人魚姫は眠らない

个叉(かさ)

第1話

人魚姫は眠らない。


ーーなんで

ーー泡になって風になるから?


風?


ーーうん。風になって天に上るんやろ


ええ?それって人魚姫?


ーーそやで


違うわ。人魚姫は魚やん。


ーー魚?


人間と違って魚は眠らんやろ?

この前水族館にいってベルーガを見たん。

イルカって大脳の左右半球を交互に休めて眠るやろ。

眼や体は睡眠と別次元にいるっていう。


ーー半球睡眠のこと?


うん、それ。


ーーそれで何か?


人魚姫も同じ。

だから、人魚姫は眠らないんやとおもう。

だから人魚姫って、可哀そうで、完璧。




ーーーーー




彼女は薄暗い夜の街を歩く。


真黒のネイルに全身が黒いコーデ。

真っ黒なロングヘアとその前髪は切り揃えられている。

前髪の一部は白く、耳には大量の銀のピアスが鎮座している。

革のスカートで颯爽と歩く彼女の足元は短ブーツ。

モノグラムの革のリュックを背負う、長い黒髪が左右に揺れた。


ネオンの灯りが足元を照らす。

平坦なアスファルトが、その光で凸凹をはっきりさせている。


薄暗いビル街と、繁華街の中間地点。

より明るい方のビルの下には、二人の女性がスマホを覗き込んでいる。

会社員らしい。

誰かと待ち合わせしているのか、時間潰しなのか。

用件は知れないが、暇なことは確かだろう。


「これ、貴方は見ない方がいい。それよりこれ。比べてみた動画。こっちはみた方がいい。是非みて欲しい」

「そうなんですか」


少し年上らしいショートの髪の女性が、ベージュのコートを来たゆるふわの髪の女性に動画を薦めているらしい。

遠くからでもその声は響いていた。


「ああーおもしろいですね」

「これみたことないですもんね」

「私もおすすめがあるんです。鼓とか使って、和風の服装で、狂言のお笑いなんですけど、面白いです」

「へぇー好きかもしれないですね。あ、これ見て欲しい。これとこれを比べてみた」

「面白そうですね」


ロングヘアは彼女らの前を通りすぎた。


コンビニが目の前にあり、そこから女子高生が三人出てきた。

彼女達に進路を塞がれる。

塞いだ本人達は、歩道いっぱいを占拠した。


「3カ月もったんやけど」

「へぇー」

「聞かせてあげたいっていうから聞いてあげなきゃって思うんやけど…」


彼女達は女性の進路を妨害したことなど気づいてもいないようで、最近付き合った彼氏の話をしているらしい。

恋は盲目とは良く行ったものだと思う。


余裕があるときなら、彼女も耳をそばだてていただろうが、生憎と今日はその余力はない。


「話を断とうとしてるんじゃなくて。でもそうなるやん」

「…余計聞こえへん」


途切れ途切れに、前を歩く女子高生たちの声が街路に響く。


苛立ちながらロングヘアは彼女たちを追い越した。

その動きに苛立ちが出ていたのかも知れない。

「なにあれ」「BBAうっざ」、それらを聞き流しながら、道の先にある角を曲がった。


細い路地には数人の男女がたむろしている。

明るかった先ほどの通りと違う。

どこか閑散として排他的、退廃的な雰囲気が漂う。


壁際で笑いながら手を握っていたスーツの男女が、その手を握り直す。

女性が鞄を確認するために手を離し、鞄を握っている手と逆にかけなおした。

すると、男は繋ぎなおした手を強引に恋人つなぎにした。

バランスを崩した女性は再度鞄を抱え直す。

女性の「いいよ」という合図で、男は恋人つなぎにしていた手をにぎにぎして、愛を確かめる。

何処か桃色を含んだ声が女から漏れた。


彼女は男女を平然と通り抜ける。


数件先のビルとビルが重なって袋小路になっている場所。

雑多に自転車が置かれている。

ビルの横には自転車置き場がある。

そこに置けなかったのか、または駐輪料金を節約した自転車達なのかはわからないが、兎に角雑多に置かれたそれらの前。

スプレーで落書きされているブロック塀。


そこの地べたに座る女性を見て、ロングヘアの女性は表情を緩ませた。


「あ、瑠衣。どうしたん」


女性に気づいて、その人が振り返る。

ボブカットで爪はパープル。

スポーティーなフードのついた上着に、細身のパンツにツートンのスニーカー。

布のリュックを椅子にしている。


彼女は、数年前にこの街で偶然再会した幼馴染み。

思い出すのは、絵本を囲んで読んでいた頃。

あの満ち足りた日々の記憶。

心を許せる数少ない友人だ。


「家追い出されてんけど。泊まるとこない」

「まじで?ヤバない?」

「ちょっと泊まれるとこ知らん?」


黒のロングヘアを揺らして、瑠衣はボブカットの隣、誰のものとも知れぬ自転車の上に座った。


ボブカットは、うーんと数秒唸ってから、頭を抱えた。


「あー、うちは彼氏がええっていってくれるか微妙やわ。あとはあいつ位やけど。あの子もこの前同棲するって言うてたやん」

「やんなー。全滅やわ」


ロングヘアの女性は自転車の上で腕をばたつかせて地団駄を踏んだ。

ボブカットが半眼で彼女を見る。


「あんたも家出たら?」

「あたし彼氏おらんもん」

「まあな」

「詰んでるやろ?」


ロングヘアは笑う。

どこか達観した笑いに、ボブカットは眉を寄せた。


「サイ○籠るとか」

「東京って味濃いやん」

「おいしいって。あんたまだ慣れてへんの。マクドは?」

「気分やない」

「味うるさいなー。もうこっちきて何年よ」

「六年?味はあかんけど、関西弁は隠せるで」

「あんたうまいもんな、関東弁。あー、あとオケでオールとか」

「ちょっと前にライブの遠征いったやん。オールの金ないわ」


どうするかなー、二人で真剣な表情をしていると、ビルから数人の男達が出てきた。


彼らはまっすぐ少女達の方へ近づいてくる。

どうやらこの放置自転車が目的のようだ。

ロングヘアの女性は自転車から降りる。


「瑠衣じゃん」

「げ」


男達のなかに見知った顔があったらしい。

ロングヘアの女性が、カエルのつぶれたような声を出す。

茶髪の男だ。


男は彼女の渋面も気にせず、彼女に近づき、その顎を無遠慮に掴んだ。


「ちょっと!」


ボブカットが声をあげる。

茶髪の男の仲間達が、ボブカットの周りを固めた。


「お前ここにいるってことは、泊まるとこないんだろ。俺のとここいよ」

「嫌よ」


ロングヘアが茶髪の男を睨み付ける。

顎を掴んだ手を払い除けたかったが、茶髪の男は、彼女をブロック塀に細い腕ごと押し付けていた。

彼女は潰されている腕を、体勢を変えようともがいた。


「この前は俺のとこ泊まっただろ」

「あんた下心見えすぎ。あんなことなるんなら最初から行かないから」

「とかいって、俺が好きだからこんなとこうろついて。声かけられるの待ってた?誘ってるんだろ。俺の自転車の上に乗っちゃって。期待してるの、そっちだろ」

「違…!」


男が彼女の革のスカートの間に足を差し入れる。


彼女の身体が強ばる。

彼女の抵抗はそれ以上続けられなかった。


「ええ加減にして!!」


ボブカットがリュックを振り回す。

リュックが一部、男達にあたる。

あたった男の形相がみるみる変わっていく。


「てめぇ、なめてんのか」

「きゃあ!」

「やめて!!」


怒った男に突き飛ばされたボブカットが、アスファルトに転がる。

ロングヘアが悲鳴をあげた。


「なあ、お前次第だろ?瑠衣。あいつも連れてってもいいけど?」


茶髪の男が薄汚く嗤う。


「わかったから。その子には手を出さないで」




ボブカットがちゃんと解放されたのを確認して、彼女は男に従った。


肩を抱かれて繁華街を歩かされる。

寄りかかってくる男が重い。

足取りがふらついて、地味に体力を削られる。


通行人が彼女の顔色の悪さに気づきながらも無視して通りすぎていく。

誰も何も触らない。

当たり前の事だ。

当然すぎて憤りもない。


「あれ、瑠衣?」


その声も幻聴だ。

誰も顔も眼も合わせない。

いやにのしかかる男が重くて、顔があげられない。


「瑠衣やろ?」


のし掛かってくる男と違う手が、彼女を掴んだ。

驚いて彼女は掴まれた腕の方へ顔を向ける。


ぴしゃりと着こなされたスーツ。

糊のきいたシャツといい、メリハリがきいている。

そしてそのスーツを着こなしている男性に、見覚えはなかった。


何故か自分の名前を知っていることに、彼女は一抹の不安を覚える。

今寄り掛かっている男と同じ類の知り合いだろうか。だが、その割には身形が良い。


「ほら、やっぱり。覚えてない?陽太だよ」

「え?陽太?」


彼女に甦った記憶。


キラキラと窓から光の溢れる木製の床の上で広げた絵本。

人魚姫の絵本。

それを囲む、三人の子供たち。

女の子のうちの一人は瑠衣、もう一人はボブカット。

二人の女の子と、もう一人。


優しくてかわいい、彼女の幼馴染み。

よくボブカットと彼の隣を取り合った。

ぎくしゃくした原因。


彼は元のままだ。

どこかおぼこい顔つきで、優しい。

イルカのタイピンなんかは、パリッとしたスーツの印象と対照的に、可愛らしい印象を与える。

そのまま成長した彼の姿に、彼女はしばし言葉を忘れて見入ってしまう。


スーツの男性が顔を綻ばせる。


「うわ、久しぶり。今なにしてるの?」

「えっと」

「誰か知らねぇけど、こいつに用事?今俺ら忙しいんだけど」


茶髪の男が、スーツの男に喰ってかかる。


彼女はそれを怯えた眼で見つめる。

きっと、彼も通行人と一緒。

これ以上こんな厄介な男に関わるなど、率先して挑戦しようとなどしないだろう。


「ああ。それは失礼しました。ただ、久しぶりに会ったのでつい」

「そうそう、失礼じゃん。失礼ついでに俺に詫び料払えよ」

「やめて!」


彼女は叫ぶ。

面白がって茶髪の男が口笛を吹いた。


「俺んちに泊めてやろうと思ってたんだけど。やめてホテルにしようぜ。あそこは色々揃ってるから…」


茶髪が彼女を引き寄せようとして、失敗する。

スーツの男が茶髪の腕を軽く捻ったのだ。

茶髪が呻く。

彼は流れるような所作で、バランスを崩した彼女だけを受け止めた。


「あ」


受け止められて、彼女は彼の肩に体重を預けた。

彼は彼女を支えながら、器用に茶髪を締め上げる。


「いてぇいてぇいてぇ!!!離しやがれ!」

「彼女は僕と帰りますから。いいですか?」

「いい!いいから離してくれ、悪かったよ」


走り去る茶髪のチンピラ。

スーツの男は呆れて眼を細める。


「あいつ失礼やな。大丈夫やった?」


スーツの男は彼女を覗き込む。

その姿は昔のままのようで、成長してすこし頼りがいがあり、いい匂いがした。

大人っぽい、セクシーな香り。


それが離れていた年月を思い起こさせた。


彼女は悟る。

彼との世界の違いに。

宿無しで。

誰とも分からない男にホテルへ連れ込まれる女。

そんなところを、大好きだった彼にみられてしまった。


「別に。失礼じゃないよ」


口をついて出たのは、標準語。


距離をとるために彼女は態と使う。

幼馴染みとの久しぶりの再会。

良くあるドラマや少女漫画なら、恋でも事件でも起きそうだ。

だが、現実、恋が始まる訳がない。


「前にもアイツに泊めて貰った。何があったかは想像に任せるわ」

「え?」

「昔と同じやと思ってるん?バカやなぁ」


力なく、嘲る。

そして笑う。

自分は平気だと、そういう女だと。

精一杯強がって。

態とらしく冷たい態度で突き放す。

自分と関われば彼が不幸になると、彼女はわかっていた。


踵を返して、それでも何か話してくる彼を無視する。

そして全速力で駆けた。


「待って」


彼が追ってくる。

息が切れても、彼女は走り続けた。

止まるわけにはいかない。

もし止まったら、戻れなくなる。


繁華街を抜けて、薄暗い交差点を横切る。

クラクションの音。

赤と白の明滅する光。

叫び声。

そして、彼のーーーー顔。


そこで彼女の意識は途切れた。











ーーーーー

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