子犬の保護日記

秋登

1月25日

 飲み会からの帰り道で子犬を拾った。歩道橋の柱の下で震えながら蹲っていたので、コートをかけてやったら懐かれたらしい。そのまま帰ろうとすると3歩程離れてついてきて来た。振り返ると怯えたように顔色を伺ってきたが、何処かへ行こうとはせずに立ち止まっていた。体にある傷が目についたので家に来るか聞いたところ、私に近づいてきた。どうやら体力も限界だったようで、私の体に触れた瞬間倒れてしまった。仕方ないから自力で運んだが、驚くほど冷たく、軽かった。どうやらまともな食事と寝床を与えられていなかったようだ。


 家に着いてソファに寝かせたところ、苦しそうに呻いた。体の至る所に傷があったので、それが体に響いたらしい。軽くタオルで拭いてから救急箱を取り出して手当てを始めたら、消毒液が滲みたのか目を覚まして身を捩り始めた。ソファに押さえつけながら無理矢理手当てをすると、次第に大人しくなって力が抜けた。しかし代わりに腹が鳴ったので、手当てを終えたら昨日の余り物をレンジで温めて出してやった。最初は私の機嫌を伺っていたが、一口食わしてやると夢中で食べ始め、10分もかけずに食べ終えた。どうやらずっと空腹だったらしい。


 食べ終えたらまた直ぐに寝てしまった。夏用のタオルケットと実家から持ってきた布団をかけてやると、抱き締めるようにして包まった。暖房もつけてやるおくことにした。明日は子犬の呼び方を決めてやろう。



………………



「疲れた……」


 本当に迷惑だ。上司からのアルハラも、先輩のウザ絡みも、お局の説教も、どっかから感じる下品な視線も。全部が全部、本当に迷惑だ。何が「早く飲めよ。俺ん時なんて3・4人は潰れたぞ」だよ。「寺峰って〇〇の事どう思う?」だよ。「彼氏いないの?駄目よ、若いんだから。」だよ。本当に余計なお世話だ。


「途中で抜けれただけ僥倖か」


 そんなこと一切無い筈なのに、酔った頭は最悪じゃないだけ良いとの甘えを持つ。   

 花金という単語は使い勝手が悪いと思う。確かに翌日は休みだし、テンションが上がるのは分かる。ただ、それを振りかざして飲みに誘うのはタチが悪い。問答無用で良いイメージが着いて、語感の良さか他の人が直ぐに便乗し始める。だから一人だけ断るのが悪いように思えてくる。何時も同じパターンだ。

 早く帰りたくて溜息をつくと白い靄が上がって街灯とネオンに紛れていく。どうやら今日は何時もより参ってしまっているらしい。何もせずとも思考がネガティブになっていく。


「ペットでも飼ったらこんなことないのかな」


 呟いてみるが子犬も子猫も現れないし、ペットショップだってシャッターを下ろしている。そもそも一人暮らしで世話をするなんて無謀な話だ。私は無責任に命を捨てるような屑になんて成り下がりたくない。ああでも、もし世話が最低限必要なペットだったら飼ってみたい。……いや、酔い過ぎだ。そんな幻想ある筈無いだろう。あったとしたら運命とかそんなものだ。

 さっきよりも大きく溜息をつくと、カバンを持ち直して歩道橋の階段を上り始めた。


______________________________________


 歩道橋の反対側に着いたとき、若い声が騒ぐ声が聞こえて振り向いた。声の主達は5人組の男女で、見て分かる程に酔っていた。そいつ等は歩道橋の下で口々に


「え?これヤバくない?」

「大丈夫?寒そうじゃん」

「ネグレクト?だっけ。ケーサツ連絡しないとヤバくね?」

「いや、面倒だろ。不干渉だ不干渉」

「ひでー。ま、大丈夫だろ」


 などと言って、また騒ぎながら去っていった。何だなんだと思って彼らの居た場所に行くと、真っ先に目を疑った。


 少女がいた。柱の横で震えながら蹲っている。10代も半ばくらいだろうか、1月も後半なのに汚れたシャツ1枚とスウェットで靴も履いていない。顔は膝に埋めていて表情は分からないが、多分笑ってはいない。

 何となく可哀想に見えたからか、酔って冷静に考えられないからか、理由は自分でも分からないが何となく少女にコートを着せることにした。


「……っ!?」

「あ、起きた」


 コートを肩にかけられた少女は弾かれた様にこちらを見た。目を丸くして、正に驚いてますという風貌だ。


「じゃ、帰るから」


 一言告げるとそのまま家路につく。正直あんまり関わり合いたくはないからもう帰りたい。シャワーを浴びてからふかふかの布団に埋もれたい。そう思うと自然と歩みが速くなる。飲み会も無いと尚更最高だっただろう。

 ___なのに、後ろから一人分の気配がする。目星を付けて半身で振り返ると、予想通り先ほどの少女がコートを羽織ったまま3歩程空けてついてきていた。

 その場で立ち止まると少女も逃げずに立ち止まる。けれどその顔は私の顔を伺っていて、不安げに見える。……図太いのか、臆病なのか、まるで捨てられた子犬の様だ。

 ふと、体にある傷が目についた。痣だったり、擦り傷だったり、明らかに人がつけた切り傷や打撲痕も見当たる。虐待や苛めでも受けていたのだろうか、ネットニュースで見た虐待の末捨てられた子犬を連想する。……あの子犬は確か、保護されて幸せに暮らしているんだったか。


 幼い頃に親から良く野良猫や捨てられた動物に餌をやってはいけないと言われていたのを思い出した。懐かれて離れなくなってしまうからだった。勿論他の理由もあるが、それを一番よく言い聞かされていた。

 ……でも、大人になった今なら、あまり手のかからない生き物なら大丈夫かもしれない。中途半端に手を差し伸べた手前、責任を取るべきなのは私なのかもしれない。いや、私だ。


「家、来る?食べ物も、布団もあるよ」


 月並みな怪しいセリフ。言ったところで、この少女が着いてくる確証なんてない。怪しい人間扱いされて交番に駆け込むかも知れないし、今までのことが全部演技かも知れない。だとすれば私はただの不審者だ。別にそれでもいい。こんな責任、取らなくても私は困らない。結局のところ自己満足なのだから、声をかけた時点で目的は満たされた。


 それでも、この少女は私を信用してくれたらしい。フラフラと私に歩み寄って、差し伸べた手を取り、そして力尽きた。

 このあまりにも冷たく軽い生き物は総じてボロボロの様だ。心も、躰も、擦り切れて今にも壊れそうで、脆い。背負ったところで対して重くはないが、赤く腫れた目元は見ただけで心に重くのしかかった。


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 家に帰っても疲れはなかった。寧ろ眠気が失せ、躰は非日常に興奮していた。


「う、ぅうう゛」


 ぐったりしている少女をソファに寝かせると、傷が響いたようで苦しそうに呻いた。コートを開き、一言謝罪してからシャツを捲るとやはり大量の傷が目立つ。胴体には痣が多く、反対に手足は切り傷や擦り傷が多い。治りかけもあるものの、痛々しい。手の届きにくく、血管の多い場所にも怪我があるから自傷ではなさそうだ。


 取り敢えずタオルを濡らし、顔から始まって、腕、胴体、脚と躰全体を拭いていく。気付かなかったが躰自体も結構汚れていて、何回か絞ったのに拭き終わる頃にはタオルは泥や砂、少しの血に染まっていた。

 タオルを洗面所に放置し、救急箱を取り出す。使い捨てのガーゼに消毒液を滲み込ませ、血が滲んでいる箇所に軽く当てていく。比較的出血が多い箇所には絆創膏を貼る。途方もない単調な作業。それでもやはり眠気は湧いてこなかった。


「んう、うぅ……う゛ー」


 顔の消毒が終わって首元の傷を見ていると。少女が目を覚まし、身を捩り始めた。どうやら消毒液が滲みるらしく、何回も緩慢に首を振る。正直消毒しにくい。


「暴れないで」


 と言うと、少女は更に暴れだした。仕方ないから少女に馬乗りになって消毒をする。押さえつけるようにして消毒をすると、少女は暴れなくなって代わりに唇を噛んで耐え始めた。……悪いことをしている気分になる。


 何とか脚まで消毒すると少女のお腹が鳴った。どうやらお腹が空いているらしい。一旦ソファから退いて、作り置きしてあった煮物をレンジで温める。温め終えてリビングに戻ると少女は私の機嫌を伺うようにして床に座っていた。ローテーブルの上に煮物と一日分の野菜の奴を置くと、出された食事と私を交互に見てくる。食べたそうなのに、何が駄目なのかまだ食べない。

 私が箸を取って人参を摘まんで差し出すと、何をやっているのか分からないという風な顔をする。私自身もよくわからないが、箸をもう少しだけ少女の顔に近づける。


「…っ」


 意を決したように人参を口に含むと、嬉しそうに目を輝かせた。箸を持たせると直ぐに掻き込み始める。良い食べっぷりだ。5分もすれば皿の中身は綺麗になくなっていた。余程空腹だったのか、欠片一つもない。


 当の少女は満足したのか、体力の限界なのか、うとうとと眠そうにしている。流石に床で寝かせる訳にはいかないのでソファに案内した。手を引かれるままに誘導される少女は、目を覚ました時とは比べ物にならないくらいの素直っぷりだ。


 寝室からタオルケットと布団を持ってくると、少女は既に深い眠りに落ちていた。しかしタオルケットと布団をかけると抱き締めるようにして丸まった。相当何かが恋しかったらしい。

 傷んだ少女の黒髪を撫でながら、これからに思いを馳せる。ペットを捨てる犯罪者にはならなかったが、ペットを拾う犯罪者になってしまった。今日一日で既に信頼されている気もするが、私は少女のことを何も知らない。住所も、学校も、家族も、名前だって。傷だらけで、何かを怖がっている。知っているのはそれくらいか。少女も私のことを何も知らない。少女からしたらただのお節介な女でしかない。

 まあ、今はそれでもいい。私ももう疲れたから、考えることは明日考えよう。

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