第十二話


 都会を流れる小川は、酷く汚れていた。昔は清く美しい水が流れ、ドジョウやシジミが獲れていたようだ。この手を流れる血も、すっかり黒ずんでしまったのだろうか、としばし両手を広げて眺めた。

 連日続く執拗なるいじめは、当人だけではなく、周りの者も汚染していく。嘲りや侮辱の言霊が耳から注がれ、体中を駆け巡る。何とか吐き出そうと筆を走らせるが、毒抜けきらず蓄積し、胃がむかむかと重たい。

 勉学など頭に入るわけもなく、今日は来るか、と案じ、来てはほっとして明日も来るか、とまた案じる。そして冬休みまであと何日、とカウントをした。

 苦痛の深刻さは彼女の表情に確と表れていた。物理的なダメージはないか、制服は破れていないか、隙あらば見回して確認する。

 もし最悪の事態が起きたら、などと憂いでは陰鬱な日々をやり過ごしていた、そんな矢先のことだった。

 大人は黒板に向かい、書き物の最中。トントン、と背中を叩かれる。

 嫌な予感しかしなかった。

 もう一度トントンと指先が当たると、そこから血の気が次第に引いて行き、体温が失われる感覚がはっきりとわかった。その内に腕をぐいっと急かされたので、視線を落とすと、白い紙切れが見えた。

 『ブス子へ』と書いてあった。

 それを渋々受け取って、隣をちらりと見やる。

『どうしよう、どうする……』

 教師とその手を交互に窺う。チョークの音がお囃子の如く鼓動を掻き立てる。災いを予兆したこの野生の勘は、地獄の始まりを示唆していたのだろう。

 何故なら瑞樹の胸中に『渡す』という選択肢は、なかったのだ。


 じわじわと近づく気配に身震いがした。手紙を隠すようにしてギュッと握り締める。

「おい」

とそいつは凄んだ。

 物々しい空気に辺りは静まり返る。

「行ったよな」

と続けると、取巻きの二人は両側を挟み込み、光を遮った。指先がプルプルと震え出す。あの子が感じていた恐怖を痛感していた。

「聞いてんだよ、答えろよ」

 片側の一人が辛抱できずに威圧した。常識が通用しない人間に、どう応じようが無駄だ。時間が過ぎるまで、奴らの気が済むまで、耐えるしかない。

 瑞樹は窮鼠の呼吸で待ち構えた。

 ただリーダーは何もしては来なかった。どう煮てやろうか、などと新たなるターゲットを吟味しているのだろう。子分もそれに従い、睨みを利かせたまま動かない。

 やがてチャイムの音が、鳴り響いた。

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