「桜の木が覚えている」
木々のざわめきの中、一際大きな桜の木がそびえ立っていた。
強風に揺れる周りの木と違って、年老いた大樹はびくともせず威厳を保っている。
「どうか、どうか鎮まりくだせぇ!」
「どうかどうか。ご慈悲をぉ!」
叩きつけるような雨風の中、何人かが縋るように桜の木を見上げていた。
もはや着ているものもびしょ濡れで、立っている事すら出来ないのか座り込んでいる。
猛烈な風が唸りをあげていても、命をかけた叫びは辛うじて届く。
けれど、どれだけ懇願された所で。
ただの桜の木に想いが伝わる事はなかったし、伝わったとしても桜の木に嵐を消し去る力などなかった。
いつからあったのかもわからぬ木々。
ただ自分達より前からあって、目立つ場所にあり、立派だったから。
それだけで勝手に崇められた所で、桜の木が与り知る所ではないだろう。
小さな頃周辺を走り回り、転んでは泣いていた男も。
桜の下で想いを伝えあった夫婦も。
赤子をわざわざ大木へ見せに来た女も。
等しく嵐と共に消え去った。
次に来た者は、村の惨状と。
薙ぎ倒された木々に囲まれながらも、なお健在だった桜の木を見て何を思ったか。
すぐさま金属の道具を持った何人もの男がやってきて根元に刃を入れ始めた。
嵐で傷んでいる所に何度も打ち付けられる衝撃。
そんな騒ぎのせいか、折れかかっていた上の方の枝が落下してしまった。
当然下に居た者に被害が出れば。
「祟りじゃぁ」
「呪いじゃぁ」
口々に何かを呟いて、やがて桜の木周辺には人が来なくなっていく。
木の葉を揺らす優しい風が吹き、穏やかに時間が流れて幾星霜。
今度は伝承なんてものともしない好奇心旺盛な子供たちがやって来る。
追い駆けっこをしたと思ったら木陰で寝転がり、きゃっきゃと楽しそうにはしゃぐ。
入れ替わり立ち替わり、周囲が変わろうと桜の木はただそこにあった。
「この桜ですか」
「ええ、長年我々を見守って来た由緒あるものです」
「確かに立派ですね」
「どうしても残して欲しいんですよ」
「移設するにもこの大きさでは……」
「そこを何とか」
桜の木の知らぬ所で何かの話が進行し、気付けば周囲は賑やかになっていく。
また温かい頃合いになれば枝は花で埋まり、その下で誰かが騒ぐ。
ただそこに在るだけの桜に想いは伝わらないが、それでも。
「サンプルデータ採れそうか?」
「はい。年輪の乱れた所を中心にいくつか。情報再現出来そうですよ」
「それは良い。何年も人々の暮らしを見守って来た桜だ。きっと良いシーンが採れるだろう」
周囲はまたも騒がしく、桜の木から何かを見い出す者はいつまでも絶えない。
ある時は温かく見守る御神木で。
ある時は祟りを呼ぶ呪いの木で。
ある時は生活を共にする拠り所。
とどのつまり、いつの世も変わらず。
桜の木の与り知らぬ事であった。
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