橙色の二人、群青色に一人
すが
1
東京駅から新幹線で博多へ。そこからさらに二時間ほどバスに揺られて、役場前で降りる。
姉に連絡するついでにスマートフォンで時刻を確認すると、午後三時を過ぎた頃だった。朝の六時過ぎに自宅を出たから、九時間も移動に費やしたことになる。暇つぶしに文庫本を持ってきていたけれど、一冊では足りなかった。
返事を待ちながら、玄海町役場と書かれた道路標示を見上げる。標示の背景には抜けるような夏の青空。どこからか響く風鈴の音に振り返ると、入道雲がもくもくと立ちのぼっていた。
最後に帰省したのは二十歳の頃だ。今年で二十七になるわけだから、七年ぶりの帰省になる。
七年ぶりの故郷の青空は、目にしみるほど青い。
これまで仕事を理由に帰省を避けていた春臣だったが、実家で暮らしている母と姉の「いい加減お盆くらいは帰ってきなさい」という圧に耐えきれず、とうとう新幹線に乗り込んでしまった。しかも、今年は一番仲良くしている三番目の姉が里帰り出産のために単身で帰省している。お祝いには少し早いけれど、直接会っておめでとうくらいは言いたいと思っていたところだった。
ポコンという音と共にスマートフォンが新着通知を告げる。姉からのメッセージだ。
画面には「ごめん、すぐに出られない。少し待ってて」という簡潔な連絡が表示されていた。「県道を海まで歩いてるよ。急がなくていいから」とだけ返して、春臣はスマートフォンを尻のポケットに押し込んだ。
右手に民家、左手に田んぼという県道を歩く。徐々に民家は少なくなり、やがて川が見えてきた。有浦川だ。川のせせらぎを聞きながらまた歩く。時折、木材を積んだトラックの風に煽られてよろける。それすらものどかに感じた。東京では感じられない、穏やかな時間だった。
三十分ほど歩いたところで河口にたどりついた。柵に寄りかかってのんびりと景色を眺めていると、また通知音が響く。
「いたいた、春臣!」
「あ、姉さん」
スマートフォンを見る前に、春臣を少し低めの女性の声が呼んだ。
呼ばれた方を振り返ると、道路のわきに青色の軽自動車が停まっている。運転席側の窓からは、一番上の姉であるが
反対側の歩道へ渡って後部座席に乗り込むと、秋実がこちらを振り返った。くりくりした大きな目は子どもの頃から変わらない。
「久しぶりだねえ、春ちゃん。元気だった?」
「うん。秋姉も、冬姉も元気そうで良かった」
「なぁーにが元気そうで良かった、よ! 連絡もろくによこさんで、母さんと一緒に心配してたんだからね。父さんは相変わらず仕事ばっかりだし、本当に似たもの同士だこと!」
「あはは、ごめんごめん」
相変わらず怒りっぽい冬花に謝りながらスマートフォンを見る。メッセージアプリには「着いたよ~! 冬姉からのお小言、覚悟しててね~」という秋実からのメッセージが届いていた。春臣はもう遅いよと内心で苦笑する。冬花の小言は母譲りだ。この調子なら母からの小言も覚悟していた方が良さそうだと、春臣は小さくため息をついた。
「夏姉は帰ってきてないんだ?」
「今年はね。春から大きな仕事を抱えているみたいよ。
「あはは……」
話題を逸らそうとして二番目の姉の話を振った春臣だったが失敗に終わる。仕事人の二番目がいれば、まだ小言を分散できたかもしれないのに。
三人を乗せた車は海沿いの坂道を登っていく。棚田の手前を通ったところで、小学生の頃はこの辺でよく遊んだなと春臣は目を細めた。
五分ほど車を走らせると、懐かしい実家の生け垣が見えてくる。秋になれば金木犀が香る母自慢の生け垣だ。
「変わらないなあ」
「中は結構変わってるわよ。お風呂とか去年リフォームしたばっかりだから」
「そうなんだ。楽しみだ」
車を降りたところで、春臣は秋実のお腹がだいぶ大きくなっていることに気づく。驚いた顔のまま見つめていると、秋実は照れくさそうに「来月が予定日なの」と教えてくれた。
「本当におめでとう、秋姉」
「ありがとう、春ちゃん」
春臣の心からの祝福に、秋実も心からの笑顔で返した。
二階の自室で荷物を広げていると、コンコンとノックの音がした。長い間一人暮らしをしていたため、ノックなんて久しぶりだ。懐かしく思いながら春臣が「どうぞ」と返事をすると、数冊のアルバムを抱えた秋実が自室に入ってくる。
「ねえ、春ちゃん。これ見て」
「ん? どうしたの」
床に広げられたアルバムを、春臣は秋実と共に覗き込む。
アルバムには家族の思い出写真が綴られていた。写真趣味の父が始めたものらしい。夫婦やその両親だけが写っていた写真は、ページをめくるごとに子どもの姿が増えていく。怒ったような顔をしている少女は冬花。眼鏡をかけて本を読んでいるのは夏芽。のほほんと笑っているのは秋実で、泣きべそをかいている少年が春臣だ。
「ふふ、春ちゃんの泣き虫もすっかり良くなったねえ」
「いやいや、僕もうアラサーってやつだよ、秋姉。さすがにねえ」
軽口をたたき合っていると、ふと秋実のアルバムをめくる手が止まった。開いたページには、泣きながら少女の頭を撫でている春臣少年の写真が飾られている。写真の横には「春臣十一歳、すみれちゃんを嫁にもらいそこなう」と父の字で書かれていた。
──ああ、この子は、覚えている。
春臣は少しだけ胸が痛んだような気がして、アルバムから目をそらす。
「懐かしいね。すみれちゃん、覚えてる?」
「ああ、もちろん」
「仲良しだったもんねえ」
石丸すみれは春臣の二つ年下の幼馴染だった。父親同士が親しく、春臣が保育園に入る前から仲良くしていたと思う。快活な少女で、家でゆっくり過ごすことよりも外を飛び回って遊ぶことを好んでいた。内向的な性格の春臣とは正反対の少女だったけれど、引きこもりがちの春臣にとって、すみれが見せてくれる景色は新鮮なもので、彼女に引っ張られながら外を歩くのは嫌いではなかった。それはすみれも同じだったようで、雨の降る日に春臣の家でゆっくりと過ごす時間を、彼女も気に入っていたように思う。
──すみれさん。僕の幼馴染。かわいい妹分。
「今も連絡、とってるの?」
秋実が囁くように尋ねる。
春臣はアルバムの中のすみれを見つめた。右のこめかみに傷のある、大きな目のかわいい女の子。
「いや、今は、全然だな」
──僕が、帰省を避けていた理由。
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