第19話 これは同意、同意の上ですから



 騎士団本部の隅の居室、アンジェリークとローザの部屋からカリカリとペンをひっかく音が響きます。



 先日、倉庫で暴れたのが原因か、二人とも休暇を取らされていました。唐突の休日なのでローザは勉学に励むことにしたのです。警邏で街は見て回っているので正直飽きたというのもありますが。



 朝、ローザが今日は勉強をするつもりだと言うとアンジェリークはじゃあ付き合うと同じように部屋で勉強を始めました。ローザは人体について書かれた本を自分なりに纏め、アンジェリークは魔導書を読んでいました。



 教会で暮らしていたころとは比べものにならない集中力でローザは筆を進めます。周囲に人はおらず、掃除や料理なども気にすることなく、仕事にも追われることない環境がこうまで快適なものなのかとローザは感動していました。



「休憩にしましょう」



 背後からかけられた声でローザは顔を起こします。漂ってくる濃い香りの方へと振り返ると中央に置かれたテーブルにカップと御菓子が用意されていました。その側にはアンジェリークと、当然の如くクララがいました。



 急に軽い空腹と疲労感を覚え始めました。快適すぎて集中しすぎてしまうローザはいつもアンジェリークに適度なタイミングで休憩を挟まれるのです。そしてその時には毎回クララが休憩の準備を整えています。



「いつもありがとうございます」



「こちらこそありがとうございます」



 休憩恒例となっている感謝合戦を終えてローザは席につきました。アンジェリークの側付きとして並々ならぬプライドがあるクララは側付きらしい仕事ができる事に大変喜びを感じているのです。



 本日のお茶請けはシンプルなクッキーです。休憩の時に出てくるお茶請けは全て簡単なものです。あまり高級そうだとローザが気負うとクララが気を遣っているのです。主人がいて己がお茶を出すのであれば相手は客人、相手が平民でも気遣うのは当然です。



 そしてカップに注がれたのは珈琲です。帝国では珈琲は男の飲み物とされています。ゆえにローザは最初に珈琲を出されたときは目を剝くほどに驚きました。男物か女物か、平民でも気にするのに貴族、しかも頭がおかしいとはいえ公爵令嬢がお茶会で出すなんて正に驚天動地の思いでした。それを見たアンジェリークはしてやったりという笑みを浮かべ、美味しそうに珈琲を飲みました。絶句するローザに「お嬢様は幼い頃から完璧で破天荒でした」とクララが言いました。



 ローザはいつも通りに珈琲と牛乳を二対一で割り、スプーン二杯の砂糖を入れます。スプーンで混ぜるローザの前でアンジェリークが何も入れないブラックを飲んでいます。



「毎回思いますけど、よく飲めますね」



 ローザも最初はブラックで一口飲みましたが、予想よりも強い酸味と苦みにすぐに牛乳と砂糖を多めに足しました。アンジェリークの飲んでいるのはその時の物よりも濃くて苦みが強いものだと聞き、それにも驚きました。



「濃い珈琲に甘さ控えめのクッキーが良く合うんですよ」



 そう言ってアンジェリークはクッキーを口に放り込みました。その行儀の悪さはローザに気を遣わせないためでしょう。



「クララも座って一緒に飲みましょう」



「はい。ご一緒させて頂きます」



 アンジェリークに促されクララは席に座りました。本来、側付きのメイドが主人と座るなどあり得ませんが、アンジェリークに対しては別です。なぜならば、アンジェリークには気に入った相手にとりあえずプレゼントを配るという悪癖があるからです。そのプレゼントには一緒に茶会をするというのが含まれているため物的なプレゼントを増やされないためにも一緒にお茶を飲む必要があるのです。



 促されたとはいえ座って普通に飲むクララに最初はローザも驚きましたが、後で訳を聞かされて納得しました。なんせ、ローザ自身大量の服をプレゼントされそうになった経験があったからです。



 クララが座ったところでさあ開始とばかりにアンジェリークが喋り始めます。完璧な令嬢と言われていたアンジェリークの会話術は凄まじいものがあり、とにかく一緒に居る相手を楽しませるのが上手いです。話題が尋常じゃないほど豊富でその上で相手との会話や聞き方聞く姿勢、視線やお茶を飲むタイミングなどを分析し、どういう話が好みなのか読み取って話を広げているのです。



 ローザは祓魔師という職に就いているせいもあってか、会話に共感よりも起承転結を求める男に多い思考をしています。なので同じ教会のシスターともあまり話が合わなかったことが多いのですが、アンジェリークは起承転結をきっちりして話をしてくれるので非常に楽しく、自分の事を理解してくれているなと嬉しく思うのです。



 昔から周囲と話が合わず孤独に感じていた上に若くして祓魔師となったため余計に浮くようになったローザにとって、アンジェリークは無二の理解者となっていました。



「そういえばローザ、さっきまで勉強してた本って役に立つの?」



「…………いえ、あまり」



 思い出したように聞いてきたアンジェリークにローザは躊躇いつつも答えました。



「ですよねぇ……ちらっと見ましたけど、解剖図が不正確でしたよね」



「はい……遺体でも人の体を開くのはよろしくないとされてますからね」



 遺体でも弄るのは禁忌であると以前言ったのですが、アンジェリークからはそれがどこで明言されているのかと問われ答えられず、調べても明確にダメだと記している物がなかったためよろしくないという表現にしているのです。ちなみにですが、アンジェリークは教典から法律まで調べて明記されていないことを確認しています。



「ハッキリ言ってローザは帝国最高の治癒士ですから学ぶことが少ないんですよね」



「そんなことは……」



「ありますよ。教会から持ってきた教材に学ぶことがないっていうのはそういうことでしょう?」



 それを言われるとローザは何も言い返せません。祓魔師であるローザは基本的に教会の術式を全て学べる立場にあります。実際、持ってきた教材も解剖図なんて物が載っている教会の秘とも呼べる本なのです。本来持ち出すことなどできない物ですが、ローザの治癒術の成長が著しいのと同居人がアンジェリーク・フォン・ザクセンという魔法の天才であり、外聞的には信用における人物であったため特別に許可されたのです。



 それすら役に立たない、となるとローザの治癒術は帝国でも屈指なのでしょう。ローザとしてはそんな恐ろしい立場に立たされたくないので謙遜するしかありませんが。



「逆に言えば、治癒術という分野はその程度で頂点とされているぐらいに未発達な技術なんですよね」



「……なるほど」



 少々イレギュラーとはいえ、二十歳にもなっていないローザが頂点に達するのですから未発達は過言ではないでしょう。



「正直、行き詰まりを感じていまして……」



 困ったように呟くローザにアンジェリークは無条件で支援をしたくなりましたがなんとか押し留まりました。前世の知識をもってすれば怪我の治療だけではなく各内臓器官の構造や役割、遺伝子からDNA、細胞小器官やウイルス細菌の事まで教えられますが、なんでそんなことを知っているんだよとなるので教えられません。



 さてどうしようと考え込んでいると、ふとアンジェリークに素晴らしいアイデアが降ってきました。



「では、魔法的なアプローチでも考えてみましょうか」



「魔法的なアプローチですか?」



「治癒術も魔力を利用しているのは変わらないのですから魔力を操る力を伸ばせば伸びるかもしれません。私のお兄様か副団長辺りに聞けといわれませんでしたか?」



 ローザが目を見開いてアンジェリークを見つめています。



「コレでも貴族ですからお兄様が何を考えるかぐらいは想像ができますよ。せっかくだからローザも一緒に教えてあげます。午後から会いに行きましょう」






「お久しぶりですお兄様!」



 渋い顔を向けるパトリックにアンジェリークは笑顔で駆け寄ります。その後ろをローザが付いてきています。



「思いつきで今日来るなんていうんじゃないよ。こっちにだって準備があるんだから」



「大丈夫。いつでも相談できるようにお兄様のお仕事は把握していますから」



 つまりは突然午後行っても大丈夫であると分かってるから行ったのです。用意周到すぎる妹に兄は頭を抱え、ローザはそっと祈りました。



「ところでお兄様、態々ローザを使わなくても私に直接聞けばよろしかったのでは?」



「魔法戦闘団副団長が直接騎士団の団員を呼び出したら目立つからに決まってるでしょう」



 アンジェリークが騎士団に所属しているというのは機密事項です。今回は態々騎士団ではなく帝都に来たアンジェリークがパトリックに会いに来たという体になっています。



「で、お前が見せたい物だけど、態々こんなところを使う必要があるのかい?」



 今居る場所は魔法戦闘団の訓練場の一つです。魔法の練習に使う的が百メートルほど先に並んでおり、アンジェリーク達は射場にいます。的は木の棒に板を括り付け、その真ん中に赤丸が書かれた簡易なものです。



「もちろん、実際に見せた方が効果が分かりやすいですからね」



「精密な魔法操作が?」



「正確には体内魔力の操作ですね。まずはお兄様、的に向かってアイスニードルを撃ってもらえますか?」



 パトリックは頷くと、十発ほどの氷柱を出現させて的に向かって放ちました。放たれた氷柱はやや山なりに跳び、的の近くへと突き立ちました。おぉ、とローザが歓声を上げました。ローザは治癒士として魔法戦闘団の付き添いしたことがあるためなんどか魔法を見ているのですが、パトリックの魔法は今まで見た中で最も纏まって精確でした。



「では、次は私が」



 アンジェリークは人差し指で的を指しました。続いてパァンという軽い大きな音が響いたかと思うと的がはじけ飛んでおり、奥の雑木林の木に大きな傷ができ、周囲に氷が散らばっています。



 見ていたパトリックとローザは絶句しています。普通の魔法よりも威力が高いとかそういうレベルじゃないです。



「今のが魔力操作を上手く使った魔法です」



「待て待て待て待て!」



 パトリックがアンジェリークに詰め寄ります。



「何をどうしたらあんな風になるんだ! 前に言ってた古代文明の魔法じゃないのか!?」



「違いますよ。お兄様はアイスニードルを撃つ時は氷柱の後ろを叩くようなイメージですよね? そう習いますから」



 アイスニードルというのは目標に氷柱を打ち出す魔法を言います。これは主に氷柱を作る魔法とそれを飛ばす魔法の二つの魔法の組み合わせで成り立ちます。そして飛ばす魔法というのはゴルフのように、魔力で目標を叩いて目的の方向へと飛ばすのです。コレは古い魔法使いがどうすればより遠くに飛ばせるのかを研究した結果でしょう。



「私は氷柱の後ろを爆発させるように押し出しています。そうすることで今の私なら数メートル先まで氷柱を加速させることができるんですよ。それと、氷柱を倒れず回る独楽のように回す事で弾道を安定させることができるんです」



 アンジェリークの飛ばす魔法のイメージは銃です。幸い、前世は武芸百般ということで銃のことも詳しく調べていたのでイメージするのは簡単でした。



「私が思いつきで作ったので当然ですが、この魔法には問題点が多いです。まず、魔力操作がある程度こなせないと使えません」



「……そうだろうね。僕には無理だ」



 魔法戦闘団副団長という肩書きは伊達ではなく、何が必要になるか即座に見抜きました。氷柱を叩くのではなく、氷柱を魔力の爆発で押しながら氷柱を回すのです。氷柱を作る魔法、魔力を爆発させる魔法、氷柱を回す魔法、さらに爆発に方向性を与える魔法と主となる魔法で通常の倍必要になるのです。その上で数メートル先まで魔力を伸ばす必要があります。ただ氷柱の後ろを叩くよりも遙かに繊細な魔法です。



「他にも魔力消費が激しいです。お兄様が使ったアイスニードルの三倍ほど消費します」



 氷柱一つではなく十本同時に放った魔法の三倍です。つまり単純に考えて氷柱三十本分の魔力を使うのです。



「あれだけの威力が出れば当然だね」



「あと威力が高すぎます。人なら掠った……いえ近くを通り抜けただけで死にます。胴体に当たったら元が何か分からなくなります」



 初速としては拳銃弾……世界で最も使われている9x19mmパラベラム弾とほぼ同じぐらいですが弾頭となる氷柱は大きさも重量も桁違いです。大きさだけなら57ミリ砲弾くらい、前世の対空砲や艦砲ですのでどう考えても人に向けて撃つ物じゃありません。



「あの……威力が高すぎるんなら威力を下げれば宜しいのではないでしょうか?」



「そう思うでしょうけど実は今の状態が一番効率的なんですよね。氷柱を小さくすると魔力操作がさらに難しく魔力の消費が増えますし、初速を遅くするんならお兄様が使ったアイスニードル使った方が遙かに省エネですし」



 魔力を操作する、という行為だけで魔力を消費するのです。繊細になればなるほどより多く消費することになります。



 説明を聞き終わったパトリックは顎に手を当てて考え込こみます。魔力操作そのものよりもアンジェリークの発想に舌を巻きました。魔法戦闘団で使われている攻撃魔法というのは長年使われ続けてきた実績のある魔法です。軍隊ですので信頼性に重きを置くのは当然ですが、成長が精々一度に飛ばす魔法の数が増えたぐらいでした。



 アンジェリークが見せたのはあまりにも過激な変革です。現代の魔法というものを根本的に変えてしまうものであり、下手に真似をすれば一歩も進まないどころか後退しかねない危険性を孕みます。しかし、それでも試したくなるほどにアンジェリークの見せた可能性は魅力的でした。



 アンジェリークは悩むパトリックから視線をはずし、ローザの方を見やります。



「魔力操作はおそらく治癒魔法でも効果を発揮しますよ」



「……例えば、どのような?」



「私は使えるわけじゃありませんので確実とは言えませんが、例えば初めて私と会った時にしてくれた人の体に魔力を通す魔法、あれで病気の早期発見だとかできそうです。見る物を対象を魔力から人体へと変えて、魔力操作を利用して詳しく調べるとかできそうじゃないですか?」



「……試してみないと分かりません。どうやって魔力操作は鍛えればいいんですか?」



 ローザが問うと、パトリックもハッとしたように顔を上げました。試すにせよそうでないにせよ鍛えておいて損はないのです。



「そうですねぇ……いくつか思いつきますけど、こんな感じに炎の温度を上げるだとか」



 アンジェリークが指先に魔法で火を付け、その炎の色を赤から白へと変化させました。それに伴い炎の勢いも増しているように見えます。



「これで大体鉄が溶けるぐらいの温度ですかね。ちゃんと魔力を制御しないと温度が上がりませんし、自分自身が火傷します」



 アンジェリークは炎を消すと、今度は掌にデフォルメされた猫の氷の彫刻を生み出しました。



「これも魔力操作が上手くないとできません。あと、魔力操作の距離を伸ばすならこんな感じに」



 アンジェリークの目の前に一センチ角の小さな土のブロックがぴったり一列に生まれていきます。十メートルほど進んだところでブロックが少しズレました。



「いかに早く正確に並べられるか、私はあの距離が限界ですね。この訓練はお兄様は当然ある程度はできるでしょうし、ローザも魔力が操れるのですからできるはずですよ」



 治癒魔法もほかの魔法も魔力を消費することは変わりません。ただ、治癒魔法には信仰心が必要ですが。



「アンジェはいつ頃から訓練してきたんだい?」



「五歳くらいですよ。訓練と言うよりも魔法を弄って遊んでただけですが。氷でなんか作ってはクララとかに渡してましたね」



 小さいころからプレゼント癖はありました。あの頃は気が楽だったとクララは今でも思い返すそうです。



 アンジェリークが魔法操作の有用性に気づいたのは割と最近で、実はマフィアの屋敷を吹き飛ばした後だったりします。前世を思い出して二日目で氷柱の罠を作ってますが、この時点では飛ばし方については気づきませんでした。水素爆発という形で使ってみて魔法が思った以上に応用が利くことに気づいたのです。今日の魔法も実は今回が初めての使用だったりします。



「……アンジェ、教えてくれたことは好きに使っても構わないんだね?」



「もちろんですよ。だから教えたんですし」



「訓練プログラムを考えるから意見が欲しい。ヘルマンを通して書類を送るから」



「はい」



 兄妹が頷きあっている隣でローザが指先に火を灯して唸っていました。それに気付いたアンジェリークがニンマリと微笑みます。



 練習に付き合うという理由で同意を得て直接的なコミュニケーションができる……アンジェリークの計画通りでした。

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