人生の振り返りを妻に聞かせたい

月之影心

人生の振り返りを妻に聞かせたい

 私は、齢60を過ぎました宗方むなかた正則まさのりと申します。


 ようやく人生を振り返る機会を得ました。

 人生を振り返るにあたって『恋愛』というのは、かくも心を揺さぶるものだったのかと今更ながらに感じておりまして、この度はお目汚しとは思いますが自分語りをしてみたくなって此処へ参った次第です。

 故あって体を横たえた状態で失礼とは思いますが、隣に居る妻と共に、最後までお付き合いいただけると幸いです。




 初めて、はっきり『恋愛』というものを意識したのは、私がまだ12の頃です。

 中学1年生でしたね。

 自分で言うのも何ですが、真面目で素直な少年だったと思います。

 当時は……今もそうかもしれませんが、どちらかと言うと『やんちゃ』な男の子の方がモテる時代でしたので、私なんかはクラスの女子からはそんなに相手にして貰える存在では無かったです。


 けれどもそんな中、私に好意を寄せてくれている子が居ました。

 ちょっとぽっちゃり系のオタクっぽいけど目が大きくて可愛らしい田崎たざき加代かよさん。


 中学時代に私に告白してきた唯一の女性が田崎さんでした。

 今でも鮮明に覚えていますよ。

 中学1年のバレンタインデーです。

 今思えば、ちゃんと気持ちを受け止めておけば良かったと思っています。

 手作りのチョコレートをくれて『好きです』って頬っぺたを真っ赤にしながら言ってくれたのに、そんな甘ったるいイベントに慣れていない少年がかっこいい照れ隠しなんか出来るわけないんですよね。

 無愛想にチョコレートを受け取った私を見る田崎さんの怯えたような目は、今でも忘れられません。


 悲しい話ですが、田崎さんは私たちが社会に出て2年目の夏に交通事故で他界されました。

 中学を卒業してから一度もお会いしなかった事、亡くなられて随分後になって聞かされた事、何より付き合っていたわけでもありませんでしたのでお線香もあげていませんし、お墓参りにも行けておりません。

 彼女はもう忘れていたとは思いますが、あの時の返事……きちんとしておけば良かったと少し後悔しております。




 高校に入ると、私は部活に力を入れるようになりました。

 バスケットボール部でした。

 まぁ腕前は大した事は無かったので割愛しますが、同級生の部活仲間に音海おとみ弘樹ひろきって奴がいまして、そいつがまたカッコ良くてバスケの上手い奴でしてね。

 入部直後からレギュラーで、試合でも大活躍ですよ。

 それでいて人当たりも良いと来たら、もうモテる要素が服を着て歩いているようなものです。

 なのに何故か音海は、ぱっとしない、バスケもそんなに上手くない私とよく一緒に居て色んな話をしてくれました。

 先輩、後輩、他校の女子まで、音海はアプローチされまくりながらさらりと躱して『今は宗方とバスケやってる方が楽しい』とか言ってくれるものですから、そりゃ嬉しかったですね。

 音海がどこぞ他校の女子を振った後、その子の取り巻きと言うかアイドルの親衛隊みたいな連中に何故か私も一緒に囲まれてボコボコにされたのは良い思い出です。


 そんな音海が高校1年の冬のある日、『気になる子ができた』ってこっそり言って来たんです。

 『誰にも言わないでくれよ』なんて、あの音海が真剣な顔をして心細そうに言ったんです。

 そりゃもう、何としても音海の恋を成就させてやりたいって思いましたね。


 音海が気になるといった子は、黒髪ロングと鋭い目が印象的だった三上みかみ悠子ゆうこさん。

 バスケ部のマネージャーさんです。

 三上さんは私と同じクラスだったし、教室でも割とよく数名と固まってお喋りする仲で、キツそうな目付きに反して……と言うと失礼ですが人柄の良い明るく可愛らしい子でした。

 三上さんなら音海とお似合いかもなぁなんて軽い気持ちで思っていて、『応援してるから何かあったらいつでも言ってくれ』なんて青春ちっくな事を言っていました。


 ところが2学期の期末試験が終わった日、私は三上さんに呼び出されて体育館の裏に行ったんです。

 そこで三上さんが『音海君に告白された』と言いました。

 私は音海の積極性に感心しつつ、三上さんの鋭い目が不安そうに揺れているのに気付いたんです。


 その目を見た時、直感で『音海が振られた』って思いました。

 三上さんが何かを言ったわけじゃありません。

 本当に、三上さんの目を見た瞬間に『あっ……』って思ったんです。

 結論を言えば直感通りだったのですが、問題は三上さんが音海を振った理由です。


 何と三上さんは、『私は宗方君が好きだから音海君の告白は受けられない』と言って来たのです。


 どう考えてもまずいです。

 私は、三上さんは仲の良い友達で、バスケ部の熱心なマネージャーとしか思っていませんでしたし、何より、下手に気を持たせるような事をすれば親友を裏切る事に繋がりかねないと思ってきっぱり断りました。

 それはもう全力で。

 しかし三上さんは折れませんでした。

 『私の事嫌い?』『嫌いじゃないならいいでしょ?』とかなり食い気味に迫って来ました。

 結局その日は三上さんが『ゆっくり考えて欲しい』と言って猶予を与えられましたが、多分、学生時代でワースト3に入るくらい困りました。


 実際は困らなくてもいいんです。

 答えはとっくに出ていましたから。


 『三上さんとは付き合えない。』


 でも三上さんは、私の言葉を受け入れながらも折れないというだけなので、冷たく言ってしまえば『知ったことじゃない』なんですが、私も若かったでしょう。

 夜も寝られないくらい悩みました。


 布団を被って頭を抱えていた時、何故か頭に浮かんだのは、月に一度顔を合わせるか合わせないかくらいしか接点の無くなっていた幼馴染の八乙女やおとめ陽詩ひなたでした。


 陽詩は小学3年になる時に隣の家に越して来た女の子です。

 パッチリした大きな目と八重歯の覗く口元と、ふとした瞬間に感情がどこかに行ったのかと思うくらい『無』の顔になるのが印象的な子です。


 翌朝、学校が休みだったのは幸いでした。

 朝9時になる前、私は陽詩の家に電話を掛け、話を聞いて欲しい旨を伝えました。

 電話を切ってすぐ陽詩の家に飛んで行きました。

 陽詩は私を見て『まぁくんいらっしゃい!』と、身内と陽詩、陽詩の両親くらいしか使わない私の愛称で呼んでくれて、何だかほっとしたのを覚えています。


 陽詩は『無』の表情で最後まで口を挟む事なく聞いてくれました。

 途中、あまりにも陽詩の顔が『無』だったので本当に聞いてくれているのか不安になる事もありましたが、全てを話し終えると、陽詩は顎に指を当てて『ふむぅ~……』と考え込む顔になっていました。


 陽詩が訊いて来たのは一つだけ。


 『三上さんと付き合えない理由として伝えたのは、三上さんを恋人として見られないって事と音海君の事だけなのね?』


 それに首を縦に振って『うん』と答えた私は2日続けて驚かされることになります。


 陽詩は『付き合えない本当の理由は彼女がいるから、1組の八乙女さんが僕の彼女なんだ……って言っちゃいなさいよ。』と言ったのです。


 その時の私は相当間抜けな顔をしていたと思います。

 『何言ってんだ?』と訊いた私に陽詩は『私なら今話を聞いて背景分かってるし、まぁくんと恋人になるのも悪くない。』と答えました。

 『一時的にって?』に対しては『恋人が出来たらクリスマスと年末年始は一緒に居たい。けど今年は冬休みに入ったらおばあちゃんの所に行くから冬休みに入るまでという事。』と言っていました。


 冬休みまではあと3日です。


 要するに、『冬休みに入るまでに決着を着けろ』『冬休みを挟めば三上さんもほとぼりが冷めるから乗り切れ』と言う事だそうです。


 しかし私はこれまで誰とも付き合った事はありませんでしたし、初めて付き合った子とたった3日で別れるのはちょっとなぁ……という感じでしたが、それで三上さんが諦めてくれるなら背に腹は代えられないと思って陽詩の提案を飲みました。


 翌日、陽詩のアドバイス通りに『彼女がいる』と三上さんに伝えると、一昨日あれだけ食い気味だったのは何だったんだと思うくらいあっさり『分かった』とだけ言って引き下がりました。

 しかも、相手が誰なのかを言う前にです。

 お陰で陽詩を巻き込まずに済んだのですが……いや本当に、一昨日のは何だったのか、未だに分かりません。


 理解出来なくても三上さんが引いてくれた事は事実ですので、その日家に帰ってすぐ陽詩に報告しに行きました。


 『上手くいった』と報告する僕でしたが、陽詩は私の顔をじっと見ているだけでした。

 例の『無の境地顔』では無かったので、今度は陽詩に何かあったのかと思って声を掛けました。

 すると陽詩は私の腕を掴んで正面に座らせ、その前に陽詩もペタンと座って私の顔を見詰めて来ました。

 『どうしたんだろう?』と思うのと、陽詩の顔がぐっと近付いたのがほぼ同時でした。


 陽詩の唇が私の唇に押し付けられていました。


 勿論ファーストキスです。


 陽詩の唇は柔らかくて、多分リップクリームでしょうけど甘い香りがしていて、そして小さく震えていました。

 1分くらい唇をくっつけていたでしょうか。

 ゆっくり離れると、陽詩は満面の笑みで私の顔を見ていました。


 陽詩曰く『恋人なんだからいいじゃない』だそうです。

 『ファーストキスだったんだぞ』と言うと、『私もだよ』と返されました。

 何故だか分かりませんがほっとした自分が居ました。

 別に私も陽詩のことは嫌いではなかったし、長い付き合いがあって気心知れているのもありましたので『まぁいいか』くらいでその日は帰りました。


 終業式が終わって家に帰る途中、後ろから陽詩に呼び止められて一緒に帰りました。

 途中にある公園に立ち寄ってベンチに座って缶コーヒーを飲んでいる時に『今日までだね』とまっ平らな声で言わて、『本当に一時的な恋人』だったのかと、少しがっかりしたのを覚えています。


 冬休みはバスケ部の連中と大晦日の晩から初詣に行ったくらいで平和でした。

 音海は相変わらず私と行動を共にしてくれていたので、三上さんとの事は触れないでいましたが、帰り際に音海の方から『振られちゃったよ』と明るく言って来たので一応慰めておきました。

 三上さんは私の事が好きだったんだ、とは言いませんでした。


 高校時代の色気付いた話はこれくらいで、部活に学園祭に体育祭、修学旅行、受験合宿と、普通の高校生活を過ごしてから県外の大学へ進学する事になります。








 さて、大学に入った私は、一人暮らしを始めた直後からアルバイトを始めていました。

 いや……が正解ですね。


 借りていたアパートの1階が喫茶店になっていて、実はそこのマスターが私の叔父で、『接客が出来れば就職に困らない』と、私がそこに住む前からシフトに組み込まれていました。

 喫茶店は一般のお客様向けだけでなく、アパートに住む大学生の朝食と夕食も請け負っていて、食費は家賃に含まれていたのでそれも本当に助かりました。


 大学ではサークルには入らず、学校とアパートの往復だけでしたが、アルバイトが楽しかったので十分でした。


 大学1年のとある冬の午後、店にスーツ姿の女性がやってきてコーヒーとサンドイッチを注文しました。

 料理が出て来るまでの短い間でその女性は鞄から沢山の書類を出し、捲ったり書き込んだりくしゃくしゃにして鞄に押し込んだりと、何だか忙しそうにしていました。


 私が注文された料理を持って行った時も、手を止めずに持っていたペンでテーブルの空いている所を一瞬だけ指して『そこに置いておいて』という感じで、何とも素っ気無い感じがしていましたが、叔父からも『忙しい合間に立ち寄ってくれるお客様も居るから邪魔しちゃいけない』と言われていたので、出来るだけ音を立てないようにテーブルの上にカップとお皿を置いて厨房に戻りました。


 そのお客様は週に1~2回のペースでご来店されて1時間程滞在されるのですが、ある日『お兄さんすいません』とお声が掛かったんです。

 私がお客様の所へ行くと『悪いとは思ったけどとても落ち着いて仕事が出来た』『声を抑えたりなるべく音を立てないようにしてくれた貴方の気遣いが嬉しかった』とか何とか言われて名刺を頂きました。


 水樹みずき美佳みかさん。

 当時は珍しい女性のフリーランスのデザイナーで、如何にもキャリアウーマンといった感じの容姿と目元の黒子が色っぽい大人の方でした。

 私は改めて見る水樹さんがこんなに美人だったんだと胸がドキドキしていましたが、所詮は大学生と社会人、相手にされる事はまず無いだろうと笑顔で『ありがとうございます。ごゆっくりどうぞ。』とだけ言ってバックヤードに戻りました。


 ところが大学2年になった時、水樹さんが私をデートに誘って来ました。

 驚きましたね。

 アルバイトが終わってその事を叔父に言うと、叔父はちょっとだけ嫌らしい顔になって『男にしてもらって来い』なんて言ったものだから、私はどう反応して良いか分からず、店の後片付けもそこそこに逃げるように部屋に帰りました。


 数日後、デートを了承した私を水樹さんは黄色くて可愛らしいスポーツカーで迎えに来られました。

 いつものスーツ姿ではなく、長袖のTシャツにGパンという姿は新鮮でした。


 デートは水族館へ行って食事をしてドライブをして……と至って普通でしたが、いつも店で仕事をしている水樹さんと違って色々話をしてくれて楽しかったです。

 そこで初めて水樹さんが私と歳が4つしか変わらない事を知りました。

 私と大して変わらない歳なのに、自分で仕事を探して契約してお金を貰って生活している事を知り、改めて凄い人なんだと気付かされましたね。


 晩御飯を食べた後、夜景の綺麗な高台に連れて行ってくれました。

 高台にあるベンチに座って夜景とか星空とか眺めていたんです。

 普段と違う雰囲気というのは人を大胆にさせますね。

 いつの間にか私の腕に水樹さんが頭をくっつけてもたれ掛かっていました。


 間は端折りますが、その晩私は水樹さんを抱きました。

 水樹さんに抱かれたって言ってもいいかもしれませんけど……。

 初めてだったので相当手間取りましたが、何とかすべき事を終えてぐったりしていた私の頭を水樹さんがずっと撫でてくれていた時の感触は、今でも頭の上に残っている気がします。


 その後も水樹さんはお店に来てくれて、私の休みの日とかチェックしてくれて、色んな所へ遊びに連れて行ってもらいました。

 お酒も水樹さんに教えてもらいましたが、血筋なのか私はお酒に強かったらしくて、私に教えた水樹さんの方が先に酔ってしまった事もありました。


 水樹さんと過ごした時間は本当に楽しかったです。


 ……と言うともう気付かれてしまいますね。


 水樹さんとのお付き合いは、私が大学を卒業するのに合わせて終わりました。

 本当は地元での就職が決まった時にプロポーズをして連れて帰りたかったのですが、水樹さんには此処でやらなければならない事、此処でないと出来ない事がありまして、私の我儘だけで水樹さんの夢を奪う事など出来ません。


 大学の卒業式の日を最後に水樹さんとはお会いしていません。

 卒業して5年程経った頃に叔父を尋ねて久し振りにあの街へ立ち寄った時、叔父に『1年くらい前に来てくれて、結婚して北海道に行くって言ってたよ。』と聞かされ、幸せになってくれたかなと少し安心しました。




 大学を卒業した私は親元に帰り、地元の小さな印刷会社に就職しました。

 締め切りによって忙しい時とそうでない時の差が激しい仕事ですが、それなりにやり甲斐もあって楽しかったですよ。

 私にとって良い企業に巡り合えたのは幸いだったでしょうか。




 さて、話を入社して間もない頃に戻します。


 あぁ、先に言っておきますが社内恋愛とかそういうのは無いです。

 女性も居るのは居ますけど、何でしょう……私は『仕事は仕事/私事は私事』ときっぱり分けていたからかもしれませんね。

 気が付けば私は『仕事は出来るけどつまらない男』というレッテルが貼られていたようです。

 まぁ、会社は仕事をする場所ですから別に困りはしませんでしたが。


 そんな感じで会社と家の往復を何度か繰り返していた時、何年振りでしょうか……駅前で陽詩に会ったんです。

 幼馴染の八乙女やおとめ陽詩ひなたです。


 『久し振り!』と元気に声を掛けてくれたのは陽詩でした。

 最初、何処の美人さんかと思いましたが、にこっと笑った顔に面影が残っていて、それを見た瞬間に陽詩だと分かりましたね。


 久し振りの再会に、その晩は一緒に食事に行きました。

 と言ってもお互いに社会人になったばかりの身で豪勢なディナーなんて無理でしたから、駅前のファミリーレストランでしたが。


 陽詩と会うのは高校を卒業して以来だったので5年振りでした。

 なのに、毎日会っていたかと錯覚するくらい陽詩との会話は自然で楽しかったです。

 気兼ねなく話せる相手というのは本当に大事です。

 仕事の事や家族の事……5年の間に変化のあった事を沢山話し、聞きました。


 陽詩は医療機器関係の会社に事務で働いていました。

 仕事は面白いわけではないけどキツいわけでもないので続いているそうです。

 ご両親も元気なのは、うちの母親からも聞いていたので知っていました。


 『彼氏は高校の時に貴方と付き合って別れてからは居ない。』


 そう言われ、そこで陽詩と再会して初めて思い出しました。

 とは言え、当時私に好意を寄せていた三上さんに諦めて貰う為に陽詩と3日間だけ付き合ったことがあったな……と。


 『忘れてた。ごめん。』と笑う私を見る陽詩の目は笑っていませんでした。

 その視線の鋭さに気付いた私は真顔に戻って『ホントごめん。』と再度謝罪をしました。

 陽詩は本気で気分を害したような顔になっていましたので『そんなに機嫌を損ねるなよ』と宥めるように言うと、『私にとっては今までで唯一の彼氏でファーストキスもした大事な思い出だから』と言っていました。


 私は自分の軽薄さを悔いました。

 あの時の私は、音海との友情が壊れないようにする事しか頭に無く、相談に乗ってくれて対策も考えてくれた陽詩の気持ちなんか全く考えていなかったのです。

 陽詩はちょっと変わった子ではありましたが、決して軽い子でも何でもかんでもふざける子でもありません。

 根は真面目で何事にも真剣に取り組む子なんです。

 それを分かっていながら、当時の私は保身第一にしか考えられず、何故陽詩があのような対策法を思い付いたのか、何故あのような行動を取ったのか、深く考える事なく窮地を脱した安心感だけで終わっていたのです。


 それに気付いた瞬間、私は陽詩に女性として惚れていました。

 古くからの知り合いではあるけど顔を合わせる機会が少なかった事も幸いしていたのかもしれません。

 慣れ親しんだ『幼馴染』ではなく、昔から知っている『一人の女性』として見る事が出来ていましたから。

 心に火の点いた私は、その勢いのまま陽詩に告白していました。


 陽詩はようやく笑顔を浮かべて『私で良ければ』と快諾してくれました。

 私は店の中に居る事も憚らず、両腕を挙げて『やった!』と声を上げていました。

 陽詩に窘められてようやくその場に気付いて恥ずかしくなったのは良い思い出です。




 1年程陽詩とお付き合いをした夏のある日、私は陽詩にプロポーズをしました。

 飾り気の無い、派手を好まない陽詩でしたので、小さな石が1つだけ付いたシンプルな婚約指輪は給料3ヶ月分。

 安月給なので大した金額じゃないです。

 陽詩は満面の笑顔で受け取ってくれまして、その場で陽詩の左手の薬指に着けました。




 今日、36回目の結婚記念日を迎えます。








 私は美しい妻に寄り添われて人生を振り返ることが出来ました。


 妻、陽詩は昔と変わらない優しい笑顔に、幾筋もの涙の跡を付けて話を聞いてくれました。


 陽詩……君が傍に居てくれて、私の人生は毎日がクライマックスのまま閉じることが出来そうです。


 ただ一つ……先に逝ってしまうことだけ……許しておくれ。


 それでは皆様、良い人生を。


 おやすみ……陽詩……。

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