれば、きっと新しいドラゴンもあなたが好きになるよ。
ドラゴンは泣かなかった。濡れた鱗が増えたら、少女がとても困ると知っていたからだ。
「いつか、きっとまた会いにくるからね。あなたのことは決して忘れないから。約束よ」
少女の言葉がドラゴンにはとても嬉しくて、こんなに嬉しいのは久々で、だからさみしい気持ちを押し殺して、暗闇に翼のついた船を出す少女を見送った。
少女がいなくなってしばらくして、こどもドラゴンを突き飛ばし、怪物ドラゴンが飛んできて、遠慮なく体当たりしてきた。
それは少し痛かったが、胸の方がずっと痛かったのであまり気にならなかった。
怪物ドラゴンは体当たりの勢いでバラバラになって、ドラゴンや子供ドラゴンの鱗の一部となった。
怪物ドラゴンの魂のカケラは熱く燃えていて、おかげでドラゴンは少しだけ元気をもらえた。
けれどもそれはほんのいっときで、ドラゴンはすぐに滅入ってしまった。
少女がいなくなってから、ドラゴンはものすごい勢いで鱗が冷めていくのを感じていた。
あの熱い気持ちは、どこに行ってしまったんだろう。ドラゴンは時々気持ちを奮い立たせては、少女への想いを再び燃やした。
そうすると鱗がまた熱くなって、しかししばらくするとさびしくてまた冷めてしまって、ドラゴンはそんなことをずっと繰り返した。
暗闇の中で、たったひとり、そうやって、少女とまた会える日を、待ち続けた。
いつの頃からか、何もなくとも鱗がとても暖かくなった。
それどころか、とても熱い。熱があった頃と比にならない。じわじわと熱は増していき、ドラゴンはとても耐えられなかった。
ある日、生みの親の巨龍が近づいてきているような気がした。
まだドラゴンがちいさかった頃、どんなに叫んでも口を聞いてくれなかった巨龍は、少しずつドラゴンの側にやってきていた。
ドラゴンは嬉しかった。ずっとドラゴンや、ドラゴンの背に乗っていた少女を温めてくれていた巨龍と、ようやく話ができる。
少女のいない寂しさを、心の穴に吹く冷たい風を、きっと忘れることができる。
しかしドラゴンは、とても恐ろしいものを見てしまった。
巨龍の一番近くを飛んでいた、黒銀の鱗が美しい兄弟ドラゴンが、巨龍にぱくりと、一口で飲み込まれてしまったのだ。
それは一瞬のことだった。
ドラゴンは震えた。
きっとどんなことをしても巨龍から逃げられないと、なぜかわかったのだ。
ドラゴンは恐ろしさで鳴いた。近くを飛んでいた黄金のドラゴンは、悲しそうな目でドラゴンを見ていた。
助けて、どうか助けてとーー一度も口を聞いたことのない兄弟ドラゴンは、そう言っているようだった。
しかしドラゴンという生き物は、巨龍の力に囚われて、同じ場所しか飛ぶことができない。
きっと黄金のドラゴンもそうなのだろう。
そうこうしているうちに、黄金のドラゴンも生みの親たる巨龍に飲み込まれた。
悲痛な叫びが、ドラゴンにも届いたような気がした。
助けて。
どうか助けて。
兄弟たちの願いは暗闇に吸い込まれていく。
やがてドラゴンの元にも、狂おしい熱の塊が近づいてきた。
生みの親たる巨龍と目が合い、赤々と燃えるその瞳の奥に、ドラゴンは少女との思い出を見た。
物心ついたときからずっと寂しい気持ちで暗闇を飛んでいてドラゴンの背中に、いつのまにか現れた少女。
たくさん話をした。たくさん笑った。たくさん泣いた。
思い出の数だけドラゴンは少女が大好きになった。
少女はもういない。大人になった。
身体が大きくなって賢くなり、ドラゴンの背中の上では生きてはいけないことを知って、果てのない暗闇へと旅立っていった。
少女のいない背中は冷たい。
ドラゴンは寂しかった。
少女が現れる前よりも、今の方がずっと寂しかった。
すぐ近くで、桃色のドラゴンが、助けて、助けて、と叫んでるような気がした。
生みの親の巨龍が大口を開けた。
そのとき、ドラゴンも叫んだ。
ありったけの声で叫び、そして大いなるものの一部となった。
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