第44話 木は森ではありません

概念を知らなければ理解できない事が多くありますよね。空気を知っていても空気が理解できているわけでは無いのです。物体は気圧と温度に応じて個体、液体、気体へと変化をするという概念を知らないと空気について知っている事にはなりません。

酸素や窒素や炭酸ガスは地球環境では気体として存在するのです。それらの集まりを空気と呼ぶわけです。


含み損とか含み益という言葉を聞いたことがありますか。物には値段がありますが、法的には購入した時の契約書やレシートに記載された値段が価値として判断され税金の対象になります。でもあなたが100万で買った車が人気が出て150万になったとします。売らなければ100万で売れば150万・・これを含み益とみて課税されます。これの逆を含み損という分けです。つまり物の値段は常に変動しているということです。あなたの自身の含み益は上がっていますか。(笑)

私のエッセイを読んでる方は上がってるかも知れません。


では別の話ですが・・

あなたが小説を書くとき主人公のキャラを設定しますよね。あなたが作ったキャラがひどい差別的発言をしたとします。それを訴えられたとき「俺じゃあねえよ!キャラが言ったんだよ。」通るでしょうか? 通らないですよね。でもですよ人気が出ればこのキャラを買う人も出て来ます。このキャラはまるで生きてるように作者の手を離れても人々を迷わし大金を稼ぐのです。実在していないんのに大金を稼ぐんですよ。作者は亡くなっているのにです。存在しない者が存在するのが世の中なんです。これを理解していただいて次の話に進みます。


個人と法人の関係について話します。

私は紅色という個人です。しかし法人格の紅色社長もいます。個人としても税金は納めていますが社長としても税金は納めます。つまり私と別の法で決めた私がいるのです。それが法人です。法人の私が100万円稼いだとしますね。それを個人の私が取ったとします。自分のものを取ったのだから犯罪にはならないと思いますか?いいえ犯罪になります。特別横領罪になります。法人の自分が個人の自分に給料として源泉処理をし、そのうえで貰ったものなら罪にはなりません。個人と法人を混同すると犯罪になるのです。つまり私は個人としての責任や義務だけでなく法人としての責任と義務を果たさなければなりません。


この個人とは別の人格がある事を理解しないと芸能人は理解できません。考えて見て下さいよカメラの前のあのテンションが一日中、一年中では本人が壊れますよね。社長だって愛人の前や友人の前では別人格で暮らしているんです。会社での私だけ見て分かったつもりになられてもね・・(笑)


私が社長として社員に言わなければいけない事も、個人的には言いたくないなどという、矛盾はよくあります。それは個人の責任と、社長としての責任の大きさや及ぶ範囲の違いによって、同じ考え方では通用しないからです。


私のような零細な会社の社長でもこうなのですから、一国のリーダーともなると大変でしょうね。したいのではなく、そうせざるを得ないなんてことはしょっちゅですから。

私のエッセイを読んでる方なら分かるはずですよね。私は思慮深く優しく誠実です。自分で言いますけどね(笑) しかしそればかりでは経営はできません。バサっと切り捨てる厳しさも生き残るためには必要になります。私個人ではやらない厳しい決断も社長としては、しなければなりません。私と社長の私とでは立場と責任が違うのです。


「毒にも薬にもならない」という人を見下げた言い方がありますが、逆に捉えれば私のように薬になる者は毒にもなるのです。個人としての私は紅色吐息です。誠実で寛容で聡明です(笑) しかし組織の長としての私はどうなんでしょうね・・・・・




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る