「寒さ厳しき日」
吐く息は白く、踏みしめた雪が鳴る。
冷たい外気に負けないくらい身体は熱かった。
一歩ずつ体重をかけ、道を固めながら前へと進む。
かじかむ手で背負子を引っ張り、一度勢いをつけて荷物を整えた。
「大丈夫か?」
「うん」
声をかければ、後ろから弱々しい返事が届く。
相当疲労が溜まっているな。
何処かで休憩を入れたいが、さて。
顔を上げた先、一面に広がる雪と木々の向こうに煙のようなものが見えた。
こんな山奥にも人家があったか。あるいは。
振り向けば小さな背丈が揺れていた。
道を固めているとはいえ、限度がある。
ほどなく、木々を抜けた先に一軒の家を見つける事が出来た。
「もし、誰か」
戸口を叩き、呼びかけた。
煮炊きしているのなら人が居るだろう。
囲炉裏の火は屋根藁を燻すくらいで、ここまでの煙は起こすまい。
暖を取れるだけでも良いが、汁物でもあればありがたい。
「……何か御用でしょうか」
「煙が見えてな。相済まぬが、少し暖を取らせてもらえぬか?」
「このような時期に。修行者にしてもおかしな話では?」
警戒されてしまった。
雪深くなるこの時期に、こんな場所を通るのは確かに不可解な事か。
「山を越えようと無理をした。疑う気持ちもわかるが、子供も居るんだ」
「まぁ、それは大変な事を」
遠慮がちに戸口が開かれた。
顔を覗かせたのは、つぎはぎだらけの着物を着た娘が一人。
非力な女一人では警戒するのも頷ける。
女はちらりと坊主を見て、やっとこちらの言葉を信じたようだ。
明らかにほっと息をついて、戸口を大きく開ける。
「さ、早く中へ入って戸を閉めて」
「ありがたい。坊主、休めるぞ」
「……ありあとう」
笠を外し、こびりついていた雪を払う。
すぐに入ろうとする坊主の分もだ。
「子連れで雪山を越えようなどと無茶が過ぎます」
「幾らか遅くなったくらいでここまで深くなるとは思わなんだ」
中は温かく、払いきれなかった雪が溶けていく。
土間をいくらか濡らしたが、どうしたものか。
怪しい部外者に、女は何処まで許してくれるのか。
「何を呆けているのです。子供を凍えさせて。囲炉裏にあたりなさい」
「坊主、脱げるか?」
やはり子供を連れて来て良かった。
山登りに耐えるかは賭けだったが、目論見通り。
その気の緩みがいけなかった。
一瞬で空気が凍り付く。
走る敵意に反射で動いた。
降ろしかけていた背負子をその方向へぶつけ、脇に差してあった杖を引き抜く。
「仕込み杖とは何者だ!」
背負子から引き抜かれたのは抜き身。
杖に偽装されていた刀身は濡れたような鈍い輝きを放ち。
流れて来た冷気を切っ先で斬り上げる。
衝撃音がして上へと弾かれたそれは、着弾した壁と天井に波紋状の霜を生やした。
転がる背負子にも氷が張り付き、罅が入っている。
「このっ!」
追撃の冷気を横薙ぎに裂きながら土足で囲炉裏へ上がった。
数歩で間合いは詰まる。
そう思ったのだが。
それを待っていたかのように、広がっていた霜から氷柱が突きあがる。
上下から顎が閉じるかのように。
鋭い棘が伸びてくる。
地を蹴り、身体を捻る。
氷柱の間を縫うように一回転し、囲炉裏にかかっていた自在鉤へ着地。
体重がかかり切らないうちに跳び、転がるように女へ迫った。
横にひいた刀を振る先は、女の身。
青髪に白い装束へと変わった女は諦めたのか目をつむる。
その首元、数寸のところで刃を止めた。
「……何のつもりだ」
「争いに来たのではない。対話に来たのだ」
「この刀は?」
女が自分に向けられた刀を睨んでいる。
「攻撃して来たのはそちらだろう」
「邪な気配がした」
子を利用して近づこうとしたのが読まれたか。
いや。
そこらで拾った子だが、無駄にはしていない。
「子に甘いと聞いた。一人では話の席にすらつけそうにないのでな」
「それでこんな雪山に連れて来たというのか。なんて奴だ」
こんな雪山に、と子を心配するのなら噂通りの奴なのだろう。
こちらとしては好都合である。
「して、要件はなんだ。このように刀を突きつけてするのが、お前のいう対話なのか?」
冷たい視線を向けられた。
その場の勢いとは言え、確かに対話に来た者の姿勢ではない。
囲炉裏で炭の爆ぜる音がする。
足蹴にした事で支柱のように鍋を支えていた自在鉤は外れ、悲惨な有様だ。
坊主は突然の事に放心しているし、なんとも格好のつかぬ。
「すまぬな。散らかした」
咳払いをして刃を離す。
仕舞おうと思ったが、鞘は背負子と共に凍っていた。
「これを溶かしてもらえぬか?」
「勝手な奴だ。鍋を片付けるのも手伝え」
――後の世にて。
子連れで妖怪退治にまわる、変わった夫婦が活躍したという。
男は刀を。女は怪しげな術を操り、人里で悪さする怪異を懲らしめたそうな。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます