魔法学園編

第28話 主人公(モブ)

 兄と再会を果たしたミコト・サクライが最初にやったことは原作の詳しい内容が書かれたノートを手持ちの鞄の奥底へとしまうことでした。兄の行動はあまりにも原作からかけ離れすぎていて参考にならず、それどころか余計な先入観を持ってしまいそうだったからです。

 アンジェリーク・フォン・ザクセンと皇子が婚約していない辺り原作とはかけ離れた動きをしているのは間違いありません。というか、騎士団に入る辺りが全く意味分かりません。兄らしいなとは思いましたが、よく許されたなとも思いました。


「許されたと言うよりも諦めたといった方が正しいよ」


 そんなたかしの言葉にザクセン公爵の胃の無事をそっと祈りました。ついでにたかしから色々話を聞き、自身の知っている兄そのままの性格じゃないなと気が付きました。アンジェリークとして十三年生きた事が影響しているのでしょう。兄は剣術家として人体構造をよく知っておきたいという理由で医学部へ行った狂人でしたが、頭のわりにそこまで口の回る男ではありませんでした。殺人はともかく修行と言い張って山に行ったのは兄らしいですが、口八丁でゴリ押すのは兄とは思えません。

 そんなこんなで今後の見通しが全く立たなくなったミコトは、暫く悩んだ後になるようになると思考をぶん投げて学園生活を夢想し現実逃避しました。自身がハマっていた乙女ゲームの学園へと実際に、しかもメインヒロインとして行けるというのは乙女ゲーを愛する者として至上の幸せでしょう。まだ見ぬ攻略対象達、攻略対象最推しであったルーファス皇子が少々不安ですが、流石に皇族の人格に大きく影響を与えるようなことなどは無理でしょう。

 ミコト・サクライとしての生まれ故郷であり、魔法学園のある魔法都市ルッセンドルフへ向かう馬車の中で揺られながら妄想は深みへとハマっていきました。


 ミコトは学園内部や貴族の派閥に探りを入れたり、たかしから色々魔法を習ったり、アンジェリークの手紙を読みザクセン領内での活動の計画を立てたりして日々を過ごし、魔法学園入園日を迎えました。

 現代日本っぽい制服に着替え、早い時間に学園へと向かい、ゆっくりと中を見て歩きます。ゲームで見た映像をそのまま実写化した風景にミコトは感動しながら歩き回りました。暫くすると他の新入生達が集まりだし、辺りが賑わい始めます。そのタイミングでミコトは学園の中央にある中庭へと向かいます。

 ゲームは入園日の中庭から始まります。もはや色々メチャクチャで、ゲーム通りに進むとは微塵も思っていませんが、それでもなんとなくゲームに合わせてみました。

 丁寧に整備された中庭を散策するように歩いていると、背後から黄色い悲鳴が響きました。ミコトの脳内に一つのスチルが思い浮かびました。

 黄色い悲鳴を上げる貴族の女子達を鬱陶しげに見る、細身でやや幼さの残る美青年、聖カロリング帝国第一皇子、ルーファス・カロリング。多感な時期に貴族達の腐敗を目の当たりにしてきた彼はやや捻くれた性格に成長していました。彼は主人公との交流で本来の素直で真面目な性格を取り戻し、最後には強いカリスマを持つ皇帝へと成長します。高ステータスの代償に女を見る目が腐ったとネットで評価された皇子ですが、正に主役という役柄である彼はアンジェリークに続く推しでした。

 確か、振り返ってその皇子を見るんだよね、とミコトは期待を込めつつ振り返りました。


「……誰?」


 ミコトは愕然と呟きました。

 視線の先、当然そこには黄色い悲鳴を浴びる主がいます。それは大柄で、制服が破れるんじゃないかと不安になるほど分厚い筋肉を身につけ、シューティングゲームのオプションみてーな笑顔でポージングをキメていました。聖カロリング帝国第一皇子、ルーファス・カロリングです。

 多感な時期にアンジェリークと遭遇してしまった皇子は、当然アンジェリークから多大な影響を受けました。スラムを実体験させられた事で明確な将来の目標を明確にし、警邏についていくことで腐敗を自ら動いて正すということを覚えました。ゲームでは自信と実力不足ゆえに何もできず、無力感から拗ねるように捻くれましたが、現世ではアンジェリークのアドバイスの元、バランスの良い食事と鍛錬と休息を取り入れた結果、急速に成長し、実践を積むことで自信もついたため真っ直ぐなまま成長しました。成長期も相まってゲームとは比べものにならないほど大きくなった体格は副団長に匹敵するほどで、鍛錬と経験を積めば副団長に届くことでしょう。

 幼さなど一片たりとも残っておらず、丸太が如き手足と辞書でも並べたような分厚い胸板を見せびらかし、離れていても匂ってきそうな男臭を振りまいている皇子にミコトは気を失いそうになりました。

 分かっていたけど、原作修正力などこの世には存在しない。その事実をまざまざと見せつけられました。

 ミコトが事実を受け入れようと深呼吸をしていると、ポージングをキメている皇子の腰に回し蹴りが入りました。とても鈍い音が辺りに響いたあたり、かなりの威力だったでしょう。


「往来の邪魔です」


 周囲がしんと静まりかえる中でアンジェリークが言いました。アンジェリークは制服を着てはいましたが、何故か当たり前のように腰に太刀を差していました。


「おっとすまん」


 皇子は特に気にした様子もなく、横に逸れました。静まりかえった周囲が騒然とし始めます。近くにいたのは下級貴族ばかりだったのでアレは誰だと問う声が最も多いです。ザクセン公爵家と直接交流のあったお家の御令嬢、マリアンネ・フォン・アウセムは脂汗を流しながら沈黙していましたが。


「全く、無駄に筋肉を肥大させてからに」

「お前のアドバイス通りにした結果なんだが? そもそも、鍛えられた肉体が好みじゃないのか?」

「そんな肥え太らせた筋肉ではなく、戦闘用に鍛えられた筋肉が好きなんです」

「細かいな」

「当たり前でしょう。好みなんですから」


 周囲の反応など気にすることなく二人は会話を続けます。そのアンジェリークが男も行けるという会話の内容にミコトは多大なショックを受けました。性格が変わっている以上、その可能性もあることは理解していましたが、前世はBL本の表紙で嫌な顔をするぐらいだった兄が嫌悪感なく受け入れているのです。兄が兄ではないという現実を直に見せつけられたのが衝撃的でした。


「邪魔だよ!」


 アンジェリーク達とは違う場所から大声が響きました。その声と、尻餅をついた少年と偉そうに立つ少年という構図にミコトの記憶が刺激されます。

 ゲームで皇子を目撃した次のイベント、中級貴族である偉そうな少年に主人公が立ち向かうイベントです。皇子に引き続きオープニングイベントなのでプレイヤーとしては特に何もすることはありませんが、ここでの出来事が攻略キャラが主人公に興味を持つ切っ掛けとなる重要なイベントなのです。


「お前のような貧乏貴族が僕にぶつかってくるなんて生意気だな!」

「こらそこ! 何をやっているのですか!」


 絵に描いたような難癖をつける少年を見て原作通りに動くべきか悩んでいたらアンジェリークが首を突っ込んできました。正直、厄介ごとと言えば厄介ごとの原作ルートが即座に潰れた事に怒るべきか安心すべきかミコトは迷いました。


「ハットリ」

「呼んで参ります」


 皇子が呼ぶとどこからともなく現れたハットリ君が一言述べてスッと消えました。それを目撃していたミコトは目を丸くしています。ハットリ君は攻略キャラの一人なのですが、ゲームでは学園にいるころは扱いが悪かったはずだったからです。

 アンジェリークの件が皇帝にバレて以後、ハットリ君達の待遇は改善されました。皇子がおかしくなったのはハットリ家が皇帝に意見を述べられない制度が理由であったため、ブチ切れた皇帝が勢いで修正したからです。その制度の発端がハットリ家にあったため反対意見は出ましたが、生まれる前の話なんざ知るかとブチ切れた皇帝に逆らえるはずもなく制度以前の状態へと戻されました。

 そのついでに皇子に護衛としてハットリ君がついていたことが明かされました。お忍びもずっと見られていたにも関わらず反発することなく皇子はハットリ君を受け入れ、呼び出しては訓練に誘ったり一緒に食事をしたりとハットリ君を戸惑わせる行動をとっていました。

 ハットリ君が消えたとほぼ同時にアンジェリークは二人の間に割って入ります。


「とりあえず双方離れなさい」

「なんだお前は! 僕が誰なのか分かっているのか!? シュトローマー辺境泊長男、リヒャルト・フォン・シュトローマーだぞ! そこの大男! その女を退けろ!」


 ビシッと指を差して堂々と言ってのけたリヒャルトにアンジェリークは目をぱちくりさせ、皇子も驚いたように目を見開きました。

 リヒャルトが相手の身分も確かめもせずそんなことを言ったのにはもちろん理由があります。彼の実家が辺境泊、つまりは国境沿いの田舎で育ったため皇子の顔もアンジェリークの顔も知らなかったのもありますが、主な理由は二人が制服を着ていることに由来します。そもそもこの学園、制服というのは存在するのですが、日本と違って着る義務は存在しません。実際、この場で着ているのは尻餅をついている少年と、アンジェリークと皇子とミコトだけです。他は入園式に向けたドレス等の礼服を着込んでいるのです。この学園で制服というのはふさわしい礼服を持ち合わせていない、魔力を見込まれて入園してくる平民や自分の礼服を持っていない貧乏男爵の三男坊等に貸し出すためのものという認識です。皇子がピチピチにしているように全員に配られる物ではありますが、着ている服で身分を把握する文化があるため平民と同じ服装というのが好まれない理由です。

 ちなみに、ミコトが着ているのはゲームでは着てたしと言う理由であり、皇子はアンジェリークに相談したら制服を着ると言ったからで、そのアンジェリークは服を選ぶのが面倒くせぇという社会人臭い理由で制服を着ていました。

 周囲の貴族達はヒソヒソとリヒャルトを嗤い始めます。この嗤いに皇子を知らないことへの嗤いは殆どありません。ここにいる貴族の半数以上もつい先ほどまで皇子のことを知らなかったため自分に返ってくるからです。主な理由は権力を笠に着てつけ上がるのは恥だというのがここ数年で広まり始めた流行だからです。

 流行に乗れない辺境泊の息子は自分が笑われている事実が理解出来ずキョドりはじめました。舐められないように自身を大きく見せる、ある意味ヤクザ商売なところもある貴族では重要視されてきた部分なので家での教育通りの行いをしているのです。

 彼の不幸は事前にしっかりと情報収集をしなかったことでしょう。情報収集をしていてもアンジェリークとの遭遇は防げなかったかもしれませんが。

 アンジェリークは自身に向けられた腕を掴むと飛びつき腕ひしぎ逆十字をキメてそのままへし折りました。


「ぎぁああああ!!!!」


 リヒャルトは絹を裂くような悲鳴を上げました。肘が逆に曲がっているリヒャルトを見た暴力慣れしていない令嬢が悲鳴を上げ、数人が気を失って倒れました。阿鼻叫喚の地獄絵図と唐突に作り出したアンジェリークに、皇子が近付いて問いかけます。


「何故いきなり折った?」

「こいつ面倒くせえなって思いまして」


 リヒャルトは実に雑な理由で腕を折られていました。そのリヒャルトは悲鳴を上げた後に蹲って痛みに耐えるように動かなくなりました。


「お前は大丈夫か?」

「え、あ、あ……」


 尻餅をついている少年は事態について行けず呆然としています。


「とりあえず喧嘩両成敗ということで彼の腕も折った方がいいですかね?」

「状況的に喧嘩というよりも彼が一方的に難癖つけられてた感じだぞ?」

「やっぱり厳しいですか」


 悔しそうなアンジェリークの表情に少年の顔が真っ青になります。


「なんでそんなに折りたがるんだよ」

「彼、脆くて折ったって感じがしないんですよ。なんか物足りなくて」

「そいつも見た感じ似たり寄ったりだろうに」


 騎士団では強化された治癒士が治癒術の練習目的で配備されまくっていたため、訓練では骨折するぐらい激しくやるのが当たり前になっていました。なのでアンジェリークはしょっちゅう他人の骨をへし折っていたのです。

 狂気の会話に少年が恐怖で震え始めました。


「クォラァそこのバカ二人!!」


 そこに修道服を着た女性が怒鳴り込んできました。言うまでもなくローザです。何年もバカ二人に振り回されたローザは面と向かってバカと言えるほどに遠慮がなくなりました。

 背後にハットリ君を引き連れたローザが二人に詰め寄ります。


「入園式の日ぐらい大人しくできないんですか!?」

「喧嘩を止めようとしただけです」

「止めようとして腕を折るバカがいるかバカ!」


 アンジェリークの脳天にローザの拳が振り下ろされました。


「皇子も止めなさい! 見ているだけとか無能か!」

「ちゃんとハットリにローザを呼びに行くように指示を出したぞ」

「私の出番がこないようにしろって言ってんの!」


 皇子の脇腹にローザのフックが突き刺さりました。それを見ていた多くの者が顔を青くし、同じく見ていたミコトも青くしていました。当然でしょう、帝国の皇子に対するとんでもない暴挙ですから。しかし、護衛であるはずのハットリ君は特に何も行動を起こしません。

 ミコトは後に知ることになりますが、ローザの暴挙は皇帝直々に許されているからです。皇子を真っ正面から叱りつけられる相手は貴重だからむしろ優先して守るようにとハットリ君やハンゾウ家に命令されてもいます。その件は一切ローザに聞かされていませんが。


「あの、ローザ殿、先に怪我を治した方がよろしいのでは?」

「もう治してますよ」


 リヒャルトを見れば逆を向いていた肘が治っており、ハットリ君は驚愕に呻きました。触れた様子どころか見てすらいないのに治癒させる治癒士など聞いたことがなかったからです。アンジェリークの遠距離で魔法を発動させる難解な技術をローザが会得したのだとすぐに気が付きました。帝都の治癒士達もようやくローザに追いついてきたと思っていたのですが、そのローザは当たり前のように何歩も先を歩いています。通常、後追いが追いつくものなのですが、後追いよりも早く進んでいるようにしかハットリ君には思えませんでした。

 御令嬢と皇子もヤバイですが一番ヤバイのはこの修道女だなと、治療時の激痛で気絶したらしい愚か者を医務室に連れて行くように部下に指示を出しながら、ハットリ君は理解しました。


「だから来たくなかったんですよ学園なんか!」


 地団駄を踏みそうな勢いでローザが騒ぎます。しかし、ハットリ君は見ています。アンジェリークが学園に行くと決まったときはお別れかと寂しそうにし、ローザも一緒に行くことが決定した時は嬉しそうにしていたのを。


「あっ!」


 何かに気付いたアンジェリークが手を大きく振りました。

 アンジェリークの視線の先はミコトではありません。ほぼ真逆の方向、男装した背の高い、どことなくアンジェリークに似た女性に向けられていました。普段は凜々しいんだろうなという顔からは生気が抜け落ち、涙目で何かを否定するようにふるふると振られています。


「お姉様! お久しぶりです!」


 その声にアンジェリークに似た女性、ザクセン家長女、アレクサンドラ・フォン・ザクセンは現実を認識することを拒絶するように意識を放棄しました。

 ミコトは目の前の地獄を見ながら決意しました。帰ったらクソの役にも立ちそうにない原作ノートは燃やそうと。

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