脱サラ

@24Rosmo

第2話

朝起きた鈴河は起きた瞬間全身に痛みを覚えた。

「うっ…昨日走り過ぎたか…」

上手く動かない体を頑張って動かし、ゾンビのように洗面所に向かい顔を洗う。体の痛みや朝の気だるさとは裏腹に鈴河の心は軽やかだった。心の中では今にもバイクで遠出したいくらいだったがあまりにも体が痛いので今日は洗車することにしよう。

朝食を終えて車庫に向かい、カバーを外すと予想以上に汚れたバイクが姿を現した。

「うわやっば…」

バイクのリヤフェンダー側には泥が跳ね、ライトの方にはペシャンコになった虫の死骸がへばりついていた。早く綺麗にしてあげないと。エアダスターで埃を吹き飛ばしクリーナーを吹く。少し待ってからクロスで拭きあげればいつも通りピカピカだ、と思ったのも束の間。クリーナーが切れた。まだ半分しか終わっていないのに。水で洗い流す方法もあるけれど、フルカウルで水捌けが悪いバイクにあまり水を使いたくない。だがバイク用品店までの道のりは30キロあり、車のない鈴河はバイクで行くしかない。鈴河はリュックを背負い家を後にした。

「山本さん、久しぶり!」

店に入ると店長に声をかけられた。数年ぶりなのに顔を覚えられているとは。

「お久しぶりです店長。」

「今日はどうしたの?」

「こっちに帰ってきてまたバイクに乗り始めたんですけど掃除しようと思ったらクリーナー切れちゃって。」

棚からクリーナーとメンテナンス用グリスを取ってレジに置く。

「帰ってきたのかぁ。じゃあ暫くはゆっくり出来るね。」

話しながら慣れた手つきで商品をレジに通す。

「また何か困ったことがあったらおいで。今日はありがとう。」

と送り出してくれた。大容量缶なのでリュックがずっしりと重くなる。わずかの変化かもしれないが、バイクの前傾姿勢にリュックの重みが肩や背中にのし掛かると、運転が窮屈になったように感じられた。たったそれだけでバイクの疲労感はぐっと増す。帰った後すぐに洗車の用意をする。またバイクで出掛けたせいで虫や泥が付いていることに軽いため息をしつつ、夕方まで洗車を続けた。

夜ベッドの中でスマホをいじっていると隣の県で撮られた山の紅葉の写真が流れてきた。体は痛くなるほど鈍っていたけど、結との長時間ツーリングに耐えられたなら遠くにも行けるかな。謎の自信を胸に明日に備えて眠るまで情報収集を続けた。


天候も完璧、気温も秋の柔らかな暖かさが心地よく絶好のツーリング日和だ。遠出に備えてガソリンも満タン、スマホも充電してある。気持ちよくスタートできそうだ。バイクをアイドリングさせている間にグローブをつけていると父がバイクの装備をして家から出てきた。

「お父さん何処か行くの?」

「お母さんが友達と食事に行くから僕も何処か行こうと思ってね。良かったら少し一緒に走らないか?」

「いいけど…今日行くところ結構遠いよ、大丈夫?」

少し恥ずかしかったので吃り気味に返事をする。

「鈴河よりは最近乗ってたから大丈夫だと思うよ。無理そうだったらいいところで帰るから。」

仮に途中で別行動になると置いていくみたいで心苦しい気もするが、父が無理しないならこちらも反対する理由はない。取り敢えず行き先と大まかなルートを父に伝える。

「じゃあ行こっか。お父さんナビ無いみたいだから私が先に行くね。」

目的地の山は近隣の県では有名な観光スポットなので迷ってもお互い辿り着けそうだが、親子ツーリングになった手前父を置いてけぼりにしてしまうことは避けたい。走りながら時々ミラーで後を確認しながら進む。ついてきていることだけは高回転まで回っているバイクのエンジン音でわかるのだが。休日なので車通りの多い国道を避けて山の間を縫う農道を行く。まだ秋になったばかりなので、目的地と違い標高の低いこの辺りはまだ葉の色が緑のままだ。農道を抜けて都市部の手前に来たところで一度コンビニで休憩をとる。父はインカムを付けていないのでコミュニケーションが取りづらいが、身振り手振りで伝えることができた。

「お父さん今のところ大丈夫?」

コーヒーを手渡しながら尋ねる。

「問題ないよ。ありがとう。」

「お父さん普段どんな所走ってるの?」

「気分次第だけど県内の山や神社に行くことが多いね。道の駅に寄って家にお土産買って帰ったりもするけど。県境を越えて遠出することは少ないかな。」

「じゃあこまめに休憩とった方が良いかもね。お互い遠出に慣れてるって訳じゃないし。」

「そうだね。ひとまず麓に道の駅があったはずだから行ってみようか。」

道の駅を検索してナビを変更する。

「そこまで1時間半くらいだね。少し長くなるけどそこまで行ったら昼ごはんにしよ。」

「了解。」

父は少し微笑んでヘルメットを被った。

自専道に乗り速度が上がると回転数が上がり、父のバイクのエンジン音が大きな音を響かせて走る。ただ、走るには何の不都合もないようで父は難なく一定の距離を保ってついてきていた。ただいくらついて来れているといってもまだ道のりは長く、2気筒の父のバイクでは振動が多く長時間の運転は辛いのではないだろうか?道の駅までの間にサービスエリアで休憩を挟んだ方が良いかもしれない。少し規模の大きいサービスエリアが目についたのでそこで休憩を取ることにした。屋台でアップルパイが売っていたので2人分買ってひとつを父に渡す。

「ありがとう。でも鈴河は今働いてないんだから無理して奢らなくてもいいのに。」

「大丈夫だよ。貯金と失業保険もしばらくあるし。それに今日のは私がいない間バイクを整備してくれてたお礼だから。今日は私持ちで。」

熱々のアップルパイを頬張る。幾層にも重なったパイの中から温かいりんごの甘酸っぱさが口内を満たし、ひと心地つく私たちに彩りを与えてくれた。

「ずっとアクセル回しっぱなしで疲れない?エンジン音めちゃくちゃ聞こえてくるんだけど。」

「確かに大型バイクと比べたらエンジンをたくさん回さなきゃいけないからね。多少は振動が多いけど気にする程でもないよ。鈴河が追加で休憩とってくれたしね。アップルパイ食べ終わったら行こうか。」

食べ終わった後大きく伸びをし私たちはまた走り出す。サービスエリアを出て45分ほどで山の麓の道の駅に着くことが出来た。観光地近くという事もあり、沢山の人が訪れているようで、駐車場もバイク用駐車スペースもいっぱいだった。車通りの少ない脇のスペースで一度停止して父を待つ。

「行楽日和だから人が多いね。」

開口一番父が言った。

「レストランの方もかなり混んでるみたいだし、お父さんが大丈夫ならあと30分くらいで着く牧場の方に行こうかと思うんだけどどう?そっちでも軽食はとれるよ。」

「僕は大丈夫。少し昼時から外れるし丁度いいかもね。」

父の了承が得られたので私たちは足早に道の駅を去った。

山を登っていくと少しずつだが、てっぺんの方が色づき始めている木がちらほらあることに気づく。標高が高い場所は季節の移り変わりが一足早く来るようだった。ただ綺麗な景色を求めて来ているのは私たちだけではないらしく、車もバイクも上に行くほど見かける回数が多くなる。時々車がいい駐車スポットを見つけて急に止まることがあり、危険に注意しながら登らなければならなかった。途中で落石があって交互通行になっていたり、道が劣化してひび割れていたりして目的地に着く頃には2人とも疲れ果てていた。

「しんどかった…」

「かなり疲れたね…」

お互いにげっそりしながら牧場に併設された施設の喫茶店に向かう。椅子にもたれかかると重力が何倍にも増したかのように体が重くなる。注文をした料理が来るまで2人とも一言も喋れずぐったりとしていた。

注文した料理が運ばれてくると2人とも夢中で料理を頬張っていた。パンケーキの甘さと果物の果汁が身体中に染み渡る。それは父も同じだったようで柔らかなパンケーキをじっくり噛み締めながら味わっていた。

「食べ終わった後牧場の方も少し回ってみない?」

「いいよ、バイクに乗ってばかりじゃ疲れがとれないしね。」

牧場の周りを歩いていくと県外からの観光客も来ていて、犬の散歩をしている人もいた。観光客用に開放しているスペースは丘一面にコスモスが広がり、その先には青い空と聳え立つ山頂が見えていた。山頂は既に雪を被り白さが黒い山肌と青い空の境界と溶け合っている。遠くの山を見ながら新鮮な空気を満喫する父を遠目に見て、少し恥ずかしいような気がしたけど一緒に来ることができて良かったと思った。

売店で母にお土産を買い、容量が少ないシートバッグに無理矢理詰め込む。

「じゃあ今度は紅葉を見に行きますか!」

牧場を後にした私たちは牧場前の交差点を逆側に抜け、山の上の方へと向かう。麓からは大分距離があるのだが、少しでこぼこしつつも道は広くとってあるので観光客の車が多い。何処の駐車スペースも車でいっぱいだった。バイク2台なら停めることも出来たかもしれないが、ゆっくりしたペースで色づいた木々の下を通り抜けていった。赤や黄色に染まった葉が太陽の光をうっすらと通して柔らかな光で照らしてくれている。自然の穏やかな空気を感じつつも私たちは山を降って帰路についた。

帰りにまたサービスエリアに寄ってコーヒーを飲んでいると、

「写真とか撮らなくてもよかったの?」

と父に訊かれた。

「写真に撮らなくてこの目で見られただけで十分だよ。何でも形にして残しておけば良いっていうわけじゃないだほうし。」

「そういうのもいいかもね。僕も、今日は鈴河と来られて良かったよ。」

と父は微笑を浮かべコーヒーを啜った。

「お土産の保冷剤がいつまで保つか分からないし、早めに帰ろ。お母さんももう帰ってるかもしれないし。」

そうだね、と言って父はコーヒーを一気に飲み干し、またバイクのエンジンをかける。

どうにか日暮れ前に帰ることができ、母に買ったお土産のチーズケーキも保冷剤のお陰でまだ無事のようだった。

車庫に2台並べてバイクを入れる。

「バイクの掃除は私が明日やっておくよ。お父さん明日は仕事でしょ。」

「そうか、じゃあお言葉に甘えようかな。」

父は愛おしそうにバイクを撫でてからヘルメットとグローブを持って家の中に入っていった。少し遅れて家に入った私はチーズケーキを冷蔵庫に入れ、疲れた体を癒すために初めて父といったツーリングとその光景に思いを馳せつつ、鼻歌まじりにシャワーを浴びた。

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