聖女の受難

広晴

聖女の受難


大聖堂の中は常に変わらず、光に満ち、静謐であった。


老いた大司教はまだ10代半ばである眼前の聖女に過酷な旅を課さねばならないことに忸怩たる思いを抱く。

幼いころに見いだされてから今まで、過酷な修行にも音を上げず、笑顔を絶やさない健気な良い娘だった。

美しい娘だったので貴族の下種な横やりもあったがなんとか守り抜き、曲がらず心優しい娘に育ってくれただけに、このような旅に出すことを心苦しく思う。

だが、特殊な眼を持つ聖女と呼ばれるこの娘にしか果たせない使命であるからには是非もない。


「聖女よ。勇者捜索、並びに魔王討伐の任をそなたに託す。・・・武運を祈る。」


「はい。必ずや吉報をお届けいたします。」


銀の髪は大聖堂に差し込む日の光を浴びて美しく輝き、碧い瞳は宝石よりも輝いていて、何よりその表情は聖女の名に恥じぬ凛とした清冽さを感じさせる。

大司教は聖女に近づき、優しく抱きしめる。

娘のように思う聖女とは今生の別れかもしれないと思うと、知らずこみあげてくるものがある。

聖女もまた、父と慕う大司教の温かな抱擁を受け目頭に涙が浮かぶ。


「・・・息災でな。」


「・・・はい。お義父様も・・・。」



聖女が大聖堂を出ると、馬車1台と2頭の馬、3人の聖騎士が準備を整え待っていた。


「もう良いのですか?」


女騎士が気遣うように問う。


「はい。皆さんも、これから長い旅になると思いますが、よろしくお願いいたしますね。」


義父との別れを感じさせない明るい表情。

付き合いの長い女騎士は、聖女の無理に作った表情に気付いたが、あえて触れなかった。

ここに集った3人の騎士は魔王討伐に同行する選りすぐりの騎士だ。

魔王の脅威で人心を乱さないため、少人数、隠密の危険な旅となることも知ったうえで願い出た剛の者たち。


「すでに覚悟はできています。家族との別れも済ませてきました。」


「この旅の終わりには英雄と呼ばれることになるんでしょう? 腕が鳴りますよ!」


力も技も、そして心も、全てが揃った精鋭たちの引き締まった表情を見た。

厳しい旅路になることは間違いないが、彼らと一緒ならば、きっと乗り越えられる。聖女の心には希望が満ちていた。



◆◆◆



「勇者様!その男は魔王ですっ・・・!」


道連れになった若い友人との二人旅の途中。

野営の準備中に突然馬で掛けこんできた女が、手にした杖を俺に向けながら叫ぶ。

若く美しい女だ。

銀の髪が夕日を照り返して輝いており、その表情は真剣に俺を敵と認識している。

彼女の周囲に居た3人の騎士たちもその女を中心に剣を抜いてこちらを睨んでいる。


夕暮れ時の街道には、俺たちが旅に使っている馬車と彼らが乗ってきた3頭の馬以外には大きなものは見えない。


焚火を挟んで俺の正面に座っていた連れの若い男は、女の声に反応して立ち上がったが、どうしていいか分からないようで目線を女と俺の間で行き来させている。

俺は特に反応せずに、座ったまま焚火に枯れ枝をくべる。

そんな俺に、勇者と呼ばれた彼は恐る恐る尋ねる。


「・・・ええと、あなたが魔王・・・?」


「いいや。」


「騙されないでください! その者は魔の長! 邪悪な敵です!」


女は再び叫ぶが彼は困ったような顔で動かない。

俺は少し笑いながら彼に語り掛ける。


「一応、若くて美しい女の言うことだからと、鵜吞みにしない分別はあるんだな。」


「・・・馬鹿にしてるんですか。あなたと旅を始めて4か月、ある程度の信頼は築いてきたつもりです。」


「勇者様!」


「誰だか知らないが、君は少し黙ってくれ。

・・・あなたが魔王だと彼女は言い、あなたは違うという。

僕にはどちらを信じればいいか、分からない。」


「聖女の私の言うことを信じてください!」


「聖女様の言うことが正しいに決まってるだろうが!」


「不敬だぞ!」


「黙れと言った。」


彼が冷えた目で女たちを見る。

女も周囲の騎士も、その目を見て、ぐっ、と押し黙る。

俺は両手を開きながら、


「俺から無実を証明したいが何もないんだ。

ただ、少なくともこの世界で魔王なんて呼ばれた経験はない。」


「この世界?

ひょっとしてあなたも異世界転生を?」


「俺の場合は転移だな。この世界は3つ目だ。」


「3つ目? なるほど、先輩ってわけですか。

この世界ではってことは前の世界では?」


「呼ばれたこともあるな。」


「認めましたね!」


「誰が喋っていいと言った?」


勇者と呼ばれた彼が腰の剣を抜いて聖女と名乗る女に切っ先を向ける。

騎士たちが慌てて女の周囲を取り囲む。


「ヒッ! な、なぜ私に剣を?!」


「これが最後の忠告だ。・・・少し、黙れ。」


声は低く、区切るようにはっきりと女の目を見ながら言った。

女が悲しそうに下唇を噛む。


「おっかないな。」


「自分の都合しか喋らない人間は嫌いです。

権力を背景に上から目線で喋る人間も。」


「違いない。」


俺が笑うと女と騎士たちに睨まれた。

だが、さすがに懲りたのか口は開かなかった。


「話し合いの余地はありますか?」


「もちろん。なんでも聞いてくれ。話せることは話そう。」


彼は少し考えて口を開く。


「僕は勇者なんですか?」


「知らん。勇者も魔王も、そこの女が勝手に叫んでいることだ。」


彼はちら、と女に目を向けたが、すぐにこちらに目線を戻す。

女は賢明にも口を挟まなかった。


「以前居られたところで、魔王と呼ばれたのは、何か理由があってのことですか?」


「惚れた女を助けるために、阿呆な王子ごと城を平らにした。」


「・・・なるほど。」


彼はちらりと口元に笑みを浮かべた。


「どうして彼女は、僕らを勇者と魔王と呼ぶか、分かりますか?」


「さてなあ。何かよく分からないモノが見えてるか、聞こえてるかしてるんじゃないか?」


「ふむ。不快な気分になりそうですが、彼女に話を聞いても?」


「どうぞ。」


「では失礼して。

・・・僕の質問にだけ答えろ。

余計なことを喋れば手足を1本ずつ失うと思え。」


声を掛けられた女は、青ざめながら頷いた。


「君は聖女と呼ばれているのか?」


「・・・はい。」


「誰から?」


「国中の皆からです。」


その答えに彼は少し苛立った表情を浮かべる。


「僕は呼んでないが?」


「・・・私を、知らない方は、呼んでいないでしょう。」


「では『国中の皆』ではないね。君は大げさに話をして自分に権威付けをしようとしている。」


「・・・はい。」


意地が悪いな彼も。

いや、今のわずかなやり取りだけで、女がそれだけ嫌われたというべきか。


「君はなぜ、一緒に旅をしてきた人より今日あったばかりの君の言うことの方を信じると思った?」


「お告げが、ありましたので・・・。」


「神が言うことだから、僕も信じるに違いない、と?」


「はい・・・。」


彼は呆れたように息を吐き、俺の方に目を向けて問いかける。


「どう思いますか?」


「お告げしてくる奴が神とは限らないし、神がヒトの味方とも限らないな。」


「そうですよね。」


「そんなっ・・・!」


「もう少し言うと、神の言うことを妄信して自分の頭で考えない奴は、神の操り人形と同じだ。

人並みの知性を持たない相手と、話し合いの余地はない。」


「僕もそう思います。」


「私の話を聞いてくださいっ!」


「先に問答無用で初対面の人間に剣を向けてきた者と何を話せと?」


ぐっ、とまた女が押し黙る。


「僕はさっきも言ったけど、自分の都合だけ喋る人間は嫌いだ。

君の言うことが正しかったとしても、僕は君を信頼できない。」


女が彼の言葉を聞いて泣きそうな顔になる。

何か言いたいが、何も言えないようだ。


「貴様、黙って聞いていればっ!」


まだ若い騎士の一人が我慢できずに彼に駆け寄り、剣を振りかざす。

切りかかられた彼は無造作に剣を振って向かってきた騎士の剣を折り、胴を蹴って吹き飛ばす。

騎士は5mほど地面を転がって動かなくなった。


「君らは僕の敵だ。」


「待ってください!」


「先に攻撃してきた癖に何を言う。」


彼はふらりと近づいて女騎士を蹴り飛ばし、もう一人のベテランっぽい騎士に向かって剣を振るう。

騎士は剣を受けたが力負けして尻もちをつき、顎を蹴り上げられて動かなくなった。


「お見事。」


「彼らが弱いだけです。

・・・さて、君はどうする?

手加減したからまだそいつらは生きてる。

君も含めて全員殺して埋めるべきかな?」


女は地面に伏して土下座した。


「お許しください!

こんなつもりでは・・・!」


「聖女の肩書と教会の権威があれば誰でも従うと思った?」


「なにとぞ、ご容赦を・・・。」


女は土下座のまま泣いていた。


「君は誰に、何を謝罪しているの?」


「勇者様に、ご無礼を・・・。」


「・・・やはり人形に言葉は通じないか。」


彼は剣を振り上げる。


「まあまあ待ちなよ。」


俺は彼に声を掛けて制止した。


「人形でも女で子供だ。あまり死体は見たくない。」


「魔王様はお優しくていらっしゃる。」


「勇者様は容赦がないなあ。」


俺たちは顔を見合わせて笑いあう。



◆◆◆



目の前には地面に正座して縮こまる聖女と名乗る女。

碧い瞳には涙が浮かんでおり、まるで僕らがいじめているようだ。

騎士たちは口と手足を縛って声が聞こえないくらい離れたところに転がしている。


4か月前から馬車に乗せてもらっている年かさの男が、慣れた手つきで焚火で干し肉をあぶっている。

彼は女とのコミュニケーションを諦めているようだ。

仕方なく僕が女に問いかける。


「それで君はどうして僕たちを勇者だ魔王だと呼ぶの?」


「私には分かるんです。そういう目を持っているのだと言われて育ちました。」


「分かるっていうのは、具体的にどう見えてるの?」


「勇者様はこう・・・体から虹色の光がにじみ出ている感じで・・・。

魔王からは金と黒の光というか闇というか、そういうものが出ています。」


「ここに現れたのは偶然ではないよね。」


「はい。数日前にこの先の町に宿泊した際にお告げがあって、勇者様がこの街道を通って来られると・・・。

まさか魔王と同行されているなどとは思いませんでしたが・・・。」


女はちらちらと焚火の前の彼へ視線を向けるが、彼は無視して干し肉を齧っている。


「聖女様とかいう偉そうな方が、こんな田舎を少人数で旅してるのは何故?」


「勇者様と魔王を見分けられるのは聖女の目だけです。

また、人心を脅かさないためにも、少数で内密に行動しなくてはなりませんでした。」


「・・・まあ筋は通っている、のかな?」


「あの、どうして魔王と旅を?」


「・・・その初対面の人間を平気で魔王と呼び続ける態度、気に入らないな。」


僕が苛立ちを隠さずそう言うと、彼が干し肉を齧りながら僕に声を掛ける。


「ああ、その女に名乗る気ないから、魔王のままでいいぞ。」


「それもそうですね。じゃあこの場では僕は勇者、こいつは聖女でいいでしょう。」


「こいつ・・・。」


聖女はなにやら暗い顔つきで落ち込む。

蝶よ花よと育てられて、「こいつ」なんて呼ばれたことも無かったんだろうな。

貧農の三男に転生して口減らしに奴隷として売られ、死に物狂いで生きてきた僕には分からない世界だ。


しかしどうしたものかね、この世間知らずの聖女サマは。

面倒だけど、もう少し細かく事情を聞いてみようか。



◆◆◆



聖女たる私が旅に出てはや1年、町や村を巡って治癒魔術を掛ける、貴族の巡礼の旅と偽って多くの人々をこの目で見てきました。

当てのない、ただ女神様のお告げで「いる」ことだけが分かっている「勇者」と「魔王」の探索。


『聖女よ、備えなさい。勇者と魔王の邂逅の時が近づいています。』


この女神様の、夢での一言だけを頼りに始まった私の旅は、体の負担よりも心の負担の方が大きいものでした。

ただの夢だったんじゃないか、と折れそうになる心を奮い立たせて旅を続け、ついに再び夢で女神様から勇者様の居場所を聞いた私たちが、全速力でたどり着いたその場所には2人の男性が居ました。


清らかな光を纏った勇者様のお姿に心が震え。

秘めた強大な力を思い知らされる魔王の恐ろしくも美しい光に慄いた。


お二人の放つ存在感と、希望と絶望、光と死にさらされ、礼儀を忘れた私はそんなに悪くないと思うんです。

あと女神様は、魔王も一緒だって教えてくれてもいいと思うんです。


そんな私は勇者様に本気で剣と殺気を向けられ、もうちょっとで粗相をしてしまうところでした。

そして土下座して許しを請い、よりによって魔王にとりなされて命を繋ぎました。

もう無理です。

私の心はもう折れちゃいました。


そんな私に勇者様と魔王は根掘り葉掘り細かく質問をしてきたので、答えられることはすべて答えました。

そうして私への質問を終えたお二人は、こう言いました。


「そのお告げなら魔王と敵対する必要はないね。」


「え。」


「食っちゃ寝できる環境と、魔術を好きなだけ研究できる設備とスポンサー。あと可愛い女の子。たったそれだけの供物でこの魔王はヒト種に敵対しないことを約しよう。」


「あ、あの?」


「裏はそれでいいとして、表向き何かヤバ目の奴を討伐した方がいいですよね。」


「東方の山の野良ドラゴンでいいんじゃね? そこそこ大きい奴の角とか持って帰れば勇者様に箔もつくだろう。」


「その線で行きましょう。」


「え、え、え?」


何か、恐ろしいことが、目の前で決められた、気が。



◆◆◆



今日は勇者様と聖女様の結婚の日。


1年かけて旅し勇者様を見出した聖女様と、強大な竜の魔王を討伐し、王国に安寧と竜の蓄えた富をもたらした勇者様は、旅を通じて惹かれあい、この日を迎えました。

旅の途中のお二人は仲睦まじく、かなり「やんちゃ」なところのある勇者様に教会の教えを通じて意見する聖女様の様子は、どこか年頃の娘らしさを感じさせ、微笑ましいものでした。


勇者様はその功績により、辺境伯の養子として迎えられ、国防の要を担うことになっており、聖女様との身分差も無くなりました。

反対した貴族もいたようですが、聖女の名と美貌、教会とのパイプを求める有象無象どもは皆、勇者様と聖女様の愛し合うさまを見て、時には聖賢者様がとりなし、遠慮したと聞きます。


大聖堂で大司教様によって執り行われた結婚式は、貴族たちに語り継がれるほどに荘厳で、口づけを交わした際に天から眩い光が舞い降りて大聖堂を満たし、空の雲が形を変えて巨大な円環を描くという奇跡によって祝福された様子は、まさしく神話の一頁そのものでした。


その後、王都を一回りしたお二人のパレードには王都中の人たちが詰めかけ、警備の騎士たちが抑えるのも大変だったと後日愚痴られました。


聖女様と共に旅した私たち3人の聖騎士と聖賢者様も共にパレードに加わり、誇らしい気持ちで一杯です。




あの日の私たちの出会いは、始めこそ不幸なものでしたが、私たちが意識を失った後、聖女様の誤解が解け、魔王と勘違いした方こそが勇者様の強い味方たる聖賢者様であり、共に魔王を倒す仲間となってくれました。


それから聖賢者様が魔王の居所をご存じということで、私たち6人は旅を続け、勇者様の剣技と聖賢者様の魔術、聖女様の守護と回復の御業があわさって、恐るべき竜の魔王は倒されました。


竜の魔王は本当に強くて、その爪と炎の吐息に私たち3人は幾度も死にそうになりましたが、そのたびに聖女様が「こんなところで絶対に死んではいけません!こんなところで!」と私たちを必死に、力強く励ましてくれたことを、私たちは決して忘れることは無いでしょう。

死した竜の魔王に対してすら、「お可哀そうに・・・。」と涙を零されるお姿は慈悲に溢れ、私たちの涙を誘いました。


その様子を知人の劇作家に話したところ、立派な芝居に仕立ててくれ、王都の流行の劇となりました。

勇者様と聖女様が観劇された際、ものすごく複雑そうにしている聖女様と、微笑みながら「どんな気持ち?」とからかわれる勇者様のご様子は大変仲睦まじく、剣一筋に生きてきた私も恋人が欲しいなと思わされたものです。



聖女様と、勇者様、それに聖賢者様もおられる我が王国は、永久に栄えることが約束されていることでしょう!



◆◆◆



「めでたしめでたし。」


「結婚式の演出からパレードの参加、アレな貴族をアレしたことまで、ご協力ありがとうございました、まお、じゃない聖賢者様。」


「我らの平穏な生活のためさ。」


「いろいろな罪悪感がものすごいのですが・・・。」


「まだ言ってる。」


「もういい加減、諦めなよ。共犯者兼奥さん。」



<終>

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