長谷川くん!頑張って!

忍野木しか

頑張れ私


 人にはそれぞれ好みというものがある。人が人に抱く想いはその好みに左右される事が多いだろう。それを性格と呼ぶのは違うだろうし、性癖と呼ぶのは何やらイヤらしい。真面目な性格の人が同じ人を好むとは限らない。また、激情を内に秘めた人の好みもそれぞれだろう。そして好みは好みなのだ。一緒にいる時間が楽しいのだとか、その声が心を落ち着かせるのだとか、好みが性と結び付かない場合も多い。

 まぁともかくだ。人が人の何にときめきを覚えるかは人それぞれなのだ。



 例えば今、歩道のレンガを四つ挟んだ私の目の前に二人の男が立っている。右側の男は背が高く、パッチリと形の良い目元に届くブラウンのマッシュは艶やかである。口元に浮かんだ微笑は自然そのもので、そのスタイルに合ったファッションは街を歩く異性の瞳を大いに引き寄せていた。恋愛においての天才型である、という言い方が正しいだろう。

 対照的に左の男はどうであろうか。背は高くない。158cmの私と比べてみても、ほんの数センチの優位があると言った程度だ。ワックスで固められた黒髪はベタつき、紺のテーパードパンツにテーラードジャケットというファッションはまるで秋の終わりの様相である。朝とは言え、真夏の空下でそれでは、見ているこっちが暑苦しくなる。丸顔に丸鼻。控えめに閉じられた厚い唇。腫れぼったい瞼から覗く瞳のみが、異性に対しての願望を剥き出しにしているかのようなギラギラとした光を放っている。まぁそうだな、恋愛の才能無し、と言ったところだろうか。

 街の歩道だ。こんな真夏の朝っぱらから二人の男が何をしているのかと言えば、そう、ナンパである。好みの異性に近づく為の一つの手段。平日の朝からそれを行えば、例え恋愛の天才であろうとも十中八九異性からは敬遠されるだろう。現に制服姿の私もげんなりとさせられていた。二人のナンパの対象は私なのだ。

「へぇ、高校ってまだ夏休みに入ってなかったんだ」

 右の天才くんが眩い笑みを見せる。夏空に煌めく白い歯。その笑顔に見惚れていた出勤中らしき女性の一人が電柱に衝突した。

「き、き、君さ、今から時間あるかい?」

 あるわけが無いだろう。私は左の才能無し男くんを睨みつけた。天才くんのやれやれというため息。お前も大概であると、私は天才くんにも鋭い視線を送る。

「あの、学校に遅れるので……」

 私の小さな声が夏風に吹かれて消える。心の中では偉そうに異性を評価する私だったが、実際にはまだ異性に対して何処か慣れていないといった心を備えた者の領域を抜け切れてはいないのかもしれないと言っても言い過ぎではないのかもしれないという自己評価が私の中にはあった。というかウブだった。ウブな私に対してタイプの違う二人の異性が朝っぱらから同時にナンパをしてきたのだ。全く、やれやれだ。やれやれ、誰か助けてくれ。

「あ、あの……」

 おっと、異性に対する好みの話だったな。目の前の男たちがウブな私に対して同時に攻撃を仕掛けてくるせいで、話が逸れてしまったようだ。右翼の天才くんか。左翼の無し男くんか。果たして私の好みはどちらなのであろうか。勿論、平日の朝っぱらからナンパ攻撃を仕掛けてくるような異性は論外ではあるが、一応、結論は下してやろう。

 スッと私の細い人差し指が左側の才能無し男くんに向けられる。驚いたような表情で前髪を弄り始める才能無し男くん。天才くんの瞳に失望の影が走った。まだ、私は何も言っていないのだが、指を差しただけで二人は何かを察したのだろうか。それともウブな私がまだ異性の表情の変化を見抜けていないだけなのだろうか。

 御託はもういい。私の好みは左翼の才能無し男くんなのだ。何故かと言えば……おっと待て、やっと助け舟が来たようだ。

「おい美雪! 学校遅れるぞ!」

 青い空に映える涼やかな声である。水島涼太の短い髪が朝の夏風に靡いた。ナンパ男たちの目が丸くなる。そんなナンパ男たちをひと睨みした亮太の力強い腕が私の体を無理やり引っ張っていく。強引な男である。私の好みではない。幼馴染の涼太はいわゆる天才型の部類だった。長い手足。端正な顔。太い眉が男らしい。だが、その表情にはまだ少年の面影を残している。年上にも年下にも好かれる男だった。私の好みではないのだが。

「あ、ありがと……」

 一応お礼は言っておく。すぐに風に吹き飛ばされる私の声をこの幼馴染は聞き逃さない。ボッと頬を赤らめた涼太は空いた方の手で照れ臭そうに自分の頭を撫でた。「いいよ」と涼太は眩い笑みを見せる。繰り返すが、私の好みではない。涼太は天才型なのだ。私の好みは基本的に非凡で努力型の弱者に向けられる。

 学校に近づくと通学路を歩く生徒たちの数が増えてきた。沢山の人の声。性格。性癖。これだけの人の波の中に、私と同じ性格の、いや、性癖の、いやいやいや、好みを持つ者はどれだけいるのだろうか。時々、感慨深くなる。全くもって悲しい性癖、いや、性格だ。因みにだが、私の好みの対象は同じ性にまで広がりを見せる。性癖ではないぞ、好みだ。純粋なときめきだ。覚えておけ。

 おっと、対象の一人だ。校門の前で立ち竦む女生徒。焼けた小麦色の肌が陽光に映える。ショートヘアの活発そうな女生徒である。早瀬奈帆は私の好みの対象の一人だ。

「水島く……」

 奈帆の声が夏風に呑まれて消えていった。私とは違って活発で明るい彼女の声が風に負けるとは珍しい。何かあったのだろうか。

「あっ……」

 思わず「あっ」という素っ頓狂な声を出してしまった。なんということだろう。このクソ暑い真夏の朝に私の手のひらは汗でびっしょりだ。無論、私の汗ではない。いや、たぶん、私の汗でない筈である。私と涼太は手を繋いだまま、生徒たちの目も気にせず、学校まで肩を合わせて歩いてきていたのだ。

「よ、よう。早瀬、おはよう」

「お、おはよ、水島く……」

 ぎこちない二人の挨拶。非常に興味深い。普段の私ならば草葉の陰から二人の動向をつぶさに観察するところだったであろう。好みなのだ。そのぎこちなさが、私の心をときめかせるのだ。

 だが、だがである。今の私にそんな余裕はない。私はウブなのだ。まごうことなきウブなのだ。勿論、涼太は私の好みではない。天才型であり幼馴染でもある涼太と手を繋いだくらいで私の心が乱れることはない。だが、状況というものがある。涼太は天才型なのだ。当然、異性たちは涼太の一挙一動を見逃さない。同級生も先輩も後輩も、大半の異性ならば涼太の表情の変化を見逃さない。

「あぅ……」

 私の手が夏空を切る。大バカモノ、と涼太に向かって叫んでやりたい所ではあったが、そんな余裕はない。ウブな私は人の視線に慣れていないのだ。天才型の異性と手を繋いで登校してしまった私に向かって、今にも放たれそうな鋭く尖った感情の槍が構えられている。同性の瞳から撃たれた感情の銃弾が私に襲い掛かる。合戦である。私は、私は、戦いが嫌いなのだ。

 校庭を歩く人の波を駆け抜けて、校舎に飛び込んだ私は靴を下駄箱に投げ捨てると、視線を下げて廊下を歩いた。性格。性癖。好み。臆病な私。私のこの少しズレた好みのみが臆病な私を支えてくれている。毎日元気に登校出来るのも、私の好みの賜物である。

 長谷川くんも頑張ってるんだ。

 私は私の好みの異性を思い浮かべることで、なんとかこの乱れ切った心を落ち着かせようと努力した。視線が怖い。感情が怖い。それは、皆んなも同じだろう。長谷川くんだって頑張ってるんだ。私も頑張らねば。そう頷いた私は女子トイレの個室に逃げ込んだ。授業が始まるまでの辛抱だと、個室で一人私はアイフォンを弄る。画面に並んだ写真の数々。大半は長谷川勇大の写真である。

 長谷川勇大。私の想い人。

 彼はいわゆる天才型の異性であった。私の好みとは正反対の筈の異性である。それでも私は長谷川勇大の動向から目が離せなかった。

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