綴った手紙の宛て先は

吹雪舞桜

綴った手紙の宛て先は

 天宮あまみや雪羽 ゆきはは窓の向こうに広がる景色を睨むように眺めていた。

 開け放たれた窓から吹き込む風に彼女の髪が揺れる。

「…………はぁ」

 深いため息を吐いた雪羽の手には、折り目がついた女の子らしい可愛い便箋がある。そこには少し丸っこく可愛らしい文字で『放課後、体育館裏で待ってます』と書いてあった。誰に聞いても十人中九人はこの手紙が告白のための呼び出しだと答えるだろうし、実際彼女もそう解釈している。

 だからこそ、つい持ってきてしまったことに、雪羽は頭を抱えているのだった。



 事の発端は授業開始前に遡る。

 朝のホームルームが終わった後、雪羽は三限目の授業で使う英和辞典を忘れたことに気付いた。そこで隣のクラスの幼馴染みに『英和辞典を貸してほしい』とメールをし、その幼馴染みから一限目の授業中に『勝手に持ってけ』と返信がきた。

 彼らの通う学校は授業ごとに教室を移動するため、ロッカーは教室や廊下ではなく、専用のスペースに全生徒分をまとめて設置してある。カギの使用率は半々で幼馴染みは使わない派なので、ロッカーの場所さえわかっていれば勝手知ったる間柄である。だから、三限目の授業が始まる前に幼馴染みのロッカーに辞書を取りに行って、……見つけてしまったのだ。

 華やかで可愛い女子が、幼馴染みのロッカーに手紙を入れている姿を。

 衝撃の現場に頭が真っ白になった雪羽はしばらくその場に立ち竦み、もうすぐ授業が始まるよと声をかけてくれた友人の言葉に我に返ると慌てて幼馴染みのロッカーを開いた。

 そして、目的の辞書だけでなく幼馴染み宛ての手紙を取ってしまい、今に至るわけである。

 どうしたらいいのだろう、と雪羽はぼんやりと思った。

 別に幼馴染みが誰に告白をされようが、ましてや誰と付き合おうが雪羽には関係のない話だ。むしろ、このことをきっかけに幼馴染みの交友関係が広がるのならそれは喜ばしいことである、……はずなのだ。それでも、どうにも素直に喜べずむしろモヤモヤとした居心地の悪さを感じるほどで。それが彼女の悩みを増長させていた。

 雪羽が頭を抱える理由のひとつは幼馴染みにある。

 東雲しののめ七星ななせ

 幼馴染みの彼を一言で説明するのなら一匹狼だ。

 いわゆるぼっちとも呼ばれるような一人で行動するタイプの人間で、事実、目つきも口も悪いし表情の変化が乏しいせいで周囲からは付き合いづらいと思われている節がある。そのうえ彼のはっきりとした物言いや冷淡な態度には他人を寄せつけない雰囲気があるのだから、話しかけにくいと遠巻きにされるのも理解できる。一応友人と呼べる相手はいるものの彼自身休み時間は基本的に読書をしているので、その友人らと一緒にいるのは昼食時ぐらいだろう。だが、今はそんなことはどうでもいい話である。

 雪羽にとって、七星は世話の焼ける不愛想な幼馴染みなのだ。

「……!」

 不意に閃いた雪羽は、手元の手紙に目線を落とす。

 その不愛想を極めた幼馴染みに、華やかで可愛い女子が好意を持っている。これはもしかしなくても、とてもすごいことではないかと彼女は気付いたのだ。

 世間一般、そして創作上の話でも一匹狼タイプと聞けば孤高のイケメンを想像するが、残念なことに幼馴染みに容姿端麗という言葉は当てはまらない。どちらかといえば、幼馴染みのひいき目もあるだろうが、普通で平均的に悪くはないといったところか。……しかし。読書好きの知識欲によって得た聡明さと責任感の強さによる面倒見のよさがあるし、冷静で客観的な思考はいつだって頼りなる。そして何より、文句を言いつつもいつだって助けてくれるほどに優しい。

 そんな七星の魅力を理解してくれる人が現れたとなれば、これは幼馴染みとしては黙っていられない。返事の応否自体は本人の自由だが、誠意には誠意で返すのが礼儀。知ってしまった以上、そんなのに構うヒマはない、で切り捨てさせるわけにはいかないのだ。

 ちゃんと対応させないと、と決意した雪羽は内心で拳を握った。



   ・


「は? 手紙?」

「うん、そう。ロッカーに入っていたよ」

「何でそれをお前が持ってんだよ……」

 雪羽が押しつけるように手紙を渡せば、七星は渋々といった様子で手紙を受け取った。

 三限目の授業が終わった後、雪羽は廊下で七星に会った。使い終わった英和辞典を戻しに行く雪羽と、次の授業で使う資料集を取りに行く七星。目的地が同じロッカーなので一緒に向かうことになった道中のことである。

 七星は怪訝な顔で封筒の裏表を見てから便箋を取り出した。

 内容を知っている雪羽が他人事なのに緊張する間もなく、七星は滑らせるような速さで目を通すなりさっさと便箋を封筒の中に戻す。そして、その手紙を雪羽に返してきた。

「え、何で?」

「人違いだろ」

「そんなわけないって。私、ロッカーに入れているところを見たんだよ」

「じゃあ悪戯か」

「何でそうなるのさ。好意は素直に受け取るべきだよ」

 七星は深いため息を吐いた。

 雪羽がどのリアクションにも納得がいかないと不満をあらわに七星を睨めば、彼はもう一度、呆れた様子でため息を吐く。

「あのな。だいたい――」

 しかし、七星の言葉は不意に途切れた。

 思わず閉口した彼が呆れた視線を向ける先へ彼女も目を向ける。

 そこには七星の隣のロッカーを使う男子、猫崎ねこざき静人しずとがその中身を、まるでフリーマーケットのように通路に広げていた。教科書と資料集、辞典、ジャージに体育館シューズ。そんなに中身を詰めていたのかと思えるほどの量が綺麗に並んでいるが、その手にはまだ本の山がある。

 七星が自身のロッカーへ近付けば、気配を感じたのだろう、彼は顔を上げた。

「ああ、東雲。悪いな、邪魔だろう」

 彼は淡々と言いながらフリーマーケットの一部を移動させる。

 抑揚のない猫崎の声が平坦ながらも落ち着いているように感じるのは、七星の幾分か冷たい声と違って穏やかさがあるからだろうか。雪羽がそんなことを考えていたら不意に猫崎と目が合った。その瞬間彼は周囲のロッカーに視線を走らせて、それからもう一度雪羽を見て困ったような顔をした。

「ええと。もしかして、この辺りのロッカーを使うんだろうか?」

「あ、ううん。付き添いだから気にしないで」

 雪羽が七星を示しながら答えれば、彼は少し安堵した様子で頷いた。そして再び、その手に残っていた本をフリーマーケットのように通路に陳列していく。

 七星は素知らぬ顔で目を逸らして自身のロッカーを開けたが、気になって仕方がなかったのだろう、もう一度猫崎に視線を向けた。

「何してんだ、お前」

「国語の教科書を探してる。次の授業、国語なんだ。家になかったから学校にあるはずだと思って今ロッカーの中を探してるところだ」

 そう告げる猫崎は至極真面目な顔をしていた。

 七星は怪訝な顔で通路に広げられている彼の持ち物を一瞥すると、ため息を吐く。

「…………今日は俺のを貸してやるから、いい加減片付けろ」

「すまない。助かる」

 軽く頭を下げた彼は、通路に広げていた私物をロッカーへ戻していく。

 それを呆れた顔で一瞥した七星は、自身のロッカーから取り出した国語の教科書を差し出す。受け取った猫崎は自身のロッカーを閉めて立ち上がった。

「貸してくれてありがとう、授業が終わったらすぐ返す。……じゃあな」

 猫崎は七星と、そして雪羽に挨拶をすると少し足早に去っていく。

 雪羽がその背を目で追えば、少し離れた場所で彼のことを待っていたらしい二人の男子と合流した。友人同士らしい彼ら三人は楽しそうに会話をしながら教室へと戻っていく。

 それに見向きもしない七星は、ぼんやりと彼らを眺めていた雪羽の手から取った英和辞典をロッカーにしまって、代わりに目的の資料集を取り出している。

「七星もあれぐらいよければなあ」

「容姿の話なら余計なお世話だ」

「性格の話だよ。もう少しだけでも愛想があればいいのに」

「それも余計なお世話だ」

 間髪容れずに一刀両断する七星に雪羽は苦笑いを浮かべた。

 猫崎は、タイプこそは七星と似ているがその本質は正反対である。表情の変化の乏しさや淡々とした言動こそは共通点であるが、七星と違ってある程度人当たりがいい彼はテンションの低い天然気味の生真面目であるがゆえに人を惹きつける魅力がある。いわゆるイケメンと呼ばれる部類であることも理由のひとつだろうけれど。

 愛想があり体裁がいいだけで周りからの評価が雲泥の差なのだ。七星ももう少しだけでも外聞を気にすればいいのに、と雪羽は思うのだが以前にそれを伝えたところ、それは猫崎に失礼だ、との返事をもらっている。

 いやしかし、と雪羽は持っていた手紙にしわをつけない程度に握りしめる。この手紙をくれた華やかな女子は七星の魅力に気付いてくれたのだ。七星だって負けてはいない。

「ま、今はそんなことよりもこっちの方が大事だよね」

「…………」

 心底うんざりした顔の七星が無言で雪羽の手から手紙をひったくった。

 そして、それをロッカーの手前にある空いているスペース、偶然にも彼女が見つけた時と同じ場所に置くと乱暴にロッカーを閉める。

「ああっ!」

「そんなくだらないもんに構ってるヒマはない」

「せっかくもらったのに」

「はいはい、もうすぐ授業が始まるぞ」

 興味がないと言わんばかりに教室へ戻ろうとする七星の腕を掴む。

「この手紙をくれた子のこと、ちゃんと考えなきゃダメだよ」

 雪羽が真剣にそう告げれば面倒そうに表情をしかめていた七星は、掴まれた腕をやんわりとほどきながら深くため息を吐く。

「……呼び出しは放課後だろ。それまでに考えとく」

「ちゃんとだよ。面倒くさがらないでよ」

 雪羽が釘を刺せば、七星はため息を吐きながらも、はいはいと頷いた。



 四限目の授業が終わると、全クラスともそのままホームルームが始まる。

 午後の授業である五限目と六限目は選択授業のみになっており、人によっては午後の授業がまったくない曜日もあるからだ。そして、部活動は六限目が終わった後からの活動になる。なので、授業も部活もなければ昼休みイコール放課後になるわけで。

「あれ雪羽ちゃん、お昼は? 食べないの?」

「ごめん。先食べていて。ちょっと大事な用事を思い出した」

「そっか。じゃあまた授業でね」

 雪羽はホームルームが終わるなり、幼馴染みを待ち構えるべくロッカーへ向かう。

 あの手紙を読んだ時には思い至らなかった重大な事実に気付いてしまったのだ。

 今日の七星の時間割は五限目はないが六限目だけ授業がある。そして昨日は五限目だけがあり、何なら明日は午後の授業はない。……ちなみに、雪羽は今日は五限目も六限目も授業があるが、昨日と明日は午後の授業がない。まあ要するに、七星の放課後は曜日によって変動するのだ。

 雪羽がロッカーにつくと、七星がちょうどロッカーを閉めたところだった。

 荷物はカバンを含めて何も持っていないのでお昼ご飯を一緒に食べる友人がいる談話室にでも置いてあるのだろう。目が合った瞬間、七星が面倒くさそうな表情を浮かべたが雪羽はお構いなしである。

「放課後っていつ?」

「は?」

「私、ついさっき気付いたんだ。手紙に書いてある放課後っていつなんだろうって」

「……」

「七星にとっては六限目が終わってからが放課後だけど、手紙をくれたあの子がもし午前授業だったら、待ち合わせの時間って今だよ!」

「別に待ち合わせてない」

「とりあえず待ち合わせ場所に行ってきなよ」

「だから話を聞け」

 雪羽が急かすように押すが彼は動こうともしない。それどころか呆れた様子で深くため息を吐く始末である。七星があまりにも微動だにしないので彼女は困惑気味に首を傾げた。

「行かないの?」

「何で行かなきゃいけないんだ」

 返事は吐き捨てるような物言いだった。

 取りつく島もない七星の態度に、雪羽は安堵したような不満があるようなモヤモヤとした複雑な気持ちになった。その気持ちを上手く表現できる言葉が出てこず、彼女は思わず眉間に皺を寄せる。

「でも、せっかく手紙をもらったのに」

「あのなあ」

 そう言いながら七星はため息を吐いた。

 苛立っているようでいて呆れているような声を零した彼は乱暴に自身の髪を掻く。

「いいか、雪羽。俺は待ち合わせなんかしてないし、呼び出しに応じてやる義理もない」

「でも、授業中考えたんでしょう? ちゃんと答えないと」

「何に」

「手紙をくれた子の気持ちに」

「何も聞かされてないのに、どう答えろと」

「でも、あれはラブレターだよ。告白のための呼び出しだって」

「そもそも、どこの誰が呼び出したんだよ」

「え、誰って、…………?」

 言いかけて雪羽は口を閉ざした。

 あの時七星のロッカーに手紙を入れていた華やかで可愛い女子とは廊下ですれ違ったことがある程度で、雪羽は彼女のことを何も知らない。唯一わかっているのは同学年であることぐらいだろうか。

 目の前では、ほら見ろと言わんばかりに七星が呆れた顔をしている。何だかそれが悔しかった雪羽は何か言い返せないかと考えて、そして気付いた。

「そうだよ、手紙! 手紙に名前が書いてあるはず!」

 言いながら雪羽は手紙を見せろと言わんばかりに手を差し出した。

 彼女の記憶によれば封筒の表面に宛名は書いていなかったが、個人のロッカーに入れる時点で手紙は無事目的の相手に届いているのだから、確かに宛名を書く必要はない。誰が送ったのかわかっている雪羽は内容ばかりを気にしていたので封筒の裏面をまったく見ていなかったが、便箋に送り主の名前が書いてなかったのだからあるとしたら封筒だろう。もちろん、送り主の名前を見たところで顔と名前が一致するかは別問題だけれど。

 七星はしばらく面倒くさそうな顔で手を出す雪羽を見つめていたが、ややあってから諦め半分のため息とともにロッカーを開けた。

「何でまだロッカーにあるのさ」

「どこに置こうが俺の勝手だろ」

 押しつけるように、少しだけ乱暴に手紙が渡された。

 恋する乙女が勇気を出して届けた手紙をそんな乱暴に扱うな、と雪羽はつい小言を言いたくなったが今はそんな場合ではない。待ち合わせの時間も昼休みも刻一刻と過ぎているのだ。どうにかして七星を体育館裏に向かわせなければ手紙をくれた子も不安だろうし、お互いに友人を待たせているし、何より彼女自身がお昼ご飯を食べられない。

 雪羽が差出人の名前を確認しようと封筒を裏返した時だ。

「あー!」

 ロッカースペース中に聞こえるではないかと思えるほどの大声が響いた。

 雪羽と七星が同時に声のした方を見れば一人の女子が二人を指さしている。彼女と目が合うなり、華やかで可愛いその女子は怒り心頭と言わんばかりの表情で、大股で雪羽に向かって歩いてくる。

 その子がロッカーに手紙を入れた女子だと雪羽が気付いた時には、彼女はすぐ目の前にいた。

「ワタシの手紙! アナタが持ってたのね!」

 怒鳴り声を上げながら彼女は雪羽の手から手紙をひったくる。

 突然のことに動揺した雪羽は何か言わなければと焦り、思ったことをそのまま口にした。

「あ、その手紙、やっぱり貴方のだったんだ」

「そうよ! アナタが邪魔したせいで来てくれなかった!」

 彼女の言葉に雪羽は真っ青になった。

 雪羽に邪魔をする気はなかったし、むしろ何とかして不愛想な幼馴染みを待ち合わせ場所に向かわせようとしていたほどだ。だが、そんなこと彼女にはわからないし、傍から見れば幼馴染みが待ち合わせに向かうのを邪魔しているようにも見えるだろう。

 その事実に思い至った雪羽は咄嗟に、そもそもの元凶でもある幼馴染みを見やったが、七星は自分は無関係ですと言わんばかりに素知らぬ顔をしている。呼び出された本人がフォローのひとつでも入れれば万事解決だというのに彼にその気はないようだ。とはいえ七星の口の悪さを考えれば余計に相手を怒らせてしまう可能性も否定できない。むしろ頼ってはいけないのだと悟った雪羽はそっと七星から目を逸らした。

 そして、怒りの炎を燃やす彼女を真っ直ぐに見つめる。

「ごめんなさい。邪魔をするつもりはなかったんだ」

 雪羽は素直に告げた。

 今は少し激昂しているだけで、真摯に話せばきっと彼女だってわかってくれるはずだ。そう思っての行動だったが、どうやら功を奏したらしい。

 突然の謝罪に彼女は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしていたが、ややあって、ふんと鼻を鳴らして肩をすくめた。その目に宿っていた怒りの炎が消えているので、怒りの矛先は収めてくれたようだ。……しかし、納得はしていないようで彼女はジトリと雪羽を見やる。

「なら、何で彼は来てくれないし、アナタが手紙を持ってるの?」

 当然の疑問だろう。雪羽は内心で頭を抱えた。

 さすがにこの場面で、行くつもりはないと言い切った七星を説得するために送り主の名前を知りたくて手紙を借りた、と素直に言うのは憚られる。

「えっと……、人違いだとか悪戯だとか言うから、それを説得するためというか、その」

「何よそれ。アナタが彼と話してるとこを見たことないけど、どういう関係なの?」

 疑心のこもった眼差しが、突き刺さんばかりに雪羽を睨んだ。

 顔立ちは可愛らしいのだが目力の上がるメイクをしているからか、雪羽を恋敵と思っているからなのか、彼女の睨みには思わずたじろいでしまいそうな迫力がある。

 雪羽には幼馴染みとの恋路を邪魔するつもりがないことを伝えるには何て答えるのが正解なのかわからなかったが、それでも、火に油を注ぐような真似もしたくなかった。

「どういうって幼馴染みだよ」

「はあ? アナタとも幼馴染みだなんて聞いたことないんだけど?」

「別に隠しているわけじゃないんだけれど、あまり聞かれたことがないから、知らない人の方が多いと思う」

「ふうん」

 彼女は曖昧な相槌を打つと、嘘か本当かを詮索するような、あるいは値踏みをするような視線を向けてきた。その眼差しには敵意がないので、どうやら雪羽の言葉を一応は信じてくれる気になったらしい。

「ま、いいわ。それなら連絡先ぐらい知ってるでしょ? 呼び出してくれる?」

「え? なな――東雲に用があるならここで話しなよ。私が退散するから」

「え、東雲?」

 目を丸くした彼女にひとつ頷いて、雪羽は視線で七星を示す。

 真っ直ぐ雪羽に向かってきた彼女は今の今まで彼に気付いていなかったのか驚きで呆然としており、一方で視線を向けられた七星はここで話を振るなと言わんばかりに顔をしかめた。

 当初の予定とは違ったが無事に会えたのだから解決だろう、と満足した雪羽はそっと立ち去ろうとして、ひとつ隣の通路から野次馬がこちらを見ていたことに気付いた。あれほど騒いでいたのだから注目されるのは仕方ないにしても告白するのはまた違う。公衆の面前で言えるほどの勇気があれば、わざわざ手紙で呼び出すなんて遠回りなことをする意味はない。

 雪羽は自分の思慮の浅さを反省しつつ彼女に声をかける。

「ごめん。やっぱり待ち合わせ場所に連れて行くよ」

 今度こそ、ちゃんと。そう雪羽が力強く宣言した。

 しかし事態が呑み込めていない彼女が困惑気味に口を開く。

「ちょ、ちょっと待って。東雲? 東雲って、えっと……あの、本ばかり読んでる根暗の?」

「根暗じゃないけれど、たぶんそう。本ばかり読んでいる人」

 雪羽が頷けば、呆気にとられていた彼女の顔が赤くなった。

 丸かった目がみるみると吊り上がっていく。

「はあ?! アナタ、ワタシをバカにしてるの?!」

「っ」

 突然飛んできた大声に驚いた雪羽の肩が跳ねる。

 彼女が怒る理由がわからずただ目を白黒させた雪羽は、無意識に、助けを求めるように七星の服を掴んでいた。

「ワタシが呼んでほしいのは――」

「なら、間違えんじゃねえよ」

 ヒステリックにも似た叫びが上がる前に、七星の冷たい声が遮った。

 不機嫌ともとれる冷淡な声に今度は彼女の肩が跳ね上がる。

 同時に七星の声で我に返った雪羽は、目の前の彼女の驚いた顔に僅かな怯えの色があるのに気付いた。怖がらせてしまったかもしれない、と思った雪羽はつい先程自分が怒りを向けられて驚いていたことを忘れて七星に食ってかかる。

「ちょっと七星、その言い方!」

「事実だろ。そこは俺のロッカーだ」

 二人の会話を聞いた彼女は真っ赤だった顔を真っ青に一変させた。

 そして雪羽たち二人を押しのけてロッカーを開けた彼女は、一瞬躊躇ったものの、整理整頓されて綺麗に並んでいる教科書や資料集の中からおそるおそる一冊抜きとると裏表紙を確認した。そこには名前なんて書いていないのだが、それを見た彼女は抜きとった一冊をそっと戻してゆっくりとロッカーを閉じる。脱力したのか呆然としたのか先程までの勢いやどこへやら状態で、見ている雪羽の方が心配になった。

「ごめんなさい!」

 彼女は雪羽に向き直ると深々と頭を下げた。

 謝られるようなことをしただろうか、と雪羽は首を傾げる。どちらかといえば、謝らなければいけないのは雪羽や七星の方ではないだろうか。

 窺うように彼女は頭を上げたが、申し訳なさそうに視線を足元へ落とす。

「勘違いしてたみたい。アナタに失礼なことをしたわ。ワタシ、東雲なんかに用はないの」

「え?」

「ワタシが手紙を渡したかったのは、猫崎くんなの」

 予想だにしなかった事実に雪羽は目を丸くすると、呆れた顔の七星と顔を見合わせた。



 そして。

 昼休みが終わる二十分前になって、雪羽はようやく友人の元へ戻ってこられた。

「ただいま。ごめん、予定より遅くなった」

「おかえり。むしろ予想より早かったよ。でも、今ならまだ間に合うね、お昼」

「うん。急いで食べないと」

 慌てつつも丁寧に弁当を広げた雪羽は、いただきますと言ってお昼ご飯を食べる。目の前では、とっくの昔に昼食を終えた友人が読んでいた雑誌から視線を上げた。

「あれ。雪羽ちゃん、何かいいことあった?」

「え、何で?」

「嬉しそうな顔してるって思って」

「そうかな? うーん、肩の荷が下りたからかもしれない」

「そっかあ。確かに昼休み前の雪羽ちゃん、難しい顔してたもんね」

 よかったね、と自分のことのように喜ぶ友人に雪羽は笑みを返した。



   ・


 あの後――。

 雪羽にとって衝撃の事実を知った後、彼女はすぐに事の顛末を説明してくれた。

 ようやく知れた手紙の送り主の名前は紺野こんの手毬てまり

 彼女は意外にも七星とクラスメイトだった。

「猫崎くんとは同じ中学だったの。体育祭実行委員で一緒になったのがきっかけよ」

「なるほど」

「それから話す機会は一回もなかったんだけど、同じ高校に進学するって聞いて、これは運命だって思ったの。でもほら、猫崎くんって放っておけない魅力があるし、かっこいいでしょ。だから高校に入って、中学の時以上に女子の憧れの的になっちゃって」

「へえ、そうだったんだ」

「そうなのよ。ライバルは多いわ。……でもね、彼、いっつも幼馴染みの友だち二人と一緒にいるの。だから話しかけるチャンスが全っ然なくて」

「いいんだか悪いんだかってやつだね」

「そうなのよ。だから、周りから一歩リードするためにも、こ、恋人はまだ早いかもしれないけどせめてお友だちになれたらって思って。だから邪魔がいない場所でまずは連作先を交換したいと思って、それで呼び出そうと思ったの」

「そっか。それで手紙を書いたんだね」

 熱く語る紺野の言葉に相槌を打つのは雪羽だ。

 その隣では、立ち去る機会を逃した七星が死んだような顔をしている。本来なら紺野が語り始める前に七星はこの場から離れるつもりだったのだが、雪羽が引き止めて同席させた。他人事だと嫌がる七星に雪羽が当事者の一人なんだからと説得した結果である。

 紺野は持っていた手紙に視線を落とした。

「この手紙のことを、彼がいっつも一緒にいる友だち二人には知られたくなかったの。知ったら片方が絶対邪魔してくるから。だから、あの二人には気付かれないけれど、彼だけには気付いてもらえる場所に置こうと思ったのよ」

「それがロッカー?」

「そうよ。三人ともロッカーの場所が離れてるからなのか、自分以外のロッカーには近寄らないみたいなの。だから何とか猫崎くんのロッカーの場所を突き止めて、ワタシも猫崎くんも午前授業で終わる今日を狙って手紙を入れたの」

「そしたら、なな――東雲のロッカーだった、と」

「まさにその通りよ。本当に、ワタシの間違いで、アナタたちには迷惑をかけたわね」

 雪羽の言葉に紺野は大きく肩を落とした。

 それほど大きな思いと強い決意で手紙をロッカーに入れたのだ。来てくれなかった相手を呼び出すための手紙を見知らぬ他人が持っているのを見たら、邪魔されたのだと思うのは当然だろうし、そうなれば激昂する気持ちもわかる。むしろ、掴みかかられたり殴られなかっただけマシだと雪羽は思った。

 紺野は手に持っていた宛先の書いてない手紙をポケットに入れながら、七星を見た。

「東雲も、ごめんなさい。勝手にロッカーに入れて、勘違いさせて」

「本当にな」

 紺野が謝罪を口にすれば、肩を竦めた七星がため息混じりに答えた。

 せめてもう一言、相手を気遣うかフォローするような言葉をつけ足せばいいのに、七星は絶対にそういうことを言わない。雪羽が呆れた目線を向けるが七星は素知らぬ顔である。

 しかし、紺野の顔は晴ればれとしていた。

 すっきりしたというよりは、納得して安心したというような表情をしていた彼女は何を思ったのか、雪羽の手を力強く握った。真っ直ぐな紺野の目には並々ならぬ闘志が燃えている。

「アナタが猫崎くんを好きなライバルじゃなくてよかったわ」

「えっと……?」

「天宮さん、健闘を祈るわ。お互い頑張りましょう」

 意味がわからず混乱している雪羽を余所に、紺野は笑顔で手を振って去っていった。

 呆然としていた雪羽も反射的に手を振って応えていたが、ロッカースペースを出た彼女の姿が見えなくなって手を下ろすと同時にじわじわと現実が実感として湧いてくる。

「……そっか。七星に宛てた手紙じゃなかったんだ」

 ポツリと雪羽は呟くように言葉を零した。

 紺野が七星と同じクラスだと知った雪羽がその話題を広げた際に、七星はもちろんのこと紺野もまた曖昧に頷くだけだったので、互いに相手に対する認識が単なるクラスメイトであることだけなのは容易に想像がつく。そのうえで紺野は猫崎についてあれだけ熱弁したのだから、事実は改めて問うまでもなかった。

 雪羽は胸に溜まった感情を吐き出すように深くため息を吐く。

「何でお前がため息吐いてんだよ」

「んー、何ていうか……複雑だなあと思って」

「何だそれ」

 雪羽にとって、七星の魅力を知って彼に好意を持った人が現れたわけじゃない、という事実は少しだけ悲しくて寂しかった。結局勘違いだったから虚しさもあるのかもしれない。けれど、そう思う心と裏腹にどこか安心している気持ちがあるのも事実だった。残念だったけれどそれほど残念に思っていないような複雑な感情である。

 その感情を紐解こうとした雪羽は、手紙を受け取った七星の第一声がまさに正解だったことを思い出した。

「そういえば、七星の言った通りだったね」

「ん、ああ。言ったな、そんなこと」

「何でわかったの?」

 雪羽が問えば、七星はバツが悪そうに目を逸らす。

 僅かに表情が曇っている様子を見るに、彼としては適当に言っただけなのだろう。それがまさか当たっていたのだから、きっと七星も複雑な気持ちなんだろうなと雪羽は勝手に思った。同じことを思っていればいいな、と思った部分もある。

 ややあって、七星はため息混じりに口を開く。

「わかってたわけじゃない。ただ、人違いならいいなと思った」

「何で? ラブレターが、七星のロッカーに入っていたのに?」

「あの手紙、誰宛てなのか書いてなかっただろ。だから俺のロッカーに入ってようが俺が受け取る必要はない。それに差出人の名前もなかったからな。相手がわからない呼び出しに応じてやる必要もないだろ」

「でも、本当に七星を呼び出すための手紙だったらどうするの?」

「だから、考えたんだよ」

 七星の答えに雪羽は首を傾げた。

 何がだからなのか、彼の言っている意味がよくわからなかったが、その言葉には妙に引っかかるものがある。疑問符を浮かべる雪羽に七星は呆れた顔をする。

「四限目の授業中。お前が考えろって言っただろ」

「あ、言った」

「だからいろいろ考えて、やっぱり応じる意味がないと判断した」

「何で」

「女子だろうが男子だろうが俺に文句があるなら直接言ってくるだろうし、勢力争いの類なら俺に声をかける意味はないし、お前を嫌ってるやつがいるって話も聞かない。一応、代筆の線も考えたが、それならドッキリ以外ありえないだろうし。それに、お前が他人事だって顔してお節介してくるからな。応じる意味がないんだよ」

 まるで、人がお節介してくるから反発している、みたいな言い方である。

 雪羽は不服そうに七星を見やるが、当の七星は呆れたような、それでいて仕方ないといわんばかりの態度でため息だけを返してきた。七星がいろいろと考えていたことは雪羽にもわかったが、どうも悪い方向にばかり考えている感は否めない。何だ勢力争いって。

 だから雪羽はつい口を尖らせて言ってしまった。

「でも、いつか本当に、七星のことが好きなシャイな女子からそんな手紙がくるかもよ?」

「それこそ応じる義理すらねえよ」

 しかし、七星からの返事は非常に冷たいもので。

 目を丸くした雪羽は咄嗟に言葉が出てこなかった。

 せっかくの好意なのにひどいとか、不愛想すぎるとか、そういう態度だからお節介されるんだとか、言葉は次々と頭に浮かぶのだが雪羽が言いたいのはそういうことじゃないようで、どれも声を伴って口から出て行こうとはしない。一向に何も言えずにいた。

 だが七星は返事を求めていたわけではないようで、雪羽の無言を会話が終わったと解釈したようだった。

「ほら。話はそれで終わりなら、さっさと戻って弁当食えよ。五限目も授業なんだろ?」

 言葉とともに七星は雪羽の背中を軽くたたいた。

 それで我に返った雪羽は慌てて時計で時間を確認する。五限目の授業が始まるまで残り時間はあと二十分ほどしかない。

「やっば! 私まだお昼食べていない! じゃあ七星、またね!」

「ああ。またな、雪羽」

 七星からの返事を聞きながら雪羽は友人が待っている教室へ早足で帰る。向かう時よりも戻る時の方が足取りは軽かった。




「――なんてことがあったのが高校生の時だっけ」

 雪羽は思い耽るように呟いて、それから駅ビル内の珈琲店で買ったカフェオレを飲んだ。

 未だ半分以上残っているそのカフェオレは、珍しく夕方で仕事が終わる七星に一緒に帰ろうと直接誘いに店を訪れた際に買ったものである。淹れたてのカフェオレを雪羽に渡しながら、何のためにスマホがあると思ってんだ、などと心底呆れた態度をとった七星はその後に上がり時間を教えてくれた。

 そのおかげで今こうして二人で帰っているのだ。

「ん、ああ。そういやあったな、そんなこと」

 七星の返事は興味がないような物言いだったが、その顔が僅かにしかめられた様子から察するに高校時代の誤送事件は彼にとってもインパクトが大きかったらしい。結局七星のロッカーに手紙が入れられたのは後にも先にもあの一件だけであることも一因かもしれないが。

「で。何でまたそんな昔の話をしたんだ」

「今朝、紺野ちゃんから連絡があったんだ。送りたいものがあるから住所を教えてほしいって」

「は? まさかお前、教えたのか?」

「そりゃあもちろん。それで、紺野ちゃん、送る、で高校生の時のことを思い出しちゃって」

「何勝手に教えてんだよ……」

 七星は苛立ち混じりに自身の髪を掻きながら深くため息を吐いた。

 高校卒業後、雪羽と七星は上京する時に互いの生活リズムやプライベートのことを考えて同じアパートにそれぞれで部屋を借りていたのだが、結局二人で一緒に住んでいるようなものだったので、就職を機に設備の整った広いアパートに二人で引っ越したのである。

 そのアパートに着いたと同時。アパートの前に止まっていた車の運転席のドアが開いた。

 出てきたのは華やかで美人な女性で。

「久しぶりね、天宮ちゃん!」

「紺野ちゃん……!」

 紺野は手を振りながら小走りで駆け寄ってきた。

 驚いた顔をした雪羽が七星と顔を見合わせた後でもう一度彼女に視線を向けた時には、紺野はすでに目の前にいた。

「突然押しかけちゃってごめんなさい。どうしても、渡したいものがあって」

「ううん、私は別に大丈夫だけど……、わざわざそのために?」

「そうよ。アナタたちには直接渡したくて。今度はちゃんとアナタたち宛てよ」

 紺野はそう言いながら持っていたものを七星に渡す。

 七星が受け取ったのは一通の手紙だった。

 シンプルながらも可愛いらしいデザインの上品な白い封筒には、少し丸っこく可愛らしい文字で東雲七星様と天宮雪羽様と連名で宛名がしっかりと書いてあった。

 雪羽が不思議そうな顔をする隣では、七星が怪訝な顔で封筒の裏表を見ている。

 紺野はすっきりとしたような嬉しそうな表情を浮かべていた。

「天宮さん、ワタシは一足先に幸せになるわ。アナタから手紙がくるの待ってるからね」

 目を丸くした雪羽を余所に、紺野は笑顔で手を振っては颯爽と車に乗る。

 手を振って彼女の乗った車を見送った雪羽が、車が見えなくなって手を下ろしながら小首を傾げた時だ。七星から手紙を差し出され、雪羽は反射的に受け取った。

「え、何?」

「裏」

 端的な七星の言葉に疑問符を浮かべながらも封筒の裏面を見た雪羽は、先程の彼女の言葉の意味を理解した。

「七星、七星!」

「何だ」

「紺野ちゃん――」

 彼女から手渡された手紙、……その招待状には本庄ほんじょう手毬てまりと、送り主の名前がしっかりと書いてあった。

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