ダンジョンに潜ってお金を稼ぎたい

お腹がぽよよん

第1話 お金で余命が買えるなら

 生き物はいつか必ず死という終わりを迎える。手を尽くしても治らない病と怪我が存在する。魔法は空想上のモノである。それは永久不変の真理であった。

 19世紀末に世界中で迷宮ダンジョンが出現するまでは―――。


※※※※※


 20××年5月28日、土曜の夜。千葉県にある某一軒家にて。


 僕は覚悟を決めた。

 対面に座る両親に向かって両の手の指先をピンと伸ばし、頭がテーブルを擦ってしまうほど深く下げて、完璧なテーブル土下座をする。


「僕は必ず、1年以内にプロ探索者シーカーになります。それまでウタに治癒ポーション併用治療を受けさせてください」


 またか、と父と母の深いため息と共に弱々しい声が漏れる。


「そう何度もお願いされても…無理なお願いだな」

「ひと月100万よ。私達にはとてもねぇ」

「そこをなんとか!お願いします。父さん、母さん!!」


 我が家の飼い猫ウタ(7歳)が先日末期癌を宣告された。

 無治療なら余命1~2ヶ月。延命治療はその治療費に応じて余命が変わると、獣医に告げられた俺と両親は一様に暗い顔となった。

 月50万の通常治療のみなら3ヶ月~半年。

 月100万の治癒ポーション併用治療なら約1年。

 白のポーション(あらゆる病と傷を癒やす万能薬)なら1本1億を飲んで全快。 


 飼い猫の命の為にいくら出せるかを俺たち親子は決断しなければならなかった。


ゆうちゃん、通常治療は受けることにしたんだから無理言っちゃだめよ。もしかしたら、抗がん剤で治るかもしれないじゃない」


 母が宥めるように言う。そう、母さんが言っていることが理にかなっているのは分かる。


 まだバイトすら禄に出来ない中三のガキが何を言っているんだとも思う。でも。


 ウン百万ウン千万は出せずとも通常治療だけは受けさせてあげたい、願わくば癌が…と多くの飼い主はそう思い実行するだろう。富裕層でもなく、共働き一般家庭の飼い主ならば、貯蓄を全て費やしてまで完治しない延命治療は受けさせられないと断腸の思いで決断し、一縷の望みが絶たれていく中途半端な結末を甘んじて迎えるしかない。


「それじゃ、ダメなんだ」


 一匹ぼっちで病院に入院して飼い主の治療方針を待つウタを思い、胃の腑がぎゅっと苦しくなる。末期癌が抗がん剤だけで治る確率は0。ウタは死ぬ。

 ウタとずっと一緒に生きていきたい。例えそれが、俺のエゴで傲慢な願いだとしてもウタがいない世界は考えられない。


 俺はバッと顔を上げて矢継ぎ早に言葉を紡ぐ。


「ウタは俺の弟も同然なんだ! 俺がしんどい時に何度も助けてもらって、まだ7歳なのにお別れなんて早すぎる。絶対、絶対に稼いでみせるから!」


夕陽ゆうひ。お前は覚醒者でもなければ身体能力だって至って普通の14歳だ。野外学習で迷宮に潜って怪我したのをもう忘れた、とは言わせないぞ!!」


 父は語気を強め、顔はほんのり紅潮して完全に怒っている。父が威圧するようにテーブル上の酒瓶を掴んで、バンッとに音を立てて置き直す。


「あなた、そんなまくし立てなくても。夕ちゃんは襲われた本人なんだから、十分すぎるほど分かってるわよ」


 迷宮ダンジョン、それは19世紀末に突如現れた遺物群であり、世界の希望と絶望の象徴。

 内部に凶悪な魔獣が多数棲息し、魔素に満ちた謎多き異空間は世界中でその姿を現し、年々増え続けている。迷宮の資源は世界を潤し、魔法の奇跡は人類の生活水準を飛躍的に上げた。

 反面、時々迷宮から地上に放たれる魔獣の被害は毒牙のように我々を蝕み続ける。けれども人類は、迷宮の富とその魅力にどっぷり浸り尽くして、もはや迷宮無しでは生活が成り立たくなった。


 迷宮は日常の一つとまでになり、今や義務教育で迷宮と魔物の学問通称"D科"をカリキュラムに組み込む程であった。

 俺はそのD科の野外学習時にゴブリンから攻撃を受け、右腕の骨を折る怪我を負わされた。表向きはそういうことになっている。本当はゴブリンにやられた訳ではないのだけれど。


「ちゃんと安全マージンをとって潜るよ。そもそもゴブリンがいる迷宮にはライセンス取れるまで基本潜れないし」


 迷宮はS~Fの等級に分けられる。俺が潜ったゴブリンのいる迷宮はE級、下か二番目に当たる。一番下のF級迷宮は一般人でも潜れ、情報を調べて武装し、スマートフォンのバッテリー切れさえ気をつけていれば命を落とす場所ではない。


「潜れても魔獣を倒せなきゃ、な。だが倒す以前に夕は年齢制限に引っかかるだろう。俺は行かないぞ」


 父がここぞとばかりにそう返して、俺を見やる。すごく、痛いところを突かれた。


上水流かみずるが一緒に潜ってくれるって」


「まぁ! 友達だからってプロ探索者の足引っ張っちゃダメよ。上水流くんだって忙しいでしょう」

 

 母が素っ頓狂な声を出して、困惑の表情を浮べる。


「大丈夫だよ。お詫びに勉強教えることになってるから」


「なるほど。ダンジョンに潜ること自体は克服したみたいだが、上水流くんでさえ文武両道が出来てないんだ。夕陽だって難しいんじゃないか?」


「そうよ。それに夕ちゃんが怪我しないとも限らないわ」


「勉強もちゃんとやるよ。うんと上の進学は考えてないし、場合によっては探索者育成高校への進む事も考えてる」


 母と父が絶句する。


 探索者は今でこそ中高生の人気No.1の職業だが、数十年前まではその死亡率の高さと迷宮がもたらす厄災から忌み嫌われる職であった。体力勝負で引退が早いこともさらに拍車をかけていた。


「ウタはオレたちの家族でもちろん愛しているが、延命治療のために貯蓄を全額投資することは出来ない。オレか母さん、夕陽がいつ病気や怪我をするかも分からない。ウタにも夕陽にも申し訳ないが、今度ばかりは飲めないぞ。探索者もまともにF級に潜れるようになってから言ってくれ」


 父の眼光が鋭くなり、話はコレで終わりだとばかりに言い放って席を立った。

 母も肩をすくめて、父に同意する。


「夕ちゃんごめんね。父さんの言うとおりだわ。でもね、進学は考え直してほしい。母さん探索者になること自体は反対じゃないけど、ずっと続けていける職でもないと思うの」


※※※※※


「くそおおおおお」


 悔しさをそのままにベットにダイブする。深く沈む込む布団の温もりに、何だか泣きたくなってくる。


 僕は猫一匹さえ救えない、全くの無力であった。


どうしよう。交渉は完全に決裂した。


 両親の言葉は至極真っ当で、常識的で、治らないと分かっていて延命の為に毎月100万も出せないのは十二分に理解できる。


 でも、これでウタの余命は3ヶ月~半年になってしまう。


 そう思うと、身を切り裂かれるような悲しみが押し寄せてくる。


 ならばもう、自分で稼ぐしかないだろう。


 3ヶ月~半年以内にまずは月百万を。

 母さんは探索者になることは反対しないと言ってくれた。

 目尻に溜まった水滴を拭う。


 お金で余命が買えるならば、僕は買う。


「僕はなる。月百万稼ぐ探索者に。そしてゆくゆくは、白のポーションを買うまでになってみせる。待っててウタ! 必ず探索者シーカーデビューして救ってみせるから」


 すぐさまパソコンを開き、日本探索者協会ホームページの探索者ライセンス発行の条件を再確認する。


 探索者ライセンスを申請するにはザックリ以下の要件をクリアしなければならなかった。


・日本在住で満15歳以上で犯罪歴無し

・ステータスがレベル3以上

・F級迷宮ボス討伐経験

・F級迷宮探索5回以上経験

・脱出系カードもしくはE級以上のモンスターカード一枚を有する事

・現金10万円


「まずはF級のボス討伐からだ。とにかく、レベルを上げなくては」


 こうして俺は探索者ライセンスを申請するため動き出した。

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