第七四話 悪夢(ナイトメア)

「私の顔をじっと見て、先輩……どうしたんですか?」


「ん? 灯ちゃんが綺麗だなって」

 東京の街を歩く僕の隣で灯ちゃんが僕の腕に手を絡ませているが、僕の言葉にさあっと頬を赤くして恥ずかしがる……ああ、本当に可愛い、僕の心から愛する女性。

 僕の名前は青梅 涼生、KoRJのバイトなども並行で行っている高校生だ……今僕は友達以上恋人未満の女性である、新居 灯と共に街を歩いている。

「先輩……最近積極的ですよね……」


 僕は彼女のことを聞かれた時にこう答えている……『彼女は僕の恋人になる人です』と。

 まだ手を繋いで歩くだけの日々だが……僕は彼女をずっと、ずっと初めて見た時から本当に好きだったんだ。

 一目惚れっていうのはこういうことを言うのかもしれない、彼女の困った顔も、笑顔も……そして戦う時にみせる凛々しい顔も、僕は新居 灯の全てが本当に好きなんだ。


 僕には上に二人の姉がいる。

 子供の頃から、姉には散々いじられてきた……女の子の服を無理矢理着せられて、写真を撮られたりしてきて、僕は正直に言うなら女性がとても苦手だった。

 でも僕は……彼女に出会って心の底から新居 灯という女性のことを好きになり……女性が苦手ということを忘れようとしている。

「僕は……君を心から愛しているから……」


「せ、先輩……そんな街中で……恥ずかしいです」

 灯ちゃんが本当に恥ずかしそうな顔で……僕の目を見つめている。周りには誰もいない、急に人がいなくなって……僕は彼女の頬へそっと手を添えると、彼女は覚悟を決めたように目を閉じる。

 いいかな……僕は彼女へとキスをするために、緊張で爆発しそうな胸の鼓動を感じながらも彼女へと近づいていく。

「灯ちゃん……僕は君を愛している……って、え? どうしたの?!」

 僕はゆっくりと彼女の唇へと……近づいて……その時急に彼女が僕の胸を押し退けて、突然走り出した。彼女が向かった先に……見知らぬ男が立っていて、彼女はその男の胸へと飛び込んでいく。

「先輩ごめんなさい! 私……私この人のモノになったの!」


「へ? あ、灯ちゃん?」

 灯ちゃんは見知らぬ男の頬にキスをすると、蕩けるような目でその男を見つめている。金髪で、背が高く深い青い瞳の知らない男だ。

 彼は彼女の大きな胸に触れると、灯ちゃんが喜びの表情を浮かべてあんっ……と悶える。ぼ、僕は触ったことないのに! どうなっているんだ灯ちゃん!!

 金髪の男は灯ちゃんを見つめて彼女の胸を揉みしだいていく……その動きに合わせて灯ちゃんが小刻みに悶えて、僕はその姿に衝撃を受けている。

「どうしたんだい? 灯……僕以外の男を見ちゃダメじゃないか? 君は僕のお人形さんなんだから……」


「あっ……ごめんなさい……もっと、もっとしてください……」

 灯ちゃんが他の男に……何度もキスをしている?! どうして? 僕はもしかして……彼女に捨てられたのか? 灯ちゃんは愕然としている僕の顔を見て、フフッ……と馬鹿にしたように笑う。

「先輩、ごめんなさい……私この人の※※※ピー※※※バキュン※※※パォーンされてわかったの……もう彼なしでは生きていけないわ……」

 灯ちゃんが顔を赤らめて、スカートをひらりとたくしあげる……そこには彼女のイメージとはかけ離れた凄まじくド派手で、いやらしさすら感じる黒い下着が見えており彼女の尻を、その男が撫で回しているのが見える。


「やめてくれ灯ちゃん! 僕は君の口からそんな言葉聞きたくないよ!」

 僕は悲しい……灯ちゃんはそんな子じゃないんだ! 僕の知ってる新居 灯はそんなふしだらな子ではなくて……とても美しい、繊細さを持ち合わせたとても強い子なんだ……やめてくれ! 僕の新居 灯を汚さないでくれ!

 笑いながら、金髪の男と新居 灯が腕を組んで僕の前から立ち去っていく……嘘だ、嘘だって言ってくれ! 僕は君に捨てられたくないんだ!

「ねえ、今日はあなたの※※※パォーン※※※バキュンしてほしいの……」

 い、嫌だ……灯ちゃん……行かないでくれ……僕は呆然としながら、笑顔で去っていく二人を見つめて、地面へと崩れ落ちる。絶望感と、強い屈辱……なんて、なんて日なんだ。

「灯はそれが好きだなぁ、よぉし今日は※※※パオーンで寝かせないぞぉ」




「おい、涼生!さっさと起きろって言ってんだろ、このバカが!」

 ゴチン! という鈍い音と頭に響く痛みで僕は目を覚まし……慌てて飛び起きて、目の前にいる人を見上げる。

「ぐぇっ! そ、そうだ灯ちゃ……あれ? 姉貴?」

 そこにはうちの一番上の姉である青梅 楓おうめ かえで……僕は楓姉と呼んでいる……が呆れたような顔で立っている。

 楓姉は朝の掃除の真っ最中だったようで……手には掃除機を持っていて、どうやら僕が起きないのに焦れて頭を殴りつけたらしい。

 僕の家は僕と、楓姉ともう一人の姉が暮らしている。

 両親はいるのだが、手狭になっているということでこの家には住んでおらず地方へと引っ越してしており、僕は姉二人と共同生活を送っているのだ。

 もう何年もこうしているから、慣れっこになっていて僕は両親とは少し距離を感じてしまっている。

 しかし……もしかしてさっきのは全部夢だったのか……なんとなくホッとして、僕は胸を撫で下ろす。なんてド派手な下着をつけて……新居 灯があんな下着をつけていたとしたら、僕は少しだけ引いてしまうかもしれない。

「涼生......どうしたの? 随分うなされてたけど、なんかあったのか?」


「嫌な夢を見たんだ……でも夢でよかった」

 姉貴に聞かれていたのか……僕がはぁっ、と息を吐いて頭をガリガリと掻くのを見て、楓姉は何かを勘づいたのか、くすくす笑い始める。

 茶色い髪が揺れて……楓姉が笑いながら顔を近づけてくるのをみて、僕は少しだけドキッとしてしまった。楓姉は口は良くないけど、健康的でとても可愛らしい顔つきの女性だ。鼻腔に楓姉が欠かしていない化粧の匂いを感じる。

「ああ、お前の友達って言ってた灯ちゃんだっけ? 彼女にフラれる夢でも見たんだろ? お前本当に昔から自信ねえのな」


「そ、そんなことない!」

 ムッとして僕は楓姉の顔をみると、ニヤニヤと笑って僕の頭をぽんぽん、と叩く。どうも楓姉は僕を子供扱いしているというか……僕も余計にムキになってしまうのも悪いのだけど、ため息が出そうだ。

「それとさ、お前自分で寝巻き洗えよ? 流石に姉ちゃんも恥ずかしくてそれは洗えないわ」

 その言葉に慌てて毛布を捲ると……そこには先ほどまで見ていた夢のせいなのか、独特の匂いをさせた生理現象の跡が残っており、僕は顔が本当に熱くなるのを感じた。




「お風呂上がったのね涼生。ご飯できてるよ」

 下の姉である青梅 葵おうめ あおい……葵姉がフライパンからハムエッグを皿に乗せると手早く食卓へと並べていく。

 葵姉は大学四年生で楓姉と違って少し細身の女性だ。料理が得意で両親が別居した我が家では、葵姉がいなければ僕と楓姉は餓死したのではないか? と思っている。

「ありがとう姉ちゃん……いただきます〜」


 ハムエッグとご飯、大根を使った味噌汁、付け合わせの漬物。とてもシンプルだけど、ホッとする味に僕は安心感を覚える。僕と姉二人だけの食卓……毎朝同じ顔あわせだけど、こんな日がいつまでも続けばいいと思っているのだ。

 僕は味噌汁を啜りながら、少しだけ夢の中の新居 灯の表情を思い出して陰鬱な気分に浸っている。そんな僕を横目に、楓姉が葵姉にニヤニヤと笑いながら話しかけてきた。

「そういやさ、葵……涼生、エロい夢みて出しちゃったみたいなのよ」


「ゴバァアアアッ!」

 楓姉の言葉で僕は口に入れていた味噌汁を全部床に吹き出した。

「ぎゃあああああ! きったねえええ!」

「何吹いてんのよ! 馬鹿じゃないの!?」

 二人の姉の抗議の声を背に、僕はタオルを取って口を拭きながら布巾を探して取ってくると床に散らばった色々なものを吹き始める。

「い、いきなり何言い出すんだよ楓姉……」


「だって灯ちゃん? だっけ、夢ん中でナニしたんだよな?」

「楓、あんた下品だよ」

 楓姉が※※※大変卑猥な意味を示す拳をグイッと突き出して笑う。その手を葵姉が叩くと、楓姉が悪い悪いとその拳を引っ込めた。

「い、いや……他の男性に取られる夢を見た……」

 僕が床を噴き上げながらそう答えると、楓姉も葵姉も悪いことを聞いてしまったなという顔で食卓に並ぶ食事を突き始める。


「な、なあ涼生……そんな暗い顔するなよ。現実に起きたわけじゃないだろ?」

 楓姉は流石に悪かったなと思ったらしく慰めてくれるが……一度下がったテンションはそう簡単に上げられるものじゃない。僕は椅子に座ると、駄々下がりしたテンションのままハムエッグを口に入れる。

「そうだね……でも、彼女が僕のことをどう思っているかわからなくて……」

 二人の姉はどう言葉をかけていいのかわからずに、その後は何も喋ることもなく食事は終了した。




「はぁ……参ったな……」

 陰鬱な気分はその日ずっと続いている。

 授業も全く身に入ってこない……どうしたらいいんだろうか? 授業の片付けを終えて立ちあがろうとした時にスマートフォンにメッセージアプリの通知が表示された。


『青梅さん、今日も勉強を教えてください! お家にお伺いすればいいですか!?』


 元気の良いスタンプと共に飛んできたメッセージを見て、ふうっと息を吐いてそのメッセージの送り主のことを少しだけ考える。

 新居 灯の親友で僕が勉強を教えている昭島 美香子からだった……正直いうと、彼女は妙に馴れ馴れしく個別にメッセージを送ってくるが……僕が本当に会いたいのは彼女ではなく、新居 灯なんだよな……と改めてうまくいかない状況にやきもきする。

 とはいえ新居 灯は恐ろしく勉強ができるので、僕が教えることもないのだよな……とため息をついて、『OK!』のスタンプを返す。


「さ、また教えるか……吸収も早いし、灯ちゃんも喜んでくれるだろう」

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