第17話 決して忘れない


 いっしょに寮から出かけるのは気恥ずかしくて、駅前で待ち合わせることにした。遊は初日に爆破された無人駅の駅舎に足を運ぶ。駅舎は立て直されて前よりもこじんまりとした建物に変貌していた。でも、新しい割りにはもうどこか寂れたような印象を受ける。きっとほとんど使われないからだろう。遊は木製のベンチの上に薄っすらと降り積もった埃を壁に立てかけてあった箒でさっと掃い、そこに腰掛けた。


 ふと気付いた。


 初めて薄荷と会った時、薄荷もここのベンチに座っていた。


 薄暗い駅舎の中、窓から微かに漏れ入る光の中に浮かぶ薄荷の笑顔はとても鮮烈でくっきりと周囲から浮き出ていたけれど、どこか作り物めいていて、物語とか嘘みたいで、地に足がつかないような感覚を遊は覚えた。


 夢の途中のような。


 二ヶ月経った今でもその感覚は続いている。


 ずっと続けばいいのに、と遊は思う。


 足音がして、入り口を見る。


「おはよう、遊」


 白いワンピースを着て、肩にトートバッグを下げた薄荷が入ってきた。


「おはよう。それ、何?」遊はベンチに座ったまま薄荷のトートバッグを指差した。


「機銃」


 薄荷はわざとトートを揺らして、カチャカチャと金属音を鳴らす。


「何で機銃がいるの?」


「だって、ここ突発イベント多いし」


「でも、私達セレクション参加者だよ? まさか軍もそれはしないよ」


「わかんないよ。僕、一度セレクションの時もあったから」


「え? そうなんだ……。どうしよう、私も取って来ようかな」


 遊がそう言うと、薄荷は微笑した。


「ううん、遊は平気だよ」


「どうして?」


「遊は、僕が守ってあげるから」


 ――不意打ちだ。


 と思った時にはもう遊の頬は熱くなっていた。


 何それ、ズルイ。


 急にそんなこと言うなんて。


「の、のど乾いたし、どっか店行こう」


 遊は慌てて薄荷から顔を逸らしてベンチを立った。「ゲーム避けたいし、街の中心部に行こう」薄荷は遊の不自然な動作に首を傾げつつも「いいけど」と答える。遊は薄荷を見ないままちゃっちゃっと駅舎を出て歩道を歩く。


 絶対に見せられない。


 こんな嬉しくて泣きそうになってる顔なんて。


 早く戻れ、私の顔。


 遊は両手の手のひらで、何度も自分の頬を叩く。


「遊、歩くの速すぎ~」


 薄荷が小走りで駆けてきて、遊の隣に並んだ。遊は何とか平静さを取り戻した。


 まったくこの子は思ったことをすぐ口にしすぎる。無防備すぎる。


「ねえ、今日どこ行く?」薄荷が遊の横顔に問いかける。


「特に決めてないけど……薄荷はどっか行きたいとこある?」


「う~ん、特にないよ。遊といっしょならそれでいいし」


 う。


 何でこの子はまたそういう事言うかな。


 ダメ。顔に出ちゃう。


「と、とにかくお茶しながら決めよう。あ、あそこ入ろ! 薄荷!」


 遊は必死に顔の筋肉をコントロールしつつ、薄荷の手を取って目の前のファーストフード店に駆け込んだ。今絶対すごい顔をしている。でも、とりあえず薄荷の前を歩けば顔は見られない。


「いらっしゃませ。こちらでお召し上がり――ひっ!」


 奇妙な表情をした遊がこっちを睨んでくるので、カウンターに立つアルバイトの女の子は引きつった笑顔を顔に貼り付けたまま一歩後ずさりした。その様子を目の当たりにした周囲の客達がにわかにざわめいて、遊を注視する。後ろの薄荷まで、どうしたの? と遊の背中を指先でつついた。


 顔がますます熱くなった。


「オーダーいいですか?」遊は無理矢理わざとらしい程にこやかな笑みを浮かべた。


「ど、どうぞっ!」でも、店員はまだ怯えている。


「チーズバーガーセット、オニオンフライつきの。ドリンクはウーロン茶で。あとアップルパイとチキンナゲット三つずつ。それにラージサイズのコーンサラダ和風ドレッシング――あ、新発売のサーモンマリネサンドとバニラシェイクも追加で」


 あ。


 気がついたら、リミッター解除で注文していた。


 やはりまだ気は動転していたようだ。


 しまったと思ったがもう遅い。


 さっきとは別の理由でまた店員の笑顔が引きつり、周りの客がざわめきだした。


 赤っ恥。


 はぁ……。


 遊は一つ大きく息を吐く。どうして、薄荷がからむと自分はこんなになってしまうのだろう。


 それは、たぶん――


 いや、今それを考えるのはよそう。


 これ以上、変なことをしたくはない。


 そんなのは恥ずかしすぎて死んじゃう。


 遊は伝票といっしょに番号札を受け取ると、薄荷に「席取ってる」と伝えて目立たない隅っこのテーブルへと移動した。固いプラスチック製のイスに座って窓の外の風景を眺める。よく見ると若いカップルばかりだ。休日に町の中心地に来れば当然か。ほとんど一般人だろう。それとも自分達と同じように兵士もいるかもしれない。明日をも知れない命なのに異性と付き合う連中がいることが以前の遊には信じられなかった。どうして、自分からそんな重荷を背負うのかと。


 でも、今なら少しはわかる。


 明日の命とかそんなのは関係がないのだ。


 そういうこちらの事情などまるで無視して、心が勝手に動いてしまうのだ。


 人の心とはそういう制御不能な難儀なモノであると遊は最近学んだ。


 カウンターの方でまた客が騒ぎ出した。遊の目線は反射的にそちらへと動く。


「――それと、ベーコンエッグバーガーを二つに、ポテトフライのラージサイズも二つ。それから、フィオレフィッシュサンドをタルタルソースで三つと白玉抹茶パフェ。あ、僕もサーモンマリネサンドとバニラシェイク欲しいかな。あとそれから――」


 薄荷が遊に張り合うかのごとく鬼のようにオーダーしていた。


 店員と周囲の客は平然と軽く十人前はあろうかという注文を矢継ぎ早に繰り出している薄荷とその連れである遊を何度も交互に見て、何故か納得したような笑みを浮かべていた。


「……」


 遊はまた顔が紅潮するのを感じつつ、一所懸命外を眺めるフリをする。




 大量のジャンクフードを全てものの見事に胃に収めた遊と薄荷は早々に店を出た。周囲から注目されて落ち着かなかった遊が薄荷を引っ張って強引に連れ出した形だ。甘ったるいバニラシェイクの香りがしなくなって遊はようやく歩く速度を緩めた。町の風は雑多な匂いがする。色々な飲食店の出す食物の匂いと、車の排気ガスと、人の吐く息が混じってできた匂いだ。決していい匂いではない。でも嫌いじゃない。


 片側四車線の大きな道路が遊と薄荷の行く手を阻んだ。


 赤信号。横断歩道を前にして、二人は足を止める。


「結局、ドコ行くか決められなかったね」


 遊と手をつないだまま、薄荷は信号機を眺めている。


「だって、ゆっくり話す余裕なかったし」


 遊も信号機を見つめたまま答える。


「遊が急がすんだもん。おかげであんまり味わからなかった」


「本当はお茶だけのつもりだったの。早目の昼ごはんになっちゃったけど。ねえ、薄荷はずっとこの町に居たんでしょ? どっか面白いトコ知らないの?」


「遊が気に入るかどうかわかんないよ」


「いいよ。ドコでも」


「じゃあ、遊園地行こう」


「え? 遊園地?」薄荷から飛び出した意外な言葉に遊は思わず聞き返した。「電車乗るの?」


「ううん、近所にあるから」


 薄荷は笑んで、青信号に変わった横断歩道を駆け出す。


 今度は遊が手を引っ張られる。


 かなり速い。


 しかも薄荷はその速度をキープしたまま、まるで障害物競走を楽しむかのごとく人波をすいすいかき分けていく。


 遊は転ばないようにするだけで精一杯だ。


「ちょっと! 薄荷そんなに急がなくてもいいよ!」


 そう叫んでも薄荷はちっともスピードを落とさない。久し振りに散歩に出た子犬がはしゃぎまわるかのように雑踏の中を走り抜ける。横断歩道はとっくに過ぎていた。それでも薄荷の足は止まらない。前方をたらたら歩く学生らしき集団を問答無用で左右にぶった切り、立ちふさがる路上アンケートを華麗にスルーして、自転車も三台ぶち抜いた。


 あいかわらず一度思い込んだ時の爆発力はハンパない。


 薄荷と付き合うのは大変だ。


 でも、本気の薄荷と付き合えるのなんて自分くらいではないかとも思う。


 よし。


 遊はハラをすえた。


 今日は薄荷とトコトン付き合ってやる。


 いや、逆に「遊に付き合うの大変だよ」って薄荷に言わせてみせる。


 遊はぎゅっと薄荷の手を握りなおす。


 ん? と一瞬だけ薄荷が遊を振り返った。


 遊はニヤリと不敵な笑みを浮かべて、ぐんと加速して薄荷の隣に並んだ。


「薄荷足遅くなってない?」遊は薄荷を煽る。「ほらほら、案内役を追い抜いちゃうよ」


「む、まだ本気出してないもん」


 案の定、薄荷がムキになった。


「なら、本気出してよ」


 本気の薄荷とぶつかりたい。


「いいよ」


「じゃあ賭けしようよ。先に目的地に着いたほうが何かおごるの」


「わかった。負ける気がしない」


 薄荷がフッと唇の端を曲げる。すごく楽しそうだ。


「目的地は?」


「あのデパートの屋上」


 遊は薄荷の視線の先を見る。三百メートル程先に古いデパートがある。あんまり高くない。せいぜい五階建てくらいで両隣の遙かに背の高いビルにはさまれ窮屈そうにしている。割と開けて垢抜けた中心街で、その建物は明らかに浮いていた。さらに申しわけなさそうに頭にはやしたこれまたこじんまりとした観覧車がその浮きっぷりに拍車をかける。


 ――遊園地ってあれか。


「わかった。じゃあ手を離すから、そっから本気だよ」


「ん」


「よーい」二人で声をそろえた。


 スタート!


 掛け声と同時に二人のスニーカーはより強く路上を蹴る。


 先行したのは遊だった。


 それは遊の方がダッシュ力が優れているということではなく明らかに薄荷のスタートが遅れたからだ。実のところ遊はまともに薄荷と駆け足で勝負しても十中ハ九負けてしまうことは自分でもわかっていた。もし、勝つとしたら何らかのアドバンテージを得ることが不可欠だ。遊は薄荷に勝負を持ちかけた時点でそれを理解していた。そこで遊は薄荷と会話しながらすでに前方の歩行者達の挙動を観察し、なるべく人を避けずに前進できると思われる最適なルートを掴んでいた。薄荷もスタートする前におおよそのルートを決めるはずだから先にこの作業を終えていれば先行できるはずだ。


 読みは当たった。


 一秒にも満たない差が、迷いがあるかないかの差が数メートルの物理的距離の差となって遊は薄荷の前を進むことが出来た。


 横断歩道はない。


 急に進路を変える人もいない。


 遊は軽快に足音を響かせて、歩道を駆け抜けてデパートの入り口に飛び込み、エスカレーターを三段飛ばしで駆け上がって屋上にたどり着いた。


 遊は自分の勝利を確信すると、会心の笑みを浮かべて両手の拳を空に突き上げたままその場にへたりこんだ。


 息が上がって、膝ががくがくだった。


「遊、大丈夫?」


 すぐに薄荷が追いついてきて、地面に座り込んでいる遊の背中をさすった。


 薄荷は全然涼しい顔をしていた。


 む。


 薄荷の余裕っぷりが憎らしい。


 今日は絶対に薄荷にまいったって言わせるつもりなのに。


 私しか薄荷の相手が務まらないって証明したいのに。


「ぜ、全然平気だよ」


 やせ我慢気味の笑顔を作ると、遊はすっくと立ち上がった。


 勝者が敗者に介抱されるなんておかしい。さっき勝ったのは私なんだから。


「さ、あ、遊ぼうよ」遊は息があがったまま遊戯施設の方へと肩をいからして歩いていく。薄荷はフラつく遊の足元を気にしながらその後を追う。




 メリーゴーランドは少し恥ずかしかったけど、せっかくだからと全部の乗り物に乗った。施設は全部で七つ。遊と薄荷以外は皆小学校低学年くらいの子供かその連れの親だった。そんな中、順番待ちで列に並ぶのは遊にはなかなかハードルの高い行為だった。普段の遊なら早々に戦線を離脱して、薄荷が一人で子供達に混じって遊んでいるのを生暖かく見守っていただろう。が、今日の遊はそうはしない。


 薄荷にトコトン付き合うと決めていたから。


「あははは!」


 くるくる。


 ずっと薄荷のそばにいると決めていたから。


「きゃはははは!」


 くるくるくるくる。


 遊は回転しすぎて、気分が悪くなってきた。


「薄荷、回しすぎっ!」


 遊は全力でコーヒーカップを回転させる薄荷を羽交い絞めにしてやめさせた。


「あははははははっ!」


 それでも、薄荷は何がおかしいのか笑うのをやめない。


「馬鹿」


 遊も薄荷を背中から抱きしめながら、自然に笑みがこぼれる。


 ほらそばにいる、と遊は思う。




 コーヒーカップから降りた後、遊はベンチに座って休んでいた。七つのアトラクションを一気に遊ぶのはさすがに少し疲れた。


「はい、遊」


 売店から戻ってきた薄荷が遊にコーラと透明パックに入ったヤキソバを手渡した。これはさっき賭けに勝った遊の戦利品だ。でも、遊は眉根を寄せる。


「飲み物だけじゃないの?」


「でも、食べ物ないのは寂しいでしょ?」


「!」


 まだ食べるの?


 ちょっとした衝撃が遊の中に走った。冗談かとも思った。でも、薄荷は遊の隣に座って美味しそうにヤキソバを口から胃に流し込むように食べていた。みるみる透明パックの中身は減っていく。少し前にプロレスラーが食べるくらいの量を完食した者の食べっぷりではない。それによく見ると薄荷の膝の上にはまだタコ焼きとおぼしきパックも二つ載っていた。一つはきっと私の分だ。


 まったく……。


 覚悟を決める。


 遊はパックを開いて自分のヤキソバの攻略を開始する。


 トコトン付き合うと決めた以上、トコトンまで付き合うのだ。


 薄荷にとって唯一無二の存在は私だ。


 そう思って割箸を割った。香ばしいソースの匂いが、今だけは恨めしい。


 薄荷が笑う。


「今日、今までで一番楽しい」


 ――え?


 遊のヤキソバを口元に運ぶ手が停止した。


 隣の薄荷が何の前ぶれもなく、突然すとんと遊の肩にもたれかかってきた。


 危うくヤキソバを落としそうになったけど、遊はそれどころではない。


「ありがとね、遊」


「べ、別に大したことしてないよ」


「ううん。いっぱい遊には優しくしてもらった。こんなに優しくしてもらったことない。ありがとう、ありがとうね、遊」


 薄荷は遊の肩に体重を預けたまま、目をつむった。


 遊はベンチの隅にヤキソバのパックを置くと、薄荷の肩に手をそえた。


「私もあんたに会えて色々楽しかった。ありがとう薄荷」


「遊も楽しかったの? 本当?」


「うん」


「よかった……」目をつぶったまま薄荷は微笑する。「遊、大好き」


 きっと薄荷にとって、その言葉を発することは何でもないことだったのだろう。


 でもその言葉を聞いた時、遊は自分がすっかり満たされてしまったことに気がついた。身体じゅうから力抜ける。心が解ける。あらゆる緊張が溶解して、気体になって消えていく。


 ずっと直らなかった傷が癒えていく。痛みが引いていく。


 そっか。


 こんなにも嬉しいんだ。


 それなら、私も。


「――薄荷」


 声をかけたけど、薄荷の反応はない。


 顔をのぞきこむと、薄荷はすやすやと眠っていた。遊は苦笑して、のどまで出かかっていた想いを飲み込む。薄荷が起きないように静かに肩を抱き続ける。


 いつか伝えよう。


 そう思った直後に、おかしくて笑った。


 いつかなんてない。


 今週、私達はもう。


 遊の視界に薄荷のトートバッグが入る。


 陽の光を受けて、鈍く光る銃口が見えた。


 遊は唇をぎゅっと結ぶ。


 絶対に泣いてなんてやらない。


 薄荷が一番楽しいと言ってくれた一日を、涙なんかで汚さない。


 遊は顔を上げる。


 そこには何も遮るもののないただの空があった。


 少し遠くで家族連れの談笑が聞こえてくる。


 目を閉じる。


 まぶたを通して届く太陽の光、微かな寝息、手のひらの中の華奢な感触。


 決して忘れない。




 セレクションまで、後三日。

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