意思持つメガネ

川上毬音

【1】


「ねえ、今どこにいるの?」


 携帯電話のアラームが十回くらい鳴り響いた所でようやくベッドから這い出たナナコ。その頭には今朝も相変わらずの寝癖が大量発生していた。半分しか開いていない目で、私のことをおろおろと探している。


 半開きな上に、当然ながら裸眼だ。その状態ではまともに周りが見えないはずだ。危なかっしいったらありゃしない。


 全く、実際はすぐ近くにいるというのに。私はテレビ台の上だよ、ナナコ。

 最近この部屋にインテリアとして仲間入りしたフェイクグリーンの横に、昨日の晩ナナコが置いたんじゃないか。


 毎日毎日、ナナコはこの調子だ。寝たら記憶がリセットされてしまう仕組みになっているのだろうか?


 ナナコに私の姿は見えていなくても、私からナナコはよく見える。


 景色を透過させるガラスの美しさはまるで私の心のよう。このガラスを、私は二枚装備している。一枚では駄目なのだ。二枚揃って初めて百パーセントの力を発揮できる。

 そしてこの薄いガラスを支える、ダークブラウンのフレーム。太めな造りが洒落こんでいる。我ながら惚れ惚れしてしまうデザインだ。ナナコのうすぼんやりした顔も、私という武器一つで驚くほど様になる。


「ねえ、どこ?私のメガネ、どこにいるの?」


 本来なら、『いる』ではなく『ある』が正しいはずだ。でもナナコは、まるで私に語りかけるかのように、私のことを日々探している。


 おかげでいつの間にか私は、意思を持つようになってしまった。人間と同じように、「考える」ことができるのだ。心があるのだ。メガネという、無機物なのに。


 これがもしエスカレートしたら、言葉を発することもできるようになってしまうのだろうか。場合によっては、便利なことではあるのかもしれない。


 例えば今のようにナナコが私のことを探している時、こちらから居場所を伝えることができるのだ。必要以上に時間をかけて探す手間は省けるだろう。


 けれど私がいきなり喋りだしたら、一体ナナコはどんな反応をするだろう。

 部屋の隅で小さな虫一匹がちょっとでも動いたらたちまちぎゃあぎゃあ騒ぐナナコのことだ、メガネが話しかけてきた日には状況が飲み込めずに卒倒してしまうのではないだろうか。


 話す能力を仮に手に入れたとしても、それを無闇に使うのはあまり良くないかも知れない。


「どこに置いたんだっけ…?もう、何で毎日こうなの〜〜?また時間ぎりぎりになっちゃうよ〜〜」


 寝癖頭をぐしゃぐしゃと両手で掻き乱しながら叫ぶナナコ。朝が弱いナナコは、絶対に一回のアラームでは起きない。けたたましい音が何度も鳴ってからやっと起き上がるナナコ。


 けれどそこから私、メガネの大捜索で更なるタイムロス。いい加減、置き場所をちゃんと決めたほうがいいのではないだろうか。

 枕元だったり、ローテーブルの上だったり、ソファのクッションとクッションの間に埋もれていたり、はたまた今日のようにテレビ台に鎮座していたり、ナナコの顔から離れている時の私の居場所は様々だ。


「今日の朝イチの打ち合わせ、私が事前準備しなきゃだから遅刻するわけにはいかないんだよ〜〜」


 ついこないだまで制服姿の芋娘だったはずなのに、いつのまにかすっかりナナコは働く女になっていた。けれどパジャマは学生時代のジャージだし、部屋は決して綺麗とは言えないし、いつまでもぐうぐう寝てるし寝癖は酷いし私のことはすぐ探すし、昔から変わっていない所を挙げればそれもまた沢山ある。


 少し、それが嬉しかったりもする。


なんて言うとナナコのだらしない部分を認めることにもなりかねないから黙っておく。いや、黙るも何もそもそも私は言葉を発することなんて今はできないじゃないか。さっきそんな話をしたばかりだった。いけないいけない、をわきまえなければ。思考の発達とは怖いものだ。


「ああっ」 


 叫ぶやいなや、ナナコの手が眼前に迫ってきた。どうやらやっと私のことを見つけたらしい。やれやれ、ナナコは本当に朝から騒々しい。

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