第七五話 女淫魔(サキュバス)
「……先輩どうしたんですか?」
僕の隣には灯ちゃんが立っている……僕はその灯ちゃんの空虚な笑顔を見て、少しだけ違和感を感じている。そう、いつもの彼女じゃない……周りを軽く見回してもどこか現実感がない光景のようにも見えるのだ。
人の顔ははっきりと見えず、どこか動きもおかしい……なぜか街を走る車も、どことなくディティールが崩れていて、落書きのようにも見えるのだ。
ここは一体どこだろう? 東京にこんな場所なんかあっただろうか?
「先輩、今日は私の体を好きにしてくださいね……昨日の夜のように先輩ので愛してください、もう私先輩がいないと生きていけない体になってしまったの……」
灯ちゃんが頬を染めて、僕の腕の中へとしなだれかかってきたことで、僕はそっと彼女を抱き止めるが、意識の奥で何かがおかしいと警鐘が鳴る。
そんな僕の違和感とは別に、胸の中にいる灯ちゃんは息を荒くして僕の首筋に舌を這わせている……これは一体なんだ……僕と灯ちゃんはまだそんなことをした記憶はない。
何が起きているの? 何がおかしい? これはまた夢なのではないか? 目の前にいる灯ちゃんはなんだ?
KoRJの仕事で散々に危険と隣り合わせの生活を体験してきた僕の、何かがおかしいと感じる感覚が、ずっと目の前の灯ちゃんに対して『おかしい』と告げている。
「き、君は……誰だ? 灯ちゃんはそんなこと言わない……」
「え? 先輩……昨日あんなに私のことを可愛がってくれたのに……何でそんな酷いことを言うんですか?」
灯ちゃんが妖しく普段の彼女では絶対に見せないような媚びた顔を見せる……誰だ、誰なんだこれは。僕は慌てて彼女を引き剥がして、距離を取る。
引き剥がされたことで目の前の彼女は、少し驚いたような顔をしていたが、すぐに舌なめずりをして笑う。
「センパァイ……ダメですよぉ……私のそばにいてくださいよぉ……」
クスクス笑うと目の前の灯ちゃんに似た何か、は不気味すぎるくらいの笑顔を浮かべながら制服の前をはだける……僕は見てはいけない、と直感的に感じて目を逸らす。
「なぁんだ……随分頑ななのねえ、これは夢よ、夢の中なのだから気にしないで楽しみましょう?」
灯ちゃんの姿をした何か、が大きく口を開けて笑う、その姿はまるで悪魔のような、恐ろしく異質な印象を与える歪んだ笑みだった。
不気味すぎるくらい大きく裂けた口を開けた、化け物にしか見えない彼女が僕に迫ろうとする。
違う、違う、違う、こんなの僕が好きな灯ちゃんじゃない! 夢? 夢だって言ったか? なら夢から覚めるにはどうすればいいんだ? 前回は……楓姉が叩き起こしてくれたんだっけ。
僕は一目散に走り出す……足が重く、急に泥沼のような地面へと変化していき僕は足を取られてしまう。
「な、なんだこれは……」
「先輩……私だけを見てくださいよ……クハハッ」
僕の背中に灯ちゃんが覆いかぶさる……なんだこれは! 彼女の体重ってこんなに重いはずがないだろう? 全身に感じるそのあまりの重さに僕は必死に振り解こうとするが、地面へとどんどん体が沈んでいく。
地面に潜り込む体に耐え難い快感を感じて、僕は体を震わせる……。やめてくれ! 僕はこんなこと望んでいないんだ! 彼女は僕の耳を、首筋を、その裂けた口から伸びる恐ろしく長い蛇のような舌を這わせる。
「くそっ……やめろ! 僕は、僕は……っ!」
抵抗も虚しく僕の体は地面へと沈んでいく……背中を走る耐え難い快楽に身を包まれて、意識が途切れる。
「どうだ? オレーシャ、あの勇者の素質を持つものは籠絡できたか?」
テオーデリヒは夜の街を眺めながら、ニコニコと笑う女性へと話しかける……オレーシャと呼ばれた女性はグラマラスな肢体に、この世界で調達した衣服を着用しており、長い髪と漆黒の瞳を輝かせてテオーデリヒを見て妖艶に笑う。
「はぁい、抵抗はしてますけどももうすぐ私のものになりますよぉ」
テオーデリヒは目の前のオレーシャが笑うのを見ながら、ふむ……と頷く。
この世界でも
「どうしました? テオーデリヒ様」
「いや、この世界のものが考える
オレーシャは彼の言葉に訝しげな表情を浮かべているが、テオーデリヒは少しだけ綻んだ顔を締め直すと、咳払いをして話題を変えることにする。
「すまんな、お前には関係のないことだった。ところであの若者はどうする?」
「そうですね……すぐに廃人にすることも可能ですが、できれば長く囲っておきたいですねえ」
オレーシャはニコニコと笑って頬に手を当てる……あの強い若者から精を絞り取れればこの世界で活動するには十分なくらいの生気を吸収することができるだろう。せっかく手に入れたおもちゃなのだから……大事に使いたいと思うのだ。
オレーシャの笑顔を見て、テオーデリヒは随分と嬉しそうだなと思った。
「気に入ったのか?」
「彼はどうやら童貞で新鮮なのもありますし、恋焦がれた女性に裏切られるという負の感情が本当に美味しいのです。でもそろそろ受け入れてあげなければいけませんね……私が最初だともう逃れられないかもしれませんけど」
オレーシャは再び声を殺してクスクス笑う、夢の中で見た彼……オウメ リョウセイの絶望感に満ちた顔、思い出すだけで疼いてしまう。
アライ アカリ……? という女性を彼の記憶から再構成しているが、随分と罪作りなことだと思うのだ。何も考えずにオウメの気持ちを受け入れて仕舞えばいいのに……。
まあ、その女性の代わりに私が存分に彼を愛して仕舞えば……女性に慣れていない若者であれば簡単に籠絡できるであろう。
この世界においても男女の欲望というのは度し難いものなのだ、オレーシャが住んでいた世界でも、そう言った感情を振り切ることは難しい。
「今は寝てしまいなさい……オウメ……次の夢でもう逃げられないようにしてあげるわ」
「先輩が元気がない?」
「そうなんだよね……なんか話しかけてもぼーっとしてるし、目の下なんか凄い隈なのよ」
ミカちゃんが先日先輩に勉強を教えてもらいにあった時の様子を心配そうな顔で私に報告してくる……私とミカちゃんは、いつものスパタでラテを飲みながら話している。
ちなみに周りの男性の目がチラチラとこちらを見ているのが少し気になるが、どちらかというと好奇の目なので特に監視されているわけではない、と思う。
「寝れてないのかな……私最近連絡とってなくて、後でメッセージ入れてみるよ」
ミカちゃんは私の返答に、ゲッ! と言う顔をして大げさに驚く……なんで驚くんだ? と思ったのだけど、ミカちゃんはキョトンとしている私の表情を見て、少しだけ頭が痛そうなそぶりを見せている。
「あかりん……彼氏と連絡を取ってない、ってどう言うことなの。青梅先輩悲しむと思うよ?」
「んーと言っても、先輩から最近連絡がないから、忙しいのかなって思って……」
私はラテを飲みながら、事もなげにそう返す。そうなのだよね、私は先輩と恋人ではなくお友達から初めている仲だし、私自身は前世のこともあるから当分は……いや、今後も男性とお付き合いをすると言うカオスな状況は作りたくない。
いや、ちょっと前にそれっぽい空気を醸造してしまったのは戦闘中に精神がハイになったと言いますか……その、つまりそう言うことなので黒歴史として私は記憶を葬っているのでノーカンなのだ。
そう、ノエルもそうだが私も都合が悪い記憶は綺麗さっぱり消せる特殊能力の持ち主でもあるのだ、すごいだろう。
「よし、あかりん一緒に先輩のところへ行こう」
「私先輩のお家に行ったことないんだよね……」
ミカちゃんの思わぬ提案に私は少し困惑する、べ、別に私いかなくたっていいんじゃないかな! と思うのだけど……そういえば先輩のお家に行くのは初めてではないか。
うーん、彼の家とかどんな感じだろうか……性格的に結構きちんとしてそうだし、お姉さんが二人いるって聞いているしな……伺ってしまっていいのだろうか? と言う疑問は少し感じるのだが。
不安そうな私の顔を見てミカちゃんは笑顔でとんでもないことをサラリと言い放つ。
「大丈夫、私は青梅先輩の家の場所も聞いているから、普通に訪ねていけるよ。何度かお邪魔してるし」
「え? ちょっと待って……ミカちゃん今なんて言った? 何度かお邪魔してる?」
私の疑問にミカちゃんは少し考えてから、ものすごく悪そうな顔でクフフと笑って私の疑問には聞こえないふりをする……ちょっと待って、本当になんで先輩の家にミカちゃんがお邪魔してるの!?
ってことは先輩の部屋とかでミカちゃん勉強してるの? 二人きりで?! マジかよ! 間違いがあったらどーすんだ、いや先輩ならそんなことをしたりするとは思わないけど、危ないって思わないのか? ミカちゃん!
そんな私の内心の動揺を見透かしたように、ミカちゃんは私の手をとって笑うが、次の言葉で私は目眩を起こしそうになった。
「さ、今から行こう!
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