第8話 吐き出す勇気

 斎藤さんとの電話の翌日、オレは午前中だけ半休を取ることとなった。半休を取ったのは休むためではなく、ある場所に行くという目的があってのものだった。

 というのも斎藤さんから直々に、午前休を取って病院に行ってこいというお達しがあったのだ。最初は行く気になれず仕事を優先したい、と食い下がったのだがそれは通らなかった。

 彼からすれば電話中に泣き出したオレを案じてなのだろうが、仕事に穴をあけることはなんだか悪い気がした。


「一人で来るの、なんか新鮮な気がする」


 社会人になって初めて、そしてもしかしたら一人で来ること自体が初めてかもしれない場所。


 それは病院だ。


 風邪気味だとか、熱があるとかではない。

 拭いきれない不安と、どこか体が気怠い感覚。最近悩まされていたそれらについて調べるために、オレは病院に行こうと決めたのだ。

 この行動もきっと、カオルが言っていた言葉が後押ししてくれたのかもしれない。自分で助け、自分が助かるため。そして前へ進むためにも、必要な行動だった。


 平日ということが原因なのか、それともウイルスによる影響なのか。病院にはまばらに人影が見える程度で、それも自分と同じくらいの年齢層は見受けられず、高齢の方が多かった。

 病院はおじいちゃんおばあちゃんの井戸端会議の場である、というような話を聞いたことがある。聞いた時は、一体どのようなものなのか皆目見当もつかなかったのだが、待合席、空間の端の方など、そこかしこで慎ましやかに、笑顔を振り撒きながら話している姿を見た。

 ああなるほど、確かにこれは井戸端会議なのだなと感じる。そして病院という場でありながらもその光景を見たことによって、少しだけ心が温かくなったような気がした。


 受付を済ませると待合席に案内され、そこで問診票とボールペンを手渡された。

 問診票の内容は、相談したいことはあるか、困っていることはないか等の精神的なものが多かったように思う。

 自己診断をさせられているようだ、というのがその問診票に抱いた印象だった。


 問診表を書き終え受付に渡すと、オレはゆっくり待合席に腰を下ろした。あとは呼ばれるのを待つだけだ。

 座っていると、何とも言えない不思議な感覚が生まれた。普段はこの時間、仕事をしているはずだ。いつもなら、一件目のお客様のところで門前払いをくらい、少しだけ心に傷を負いながら次へ向かっているぐらいだろう。

 だが今の自分はどうだ。ただ漫然と待合席に座り、時々流れてくる院内放送を聞くだけで何もしていない。

 自分を客観的に見ていると、不安がまた再燃する。

 今この時、こんな自分とは違い、外を駆け回り、必死に仕事をしている人達がいる。それなのに、自分はただ座っているだけ。


 ――裏切り、じゃないのか?


 いや、そうじゃない。そうではない。

 オレはオレのために、今この場にいる。これは逃げでも裏切りでもなく、前に進むための行動なのだ。

 そう思いながらここに来たじゃないか、と自分に聞かせるように小声で呟く。

 大丈夫だから安心しろ、と心の中で自分に言う。


「――――6番、96番でお待ちの方。1番の診察室へどうぞ」


 マイクで拡張された女性の声が、待合席に響く。そこでオレはハッとし、受付で渡された番号札を見る。そこには96番と書かれていた。

 呼ばれたんだと思い、いつの間にか俯いていた顔を上げ携帯で時刻を見る。色々と考え込んでしまっていたのか、待合席に戻ってから10分程が経っていた。

 重症かもしれないな、と自分に苦笑しながら席を立ち、案内された診察室へと足を踏み入れた。


 診察室に入るとそこには、長い黒髪を後ろで結んだ年若い白衣の女性が、優しい笑顔を浮かべながらオレを待っていた。


「どうぞ、お掛けください」


 優しい声色でそう言い、手で椅子を指し示す。先程待合席で聞こえてきたマイクの声は、この人だと声で察した。

 オレは促されるまま、室内を物色するように眺めながら腰掛ける。

 一般的な診察室と違い、そこはまるで私室のような雰囲気を醸し出していた。普段見掛ける診察用のベッドはどこにもなく、代わりに小さな本棚とその上に真っ白な花が飾られていた。本棚の脇には観葉植物なんかも置かれている。

 デスクの方に目をやる。白を基調としたお洒落なデスクは綺麗に整理整頓されており、無駄なものが置かれていないような印象を受ける。


 物珍しそうにキョロキョロと視線を動かし続けるオレが面白かったのか、女性はクスリと笑い、言葉を発した。


「本日担当させて頂く、カトウと言います。よろしくお願いしますね」


 気恥ずかしくなったオレは小さな声でよろしくお願いします、と言った。

 女性――加藤先生は、オレが待合席で書いた問診票を眺めながら相槌を打ち、なるほどと呟きながらオレに向き合う。


「一応問診票に書いてもらいましたが、改めて。本日はどうされましたか?」


 そう聞かれたオレは、昨日の夜、斎藤さんに伝えた内容とほとんど同じことを話した。違うのは説明するように語っていたことと、昨日とは違って感情任せにぶつけるのではなく、理性を保ちながら話したということだ。


 滔々と語られるオレの話を、先生は手元のキーボードで何やらメモのようなものを打ち込みながら、真剣に、そして柔らかい表情で聞いてくれていた。

 ただ聞くだけのものではなく、理解しながら聞いてくれるというのはありがたいことだったし、オレ自身を肯定してくれているような感覚があり、とても話しやすいと感じた。


 時間にして15分程度。就職活動を始めた頃から昨日に至るまでを話し終えたオレは、どこから来たかわからない達成感と、満足感に満たされていた。溜まっていた膿を出すような感覚に近いと思う。


 先生は話し終えたオレを一瞥し、パソコンのディスプレイに顔を向ける。先程から取っていたメモを見直しているのだろうか。それを見て一つ頷き、またオレに向き直る。


「結論から先に申し上げますね」


 一言、そうクッションを挟むようにオレに告げた。

 その言葉になにか、少しだけ嫌な感覚があった。

 先生は真剣な表情で、告げた。


「話を聞いた限りですと、ウツの症状が出ています」

「……ウツ?」


 一瞬、言葉の意味がわからなかったが、脳内でその言葉は漢字に変換され、意味を持つ。


 鬱。


 よく知っている言葉だ。現代日本、いや現代の世界において切っても切り離せない言葉だ。それは所謂、精神疾患と呼ばれるもので、症状についてなら大体の人間が知っているだろう。

 一日中気分が落ち込んでしまう、どんなことをしていても楽しくない。そして症状が重くなると不眠や食欲不振を招き、日常生活において支障が生じる。それがおそらく一般的に広く知られている鬱というものだ。


 そんな鬱の症状が、オレに出ている。

 そう先生は言った。

 オレは、こう思った。


 ああ、そうか。オレはそんなにも自分を追い込んでしまっていたのか。


 驚いた、というより納得した。

 だからこんなにも、自分でわかるほどに不安定なのか、と。そう言われてみればそうなのかもしれないなと思った。


 よく鬱にかかっていても本人は鬱だと気が付かない、という話を聞く。そんなことはない、きっと気付けるだろうと言う人も中にはいるだろう。だが、オレは今経験した。


 なるほど。実際オレは今の今まで気付いていなかった。だからその話は事実である、とこれから言えるだろう。


 どこか思考が冷静だった。それは医師である先生の言葉により正しく認識しているからなのか、この室内の雰囲気がリラックス効果を与えているのか。それともあまりにも衝撃的すぎたため感情が一周し、逆に冷静になっているのかもしれない。


「治りますか?」


 自分の声色も冷静であり、不安や恐怖などはみじんも感じないものだった。

 気にするべきは今後のことであり、病かもしれないと言われたのであれば、それが治るものなのかどうかを聞かなくてはならない。そう思い、先生に疑問をぶつけた。

 すると先生は真剣な表情から、また柔らかい微笑みを浮かべながら、大丈夫と言った。


「ちゃんと治るものです。安心してください」


 先生はただ、と言葉を繋げた。


「今の環境のままだと、治るものも治りません。ちゃんと治したいのなら、環境を変えましょう」

「環境を変える、というと……」


 そうですね、と先生は一言置いた。言いにくいのか、考えているのかはその表情からはわからない。

 ジッと真っ直ぐ、先生はオレの目を見て、続きを言い放った。


「お仕事を変えましょう、ということです」


 転職をしよう、ということだ。

 今の環境のまま行けばオレはもっと酷くなる。それを根本から変えたいのであれば環境ごと、仕事ごと変えなければならない。非常に合理的な考え方で、方法だ。


「まだお若いのですから、今退職してもなんとでもなりますよ」


 少し無責任な言い方になってしまったかも、と先生は苦笑した。

 前々から頭の中にちらついていた言葉。それを他人の口から言われるのは初めてかもしれない。そしてそれが肯定的であり、推奨するものであることが、なんだか自分の全てをわかってくれている理解者のような感じがして、胸が熱くなった。


「でもまだ入ったばかりなんです」


 しかし、オレの口から出たのは、転職に対して否定的な言葉だった。本心ではない。いや、もちろん辞めたくない思いは確かにあるが、今を変えたいという感情よりは霞んでしまう程度のものだ。

 ではなぜ否定的になったのか。それはきっと確かめるためだ。

 先生が転職に肯定的であるという事実を、実感するために、確かめるために出た言葉なのだ。


「若いことは武器です。どの会社さんだって、若くてやる気に満ちた人材は欲しがっているものですよ」


 変わらず、先生は肯定的であった。


 でもまだ。

 まだ確認したい。実感したい。証明したい。


「もしかしたら、これから鬱が治ってまたちゃんとできるかもしれない」

「そうですね、その可能性はあります。でもお仕事を変えた方が、治りもきっと早いですし、今とは違う世界が見えるとも思うんです」


 現状、悪くなっていく一方ではあるが、治るかもしれないという可能性は捨てきれない。だがそれ以上に、今変えればもっと治る確率は上がるし、何だったら今とは違う価値観や、自分に適した環境が見つかるかもしれない。


 世界が、広がるのだ。

 自分が前に進むための世界が広がり、見えなかった多くのものが、見えてくるのだ。


 それを今、指し示してくれている。

 望みながらも否定していたものが、他人の言葉によって望んで良いものであり、肯定して良いものだと示される。


「先生……オレ……」


 唇が震える。

 これはきっと今までとは違う、負の感情からくる震えではない。


 前に進んでも良い。もう苦しまなくて良いのだと、肯定されることに対するこの感情は、悲しみでも恨みでもない。


「今の会社、すっごく良い人ばかりで……だから……」


 ではこの感情とこれからの言葉は、なんと表されるのだろうか。


「今のままで治せるように、頑張りたいんです」


 一歩を歩み出す感情と言葉。恐れも悲しみも全て飲み込み、進み出すこと。


「でも、ちゃんと、病気……治したいから……」


 その、感情は、その言葉は。

 きっと『それ』を人は。


「仕事、辞めたいんです」


 ――勇気、と呼ぶのだろう。

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