第六七話 猟犬(ハウンド)
「はぁっ……はあっ……」
一人の男性が必死に逃げている……ここはイタリア、ピエモンテ州にあるトリノ、古くはサルデーニャ王国の首都として栄え、現代ではイタリア第二の工業都市としても知られている。
世界的な自動車メーカーがこの街を拠点としており、人口は近年減少傾向にあるがそれでも八〇万を超える人口が暮らしている大都市である。
「まだ逃げるの? ボクもう飽きちゃったよ」
金髪碧眼の背の高い男性が、逃げる男をのんびりと歩いて追いかける……その顔はとても美しく、モデルか何かと言われても納得できるレベルの整った顔立ちをしており、とても中性的な印象を持っている。
身長は一八〇センチメートルを超えているが非常に細身で、仕立ての良いスーツを着こなしている……貴公子という言葉がしっくりくるような若者だった。
だが、今彼の顔には美しいだけでない、人を小馬鹿にしたような笑みを浮かべて手に持った
「もう君はボクの
「うぎゃああっ!」
パリッと音を立てると、追いかけている男性の体の周りを小さな雷が走り……逃げる男を指差すと、凄まじい勢いで電流が迸る。
電流は走る男を一瞬で捉えて……全身を麻痺させ、男は硬直した体のまま地面へと倒れ伏す。
「全く……君が裏切り者だってわからないと思ったかい?
金髪の男性は地面でもがく男を足で踏みつけて……髪をそっと掻き上げて、何かが足りないのか少しだけ不満そうな顔をすると、地面に倒れている男を懐から出した手錠とロープで拘束していく。
逃げていた男は、KoRの情報を異世界の
「男性は便利だなー……力が強いもんねえ。あいつもパワーはすごかったよなあ」
なにを言っているのだ? という恐怖に満ちた目で金髪の男性を見上げる男……その視線に気がつくと、少しだけ困った顔をしてからにっこりと笑う。
なんとなくその笑顔が女性的な印象を与える柔らかい印象で、さらに自らの頬にそっと手を当てる仕草が本当に男性なのか? と思わせる何かを持っている。
「ああ、ごめんねぇ……最近思い出したことがあってさ。正直神様の気まぐれってやつに困ってるんだよね」
「殺してはいけないよ、エツィオ」
後ろから声をかけられて、その声の方向へとにっこり笑って微笑む金髪の男性……名前をエツィオ ビアンキという。
このイタリアで生まれた二五歳の男性で、KoRイタリア支部の事務職を務めているエージェントの一人で、今回は裏切り者を探し出し捕縛する役目を担っていた。
通称
「殺してませんよぉ……アーネスト、僕は血を見るの大嫌いなんで」
声をかけてきたのは、スーツに身を包んだ狛江 アーネスト 志狼……日本から戻って以来、KoR本部に移動して精力的に内部統制の業務に勤しんできていた。
その活動の中で、彼は短時間で
「そうでなければ困るよ、アマラの……
「
エツィオは少しだけ困ったような顔で笑う……狛江は目の前の男性が少しだけ複雑な事情を持っているのかもな、と感じた。とても細かい表情や仕草の端端に女性的な艶やかさや、繊細さを感じるのだ。
「あの娘も、系統は違うけど似た感じだったな……」
狛江はふと日本で出会った新居 灯のことを思い出した……美しい女性ではあるが、その心に秘めた猛々しさなどは外見とは全く違っていて非常に男性的な強さを持っている不思議な存在だった。
アレから一ヶ月程度しか経っていないが……とても懐かしいな、と少しだけ頬を綻ばせる。
「その娘ってのはアーネストの恋人かなんかですか? なんか訳ありそーな顔してますよぉ?」
悪戯っぽくエツィオが笑うのを見て、苦笑いのような表情で微笑む狛江……彼女、ね。あの娘ではなく僕には本当に大事だった女性がいたのに……もう永遠に一緒にいることができない。
ぽっかり空いた心の穴を埋めることができる人は現れるのだろうか? ふとそんな気持ちに孤独感を感じつつ、エツィオに応える。
「そんなんじゃないよ、日本にいた仲間のことを思い出してね。凄まじい身体能力を持ってて……ええと……ミカガミ流? とかいう剣術を使うんだ」
「……え? アーネスト……今なんて」
エツィオが目を見開く……狛江は笑いながらミカガミ流だよ、と再び口にして彼の方向を見ると……少しだけ頬を染めて、目を潤ませたエツィオが呆然とした表情で立っている。
狛江は急に態度を変えたエツィオに驚きながら……胸に拳を当てて俯いて肩を震わせる彼を驚いて見つめた。
「ど、どうしたの? 僕なんか言ったかな?」
「……そ、その剣士って名前はなんていうんですか?」
エツィオは俯いたまま、狛江に尋ねる……どうしたのだろう? と訝しげる狛江だが、黙っていると居ても立っても居られないという顔でエツィオは狛江の両手をそっと握って、もう一度訪ねてきた。
「お願い、アーネスト……教えて……ください……」
その顔が普段見せる悪戯っぽいエツィオの顔ではなく、あまりに女性的な艶を帯びたものだったので狛江は内心驚きながら、なぜか気恥ずかしくなって赤面しながら顔を逸らして口を開く。
え、なんで僕は目の前の年上の男性にドキドキしてるんだ? おかしいだろ! 狛江は内心の動揺を否定しつつなんとか問いに答える。
「ええ、と……KoRJに所属している
喋ってからエツィオの顔をもう一度見ると……先程までの艶やかさが消えて、何事かを考えるようないつもの冷淡な彼の表情に戻っていた。
「ミカガミ流……まさか、でも女性ってどういうことだ? アカリ アライ……会う必要があるな」
エツィオはブツブツと何かを考え込むように、独り言を呟いている。
何事かを考え込むエツィオの足元で先ほど捕らえた内通者が動けるようになったようで喚き始める……。
「おい、なんだオメエら。俺の頭の上でイチャイチャしてるんじゃねえぞ、このホモ野郎が!」
「あ゛ ? お前に口を開いていいなんて言ってないぞ?」
エツィオは思考の邪魔をされたことに腹を立てたようで、内通者の頭をグワシと掴むと、ゼロ距離で凄まじい光量と破壊力を有した魔法、
「ぎゃああああああああああああああ!」
「ボクの思考の邪魔をしやがって……死にたいのか?」
悲鳴と共に小刻みに痙攣して苦しみ悶える内通者……身体中から肉体が焼かれるような嫌な匂いと煙を発しながら、白目を剥いて悲鳴を上げ続ける。
狛江は慌ててエツィオの肩を叩いて直ぐに止めさせようと彼を制止する。
「ま、まったそれ以上はそいつが死ぬ!」
「命拾いしたねえ……でも今後まともに生きていけると思うなよ? アーネスト、行こう」
エツィオはペッ、と唾を内通者に吐きかけると、まだ煙を上げてビクビクと震える瀕死の内通者を引き摺っていく。その姿を見て狛江はこのエツィオ ビアンキというKoRイタリア支部が誇る最強のエージェント、
圧倒的な魔力、そしてモデルのような外見に似つかわしくない冷徹さと凶暴性……称号としての
「あ、ああ……すごいな……さすが第三三代目
「ま、便利だよね〜。急に体に入ってきてびっくりしたよ」
エツィオが第三三代目
それまでもエツィオは魔法能力という異能を生まれた頃から扱えていた……KoR内においても剣と魔法を操る
一ヶ月前に
それまで彼は女性とみれば口説く、それが年上でも年下でも、同い年でも人妻でも未成年でも……もはやKoRJの墨田 悠人が霞むレベルのコンプライアンスの敵とまで呼ばれていた人物だったが、一ヶ月前から急にその行動がなくなった。
狛江は噂を聞いていたエツィオがあまりに前評判とは違う印象だったため、ふとした疑問を感じて問いかける。
「そ、そういや……君は女性とは遊ばなくなったのかい? 新居さんは一応女性だから……僕としては心配なんだけど」
「は? ああ……ボクがそのアカリ アライを口説くって? ……美人なのかい?」
エツィオは少し苦笑いを浮かべた顔で狛江の顔を見る……そこに浮かんでいた表情を読んで、少し考える……そうか美人なのか……という顔をすると、もう一度狛江の顔を見て、ニカッと笑う。
「そんな美人なら……ボクは興味あるね……」
エツィオは悪戯っぽく笑う……その顔を見て再びドキッとした狛江は、なぜこんなに目の前の男性が艶っぽいのか疑問に思いながらも、困惑しながら口を開く。
「い、いや……エツィオより年下だし……まさか日本に行く気なのか?」
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