ドライブ・イン・ザ・ダーク
神崎あきら
episode 1. 制限速度未満
道生の職場は駅から徒歩三十分、自転車と電車と徒歩を組み合わせて通えないことはないが、営業職のため客回りで帰りが遅くなることも多い。そんなときに、駅まで歩き、夜は本数が格段に少ない電車に乗り、自転車で自宅アパートに帰るのは気が重い。そうなると、自家用車での通勤を選ぶことになる。
都会のように三分に一本電車があるわけでなく、地方都市に暮らす人間にとって、自家用車は必須なのだ。
毎朝同じ時間に通勤すれば、いつも見る車を嫌でも覚えるようになる。その中の一台が目の前を行くシルバーの軽四だ。古い型で、薄汚れている。車は走ればいいという程度の考えなのだろう。
この軽四は速度制限五〇キロの道路を四〇キロくらいでゆっくり走るのだ。せめて制限速度ぴったりで走れば良いものの、やたらゆっくり走っている。ここが何キロか知っているのだろうか。
軽四の前の車はずっと先を走っており、車間が開きすぎているので脇道からの横入りを許している。それでも制限速度マイナス一〇キロでマイペースに走り続けるのだ。どこかでさっさと曲がってくれたらせいせいするのだが、悪いことに職場の近くまで後ろについていくことになる。
***
「また今日もシルバーの軽四の後だった」
アパートに帰宅した道生は、妻の
「いつもの制限速度に達しない車ね」
あの銀色の軽四の後につくと、帰宅してつい文句を言ってしまう。路乃も銀色の軽四を覚えてしまった。
「”制限”速度なんだから、それを越えなければいいじゃない」
「でも、朝の気ぜわしい時間に他の車と同じくらいの速度で流せば良いのに、一台だけやたら遅いんだよ」
道生は発泡酒をあける。気の抜けたビールのようだが、毎日飲むにはこれでいい。
「それに、目の前の信号が黄色になるだろ。そうしたら急に加速するんだぞ。で、こっちは間に合わなくて、ちょうど赤信号で足止めだよ。最初からその速度で走れば、俺も信号を抜けられたのに、ってタイミングだ」
道生はこのパターンで信号待ちに毎度ひっかけられるのだ。停車するためにスピードを落とすから、前を行く軽四がスピードを上げたように感じて余計に腹が立つ。
「信号の先に進んだ銀色の軽四は、クレーンに釣られた巨大な鉄球が横から飛んできて、吹っ飛ばされるって考えたらいいじゃない」
「は?」
路乃の発想に、道生は頓狂な声を上げる。
「あなたは信号で止まったから、鉄球を免れたのよ」
路乃は得意げに道生の鼻先に指をつきつける。
「なんだそれ」
道生は馬鹿らしくなって笑う。まるで子供の「ここに落ちたらサメがいるぞ」というごっこ遊びだ。
翌朝も、銀色の軽四が道生の前を走っている。いつものように制限速度マイナス一〇キロで走り続ける。目の前の信号は黄色だ。銀色の軽四はのろのろと黄色信号を突っ切る。停止線を越えたときには信号はすでに赤だ。後の道生は停止するしかない。また自分だけ信号にひっかかった。
「巨大鉄球が横からどーん」
道生は車の中でひとり呟いた。銀色の軽四は何事もなく遠ざかっていく。しかし、気分は少し晴れ晴れしていた。
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