第二章 母子の絆
第4話 旅芸人の一座
真千と実代が白雲の女烏と出会ってから、間もなく十の年を迎えようとしていた。
真千と実代はあてのない旅路の道すがらに勘助という軽業師に気に入られ、勘助の属する旅芸人の一座に加わり寝食を共にしていた。
「勘助さん、お母さんどこにいるか知ってる?」
「お真千さんかい? さっき向かいの部屋で座長と何事か話しているのを見たぜ」
数え年で十歳になる実代は、旅の途中で立ち寄った宿の廊下で勘助をつかまえて真千の居所を尋ね、勘助もそれに快く応じている。
実代は、物心が付くようになってからは芸事に才を示すようになり、七歳になる頃には役者として舞台にも立っている。一座の座長からも将来の座長候補と高く評価されていて、実代自身も役者として舞台に立てることを喜び、芝居の稽古に勤しむ毎日を過ごしていた。
「ありがとう勘助さん。ところで、さっき一緒に居たお姉さんはどうしたの?」
「え……? いやいやお実代ちゃんが気にすることじゃねえって」
「そんなこと言って、また袖にされちゃったんでしょ?」
「馬鹿言え。ちょいとご縁に恵まなかっただけよ……」
この勘助という男は確かに身が軽いのだが性分もまた軽く女好きであり、行く先々で騒動を起こしていた。だが、どこか憎めない妙な愛嬌と生来の面倒見の良さもあり、ちゃっかり一座の人気者の座に収まっていたりする。
「……それにな、お実代ちゃん。俺が一番に思っているのは、だな……」
「……お真千さん、でしょ? ……何回同じことを聞いたと思ってるのよ、勘助さん」
「なんでえ、名役者だからって俺の科白を言うんじゃねえよ」
「そう思うんだったら少しは真面目に告白して頂戴ね。そうしたらお母さんも気が変わるかもよ?」
憤慨する勘助を尻目に、実代は向かいにいるという座長と真千の所へと足を運ぶ。
行った先では座長と真千が何やら穏やかに談笑していた。恐らくは世間話だろう。
座長は実代のことに気が付くとにこやかに手を振る。
「実代、約束通り真千を引き留めておいたぞ」
「座長……お手数をおかけしてしまい申し訳ありません」
「いやですわ座長、実代と一緒に
真千は実代と座長が示し合わせていたことをにこやかな表情のままたしなめる。一座に入ってからもしばらくは訛りが抜けなかった真千であったが、今ではすっかり垢抜けた言葉遣いになっている。
「謀だなどとは人聞きが悪いぞ、真千。一座きっての名子役がたっての願いと言うからには無下にも出来んのでな」
「母さん昼間はいつも働き詰めじゃない。少しは休んでって私がいくら言っても全然休まないし」
「あらあら、また心配をかけさせちゃったかしら。ごめんなさいね」
座長と実代の言葉に少しだけ顔を赤らめながら答えたものの、ここ最近は何度となく言われている言葉だけに、真千も内心では申し訳なく思っている。
一座と共に各地を旅するようになっても芸事はとんと身に馴染まなかった真千であったが、その分舞台裏では身を粉にする覚悟で一座を支えていた。
厄介な交渉事に同席すれば機転の利いた判断力を示し、荒事においては男衆に混じり勇敢に戦い、旅の合間においては座長や勘助、実代を含む一座の芸人たちの話し相手として、陰に日向に働き続けている。
座長や勘助、それに実代も働き詰めでろくに休もうともしない真千のことを何度となく気遣っていたが、真千は笑って聞き流していた。
真千としては休んではいられない事情もある。白雲から与えられた霊薬の効能は食べた時から数えて十の年が過ぎれば失せてしまうという。最初はただ新しく出会った家族とも言うべき仲間たちの為にと日々熱心に働いていたのだが、この一年ほどは一刻でも無駄にしたくないとより働きに精を出すようになっていた。
一方、実代は年がら年中朝から晩まで働き詰めな真千の姿に心配を募らせ、座長や勘助と相談の上でどうにか真千に休んでもらおうと一計を案じたのである。
「母さん、このところちょっと働きすぎだよ。毎日毎日私より早起きしてるのに、私より眠るのが遅いじゃない」
「何を言っているの、子供より先に寝る親なんてそうそういないわよ」
叱るような調子で話す実代に、真千は苦笑いをしながらそう答える。しかし、あまりに呑気な反応に実代は苛立ち、語気を強めて真千に食ってかかる。
「にしても限度があるんじゃない? 母さんが少しは休んでくれないと、娘も身を入れて稽古に打ち込めないよ!」
「これこれ実代、そんな様に言うものではない」
心配のあまりついつい声の大きくなってしまった実代を座長がたしなめる。座長に指摘されて我に返った実代は、その場で体を縮こませてしまう。座長は実代が落ち着いたのを見て取り、今度は真千に視線を向ける。
「だが真千、一座の皆もお前さんのことが気掛かりでならんのだぞ。お前がそう毎日根を詰めてばかりでは、実代の言葉ではないが一座の者たちも稽古が手につかん。せめて、この宿にいる二日の間だけでもじっくり骨を休めてくれないか」
「……そうでしたの。一座の皆にまでご心配を掛けているとあっては、休まないわけにもいきませんわね。お言葉に甘えさせていただきます、座長」
座長のその言葉に、真千は神妙な表情で頭を下げる。一方、それを側で見ていた実代は一安心といったように明るい表情に変わる。
「ありがとうございます座長。お母さんを説得してくださいまして」
「いやいや、儂としても真千には少し休んでもらおうかと考えておったからな。渡りに船という奴だ」
にこにこと花のような笑顔で話す実代を見て、普段は厳しく芸を指導する座長もつい相好を崩してしまう。
そんな二人を見ながら、真千は思案気に口を開く。
「しかし座長、骨を休めろと申されましても何をしたらよいのか……」
「それならば、この宿場の近隣にある温泉にでも行くと良い。実代も連れて母子水入らずで温まってきなさい」
「座長、私も行っていいんですか?」
「真千も一人だけで出掛けるのは気が引けるだろう? なになに、一座のことは気にすることはない。稽古なら後でしっかり取り戻せばいいからな」
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