第九話 牛巨人(ミノタウロス)

 戦闘服に着替えた私と、先輩が八王子さんの前に立ったのはリムジンを降りてから三〇分程度経過してからだった。


 先輩の戦闘服は私のように学生服ではなく、フードのついた白いパーカーにテーパードパンツ、動きやすそうなスニーカーというカジュアルな装いだ。

 ぱっと見の外見はカジュアルだがそれら全てが特殊繊維製で、見た目ではわからないくらいの伸縮性と強靭さを持っている。

 さらに先輩は腰に小型のポーチを複数付けている。『僕の仕事道具が入ってる』と話していたっけ……中身は見せてもらったことがないのだけど。


「よく来てくれた、青梅くんに新居くん。緊急で呼び出してしまって申し訳ない」

 八王子さんは椅子から立ち上がり、私たちに頭を下げる。ああ、そんなことしなくてもいいのに仕事なんだから、と口に出そうとするが、先輩が先に口を開き……それ以上はいいですよと言わんばかりのジェスチャーで手を振る。

「いえいえ、ちゃんとしたバイトですから大丈夫です。ところで今回はどこへ行くんですか?」


 そんな先輩の言葉に、改めて八王子さんは頭を一度だけ軽く下げると、私たちにソファーへと座るように促し、自分も椅子へと座り直す。皆が落ち着いた、と思われるタイミングで八王子さんは今回の依頼を話し始めた。

「湾岸エリアにある、自然公園だ。そこに怪物が出た、と連絡があった。外見を聞くに二〇年前にも現れた降魔デーモン……通称牛巨人ミノタウロスと酷似している」


 大型のモニターに少しピントの合っていない写真が映し出されると……そこには確かに牛の頭に筋骨隆々な男性の肉体を持った化け物が写っている。周りの風景は日本なのに、まるでコンピューターグラフィックスで合成されたかのような、とても自然な形で溶け込んで……いや、なんていうか現実だけど現実感のない写真が目の前にある。

 彼の手には超巨大な斧が握られており、どう見てもゲームとかに出てくるモンスターの姿に瓜二つなのだ、普通はこの写真を見ても現実のものだと認識できる人はそう多くないだろう。

「ああ、こんなのもいるんですね、まるで出来の悪いゲームから飛び出してきたようですね……とんでもない」


 先輩が呆れたような顔をして写真を見ている。先輩はあまりゲームをやらないらしい、というのも部活動も並行して行っていて、テニス部でエースとして活躍をしているのでゲームで遊ぶ時間がないとか。部活動があるのでバイトは控えめに、というのが先輩の出している条件だと聞いたことがある。

「すでに公園は完全に封鎖してある。今回の依頼はこの化け物を処理することだ……牛巨人ミノタウロスは三級降魔デーモン相当だと思われるが、気をつけてくれ」


 KoRJの分類では下級の降魔デーモンから四級〜超級までの五段階の等級を設けている。これは降魔デーモンがどの程度の脅威を示したかによるものなのだが、簡単に説明すると下記のような形になる。

 四級降魔デーモン……小型の降魔デーモンや、亡者アンデットなど武器があれば脅威になりにくいもの。

 三級降魔デーモン……武器があっても危険な大型のものなども含まれ一般人では太刀打ちできない脅威。

 二級降魔デーモン……先日の吸血鬼バンパイアなど不可思議な能力を持ったものなど。

 一級降魔デーモン……軍隊、戦車や戦闘機でしか太刀打ちできないレベル。

 そして、超級降魔デーモンは歴史上数回しか姿を見せたことがない、ドラゴン悪魔デヴィルなど超自然の能力で地形すら変えてしまうレベルの脅威。ということになっている。


「三級相当なら二人で行く必要はないのではないですかね?」

 私は正直なところを口にする。まあ私一人で出て行っても全然問題ないのだが……八王子さんは首を振ってその提案を否定する。

 つまり何かあるかもしれないということだろうか? 八王子さんはかなり真面目な顔で……私と先輩に告げる。

「私の長年の勘が、何かおかしいと告げている……危険を避けるためにも二人で行動するんだ」




 移動中のリムジンに揺られながら窓の外に映る東京の夜景を見ながら私は考える。

 この世界では神話の中に出てくる牛巨人ミノタウロス……ギリシャ神話の中で、ミノスの妃が白い牡牛と交わって作った不義の子だったか。迷宮……ダイダロスの作ったラビュリントスに閉じ込められ、人を食べたがアテナイの英雄テセウスによって討ち滅ぼされる怪物。


 私の前世の世界では、同じ姿をした神によって生み出された種族で、知性はウイットの効いたジョークが喋れる程度、つまり普通の人間と変わらないレベルだった。

 力が強く傭兵として雇い入れられる個体が多く、街中にも結構この種族の姿を見ることができた。酒好きで気のいい連中が多いが、暴れ始めると自分の意思では止められない『凶暴化バーサーク』という欠点を持っていたはずだ。

 面倒なのは生命力と圧倒的なパワーだ……正直力勝負になったら前世でも勝てないくらいの筋力を持っていたと思う。そして苦痛に強く、死ぬまで戦い続ける生粋の戦士でもあった。

「新居さん、何考えてるの?」


 先輩が真剣な面持ちで窓の外を見ているのを見て、心配したように話しかけてくる。ああ、そんなに真剣に私は考え込んでいたのかとそこで初めて気がつき、先輩の顔を見て軽く微笑む。

「いえ、資料でしか牛巨人ミノタウロスって見たことないので……あとはゲームで多少出てくるくらいだな、と」

「ああ、そういえば報告書に書いてあったね。二〇年くらい前に出現した個体は、死ぬ寸前まで暴れたって書いてあったよ」

 そうか、するとやはり牛巨人ミノタウロスは私の前世の認識に近いものである可能性が高いな……。

「……もしかして喋れるんでしょうか?」


 その疑問に少し不思議なものを見たような顔をすると、先輩は笑い始めた。

「ゲームだったらモンスターは喋らないからなあ。喋れるなら……どうぞ何もせずに元の場所へお帰りください、と言いたいね」

 確かに……わざわざこちらに来て暴れている、なんてナンセンスな話だから。会話ができるなら元の世界に戻ってもらえるように交渉してあげた方が楽で良い……それもそれで現実感のない話だけど。

 これまで出現していた降魔デーモンには喋ったりする個体は存在していなかった。私もあえて話しかけるなんてことはしていない。どうせ話せないだろう、と最初から決めてかかっていたからだ。

「先輩……先日の報告書は読まれましたか?」


「ああ、吸血鬼ヴァンパイアが出現した事件だったっけ。僕たちと同じ日本人が顕現したって書いてあったね」

 私は先輩も読んでいるであろう、報告書の話を振ってみる……例の吸血鬼ヴァンパイアの事件についての報告書がKoRJ職員の手によってまとめられ、私も久々にあの事件の内容を見返す機会があったのだが……そこには当時では知ることのできなかった情報が多く記載されていたのだ。

「はい、今後もそういう事件が増えると思いますか?」

 前から少し疑問に思っていたことを先輩に話す。KoRJの仕事を受けてから、ここ半年くらいで私の出動率がかなり上がっていて、かなり忙しい。

 前は一ヶ月に一回程度あるくらいだったのに、ここ最近は毎日のようにKoRJへと呼び出されることが増えている。


 あの時私が倒した吸血鬼ヴァンパイアは日本人……鬼頭 梓真きとう あずまという三〇代の商社に勤めるサラリーマンだった、と後で知らされた。

 家族からの捜索届が出ており、慰留品から名前が判明した。指輪をしていたのは妻帯者だったからで、奥様との仲はとても良かったのだと。

 流石に『貴女の旦那さんは吸血鬼ヴァンパイアになって人を食べてました』などとは報告できず、彼は事件に巻き込まれて亡くなってしまった、遺留品から鬼頭さんだということがわかった、とだけ伝えられているらしい。

 その家庭には私くらいの年頃の娘さんがいて、夫は数日前から家に戻っていなかったため本当に心配をしていた……まさか事件に巻き込まれてなくなるなんてと、涙ながらに奥様はしゃべっていたのだとか。

 そんな報告を聞く度に、本当に遣る瀬無い気分になり、内心私は嫌な気分になって眉をひそめる。


 誰かが彼を吸血鬼ヴァンパイアにしたのだろうか。だとすると今この瞬間も同じ犠牲者が出ていないとも限らない。何かがおかしい、今この世界では何が起きているのだろうか?

 私が前世の記憶を持ったまま生まれていることと、これらの事件はリンクしているのだろうか? そして能力者の力が向上しているのも何か関係があるのだろうか?

 この体に感じる魔素はそれほど多くないというのに、不可思議な降魔デーモンの出現報告は加速度的に増えている気がするのだ。


「そうだな……増えてほしくない、けど。今僕らが知ることができる情報が少なすぎる」

 先輩は少し考えてから、少し悔しそうな顔で下を向く。

 先輩も私と同じような気持ちになっているのかもしれない。彼の人となりを見ていて、この人はとても優しくて誠実だなという印象を持っている。前世にもいた……『勇者ヒーロー』とか『騎士ナイト』という言葉が当てはまるような、そんな高潔な魂の存在を感じる。


「僕ができることは少ないけど……できる範囲で助けられる人は助けたい、かな」

 少し恥ずかしそうな顔で私に微笑む先輩。この笑顔にコロッとやられる女子は多いだろうなあ。この人も結構天然のだと思う。

 ま、私はそんなチョロくないんで、簡単にキュンキュンしたりコロッとは行かないんですけどね!


 前世の私、剣聖ソードマスターノエルはスレた性格の持ち主だったので、『戦闘があれば良い、世界の行く末なんかに興味はない、俺は俺の敵を倒すだけだ』と言い放っていたのを思い出して、なんだか恥ずかしくなる。今だからわかる、ノエルの時にそう言い続けていたのは、厨二病のようなもので、いわゆる不良型の厨二病だったのだ、と知識を知った今では理解している……。

 前世がそんななんて、私ちょっとだけ痛い女なのかもしれない。

 な、なんか思い出してたら本当に昔の自分がめちゃくちゃ恥ずかしい奴に感じてきて、羞恥心がメキメキと芽生えてくる。


「どうしたの? 僕なんか変なこと言った?」

 先輩が何故か恥ずかしそうに少し頬を染め、下を向いて小刻みに震えている私を見て心配そうに見つめてくる。

 い、いやこれは前世の過ちというか、思い出したらすっげー恥ずかしいんです前世の記憶……とは言えずに、どうしようかと思っていると、ルームミラーでこちらの様子を伺っていた運転手の青山さんが素っ頓狂な……斜め上を行くフォローを入れてくれた。


「あ、もしかしてですかね? 目標の公園の入り口にありますので、急ぎます」

 それはそれで乙女相手にはフォローになってないけど、前世の記憶に悩んでるんです! とか、正直に話したらパラノイア扱いされてしまいそうな話を言わずに済んだことを感謝しつつ、青山さんのフォローに答える。

「すみません……お願いします」


 でも……まだ言い方としてはマシか。少し顔を赤らめて、窓の外を見ながらもじもじしている私を見て、先輩は少し悪いこと聞いちゃったなという顔をして、それから何も言わずにダンベルをコントロールする練習に戻る。先輩に色々誤解を与えてしまった気もするけど、この場合は仕方ないか。


 私たちを乗せたリムジンは、少し速度を上げて夜の道路を走っていく。

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