第一一八話 泥人形(クレイドール)

「僕は汚泥のララインサルと呼ばれているよ……」


 ララインサルは言いようのない不気味な笑顔を浮かべると、ぱちんと指を鳴らす。突然部屋が切り替わる……先ほどまでに迷宮主メイズマスターの部屋ではなく、だだっ広い荒野のような場所に私たちは立っている。あまりに違う光景に私たちは混乱を隠せない……。

 そんな私たちの動揺を見透かしたかのように、ララインサルは表情をさらに大きく歪めて笑う。

「ど、どういうこと? いきなり部屋が……」


「ああ、難しいことじゃないよ僕が迷宮主メイズマスターになったんでね……君たちを追放……ああ、わかりやすくいうとBANしたんだ」

 ララインサルはニコニコと笑ったまま、私たちの後ろを指差す……そこには仄暗い空洞のような、不気味な穴が空いている。

 突然、その穴の上部にド派手なネオンの『EXIT』という文字が浮かび上がったが……これはララインサルのお遊びみたいなものだろう……しかし夜の街にありそうな派手なネオン菅を模した文字なんて……。困惑している私たちを見て、再びクスッと笑うとララインサルは出口を指差す。

「一応親切な僕は君たちに説明してあげる……ここは懲罰室、迷宮メイズからBANされたものは一旦この部屋に送られるんだ。そして出口までの一方通行の通路を通って元の世界へと戻れる……」


「確かに出口のようだな……それは間違いない」

 リヒターがその暗い穴を見つめて、赤い目を輝かせながら頷く……そんな彼の様子を見ながらララインサルは満足そうに頷く。だが、次の瞬間彼の翠玉エメラルドの眼が怪しく輝き彼は不気味なオーラを放ち始める。

「でも、僕は意地悪だから……君たちを足止めさせてもらおう。題して……僕を倒して出口へ出ようゲームぅ!」


「先輩下がってください!」

 ずるり……と彼の足元から汚泥が広がり、ララインサルを中心に数メートルが沼地のような状態へと変化する。私は慌てて刀の柄を握って前に出る。

 私が前に出て中盤はリヒターとエツィオさん、そして先輩は後ろに位置してララインサルの出方を伺う。そんな私たちを見て、彼は大きく歪んだ笑顔を浮かべて笑うと、再びぱちんと指を鳴らした。


「さあ、お仕事だよみんな♪ ゲームといえば足止めだよねえ〜」

 足元に広がった汚泥がいくつも大きく持ち上がると、次第に人の姿となっていく……体が泥で構成されているためなのか、指先や顎から汚泥を垂れ流しながらだが、女性や男性……そして子供の姿を取って体を引きずるようにこちらへと向かってくる。

 歩みは遅いが体を構成している泥はそれなりの質量らしく、地面と擦れるような音を立てて進んでいる。


「……な、なんでこの泥人形……苦しそうな顔を……表情がなんであるの……!」

 私は目の前で蠢く泥人形の女性が私に向かってゆっくりと手を伸ばしてくるのを見ているが……まるで空洞のような目から涙を流すように汚泥が垂れているのを見て、恐怖心を掻き立てられている。

 恐ろしく表情が人間のような、生きているかのような動きをしているのだ、これが魔道人形ゴーレムだったら表情なんか変わらないはずだ。そんな私を見てララインサルが満面の笑顔のまま口を開く。

「そりゃそうだよ、コアになる魂はちゃんと殺した人の魂だからね。みんないい顔してるでしょ?」


「うぁああああああ……殺してぇ……もう殺して……お願い……」

 私に縋り付くように泥……いや、若い女性の顔をした泥人形が腕を振り回す。私は咄嗟に鞘に入ったままの全て破壊するものグランブレイカーでその攻撃を受け止めるが……予想以上の重さで体ごと後ろへと弾かれる。

 泥人形の攻撃で、鞘にべったり泥がついたのを感じたのか、全て破壊するものグランブレイカーが悲鳴のような声を上げる。


『うわぁああっ! 我に泥がっ! な、何してるんだ早く切り裂け! いぃぃぃやあああああ! 泥おおおお!』


 全て破壊するものグランブレイカーの悲鳴がなおも心に響くが、私は目の前の泥人形を切り裂くかどうかで悩んでしまっている……見た目は泥人形だけど、呻き声も悲鳴も、目から流れ落ちる泥も全て縛り付けられている魂の叫びのように感じてしまっていて手が震える。

 再度の泥人形の攻撃が迫り……私は意を決して咄嗟に刀を居合い抜きして目の前の女性型の泥人形を切り裂く……。まるで人を切っているような、そんな感覚。

「あああ……痛い……あり……が……こ……で、眠れ……」


 まるで死ねたことを感謝しているような、安堵の表情を浮かべて目の前の泥人形は床へと崩れ落ちる。あまりに人間的な表情を浮かべた人形がさらに私に迫る……迫る泥人形は口々に呻き声を上げながら私に襲い掛かるが……私は刀を振るって泥人形を切り裂いていく。

 そして、そのすべての泥人形が切り裂かれたときに痛みと、安堵の表情を浮かべるのを見て私は歯を食いしばる……次第に私は沸々と強い怒りが自分を支配していくのを感じている。


「いやあ、剣が鋭いねえ……見た目とは違ってまるで無慈悲だ。おっかなーい♩」

 そんな私を見て、ララインサルは本当に嬉しそうな顔で微笑み手を叩いて喜んでいる……私はその笑顔を見て、完全に頭に血が昇った。な、なんてこの目の前の闇妖精族ダークエルフは……本気で喜んでいるのか? だとしたら……こいつは本当に邪悪な、倒さねばいけない敵だ!

「ふ、ふざけるなぁあっ! ミカガミ流……絶技、空蝉ウツセミィッ!!」


 私はその場で体を回転させて、絶技空蝉ウツセミ……刀の衝撃波をララインサルへと向けて放つ。だが衝撃波は彼に届く前に、新たに汚泥から湧き出した泥人形にぶつかって弾け飛ぶ。

 その盛り上がった泥人形は、崩壊する前に口々に喜びと痛みを口にしていくのを見て私は思わず絶叫する。

「これは……これはいくらなんでも趣味が悪すぎるだろうッ!」


「ん〜? 怒ってるのぉ? どうしてかなあ? 君が斬ったのは泥人形だよ? そっか君はなのかな?」

 くすくす笑いながらララインサルが腕を横へと振るうと、自分の横に立たせていた泥人形が苦悶の表情を浮かべながら、砕け散っていく。

 まるでおもちゃを壊す子供のように、泥人形を壊して笑う彼を見て、さらに私の怒りが増す……なんて、なんて非道なのだこの男は、無邪気な笑顔が逆に私の怒りを増幅させていく。

「落ち着け、君が冷静にならないとここは脱出できないぞ」


 エツィオさんが私の肩に手を置いて落ち着くように諭す……彼の手もかなり力が込められており怒りを感じるが、彼の顔はあくまでも平静を保つかのように無表情だ。

 ぎりりと歯軋りをしながらだが、私は顔を歪めて頷く……くそっ……この怒りをどこへぶつければいいのか。私は肩に触れているエツィオさんの手にそっと自分の手を当てて、大丈夫だと伝える。

「だ、大丈夫です……でも、目の前のこの敵は……許せないです……」


『落ち着け、泥人形はほぼ戦闘力がない。というより足止め程度だ、この程度でお前を倒せるとは思えん……』


 全て破壊するものグランブレイカーの声が心に響いたことで、私も少し冷静に状況を見ることができるようになってくる……確かに泥人形は刀の一撃で破壊できるくらい弱い。

 では泥人形を使ってこちらに嫌悪感を抱かせるだけなのか? 本気で倒せると思ってるなら、拍子抜けもいいところなのだ……何がしたい?

 再び出現した泥人形が悲鳴を上げながら向かってくるが、私は一刀のもとに切り裂いて、刀についた泥を振るって落とす。


「これでは私は倒せませんよ? 何がしたいんですか?」

 私はあえて……煽ってみることにして、彼へと刀を突きつける。

 ララインサルの目的がなんなのか、私たちを足止めしたいのであればその目的が知りたいからだ。だけど、ララインサルから出て来た言葉は……正直予想だにしていなかった。

「ん? ああ、意味なんてないよ? 君たちへ嫌がらせだからさ。それとも意味が欲しかった?」


「……な……そ、それじゃこの魂が死んでいくのは……」

 私が唖然とした表情で刃先を震わせたのを見て、ララインサルが本当に嬉しそうな顔で満面の笑みを浮かべて笑う……ほ、本気なのか……本気でいってるのか? 私は再び沸々と心の中に怒りが増していくのを感じている。肩が震える……歯がカチカチと鳴ってしまう、怖いんじゃない、怒りで表情の制御が効かなくなっている。

「あれえ? いい顔できるじゃない。そういう顔見たかったんだよねえ……いっつもすまし顔で冷静を装っているけど、君の本質は違うよねえ? アハハッ……今の怒った顔、めちゃくちゃイイよ?」


 ララインサルが頬を染めて、本当に馬鹿にしたかのような表情で歪んだ笑みを浮かべて、私を覗き込むようなポーズをとる。こ、この……!

 私は黙ったままその場を駆け出す……あまりの力で駆け出したため地面が凹むがお構いなしに私はララインサルへと突進する。

「灯ちゃん! やめろ!」


「ブッ殺す! お前は絶対に殺す!」

 エツィオさんの制止も聞かずに泥人形を突進と素手で破壊しながら私はララインサルへと迫る……泥人形を押し退けて、進んだため私の戦闘服に泥が付着するがお構いなしだ。

 まさに狂戦士バーサーカーのように迫る私を見てもララインサルは余裕の表情を浮かべたままだ。だが、もう一歩で私の刀が届く範囲だ……こいつは絶対にこの場で殺す!


「……え?!」

 次の瞬間、視線がいきなり低くなった……間抜けな声をあげて、私は床面へと膝まで落ち込む。な、なんだこれ……泥に体が沈んでいる?!

 私は必死にもがくが、私の体にまるで何かを乞うような、泣き叫ぶ泥人形がまとわりついてくる……そしてその重みで私の体がジリジリと泥へと沈んでいく。


死の沼地デッドリースワンプ……君は周りが見えなくなるんだねえ、あんなにイケメンが止めてたのに……アハハッ!」

 ララインサルが本当に馬鹿にしたかのように、両手を使って自分の顔で変顔をしながら、くすくす笑っている。怒らせて自分の技の影響範囲まで引き摺り込んだのか……しかもこの地形で一度泥の中へと沈んでしまったら私はこの場所に戻ってこれるかわからない。

 必死にもがく私を見て、ララインサルが再び笑顔を浮かべて宣言する。


「若いねえ……少女の姿で魂だけは歴戦の勇士であるはずなのに……まるで周りが見れてない、キミ……本当にミカガミ流の剣聖ソードマスターなの?」

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