第6話 本当の母様

 実代が初めて舞台に立った日の夜のこと。真千は実代を解体されて人気のない舞台跡へ呼び出し、自身が覚えている限りのことを伝えた。

 当時、真千は少しだけ体調に不安を感じることが増えてきており、白雲の言葉と併せて霊薬の効能が薄れつつあるのではないかという思いにとらわれていた。そこで、己に何かがある前に、実代には本当のことを伝えておこうとその機会を待っていたのである。

 勿論、まだまだ幼かった実代にとって真千の話すことは信じ難い事実であった。


「嘘……嘘! ……母様かかさまが母様じゃないなんて……嘘!」


 実代は三度も「嘘」と繰り返して、悲しみのあまり涙を流しながら激しく首を横に振った。それを見ていた真千の方も悲しみで胸が張り裂けんばかりであったが、必死で平静を保って実代を見つめている。


「母様でないなら誰なの? どうして実代の世話をしてくれるの?」

「分からない……あなたと縁があることしかわからないけれど、私は幼いあなたをどうしても放っておけなかったの……」

「分からないはずない! ……真千の大噓つき!」


 実代は金切り声を上げて真千をなじる。誰かに聞こえては大変な話であったが、実代は勿論のこと、真千の方もそれに気を配るだけの余裕はなかった。


「そんな訳も分からない見ず知らずの人になんか、実代の面倒を見てほしくない! 実代は実代で本当の母様を探す! もう真千の顔なんて見たくない!」

「実代……」


 それまでは実代の罵声に黙って耐えてきた真千であったが、「顔も見たくない」という言葉を聞いた瞬間、心の中で何かが切れた。

 真千は泣きながらその場を離れようとする実代に駆け寄ると、乱暴に振り回してくる腕を軽く掴んで動きを止め、その頬を思い切り平手打ちにした。


「痛い! 何するの、真千の馬鹿!」

「好きなように言いなさい。私はお前がそのように手前勝手な態度をするのが許せないだけです」

「実代が実代の勝手で何が悪いの! 離せ馬鹿!」

「静かになさい!」


 なおも発せられる実代の罵声を完全に無視して、真千はもう一度実代の頬を平手で打つ。実代の鳴き声はひときわ大きくなる。


「痛いよお! 痛いよお! 誰か助けてえ……」

「誰かに助けを求めないといけないのに、手前勝手でいられるのは子供だけですよ、実代……」


 泣き叫びながら抵抗する実代を真千は冷たく突き放す。


「うるさい! 実代、子供だもん! 子供が子供で何がいけないの?」

「私の世話がいらないのでしょう? なら、これからはお前一人で大人に混じって生きなければいけない。ましてもう舞台に立つくらいなのだから、そんな娘を子供のように扱うのも礼を失した話ということよ」

「いや、嫌! そんな話聞きたくない!」


 真千の言葉を聞いた実代は更に激しく抵抗を始め、空いている手を振り回したり体をねじったりしてどうにか真千から逃れようとするが、もう片方の手を掴んでいる真千の腕はびくとも動こうとしなかった。


「離せ真千! この馬鹿!」

「離しません。私のことはともかく、お前がその態度を改めるまでは意地にかけても離しません」

「離せ、離せ、離せ、離せ、離せ、離せ……!」


 実代はあらん限りの力で懸命に身をよじり、大声を上げて抵抗するが真千はもう口を開くことも無く、表情も無くただ片腕を掴んで離さなかった。

 それから半刻も過ぎた頃になり、精も根も尽き果ててようやく大人しくなった実代の腕を、真千は静かに離す。腕を離された実代はその場にへたり込み、真千も合わせるようにその場に腰を下ろす。

 呆然と、実代が口を開いた。


「……真千は実代のこと、嫌いだったの……?」

「嫌いなものですか。私の大切な宝物よ」

「……じゃあ、どうしてこんなことをしたの?」

「あなたに嫌われても、あなたに強く真っ直ぐに生きていてほしかったから」

「嫌われても?」

「私の顔も見たくないんでしょう? 実代」

「それは……」


 自分の言った言葉を額面通りに取られてしまい、実代は二の句が継げずに口ごもってしまう。その様子を見た真千は静かに微笑み、夜空を見上げた。


「何故かしらね。何も思い出せないのに、私はずっと昔からこんな風に子供と一緒に居たようながするわ……」

「昔から……?」

「そう、実代が生まれるよりもずっと昔から、ね」


 実代は不思議そうな顔で真千の顔を見る。


「真千って、もしかしてお化けか何かなの?」

「あら、私にはちゃんと手も足もあるわよ」

「でも、白雲の女烏と知り合いなんでしょ?」

「白雲さまはお化けじゃないわ……あと、きちんと様を付けて呼びなさい」

「白雲……さまって、今はどこにいるの?」

「それだけは本当に私にも分からないの……あら、そうだわ」


 実代の言葉に真千は何かを思い出したような声を上げると、帯の中から小さな巾着袋を取り出す。実代が見ても一目で理解できるくらい古ぼけた巾着だった。


「真千、その巾着は何? 随分古そうなものだけど……」

「これは白雲さまに頂いた御守よ。私の手に余る出来事が起きたら、中の誓紙を真二つに破きなさい、そうすれば白雲様が必ず私たちの元へ馳せ参じてくれると……」

「今、それを破いたら駄目なの?」

「今はもう何も困っていることは無いでしょう」

「実代は今、とても困っているの」


 そこで実代は大真面目な表情を作って真千の方を見る。


「何なのかしら? とても困っていることって」

「手前勝手な母様が、自分を本当の母様ではないと言って聞きません。実代にとっての母様は母様だけなのに……」

「実代……」


 今度は実代が真千の言葉尻を捉えてやり返す。まるで芝居をしている時のような調子で朗々と言われてしまい、真千は呆気に取られる。


「だからね、白雲さまにお願いしたいの。実代の母様は母様だけだと叱ってくれって」

「ふふふ……本当に困った子ね、実代は」


 実代の、とても子供らしく可愛らしいお願いを聞いた真千は、困ったような微笑みを浮かべながら実代の頭をそっと撫でる。


「安心しなさい実代。私はあなたの母様よ。何がどうであってもね」

「本当に?」

「本当よ。ずっとずっと、あなたが大きくなってもずっと」

「母様……」


 実代は安心したようにほうと吐息を漏らすとそのまま真千に体を預ける。その後実代の口から寝息が漏れ出すまでには時間はかからず、真千はそっと実代を抱き寄せて、二人を心配した座長の命により勘助が探しに来るまでの間そのままで過ごしていた。

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