10歳、夏(1)

「グイド、支度はできた?先生がお見えよ」


グイドと呼ばれる少年、それが転生した俺だ。


十歳の頃、まだおれは完全に前世の事を思い出してなかった。


俺は貴族の子供で裕福な暮らしをしていた。


ある夏の日、家庭教師に読み書きを教わっていた。


「今日は聖典の書き取りの続きです。93条4節からですね」


教師はアルフォンソという男だった。


聖典とはいうが、新約聖書や旧約聖書のことではない。この世界には俺の知らない宗教があり、知らない神がいた。知らない国、知らない大陸、人の姿形は元の世界と似ているが、見たことのない植物や動物もいた。


「4節からの書き写しです。私は奥様に呼ばれているので少しだけ自習していてください」


字を書く練習。前世でも読み書きは教わった。言語や文字は違ったが、この世界でもすぐにできるようになった。


花瓶に花が生けられていた。花は暑さにうなだれるように首を傾げていた。


書き取りの勉強に飽きたおれは何気なくペンを走らせ、花の素描を描いた。


そのとき、おれは前世を思い出した。ミケランジェロ・メリージという名前。イタリアで一番の画家だったこと。そして、逃亡の末、ローマを間近にして死亡したこと。


ペンを持つ手が止まらなかった。


アルフォンソが戻ってきた。アルフォンソは俺の描いた花を見て目を丸くした。そして烈火のごとく怒り出した。


「これは何ですか。グイド」


「花の絵です。見ての通り、そこにある花の」


「これはあなたが描いたのですか」


「ええ、まあ」


俺は調子に乗っていた。世界一絵が上手かった頃を思い出したので、きっとあまりの上手さに驚愕しているのだろうと思っていた。


「なんてことを……」


「見たままを描いただけですが」


アルフォンソの表情が厳しくなる。


「あなたはやってないけないことをしてしまったのですよ」


この世界ではこのような写実的な絵を描くことは宗教的ダブーだった。絵を描くことが許されるのは寺院が許可した対象と実用的な目的であるときだけで、それ以外は禁止されていた。見たものをそのまま描くというのは許されないことだった。


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