巫神楽の後継者

神山小夜

第1話 天音と邪馬斗は遊びたい

『彷徨える御霊よ、安らかに眠りたまえ。幽世へ行き来世の幸を祈ろうぞ』


 やっと夏の暑さから開放され、涼しさを感じられるようになった九月。

 巫山天音ふやまあまねは、朝から上機嫌で、クッキーを手作りしていた。

 お菓子作りが大好きで、学校のクラスメイトに振る舞うため、こうして早朝から準備することがある。

 天音は高校二年生、セミロングの髪を一つに結んだ、少し幼い顔立ちの女の子だ。

 焼き上がったクッキーを可愛らしくラッピングして、天音は鞄をかかえて玄関に走った。


「いってきまーす」

「天音、待ちなさい」


 学校に向かおうとした天音を、祖母の鈴子が引き止めた。

 白髪をお団子に結んだ、おかめさんのようなふくよかな顔つきの優しい人だ。

 だけど、天音にとっては厳しく接することもある、怖いお婆ちゃんでもある。


「天音、今日こそは早く帰ってくるのよ。例祭が近いんだから、神楽の練習をしないと」


 巫山の家は、かんなぎ神社の巫女を務める家系だ。

 毎年九月に行われる例祭では、代々伝わる巫神楽かんなぎかぐらを奉納する。


「えー。毎年踊ってるんだから、別に練習しなくたって大丈夫だよー。それより、ダンス部の大会が近いから、部活頑張らないと!」

「学校のことも大事だけど、あなたは巫山家の代々伝わる巫神楽の舞の後継者なんだから、例祭のことを第一に考えてもらわないと……」

「分かってるよ、おばあちゃん! 学校遅れるからもう行くね! じゃーね!」

「ちょっと待ちなさい! 天音!」


 鈴子の声を最後まで聞かず、天音は逃げるように走って家を出ていった。

 天音は、巫山家に代々伝わる、巫神楽の後継者だ。

 だが、後継者は誰でもなれるものではない。


 後継者になれない者は、舞に使われる神楽鈴をどんなに振っても音を奏でることができない。

 鈴の音を鳴らすことができる者だけが、後継者として舞を踊る資格が得られるのだ。

 天音の母は巫山家の一人娘として生まれたが、鈴の音を鳴らすことが出来なかった。

 そのため、天音が生まれるまでは、祖母の鈴子が舞を踊って継承していたのだ。


 天音が鈴を鳴らすことができたことで、久しぶりに後継者の代替わりが行われた。

 しかし、当の天音は神楽に興味がなく、例祭があるから踊るだけという気持ちでいる。

 年頃の子らしく、古い伝統の神楽よりも、部活のダンスや、お菓子作りに夢中になっていた。

 鈴子から、口を酸っぱくして神楽の練習をするよう言われ、天音は嫌気がさしてしまっていたのだ。


 家を出ると、すぐ前に巫神社がある。

 その隣の家から少年が出てきた。

 天音の幼馴染で同級生の、巫川邪馬斗ふかわやまとだ。

 超絶イケメンで、女子からモテモテの邪馬斗だが、天音は特別な感情は一切持っていない。

 小さい頃から一緒に過ごしている、腐れ縁みたいなものだと思っている。


 それは邪馬斗も同じで、ただの幼馴染だと思っている。

 よく一緒に登下校するので、クラスメートからからかわれることもあるが、お互いに全力で否定する関係である。


「邪馬斗、おっはよー!」

「おはよー、天音。そんなに走ってどうした?」

「おばあちゃんがまた、神楽の練習しろってうるさくてさー。逃げ出してきたよー」


 天音は邪馬斗と合流すると足並みを揃えて、学校まで歩いて向かう。


「お前もか。俺もじいちゃんが、笛の練習しろってうるさくてなー。吹奏楽のコンクールが近いから、フルートの練習したいのになー」


 邪馬斗は、巫川家に代々伝わる巫神楽の笛の後継者だ。

 笛の後継者も舞の後継者と同じく、誰でも後継者になれるわけではない。

 後継者になれないものは笛を吹いても音が出ない。

 笛を吹いて音が出るものが後継者になれる。


 邪馬斗の父は巫川家の一人息子として生まれるも、笛を吹いても音が出せず、後継者にはなれなかった。

 邪馬斗が生まれるまでは、祖父の義興(よしおき)が笛の継承をしていたのだ。

 巫川家も二世代ぶりに後継者が現れて嬉しいことなのだが、邪馬斗は神楽よりも部活、勉強に力を入れているため、天音と同じく神楽には興味が無いのだ。

 両家とも全く同じ状況であり、鈴子と義興はいつも頭を悩ませていた。


「別に、3歳の頃から毎年同じ演目を例祭で披露しているから、あえて練習しなくてもちゃんと踊れるのにねー。なーんであんなに年寄り達はうるさいのかなー?」


 朝からしつこく言ってきた鈴子に対して、天音は苛立っていた。


「まーなー。俺達も3年間しか無い高校生活楽しみたいしなー」

「そーだよ! せっかくの青春だもんね!」


 話をしていると学校についた。

 邪馬斗が下駄箱を開けると大量のファンレターが滝のように落ちてきた。


「モテモテは大変ですな~」


 天音は、邪馬斗の足元に落ちたファンレターを拾い集めてあげながら言う。

 邪馬斗は勉強ができる上になかなかなイケメンだ。

 そのため、邪馬斗に好意を抱く女子が多いのだ。


「別に興味ねーし」


 邪馬斗は毎朝下駄箱を開けるごとに滝のように落ちてくるファンレターに呆れていた。


「今日もか。毎朝ご苦労だな」


 邪馬斗に話しかけてきたのは、邪馬斗の友人の幹弥(みきや)だ。

 邪馬斗とよくつるんでいる同じクラスで部活も同じく吹奏楽部の部員だ。


「うるせー」


 邪馬斗は両手でファンレターを抱えながら幹弥に言った。


「持ってやるか?」

「つーか、やるよ」

「お前のだろ? いらねーよ」


 文句を言いながら教室へ向かった。天音は邪馬斗と離れ、自分の席につく。

 すると、天音の前の席に座っていた女子生徒が天音に話し掛けてきた。


「おっはよー! 今日も彼氏と仲良し登校ですか」

「そんなんじゃないし! ただの幼馴染で家が近いだけだよ!」

「まあまあ。分かってるから。ただの挨拶だよ」


 天音をイジってきたこの女子生徒は、天音の友人の咲である。

 天音とよくつるんでいて同じダンス部の部員だ。


「は~い。みんな席についてね~」


 まもなくすると担任の猿田晃彦(さるだあきひこ)先生が教室に入ってきた。

 猿田先生が教室に入ってくると女子生徒がキャーキャー騒ぎ始めた。

 猿田先生は眼鏡イケメンで女子生徒からのかなりの人気がある。


「は~い。静かにね~。出席とるよ~。あれ~? 出席簿忘れてきちゃった! 職員室に戻って取ってくるから待っててねー」


 猿田先生は、ふわふわしていておっちょこちょいで、頼りがいがない教師だ。


「先生、今日もかっこいいなぁ」

「あんたには邪馬斗がいるでしょ!」

「あたしは猿田先生がいいの!」


 天音が猿田先生にうっとりしていると、咲からツッコまれた。

 天音も猿田先生に憧れを抱いている女子生徒ファンのうちの一人でもあった。


「そう言えば天音。そろそろ巫神社の例祭があるよねー。今年も神楽踊るんでしょ? 練習してんの?」

「ぜーんぜん! てか、毎年同じ踊りを踊ってるからあえて練習しなくたって踊れるよ」

「さっすが! あんた一回踊った振り付け、なかなか忘れること無いもんね。今年も見に行くからね!」

「恥ずかしいから、見に来なくたって良いよー」

「えー。ヒップホップ踊っている時の天音とは違う、大人な天音が見れるから楽しみにしてるよ。天音の巫女姿、かっこいいし!」

「はいはい。あ、踊り終わったら、屋台に行って食い倒れしよーよ!」

「よっしゃー! 楽しみー!」


 でも天音はダルいと思っていた。年が経つにつれて、わざわざ毎年神楽を踊るのが嫌になっていたのだ。

 それは邪馬斗も同じであった。

 しかし、こればかりは仕方ないことである。

 巫神楽を披露することができるのは天音と邪馬斗しかいないのだ。


 天音と邪馬斗が後継者として鈴と笛を継承したことによって、鈴子と義興は、鈴と笛の音を出すことができなくなってしまったのだ。

 そのことを天音と邪馬斗もよく分かっている。

 代わりが居ないことを分かっているからこそ、苦悩を感じていたのだった。


 唯一の後継者として神楽の継承をしなければならないという責任感、不自由さ、運命。

 遊び盛りで青春を楽しみたい二人にとっては悩ましいことなのであった。


 放課後。待ってましたと言わんばかりに、天音は張り切って咲に話し掛けた。


「ねぇ、咲! 今回はクッキーを作ったの! なかなかいい出来よ! 食べてみて!」

「えー……。私、ダイエット中なんだよねー」

「えー。あ、ねーねー、あたしが作ったクッキー食べてみない?」


 咲に断られた天音は、隣席のクラスメイトに手作りのクッキーを勧め始めた。


「あ……。うち、部活に行かなきゃ! ごめんね!」

「俺もー!」


 次々とクラスメイト達は断りながら教室を出て行った。

 天音の作るお菓子は不味いことで知られている。

 だから、みんな申し訳無さそうにしつつも、容赦なく断っていく。


「せっかく作ったのに……。あ、邪馬斗ー!」


 天音は、教室にただ一人残った邪馬斗に話し掛けた。


「何だよ」

「クッキー食べてよ!」

「今日は上手く出来たのかよ」

「まぁまぁ、食べてみてよ!」


 幼馴染だけあって、邪馬斗はしょっちゅう天音の手作りお菓子を食べさせられていた。

 だが、その大半は失敗作。

 極まれに奇跡が起こり、美味しいお菓子ができることがある。

 そのときの味を覚えている邪馬斗は、今日こそ美味しく作っていると信じて実験台になっていた。

 天音の楽しみであるお菓子作りの成果を、全て処理してきたのが邪馬斗なのだ。


「やっぱ、不味いな」

「やっぱって何よー!」

「お前、ちゃんと材料の分量測っているのか?」

「いや、目分量よ」

「だから、不味いんだよ。ちゃんと測って作れよ。クラスメイトを殺すつもりか?」

「そこまで言う!? 酷い!」

「酷いのはこっちの台詞だ!」


 言い争っている天音と邪馬斗のことを、クラスメイト達が廊下から見守っている。

 そして、不味いお菓子を最後まで完食している邪馬斗に対して、クラス全員の身代わりになってくれたことに感謝の心を込めて手を合わせていた。


 その後、天音はダンス部、邪馬斗は吹奏楽部に行って部活動をした。

 それぞれ、大会が近いこともあって練習にも力が入っていた。


 一方その頃。鈴子と義興は例祭の準備をしていた。

 屋台も多く並ぶため、準備は神社の世話人をやっている鈴子と義興の指揮のもと、町内会の人達と一緒に行う。


「お宅の邪馬斗君は笛の練習してる? うちの天音は例祭が近いというのに全く練習しなくてねぇ。困ったもんだよ」


 鈴子は落ち込みながら言った。


「そうなのか。うちの邪馬斗も同じじゃよ。高校生になってから余計にそうじゃ。平日はもちろん、休日でも部活があると言って、一日中、学校に居て、家にいることが少なくなってしまった」

「巫神楽は絶対に絶やしてはいけないもの。そう、代々言われてきたのだが……。困ったなぁ。せっかく二代ぶりに後継者が現れたというのに」

「無事に例祭が終われば良いのぉ……」


 お互いの孫たちが神楽の練習をしてくれないことに不安を抱きながら、準備を進める鈴子と義興であった。


 天音と邪馬斗は、部活を終え下校した。

 二人が自宅に帰ってきたのは十九時過ぎであった。

 そこから、夕飯を食べて、風呂に入って、宿題をする。

 寝る時間はいつも二十二時過ぎだ。

 部活でヘトヘトな二人は体力はもちろん、神楽の練習をする時間など無い。


 そんな日常が続き、いよいよ明日は巫神社の例祭の日となった。

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