第15歩 『妹』

「どうしたもんかなあ……」


 木下陣の魔の手から、紗代を救う────なんて、昨日、簡単に言ってしまったが、その方法が全く、何も思いついていないのが現状。

 策も無く、口だけは達者な、こんなに頼りないやつ……そりゃ、紗代が頼ってくれないわけだ。


「かっこ悪いな、ほんと」


 数日経って、尚、何も出来ていない俺に、みんな、呆れてしまうんだろうな。

 いや、寧ろ安心するのかもしれない。美喜多さんや冴島は心配していたし、雪も反対して、紗代のことは諦めろとまで言っていた。


「……雪。お前は一体、何を知ってるんだ」

 

 雪は何か知っている────けど、俺には何も教えてくれない。

 きっと、意味がないと、教えた所で何も変わらないと……俺が何も出来ないと、そう思っているのだろう。紗代と、同じで。

 だけど、悔しいけど、そんなことないって、そう言い切れない。

 もしかしたらこのまま何も出来ずに時間が経過して、そして、紗代の事を助けられないままに彼女への気持ちが薄れてしまうのだろうか。助けることなんて止めて、諦めて、最後には自分に言い聞かすんだろう────仕方が無かった、って。 

 

「紗代が自力で助かるか、美喜多さんの言う通り、木下陣が飽きるまで待つのが安全なんだろうな……けど」


 それが正しいことだとは、絶対に思わない。

 でも、だからと言って、他の人を俺の我儘で危険な目に遭わせるわけにはいかない。

 やるなら、俺一人で……。


「でも、どうしたもんかなあ」


 結局話が戻ってしまって、溜息を吐く。

 そんな風に悩みながら歩いていると、気になる光景が目に映った。 

 視界の先は、川に掛かる橋。その橋の上から、真下を見下ろす、俺と同じ学校の制服を着た女子生徒が立っていた。

 

「あんなところでなにを……って、まさか!」


 彼女は鞄を地に置くと、橋の柵に足を掛けようとしていた────そんなことする理由は、乗り越えることぐらいしか思いつかなくて、だから無意識の内に彼女の下に向かって走り出していた。


「おいっ!」


 普段大声を出すなんてことないから、彼女にはどんな風に聞こえただろうか……。

 不安になりながらも近づくと、驚いた表情を浮かべながら、柵にかけていた足を降ろしてくれたので、取り敢えず安心する。 


「な、なんでしょうか?」

「なんでしょう、じゃないだろ!」

「ひいっ!」

「え、あ、いや、ごめん……別に、怖がらせたいわけじゃなくて────……なあ、ちょっと話せないかな?」

「……」

「大丈夫、怒ったりしないから。ただ、話を聞きたいだけなんだ」

「……」


 返事が無かったので、彼女が地面に置いた鞄を拾い上げ、そのまま歩き始めると、「ま、待ってください!」と追っかけて来たので、河川敷にあるベンチまで誘導する。

 

「鞄を返して欲しいなら、話を聞かせてもらおうじゃないか」

「怖がらせても、怒っても無いですけど、やってることが悪人です」

「そうか?」

「はい」

「悪人は嫌だな」


 木下陣と同レベルと言われてるみたいで、不快だ。


「でも、何もせずに、キミをこのまま帰す方が、何倍も嫌だ」

「なんですか、それ」

「どこかで死なれたら気分悪いからな」

「……死ぬつもりなんて」

「無かった、か?なら、なんであんなところに居た?}

「眺めが良かったんで」

「柵を上ろうとしたのは?」

「えっと、もっと高いところから見たいなーっと、ただ、それだけです」


 学校の近くにある、いつでも見れそうなこの川に見惚れるとは思いづらい。

 大体、この町で暮らしていたら、当たり前にそこにあるもになるはずだ。


「なにかあったの?」

「見ず知らずの人に話したくありません」

「話したくない、ってことは、なにかはあったんだな?……死にたくなるくらい、辛いことが」

「……ありません」

「知らない人に話したくないってんなら、別に悪いことじゃない。ただ、そんなに辛い目にあってんだったら、他の信頼できる誰かに相談しろよ。気とか遣って自殺選ぶとか、そんなの、残された方も辛いぜ」

「……無駄、ですよ」

「無駄?」

「ええ。無駄です。話しても、誰も信じてくれませんから。それに、信じてくれても、だからって、解決することなんて出来ない。だったら、私が我慢していればいいだけなんです!」

「でもさ、その我慢が出来なくなったから、あんなことしようとしたんだろ」

「だから、あれは景色を眺めていただけです!」


 本人に話す気が無いのも、一人で我慢することを決めていることも、どちらも、俺にそれを否定する権利はない。彼女が自分で決めて、実行しているから。

 俺も周りがなんと言おうと紗代を救うと決めたし、だから────。


「じゃあ、俺の話を聞いてくれないか?」

「どうしてあなたの話なんか」

「あの橋な、柵が低くて危険だろ。去年、俺たちの学校の生徒が調子にのって、あの柵の上に乗ってな、足滑らせて落ちかけたんだ。たまたま助かったんだけど、それが学校にバレてすげえ怒られてた。以来、あの柵に乗ってたり、乗ろうとしてたのがバレたら、反省文と掃除が命じられることになった」

「私を脅すんですか?」

「俺はまだ何も言ってないさ」

「……分かりました。手短にお願いします」


 証拠なんて何も無いのに、それでも彼女は、俺の隣に腰かけてくれた。

 用心深い子なんだろうか。


「この前さ、俺のカノジョの浮気現場を見ちゃったんだ」

「……え?」

 

 まるで、近所で野良猫を見たことを話すような、深刻な感じではなく、軽い感じで話し始めると、彼女は明らかに混乱していた。


「凄く辛くて、でもそんなこと誰にも相談できなくて、キミと一緒で一人で抱え込もうとしてたんだ」

「……」

「そしたら、妹が俺の異変に気付いたみたいで、心配して俺の話を聞いてくれたんだ。俺も、最初は乗り気じゃなかったけど、話したら凄く楽になったんだ」

「……」

「妹に慰めてもらうなんてかっこ悪いと思われるかもしれないけど、それでも俺にとっては救われた気がしたんだ。前を向けたんだ。そのおかげで、友達にも相談することが出来て、みんなが元気づけてくれたんだ」


 俺の話を一通り聞いた彼女は、先ほどまでと変わらない表情だった。しかし、彼女の瞳からはどこか寂しさを感じ取ることができた。


「幸せですね、あなたは。周りの人に心配されて、愛されて......私とは大違いです」

「......大違い?」

「私の周りには愛情も信頼もない。先日、私のことを心配してメッセージを送ってくれた子もいますが、完全に信用していいのかどうか分からなくて」


 彼女の目には涙が浮かんでいて、夕陽を反射していた。


「やっぱり、俺に話してくれないか?何も出来ないかもしれないけど、それでも信じてあげることは出来る」

「だから、話しませんって。それに信じるなんて簡単に言わないでください......どうせ、無理なんですから」

「じゃあ、どうして俺の質問に『話したくない』なんて答えたんだ?話したくないなら『なにもない』といってこの場を去ればよかったじゃないか」

「……それは、言い間違えただけです」

「頑固だなぁ……」

「普通、見ず知らずの人に相談なんてしませんよ」


 彼女は警戒の目を俺に向けながら、立ち上がった。


「それでは失礼します」

「待てって!せめて泣き止んでから帰った方がよくないか?」

「さっきから言ってるじゃないですか!誰も私のことなんて心配してくれないって」

「誰もなんてことはない!少なくとも俺が今心配してる」


 少しの静寂が流れる────やばい、超恥ずかしい。

 

「……会って間もないのに。どうしてそんなにも私のことを心配するんですか?」

「会って間もないからだよ。だから、泣いている姿を見ると心配になる。キミがどんな人間かを知らないからこそだ」

「……」

「もしキミが他人を嘲笑うのが趣味な超性格悪いやつなら俺はここまで心配しなかったさ……でも、俺の話を聞いた時のキミの表情は本物だった」


 俺の話を聞いている時の彼女の表情が雪と重なった。心配してくれて、励まそうとしてくれている、そんな表情が。

 彼女は静かにベンチに座りなおすと、俯いてしまった。

 しかし、すぐに話し始めてくれた。


「私……兄に……襲われているんです」


 

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