第6話 <イリーナ>

その日から、私は地下室へと移された。思っていたよりも、部屋は広く綺麗で調度品も、私の部屋にある物とさして変わりなかった。地下とはいえ、半地下のようになっている為、少しは明るいけれど、今までいた、輝くばかりの日の光が差し込んで来る私の部屋とは明るさが違う。

薄暗さ。それだけでも、気が滅入ってくる。そして、今まで大勢の人に囲まれていたのに、今は誰一人いない。侍女もいない為、なんでも一人でやらなければならない。

しかし、それよりも、苦しんでいる最中に兄様から告げられた事の方がショックだった。何度か聞いてはいたけれど、本当のことだと思っていなかったから。


 何度も兄様に「そんな言い方をして、自分を惨めな気持ちにさせるものではないよ」

と嗜められたけれど、私はこの地下室を「地下牢」と呼ぶことにした。半地下の部屋は、私にとって自由に出て行くことの出来ない「地下牢」。

地下に立ち入った者は、極刑に処すると言うお触れが出ている為、誰も近寄る者はいない。


 同じ部屋が二つあり、一日おきに、部屋を入れ替わる。いない部屋の方を地下室の門番が掃除してくれる。地下室は中からも外からも鍵がかかる。地下室から、出る事は叶わない。地下室の門番には顔を見せてはいけない。この二つは国を治めるお母様からの命令であって背いてはならない。


 やがて外からの鍵はかけられなくなった。私は女王である母の命令を違える事がなかったから。ただし、門番が勝手に入って来ないように、中からの鍵は忘れずにかけなくてはならない。


 兄様は近衛隊長としての軍務や、勉強、舞踏会など、ますます忙しくなっていく合間を縫って、一週間に二〜三回地下室を訪ねて来てくれた。他に誰はも私のところを訪れる人はいない。兄様が訪ねて来てくれるたびに、嬉しさのあまり小さい頃の様に飛びついて迎えた。飛びつくと、兄様はたいてい抱き上げてくれたり、頭を撫でてくれたりした。


 兄様は、時々お仕事だと言って、一週間くらい姿を見せない事があった。それすら、恨んでしまうほど、私は一人ぼっちだった。

いつまで、こんな日が続くのか、わからない。わかった事は、ルカに渡した指輪があれば、外に出られると言う事。一生出られないと、落ち込む度に兄様が励ましたり、慰めたりしてくれた。兄様が来てくれなかったら、私はきっと気がおかしくなっていたと思う。


 地下生活は全てが灰色がかって見えた。お気に入りのドレスを持って来てもらったり、

新しいドレスを着ても、見てくれる人は兄様だけ。それも、この薄暗い部屋の中では色褪せて見えた。いくら兄様が褒めてくれても、お気に入りのドレスでこの部屋から出て行くことができない事に虚しさを感じた。


「次来るときには、イリーナに似合う妖精の様なドレスを持ってくるよ」


趣味の良い兄様が見繕ってくれるドレスは溜息が出るほど美しい。ドレスが美しければ美しいほど、私は哀しくなった。


「兄様、新しいドレスはもういいの……」


「イリーナ……」


兄様は分かっていたはず。美しいドレスは多くの人から見られるためにある事を。


「昼間だけでも、外に出ることができる様にフェオドラ様にお願いしてみるよ」


「兄様、ありがとう。でも、お母様は指輪無くしては絶対に外に出るなと言っていたわ」


「せめて、指輪のありかがわかれば、どこまででも探しに行くのに」


兄様が何処にいるかわからないルカを探して行ってしまうと、その間ずっとひとりぼっちになってしまう。それが嫌で、ルカに渡してしまったと言えないでいた。



 地下牢の門番はサイラスという、口を聞く事のできない者だった。サイラスが扉の小窓を開け、食事を差し入れてくれる。サイラスはいつもビクビクしていた。姿を表さないように、言いつけられていた私は、サイラスが行ってしまうまで扉に近づかなかったし、掃除が終わるまでは、鍵をかけてもう片方の部屋に閉じこもっていた。



 ある朝、食事が来ないのでお腹を空かせて待っていると、部屋の中に兄様が飛び込んできた。


「兄様、どうしたの?」


兄様は、点検するように上から下まで私を眺めると、隣の部屋の扉を開け、床の上に目を落とした。つられて床を見ると、点々と血の跡があった。


「イリーナ、掃除の時に鍵をかけなかったね……」


昨日の記憶を辿る。言われてみれば、鍵をかけ忘れていたような気がした。兄様が痛々しい目をして私を見つめている。私は必死で記憶を辿った。


「……サイラスが私のいる部屋へ入ってきた?」


「それは夕食の後ではなかった?」


記憶がごちゃごちゃしていたが、そうだった気がした。サイラスが部屋に入ってきて、それから……。


「サイラスは、地下の詰所の所で血を流して倒れていた」


他人事の様に感じた。ふと自分の手を見ると、爪の間に血がこびり付いていた。


「私がサイラスを?」


足が震えた。座り込む前に兄様が私を支えた。


「イリーナ、落ち着くんだ。いいね、次からは絶対に、鍵をかけ忘れてはいけないよ」


それでも、意識のない時に、起こった出来事は夢の中の様で、あまり自分が何かしてしまったという実感がなかった。


 次の門番が決まるまで、兄様と一緒に掃除をし、兄様に食事を運んでもらった。兄様は私と一緒に食事をしてくれる。その後、一緒に勉強もしてくれる。だから、本当は、門番が決まらない方がいいと思っていた。けれど、兄様には近衛隊でのお勤めと勉強と社交界に参加する必要がある。

私も兄様同様、次期女王として直接お母様から教わらなければならない事や、社交界に参加する必要があった。けれど、ここから出る事はできない。分かっていても、寂しかった。


 兄様が来るのが待ち遠しかった。兄様はいつも、お花を持って来てくれた。お花は、地下牢の灰色の空間に、甘い香りと鮮やかな色彩をもたらしてくれる。花を活けた空間だけ、明かりが灯る様に色が鮮やかに見えた。

他には誰も私を訪れてくれる人がいない。それでも、小さい頃からずっと一緒にいてくれる兄様が来ると安心することができた。今、私の世界には私と兄様しかいない。


 いつかルカが指輪を持って現れるのではないかと、微かに期待をしていた。まるで、白馬の王子様を待つかのように。幼い頃に読んだ御伽噺のように、ルカが指輪を持って現れ、この地下牢から救い出してくれる、いつしか、そんな幻想を抱いていた。

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