第11話 何してもいいんだね


「せっかくのお泊り会だし、修学旅行みたいに好きな人が誰か言い合いっこしようよ」


 午後十一時過ぎ。

 客人用の布団に寝転がり常夜灯を見つめていた僕は、天城の突拍子もない発言に「は?」と返す。


「あたしはね……ふふーっ、誰だと思う?」

「知るか」


 何だこの茶番はと思いながら、気恥ずかしさと共に吐き捨てた。

 天城はもぞもぞと動いて、顔だけベッドから出しこちらを覗く。


「そういうイジワル言うなら、教えてあげよっか? 忘れられないくらい、じっくり」


 淡い光を背に発せられた甘い脅迫。

 薄闇の中で弧を描く唇に、僕は先ほどのことを思い出しゴクリと唾を飲む。


 いや、違う。そうじゃない。

 唇? 何のことだか。あれはコンニャクだ。確かにコンニャクだった。


「……早く寝ろ」


 最大限手加減したデコピンを食らわすと、彼女はへへへと笑い頭を枕へ戻した。

 それを見送って、瞳をまぶたで覆い隠す。


 壁掛け時計の秒針が歩く音。冷蔵庫のコンプレッサーの音。天城が吐息を漏らす音。


 暗闇の中で、研ぎ澄まされてゆく感覚。と同時に、眠気に侵食され鈍くなってゆく意識。

 心地のいい微睡に浸っていると、


「もう寝た?」


 天城の声に気が冴え、舌打ちしそうになった。

 まずいまずい。イラッとはしたが、ここは彼女の部屋だ。多少のことは許さなければ、と心に言い聞かせて寝たふりをする。


「ほんとに寝ちゃったの?」


 寝た寝た。

 もうとっくに、ぐーすかぴーだ。


「ってことは、何してもいいんだね」

「いいわけないだろ」

「起きてるじゃん」

「……」


 卑怯だろ、それは。


「好きな人の言い合いも枕投げもしないからな」

「そういうんじゃなくて……」

「じゃあ何だよ」

「これからも泊まりに来て欲しいなーって……そう思って」


 無理に決まってるだろ、と一蹴しかけて。

 彼女の声音が嫌に落ち着いているのが気になり、喉元に控えた言葉を飲み込む。


「今日みたいな仕事があった日は、脳内反省会がすっごくうるさくてさ。ああすればよかったー、とか、失礼はなかったかなー、とか。不安で寝れない時もあって……」


 ぐしゃぐしゃになったイヤホンのコードを解くように、ゆっくりと丹念に言葉を選び思いを綴る。


「あの、だから、たまにでいいから一緒にいてよ。変なこととか、絶対にしないし」


 その声に、数時間前に僕のネクタイを掴んだ時のような強引さはなかった。

 こちらの様子をうかがうような、悪く言えば媚びるような。

 不自然なまでのしおらしさに、僕は返答に困る。


「そういうのは、同性の友達に頼めよ。いくらでもいるだろ」

「佐伯がいいの」

「……僕を落とすのに、都合がいいからか?」


 わざと意地悪な聞き方をすると、彼女は首を横に振ったのかベッドが小さく軋む。


「佐伯だけだし。あたしがそんなに強くないって、わかってくれてるの」


 そう言って笑う。

 情けなさを包み隠さず、乾いた声を漏らす。


 教師から我慢を強いられ、元カレには雑に扱われ、友達にすら弱さを見せられない。そんな天城を、シンプルに不憫だと思った。


 彼女の側に立てば、不安な夜に誰か傍にいて欲しいという気持ちは痛いほど理解できる。

 しかし、こっちにはこっちで事情がある。


「何度も言ってるだろ、不純異性交遊は禁止だって。今こうしてるのだって、もしバレたらまずいことになるのに、定期的に泊るなんてリスクが高過ぎる」


 今回は、鍵が無い上に身動きが取れないという特別な状況だ。

 そうでもない限り、問い詰められた時に言い訳のしようがない。何もしていないと言っても、その証拠がないのだから。


「そ、そうだよね。ごめんごめん。じゃ、あたしがそっちに泊まっちゃおっかなー」

「何でそうなるんだ」

「添い寝してあげるよ? これから寒くなった時、あたし、結構体温高いから役立つと思うけど」

「……」


 無理に明るく振る舞おうとする天城に、僕は言葉を返すのをやめた。

 代わりに枕元のスマホに手を伸ばして画面を点け、


「これ、僕の連絡先。夜に友達と電話するくらいで、文句は言われないだろうし」


 誰もが使う無料の連絡用アプリのIDを表示させ、スマホを持ち上げ天城に見せた。

 彼女は早速友達申請を送ったようで、ブーッとスマホが振動しメッセージが届く。


【アンナ:ありがと】

「……おう」

【アンナ:大好き】

「っ!」


 ガバッと起き上がると、天城は身体をこちらに向けていた。

 半袖のパジャマから伸びた白い腕に挟まれた胸が、ふにゃりと形を歪ませる。 



「これでトーク画面開いたら、いつでもあたしの気持ち伝わっちゃうね」



 瞳に灯す、蕩けるようなささやかな炎。

 ノーメイクでいつもの派手さはないが、しかし心臓に悪いほど美しい顔が画面の光に照らされ、妖しい笑みを強調する。


 艶っぽい息遣いも相まって、僕の中でいけないスイッチが入りかけた。

 浅く深呼吸して画面に向き直り、スタンプを連打する。これで天城からのメッセージは遥か彼方、「えー!」と文句を垂れるが知ったことではない。


「あんま変なの送ってきたらブロックするからな」

「下着姿の自撮りとかもダメ?」

「だ、ダメに決まってるだろ!」

「見たくないってこと?」


 僕は口を噤み、枕に頭を落とした。

 もちろん見たいが、そんなものを網膜に焼き付けたら一生離れないし、天城を健全な目で見れなくなってしまう。それに万が一妹に発見されたら、その時点で一人暮らしが終わる。


「流石にそろそろ寝よっか。起こしちゃってごめんね」

「……あ、ちょっと待ってくれ」

「どしたの?」

「いや、僕の方からまだ、お礼してなかったなって。鍵探してくれたり、手当してくれたり、泊めてくれたり、本当にありがとう。助かったよ」

「気にしないで。言ったでしょ、これはあたしからのお礼だって」

「つり合ってないだろ。僕はここまで至れり尽くせりされるほどのことはしてないし。約束してた中華も作れなかったし」

「それこそ、足怪我してるんだから仕方ないでしょ。気にしな――」


 突然、声が止まった。

 数秒の間を置いて、天城は芝居じみた盛大なため息を漏らす。


「あーあ、酢豚食べたかったなー。楽しみにしてたからへこんじゃうなー」

「え? は、はぁ?」

「あたしを期待させて裏切ったんだから、どっかで埋め合わせしてもらわなきゃだよね」

「じゃ、じゃあ、今度作るよ。一週間もすれば、普通に立てるようになると思うし」

「それは違うじゃん。今日、仕事して帰ってから食べることに意味があったんだから」

「……僕にどうしろって言うんだ」

「一緒にお出かけするって約束してくれなきゃ、ずっと落ち込んじゃうかも」


 つまり、デートをしろってことか。


 ふざけるな、と言いたいところだが。

 僕の不注意で期待を裏切ったのは事実だし、現在進行形で過剰なまでに世話を焼かせてしまっている。何らかの形でお返しをしないと、僕の気が済まない。


「……わかったよ。どっか遊びに行くか」

「ほ、ほんと!? やったー!」


 異性と映画館やカフェに入っただけで、不純異性交遊とはならないだろう。たぶん。

 天城がホテル街のような怪しげな場所に誘ってきた時は、全力で逃げればいい。


 それに僕としても、お返しの形を指定された方が気楽だ。

 下手に知恵を絞って何かして、喜ばれなかったら普通にへこむし。


「でも、遊びに行くのは中間試験のあとにしてくれ。天城の授業の成果がどれくらい出るか、まず確かめたいし」

「うん! じゃあ、それまでにどこ行くか考えとく!」


 心底嬉しそうに声を弾ませる天城に、不覚にも口元が緩んでしまった。

 こんな可愛い子が僕と遊びに行くことを楽しみにしているという現実に、どうしたって心が揺さぶられる。


 まずいまずいと緩みを律し、まぶたを閉じて「おやすみ」と吐いた。

 一人暮らしでは無縁な寝る前の挨拶。久々に口にすると妙な恥ずかしさがあり、黙って寝ればよかったと少しだけ後悔する。


「おやすみー!」


 実家では当たり前だった返答に、一瞬だけ芽を出した後悔はあっさりと摘み取られ、代わりに温かい感情が込み上げた。その淡い熱を抱きながら、眠気に意識を委ねる。

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