第八話
鬱陶しく降り続く雨が久し振りに止んだ今宵の満月は、深い闇に沈み切った心にとても眩しく映った。
月光浴とは馴染みのない言葉であるが、瑞樹は無心でその中に浸っていた。あまりに美しいこの世界で、あまりに醜い動物が傷つけ合い、殺し合い、血を流している。こうして弱肉強食の最中に身を置いていると、地球の青さをも忘れてしまうものだ。
それはいつか描いた林檎のようでもある。外見だけ美を纏った、蝕まれる果実。蓋を開ければ腐敗しきったこの世には絶望しかなく、去ることに未練など何も無い。
思考がその具体的な方法へと発展するものの、母親の存在に塞き止められる。現実的に実行不可能であることが悩ましい。大切に育ててくれた人であるから、恩を仇で返すことなど、許されない。
故に残された道は、引き続き屍のような人生を送ること。あいつらや悪い大人に染まること。尊敬に値する両親から産まれた最悪の失敗作として、生涯を終えるのだ。
瑞樹はその鬱屈に深いため息をつき、そっと目を閉じた。
心臓が波打つ感覚が、手摺に置かれた腕にトクントクンと伝わってくる。命を絶ちたいと、生半可な気持ちで生きている人間に、この健康な心臓は勿体無いとさえ思えた。
代わりに、自分が死ねばよかったのに。
何度も何度も神に願いを乞うていた。幼心に毎晩欠かさず手を合わせ祈っていた。善因善果の精神で、良き行いに励んだ。
その先に待っていたのは、病床に顔を埋めて号泣する母の姿だった。おそらく全員助かろうなどとは都合が良すぎたのだ。己の命と引き換えにとあらば、結果は変わっていたのかもしれない。
だが今更後悔したところで、もう遅い……
『子供のためなら何だってできる』
不意に父親の言葉が、浮かんだ。それと共に閉じ込めておいた思い出が溢れ出る。
「ふふふ、素晴らしい自信ね」
などと聞こえてくる夫婦の会話。守られているあの心地良さが蘇ったのか、表情が少し綻んだ。
お父さんはどこにいるんだろう。
死んだら、どうなるんだろう。
白月を一心に見つめた。答えをそこに求めるように。その眩さは衰えることなく、降り注ぐ。この宇宙の偉大さからしてみれば、一個人の悩み事など、至極ちっぽけなものなのだ。何が起ころうと動じないその雄大さには、不安定な人間が学べることは計り知れない。
ひとり、神秘に魅せられていると、とても贅沢な時を過ごしているような気がした。
瑞樹はそっと掌を明るみに当てる。
この光は、太陽から来る光。月は自ら輝きを放っているのではない。大元を辿れば、これは日の光。つまり太陽は、昼も夜も常に万物を照らしてくれている。
その瞬間胸に込み上げるものを感じ、涙がすっと頬を伝った。そこに父親の姿が重なったのだ。いつも温かい笑顔で、常に家族を照らしてくれたあの人を。
一滴、また一滴と止めどなく流れていく。葬式でさえ泣かなかったのに、と戸惑うも、ただ不思議と安らぎを覚え、冷え切った心がゆっくりと溶かされるようだった。
『死ぬ気になれば、何でもできる』
鬱積が洗い流された頃には、父のフレーズが異なる響きを奏でていた。それに反応し、身体が熱を上げる。怖気付いた我が身を奮い立たせるように。
僅かばかりに残された眠れる気力が、覚醒する感覚。これを燃やし尽くしてみようという気持ちにさせてくれる。どうせ死んだって、構わないのだから、と。
再び空を見上げる。
瞳の潤いは月光を受け、いつまでもキラキラと輝いていた。
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