第24話 お礼



「──ここで、ですか?」


「ええ、ここよ」


 第3校舎の最上階まで腕を引っ張られたまま連れて来られた。


 パソコン教室や数学の教師が時々提出物を確認するのにしか用途が無いこの空間に人は全く居なく、現在も木下姉と2人きりの状態だ……少し心が落ち着かないな。


「まさか木下先輩がそこまで強引な人間だとは思ってませんでした」


「最近の男性はこういう女性にも惹かれるものでしょう?」


「あまりに乱用してると失恋者の屍を築くことになりますよ」


「アハハっ。確かにそうかも知れないわね?」


 木下先輩の人となりがまだ把握出来てない段階だが、妹でさえもう既に学年のマドンナの評判を得ていることを考えてみても、この人は妹の方以上にスタイルも顔が凄い上にダンス部の部長で成績も良いという。そんな女性がモテないはずがないか。 


「それで要件は何でしょう?」


「うん、先ずはお礼を言わせて欲しいの」


「ぁ……」


 そう言うと丁寧に頭を下げて来たので突然のことで驚いてしまった。


「話は全部聞かせてもらったわ。妹のために尽くしてくれて本当にありがとう。おかげであの子が心の底から好きなことが見つかって、自分なりの青春を見つけられたようなの。それも決して下品な見返りを求めることなくね。姉としてお礼を言わせて」


 妙に畏まり過ぎな気がするが、取り敢えずお辞儀してることで重力に引っ張られてる大きな双丘にこれ以上視線が向かないように窓の外でも見つめることにした。


 これが満乳引力というやつだろうか……破壊力が抜群な最終兵器だな。


「そうですか。それは良かったですね……最初は面倒臭がってただけですけど妹さんは真摯に俺の教え通りにダンスと向き合ってくれてるので教え甲斐があるんですよ。それに俺の試練を突破して来たあいつの運が良かっただけなので、良いですよ別に」


 今となっては木下さんにダンスを教えることに達成感すら覚えるようになって来たけど、最初は無理難題をふっかけたつもりで突き放そうとしてたからな……そう考えると木下先輩のこの純粋な感謝を受け取るにはむず痒い気持ちが掻き立てられる。


「それでもよ。私も見ての通りで母親の優秀な遺伝子が遺伝子たおかげで私もあの子も自然と異性の視線を惹きつける見てくれを得てしまったの。だから私たちのような女性を求めて汚い手を使おうとする大人が世の中に跋扈してる中、貴方だけが不謹慎な見返りを求めずに誠心誠意を持ってあの子と向き合ってくれたのが嬉しかったの」


 おうおうたいそう自分のプロポーションに自信を持ってるんだなこの人は……。


 まあ『女を抱きたい』という自然な欲求が無いかと言えばもちろん嘘になるけど、木下さんとはただの肉体関係で俺との関係を完結させるのは勿体なさ過ぎるからな。


 本人にはまだ言っていないが俺はこれからのあいつの成長を非常に楽しみにしているから、これからも上達出来るように寄り添い続けたいと思っている。


「いえ……ただ面と向かってそんな提案を持ち掛けられない程のヘタレなだけとも言えますし、俺は別に聖人君子なヒーローでも何でも無いですよ」


 かつて中学時代に俺へとわらわら集まってくるBBOY予備軍に『僕の教える通りに練習に取り組みさえすれば、必ず上達するよ』と説明しながら彼らに教えてたし、何なら求められてたみたいで一時はぷちインストラクターの自分に酔っていた時期もあったが……皆が練習のキツさにお手上げになって辞めてから、そんなものは捨てた。


 教える側がどれだけ生徒に熱心に付き合ってモチベを上げようと尽くしても、結局学び手が教えを吸収することを放棄すれば俺の方からはもう何も出来なくなる。それでも木下さんは毎回我武者羅がむしゃらに突き進むから、俺はそれを後押ししてるだけだ。


「謙遜しようとしても無駄よ。体験入部のときにあなたがダンスと真摯に向き合っているのはこの目で見せてくれたし、じゃないとあんなにも凄いソロパートを踊れたりはしないわよ。そんな男がユウキと仲良くしていたのは光栄なことよ、そう思うわ」


 すると何処か闇を見据えるような瞳で見つめて来ながらその艶やかな口を開いた。


「──西亀颯流にしがめせしる、それが君の名前だったのね。妹からその名前が出て来た時は私も本当にビックリしたわ。……それにしても、またすることになるとはね……」


 何だと……俺は昔に木下先輩と会っていたことがあるとでも言うのか……!?


 よくラノベで出てくる唐突に耳がジジイ化する謎の難聴系主人公でもあるまいし、彼女の最後の呟きは俺に対して言ったものじゃなかった様子だったが聞き捨てならないセリフだ……なぜ、どうして、いつ、などの言葉がずっと頭の中をグルグル回る。


「……再会って、俺たち昔に出会ってたんですか?」


「ぁ、ああごめんね、ただの独り言よ……セシルくんが気にすることじゃないわ」


 過去を軽く振り返っても俺には生き別れた姉や、可愛い幼馴染や、将来に結婚を約束した女友達などは一切居なかったはずだから、木下先輩がそう言うのなら気のせいなんだろう……さっきの呟きは明らかに俺に対して言ったものじゃなかったしな。


 はあ、ビックリしたぞ……こんな絶世の美女と出会ってたのなら記憶操作でもされなかった限りは忘れているはずもない。それ程に彼女は魅力的な女性だからな。


 それどころかそんな女性に唐突に名前呼びをされたのが1番の衝撃なんだが!?


「い、いきなり名前で呼び捨てですか……」


「あ……もしかして嫌だったの? ご、ごめんね。不快にするつもりは無かったの」


 な、何だ!? いつもの自信満々で天真爛漫な先輩が別人になってしまったかのように俺の機嫌を伺い始めている……一体どうしたんだろう木下先輩は。


「ぜ、全然大丈夫ですよ! セシルと呼んでくれて構いませんので、それこそ木下先輩の方こそしっかりして下さいよ……俺に気を使うことなんてありませんのに」


「あ……確かに、それは不自然だったかも知れないわね。わかった、そうするねっ」


 そう言うとこの前見かけたようないつもの凛々しい大人な女性の木下先輩が戻って来たのでようやくホッとした……やっぱりこっちの方が違和感無くしっくりくる。


 先程までの優柔不断さは恐らく俺が妹さんのヒーローみたいな認識を抱いてたから遠慮ばかりしてたんだじゃないだろうか……まあともかく直ったので話を進めるか。


「それじゃあ木下先ぱ──」


「ミユよ」


「……木し──」


「ミユと、呼んでくれないかしら?」


「じゃ、じゃあミユさんで……」


「うん、これからも私のことをそう呼んでちょうだいっ」


 謎の圧力でそう許容されたので仕方なく妥協案としてさん付けで呼ぶことにした。


 何だか俺は初対面からこのき木──ミユさんに振り回されっぱなしな気がするぞ。


「は、はあ……」


「うんうん、それじゃあ話を進めるけど……さっきも言ったようにセシルくんがユウキと真摯に向き合ってくれてるのが凄く嬉しいの。だから両親の気持ちも代弁して私個人からお礼をさせて欲しいの……私に出来ることなら、何でもしてあげられるわ」


 そう言うと1歩距離を詰めて来たのでその分だけ後退してしまった。


「は? な、何でも? 幾ら何でも恩がデカ過ぎませんか……?」


 更に1歩詰めて来て顔を近づけてると艶やかに笑ったせいでドキッとさせられた。


 そんなセリフ軽々しく言うなよ、俺じゃなかったら本気で貞操の危機が訪れるぞ。


「そう、何でも良いわよ……ほら、お姉さんに言ってみて?」


 この人には男をダメにする特殊能力でも内蔵されてるのかもしれない。


「い、いや……別に今の俺にこれといった不満はありませんよ」


 家に帰ったらママの美味しい夕飯が食べられてルナと一緒にゲームしたり寝たり他の遊びも出来て楽しいし、週末では生き甲斐のブレイクダンスに打ち込むことで趣味を満喫すると同時にお金も稼げるし、週に2日間木下さんとダンスを教えてる日々。


 控えめに表現しても俺のリアルは充実していてこれ以上に望むことがあまり無いからな……改めて振り返ってみても俺は今この瞬間を楽しく生きられているのだ。


 これ以上他人から何かを分け与えてくれることに期待も望みも持ち合わせてない。


「本当に良いの? さっきも言ったと思うけれど私の身体、魅力的だと思うけど?」


 そう言いながらわざと体勢を前に倒すことで上目遣いと制服の間から覗かせる谷間を見せつけることで俺を誘惑して来るんだが……ついでに笑顔も蠱惑的な印象だ。


「……俺もセクシーだと思いますけど、欲求不満なら他を渡って下さいよ。候補は大地に湧き出る温泉の如く幾らでもいるでしょう」


 絶対に俺を誘惑することで楽しもうとしてるんだろうな……ほぼ初対面の女性が男に本気で身体を売り込むなんて漫画や映画の中での話のみに決まっている。


「確かにそうだけど興味も無いわね。セシルくんとなら、しても良いと思ってるの」


「いや、良いですよ別に……」


「それじゃあ借りを返せないじゃない……意固地にならずに素直になれば良いのに」


「他に幾らでも謝意を伝える手段があるでしょうが」


「本当にそう思ってるのかな〜?」


 そう言っても何故か蠱惑的な笑みと体勢を維持したまま下がってくれない……何故だ、俺を揶揄ってそんなに楽しいものなのか? それとも本気で言ってるのか?


 すると俺の耳元にふぅーと風を吹き込んできた。だから近い近いっ! 視線が下がらないようにしてるのが精一杯だが、幾ら何でもドキドキさせられないはずがない。


 何ならめっちゃ良い匂いもするし、今その艶やかな長い黒髪が肩に当たってるんですけど……鼻息も首元に当たってるせいで俺の体が変に緊張してしまっている。


「──今日はちゃんと準備してるわよ」


「っ……だからもう揶揄うのやめて下さいよ!」


 一瞬つい欲に負けそうになりかけたので後ろに大きく下がって距離を取ることに。


「あははっ。セシルくんの反応が初心で可愛いわね〜お姉さんキュンと来ちゃうわ」


「もうその手には乗りませんよ……」


「そのようね……セシルくんったら意思が強過ぎるから奇襲でもしないと無理そう」


「……とりあえずメイティングから離れませんか?」


「あははっ、凄く可愛らしい表現を思いついたのね、気に入ったわ!」


 某漫画作品からの受け売りで絶妙にエロくなさそうな単語で俺も気に入っている。


「それじゃあ話を戻すよ、セシルくん。あなた、ダンス部においで」

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