【ゴスリリ】妛原閠、十四歳当時を振り返って
作者の人がTwitterで募集した、
#リプもしくは引用RTできたうちの子の10年以上前の様子について語ってみる
という企画で、「妛原閠」の十二年ほど前のことについて。
約十九歳。
何の話かと言えば、私とリリオとトルンペート、《
なんで急に年齢の話なんか始めたかって言うと、いやなんかこう、ねえ。甘いものは別腹と言わんばかりにデザートをもりもり食べてる二人を見るとね、これが若さか、みたいな気持ちになるものでね。
私も甘いものは嫌いじゃないし、甘いものを前にした人体が胃を蠕動させて文字通り別腹分のスペースを作り出すという話も聞いたことあるんだけどさ。それでも、二ポンドばかりのお肉と、一ポンドばかりの芋と、合わせて一ポンドくらいの
あ、いま言ったの一人分ね。一人当たり大体四ポンドの固形物とリッター単位の液体平らげた後のケーキ。なおケーキは六号くらいのを二人で左右から削ってる。ホール食いとか初めて見るわ。
帝国でも号数で呼ぶのかは知らないけど、大体直径十八センチくらいだから、六号ね。号数×三センチくらい。
私もちょっとは貰ったけど、ほんの二口だ。二人から一口分ずつ食わされた。違うよ。遠慮してるんじゃなくて、見てるだけで胸焼けするんだよこっちは。
ホール食いなんてしたことないけど、普通のカットしたケーキでさえ、ホイップ・クリームの乳脂肪ちょっと重いなって感じることもあったからな、生前は。二十六歳ってまだいう程には年じゃないはずなんだけど、まあ、あれは胃が荒れてたり、不摂生のせいだろうなあ。
いまの体はそう言うのも重たく感じず美味しくいただける健康なものだけど、それでもさすがに二人ほど健啖ではない。二人くらいの年頃でさえ、こんなには食べなかった。私は小食なんだ。
リリオと同じころ、つまり十四歳の妛原閠少女がどれくらい小食だったかと言えば、折角父が持たせてくれた弁当も、半分くらいは同級生に分けてしまうほどだった。
全く小鳥のような小食だったんだよ。
中学二年生というのは、学校にはすっかり馴染んできたけれど、受験のことなんかも考え始めなくてはいけなくて、身体も大人に近づいてきて、色々と複雑な時期だ。私も当時は子供らしく割と情緒不安定だった。いまでも情緒不安定とかいう正論は受け付けていない。
当時の私は幽霊部員しかいない文芸部に籍を置き、ほぼほぼ貸し切り個室と化した部室で過ごすことの多い引っ込み思案な文学少女だった。ネカフェ難民言うな。
まあそれでも、いまと比べるとずいぶん社交的な方で(当社比)、友達と呼べるような相手もいるにはいた。
女子バスケットボール部の
十四歳の閠少女は、お昼は必ず部室に逃げ込んでお弁当を開いていた。そうすると嗅ぎつけてやってくるのが后子だった。お昼一緒に食べようよという奴だ。
私としてはトイレに行くにも食事をするにもなぜどうして女子でグループ作らなければいけないのかはなはだ理解に苦しんでいたのだが、かといって断固拒否などという強気の行動になど出れない気弱な小鳥ちゃんとしては、クラスの人気者に逆らう勇気などなかったのだ。
「また来ました」
「何度でも来るさー。それとも邪魔?」
「邪魔です」
「コンマ2で返してくるし」
勇気などなかったのだ。
まあ、うっとうしくは感じていても、実のところ助かっていたのも確かだった。
后子の女バス部情報はどうでもよかったけれど、クラス内外のニュースをそれとなくお喋りしてくれるので、クラス内鎖国制度を敷いている個人としてはいい情報源だったのだ。関わり合いにはなりたくないが、知っておかないと関わったとき面倒だからね。
そしてもう一つ。
「やあやあ、うるるんのお弁当は今日も、あー、美味しそうだね」
「素直な所は?」
「かわいくて、でかい」
そう、私のお弁当はかわいくて、そしてでかかった。
生きるのは不器用なくせに小手先の技術は何かと器用な父お手製のお弁当だった。
絶対にその手のセンスを持ち合わせていないだろう癖に、雑誌などを読み込んで理論武装した父は、キャラ弁、というのか、愛らしい熊さんの形をかたどったハンバーグとか、ハート形に切った卵焼きだとか、さくらでんぶその他でデコレーションした顔つきのおにぎりとか、そう言うのを真顔で詰め込んできたのだった。
出てきたことはなかったが、多分頼めば、アニメなどのキャラ弁も作れたことだろう。いわゆる、SNSで映える奴を。
そしてその映える奴を、アルマイト製のごつい弁当箱に詰めてくるのだった。ドカベンという奴だ。別のSNSで映える奴だった。
后子は自分の、まあ極普通のお弁当を手早く平らげてしまって、その空いた弁当箱を当たり前のように差し出してきた。
そして私も当たり前にそこに自分の弁当を半分ばかり盛り付けてやる。これでようやく普通の量じゃなかろうか。
バスケット・ボールでかなりのカロリーを消費するという后子は、私の弁当を半分追加で食べて、そして後でまた腹が減ったと言い出すのだから、恐ろしく燃費の悪い女だった。リリオみたいなやつだった。
しかも食うのがはやく、私がもそもそと半分のお弁当を食べ終わる頃に、自前のと私の半分とを食べ終えて食後のお茶など楽しんでいた。
「いやー、いつもご馳走様」
「お粗末様、って私が言うものでもありませんね」
「お父さんが作ってくれるんだっけ? 器用だね」
「見た目はともかく、量を減らしてほしいのですが」
体も大きくよく食べる父は、私にもたくさん食べさせようとして、こんなドカベンを用意してくるのだった。何度か減らしてくれるようにお願いはしたのだが、身体に悪いと言って認めてくれないのだった。
「いやでもさー、うるるんはもうちょっと食べるべきだと思うよ」
「嫌です」
「コンマ2かー」
私のお弁当を目当てにやってくる女は、いつも同じことを言っては、同じように断られていた。学習能力がないというか、懲りないやつというか、それともお約束とでも言うべきなのか。
そしてそのお約束はいつもこう締めくくられるのだった。
「ねーねーうるるん、女バス入ろうよ」
「嫌です」
「コンマ2だねー」
「私は御覧の通り小鳥のように弱々しいので、文芸部が精一杯です」
「いやあ、その身体で小鳥は無理があるって」
「死ねばいいのに」
中学二年生、十四歳。
当時の私は、女バスのエースを見下ろして、なんなら男バスも見下ろして、クラスどころか学年全員を見下ろしてなお成長の止まらない身長に苦悩している小鳥ちゃんであった。
なお後で結局お腹が空いて買い食いしてたので、やはり材料を投入するとのびるのだなあ。
と、思い出話などしてみたところ、ようやく腹の満たされた虎二頭は顔を見合わせた。
「小鳥は無理があると思います」
「よねえ」
「君らね」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます